エッセイ10:想像力

投稿日:2012年2月14日

10月配信のエッセイ第248回では、中桐雅夫氏の「想像力」をご紹介いたしました。

この詩に出会って、この詩で問いかけることを決意したきっかけは何だったのか、この数日間、思い起こそうと努力しているのですが、なかなか思い浮かびません。私自身の視野の狭さを突きつけられたのか、感受性不足を露呈させられたのか、そんな自分が恥かしくなったのか、…… 。“そのようなことではなかったか”と振り返りつつ、何かに思いを馳せること、相手の為に考えることの必要性を痛感したからであろう、と推察しております。

学び塾しかり、いのうえ塾しかり、私が企画しコーディネートする学びの場においては、考えること、議論しながら掘り下げて組み立てること、などを意識して組み込んでおります。さらに、考えたことを言葉で表して説得する機会も、出来る限りセットにして進めております。それらの意図するところは、想像力をフル稼働させることであり、併せて感受性を高めながら、相手のことを出来る限り考える行為の習慣化を目指しているのです。

この夏、東海テレビでの「セシウムさん」テロップ問題、そして様々な風評被害など、被災地に対する想像力欠如と思しき行為が起きました。このような問題は、少しばかりの想像力を働かせて深耕する努力を惜しまなければ、違った対処法が見つかったと思います。それにしても、今回の大震災に限らず、多くの局面で同じような想像力を欠いていると思しき問題が、点在しているような気がしてなりません。そのようなことが、中桐雅夫氏の「想像力」を思い出させてくれたのでした。

教材や案内状の作成も、常に顧客満足意識と目標必達意識で臨む

3.11東日本大震災は、想定外という言葉が頻繁に使われました。無念さの表現として、それ以外の形容が見つからなかった表現として、時には言い訳もどきの表現としても使われたような気もします。

しかし、裏を返せば、想定外で片付けてしまっては、考えることを停止することにも繋がってしまいます。それでは駄目です。3.11の教訓として学ばなければならないのは、内も外も含めて想定という言葉にとらわれないで考えることではないでしょうか。掘り下げることではないでしょうか。想定外で思考停止するのではなく、想定という枠からはみだして考え行動しなければなりません。それは、先入観を一切取り払って対処することにほかなりません。

研修の教材や資料、そして案内状を作成する時には、私自身が想像力を目いっぱい働かせていることをPRしたいと思います。

作成する時の着眼点は、教材であれば、「意図することが解る」「内容そのものが解り易い」「本質が十分に伝わる」「教材全体が見易い、個々の教材や資料が見易い」「大事なところが解る」というようなことです。その場合の主語は、全て受け取る側(=相手)になります。

案内状であれば、「内容に漏れがない(絶対に!)」「見易い」「解り易い」「ポイントを箇条書きに表現する」「当日の忘れ物をゼロにする」「問合せしなくて済むようにする」などです。受講者が、自分の判断で万全の準備をして臨むことが出来るようにすることが、良質の案内状になると考えております。

今申しあげた着眼点や考え方をクリアするために、次のような問いかけによって想像力のスイッチをオンにします。

“どのような表現(言葉遣い、言い回し)にすれば解り易いか”、“どのような順番で構成すれば理解し易いか”、“受講者の年令なども考慮して、字の大きさや字体をどうするか”、“どこで改行すれば文章の流れが自然で理解し易いか”、“漢字にするか、ひらがな、カタカナにするか”、“ルビを振った方が良いか”、“番号の字体の使い方とその順番はどうするか”、“ページ数の表現はどうするか(単元毎にするか、通し番号にするか)”、“各単元のスタートは、左ページからスタートするか、右ページスタートの方が良いか”…… 。

これらは、教材の章立てから始まって、受講者の年令、仕事経験年数、業種、職種、役職なども考慮しながら、ベターではなくベストな選択を心掛けております。いずれにしても、それぞれの教育機会のねらいを達成すること、受講する皆さんが理解し満足して頂ける内容にすること、の二点を当然のこととして、20年間も取組み続けているのです。

結局、行き着く行動理論は顧客満足意識と目標必達意識であり、その実現のための行動指針は問題意識と想像力を働かせて対処することになります。新たな年輪を重ねるスタートの日に、改めて意識付けを行ったのでした。

*参考エッセイ:第157回:若いうちにこそ身につけたい“問題解決のための思考プロセス”(2009.7.7記)

(2011.10.8記)

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