エッセイ74:振り返ることは、心を耕すこと

投稿日:2014年10月23日

 我が家の庭で巾を利かせているのが椿とアジサイです。
 アジサイには、日本原産と言われているガクアジサイ、そしてホンアジサイ、西洋アジサイの他にヤマアジサイなどの品種が存在するようです。
 アジサイは水が大好物です。ですから、梅雨時のシトシト降る雨の日の鮮やかさといったら、表現のしようもないくらいです。最近は品種改良が盛んで、アッと驚く花色や花模様に出会います。
 6月からのひと月半は、大いに楽しませて頂きました。数えてみましたら、百本ものアジサイが身を寄せ合いながら、それぞれが元気に枝を伸ばしています。毎年の挿し木で増えてしまったようです。
 種類の特定は難しいのですが、二十種以上はありそうです。剪定後には、今年も挿し木をしました。数年後には、花を咲かせてくれるでしょう。

 さて、最近のエッセイでは、“振り返る”ことの意義をつぶやきことが多いですね。今回も、その“振り返る”ことについてつぶやきます。

振り返ることは、心を耕すこと

 振り返ることは、客観的に自分自身を見つめ直して、自分自身の状況や心情を知る旅でもあります。そうすることで現状の姿の背景が見えてきます。つまり、現状を結果とすれば、その背景である原因との関係が、明らかになってくるのです。

 振り返ることは、心を耕すきっかけになります。
 稲作で耕すのは田んぼです。稲の出来具合は、田んぼの耕し方で決まるそうです。私が表現しております“心を耕す”ということは、自分自身の心の本性を耕すことでもあります。稲作の表現を借りれば、心の田んぼを耕すということになります。
 心の田んぼを耕すことは、自己形成そのものになります。狭い心や堅くなった心をほぐしては掘り下げて、さらに深く耕します。そうすることで、等身大の自分の姿がクッキリと見えてきます。そこに辿り着いて、新たな志や将来の目標の芽を見つけることができるのではないでしょうか。

 教育とは、自分自身の本性を知る旅のように思えてきます。そのような視点に立って考えてみると、教育機会の中で、その時々の節目において、振り返りの時間をキチンと持つことは、一人ひとりの本質を明らかにする重要なプロセスの一つと位置づけられます。振り返ることは、自分自身の本性を明らかにするきっかけの一つになるのです。

 そう思えるようになったのは、何時頃からでしょうか。ある程度の経験を積み上げた結果からでしょうか。私自身の心の幹の年輪からきているのでしょうか。
 そのような自問自答をしながら、謙虚に振り返ることで見えてくることが増えてきたことは、明らかに認識できます。見えてきたことを素直に認めながら、目の前の諸事と誠実に向き合いたいと考えるようになりました。

                                                                       (2014.8.2記)

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