エッセイ32:私の入院想語・療養想語:健康第一

投稿日:2013年1月6日

 年が改まりました。平成も数えて25年目に入ります。
 もう2ヵ月もすれば、思い出すのがつらくなります東日本大震災の日を迎えることになります。あの大震災の時の心情を絶やすことなく、問題意識を持ち続けて、日々の生活や出来事と向き合っていこうと決めております。その思いが衰えない限り、エッセイは続けていく所存です。これが、私なりの新たな年へのご挨拶とさせて頂きます。

 昨年の8月下旬、手術のために入院をしました。9日間病院のベッドにおりました。
 いま振り返って、入院中は、医師、看護師、その他スタッフの皆さん、そして周りの患者さんから、数多くのことを教わりました。教えられました。入院したからこそ気づいたこと、気づかされたこともあります。その多くは、体験したからこそ浮き彫りになった認識違い、無知や想像力不足からくる思い違い、お世話になったからこそ解る頂いた思いやりの有難味、… まだまだありそうです。
 親しい友人からは貴重なアドバイス、お叱りの言葉も頂きました。そして、何よりも心に沁みる様々な気遣いを頂戴しました。そして、“人生は生涯が学び舎である”ということが、改めて心に刻まれました。
 私にとりまして初めての体験(入院と自宅療養)から教わったこと、教えられたこと、気づいたこと、気づかされたこと、さらに、そこから私なりに感じたこと、考えたこと、ったことなどを、5回にわたって、呟きったのでした。タイトルを「私の入院想語療養想語」に命名いたしました。その1回目(昨年9月)を、年初のエッセイとして掲載させて頂きます。

私の入院想語(そうご)・療養想語(そうご):「健康第一」

 8月21日(火)の入院から、今日で35日経ったことになります。
 その日一日が、何がどうなるのか、予測のつかない、ハラハラドキドキならぬ憂鬱な毎日の連続、というのが正直な心境です。心配性の私にとりましては、太鼓判を押されたとしても、そのような心情が、しばらくの間は続くのかもしれません。
 今回の体験から、イの一番に浮かんだのが、何をおいても『健康第一』という四文字でした。
 毎年4月1日に、新入社員導入研修オリエンテーションにおいて新社会人の人生の門出に贈っております「七つの言葉」の“その一”を、術後の翌日のベッドの中で、しみじみと想起しておりました。
“人生の門出にあたって、あなたに次の7つの言葉を贈りたいと思う”で始まる「七つの言葉」
の最初は、“会社員の第一に大切なことは何か?”という問いかけでスタートします。それは、“いつでもベストコンディションで仕事ができるように、常に心身の調整に心がけ、少々の無理もできる状態に保っておくこと”というように続きます。それには、『健康第一』というタイトルがつけられています。
 この一月(ひとつき)間、健康だから当り前に出来ていることの多さ、いや、日常生活のほとんどの行為は、健康だからこそ出来るということに気づかされます。一方、健康であったことが当り前になっていて、健康に対する感謝の念が希薄であったことにも気づかされました。
 人間年令を重ねるとともに、身体のあちこちが衰え、病気と判断されることも出てまいります。それも当り前の現象です。私も病気を患い、手術を行ない、自宅療養しながら、健康であることへの有難さを、つくづく感じ入っております。もう直ぐ66才になります。もう若くはないのです。気持ちだけでは乗り越えられません。そして、多くの人間のやる気の源泉は、間違いなく健康であることが大前提だ、ということも確認させられました。

 この体験を裏返して考えてみれば、健康な時には、今この時間を、自分自身の向上のために活用する義務があるのではないかと思えてくるのです。
 特に、前途有為の若い方々には、これからも、こう言い伝えようと強く感じております。
  少しでもやりたいと思ったことは、迷わずに即実践しなさい。  
  学んだことは、即行動に移しなさい
  知行合一こそが、実学の出発点だ。
 例え口に出さなくても、「あの時やっておけば良かった」という虚しい言い訳とは、決別をさせたいのです。
 そんな私の想いは、以前と変わることはありません。同志の皆さんと共に成長していきたいという気持ちにも変わりありません。新たな開花に向けて、全快を目指したいと思います。

                                                                        (2012.9.24記)

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