この数ヵ月で気づかされたこと 最終回:“無知の知”と“能力の多機能化”

投稿日:2020年6月11日

 今回のエッセイは、4月3日(金)からスタートさせた特別エッセイの最終回になります。

 新型コロナウイルス禍が終息するには、1年から2年を要するとも言われています。しかし、その終息時期は、専門家でも予測がつかないようです。幾度となく申しあげてきましたが、ワクチンができて、治療薬が承認されるまでは、感染防止を意識した行動を継続しなければなりません。躍起になって、ワクチンや治療薬開発に取り組んでいらっしゃる方々がいらっしゃいます。宿命と覚悟して、ポジティブに受け容れることが賢明なのだと思います。この数ヵ月で気づかされたことの最終回は、皆さんもご存知の“無知の知”、そして“能力の多機能化”というテーマで考えてみたいと思います。

 “無知の知”は、古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前469年~399年)の残した名言です。一言で表現すれば、“無知であることを知る”、“自分自身が無知であることを自覚する”ということです。無知であることは、決して恥ではありません。未熟さを指している訳でもありません。自分自身が無知であることを潔く認めて、誰かに教えを乞う、或いは自己啓発することで、成長の階段を上ることができるのではないでしょうか。大切なことは、“無知であることの自覚なしに、真理や本質へ到達することはできない”ということだと思います。この数か月の間、未知の新型コロナウイルスに対して、アチコチの企業での試行錯誤の挑戦を耳にして、“無知の知”を謙虚に受け容れ、そこから真摯に向き合っているような気がしております。“無知の知”からスタートした組織や個人から、新たな発想が芽生えているように感じます。便利さと効率化に慣らされた私達には、意識と行動の革新が一丁目一番地なのです。そんな自覚から出発しなければならないことを、新型コロナウイルスが教えてくれました。

 自粛要請によって、“これからの働き方はどうあれば良いのか!”が問われています。経済活動への影響はリーマンショックの比ではないことも分かってきました。統計数字にも表れているようです。しかし、新型コロナウイルス禍が終息しなければ、安心して仕事ができる環境は実現しませんから、一人ひとりが仕事のあり方を再構築しなければならないのです。さらに、能力開発のあり方についても考え直さなければならないと思い始めております。この件については、“真剣勝負の時が到来した”という思いが、日に日に強くなっております。

 今、私の頭を過ぎっているのが、能力の多機能化というテーマです。それも実践力の伴った能力の多機能化ということです。私がイメージしている多機能化の概念は、“どのような状況下でも生き延びていける能力”、“変化に即応できる能力”と捉えております。思い返してみれば、30数年前から問題提起し続けている課題でもあります。そういう意味でも、多くの薬剤師の場合、固有専門能力に特化した学びだけではなく、ウイークポイントでもある共通専門能力の修得は、喫緊の課題という認識だけではもう済まされないと感じております。無知の知”であることを気づかなければいけません。能力開発をスタートさせて、生涯学習として学び続けることです。この共通専門能力の間口は無限大であり、その奥行きは限がないほど深いと思います。だから、状況対応が可能になるのです。実践力の伴った多機能化能力の開発は、新型コロナウイルスが気づかせてくれた二つ目のテーマになりました。

 新型コロナウイルス禍の中で、いくつかの問題提起をしてきました。感じたことの一つは、“人は一人では生きていけない”ということ、だから“迷惑をかけない”ということでしょうか。この機会を逃すことなく、将来の生き方とあり方を再構築してみませんか。

 次回からは、エッセイのリニューアルオープンの予定です。

    井上  和裕(2020.6.11記)

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