エッセイ201:志は出会うもの、自己啓発は一生続けるもの

投稿日:2020年2月5日

 10年ほど前だったと記憶しております。人材紹介業から、薬学生を紹介されました。その学生は最終学年(6年次)の10月だったと思います。電話一本でのやり取りだけで、人材紹介業の担当者が面接に立ち会うことはありませんでした。
 大学生を対象とした就職エージェントが、最近とみに盛んになっているようです。就職活動中の学生に専任のアドバイザーがついて、学生の希望や適性に合った企業を紹介するのでしょう。“ミスマッチが減り、早期離職も減っている”という声も聞きました。
しかし、薬学生の場合、“果たしてそうなのだろうか?”、“それで良いのでしょうか!?”、…… 。そのような感覚が消え失せることなく顔を出すのです。薬学部に進学した理由は一体何だったのか、目指す将来像を真剣に考えたのだろうか、…… そして、“あなたの初志は一体何なのか?!”、“将来の道は、自力で歩みなさい!!”という思いが、相も変わらず繰り返し出てきます。変わろうとする気配のない、変えようとする気配のない薬学生の就職活動の実態から、“より具体的な志を持つこと”、“志実現のためには、学ぶことが好きになること”、そして何よりも“計画的で主体的な就職活動をすること!!!”を、これからも言い続けたいと思います。どうしても見い出せない場合、身近に相談できる場所がいくつかありますから、もっと活用することをお奨めします。
 もう一つ苦言を呈するとすれば、就職エージェントに属するアドバイザーの実務能力です。薬剤師が求められる任務の重さ、多様な医療現場の実態、一人前になるまでのキャリアステップなどに対する見識を、どの程度お持ちなのかということです。それ無しに、的確なアドバイスや情報提供を期待することはできないでしょう。全ての方とは申しませんが、もっともっとアドバイザーという職能の重さを認識して頂きたいと感じております。
 今回のエッセイは、薬学生の採用活動を通して、今年も引っこ抜けないままの状態にある棘について、あれこれ呟いてみたいと思います。

志は出会うもの、自己啓発は一生続けるもの

 志はもちろんのこと、夢も目標も、持とうと思って持てるものではありません。自分がやりたい仕事だって同じです。絶対とは申しませんが、適職と公言できる職業が、易々と手に入れることはあり得ないと思うのです。短期的な目標であれば別ですが、将来の人生に大きく影響する志・ビジョンであれば、そう簡単には描けないのが現実でしょう。人によって受け止め方は様々でしょうが、難題という範疇に入るテーマではないかと思います。
 結論から申しあげますと、志、夢・目標、あるべき姿・理想像、さらに自分がやりたいことも、自ら主体的に働きかけた結果として「出会うもの」ではないでしょうか。それも、何かの瞬間に「これだ!」と実感するような出会いのような気もします。そして、出会う場所も、出会うきっかけも、十人十通りなのだと思います。どなたかのアドバイスがあって行き着いた出会いだとしても、最終決断して意思決定するのは本人ですから、積極的に追求して出会ったものに変わりないでしょう。出会う確率を高めるためには、自主的に出会う機会を増やすことでしょうか。行動量で勝負するのです。自らの五感を総動員して、自分の足で歩き回るということです。出会いというのは、待っていては叶う可能性が極端に低くなると思います。

 就職活動であれば、6W3Hを総動員して具体的な実行計画を練ることでスタートラインに立つことができるのです。その実行計画立案の時に欠かせないのが、“将来どのような人間になりたいのか!”、“どのような医療人(薬剤師)になりたいのか!”、その結果を踏まえて“どのような職業を目指したいのか!”を、総合的に明らかにすることです。薬学部を選択した理由も、大いに影響してくるでしょう。また、地域貢献という意味では、仕事場の所在地も関わってくるでしょう。これらのプロセスが大前提となるのですが、私の知る限りでは、スタート時点に問題のある薬学生が多いと睨んでいます。

 新卒薬剤師の場合であれば、“とりあえず… ”の姿勢で構いませんから、目の前の仕事を誠実にやってみることです。ほんの数年間(できれば3年間)は、一つひとつ、キチンとやり切ってみることを奨めたいと思います。その泥臭い努力を何年か続けていると、薬剤師の職能の幅と奥行きの景色がかなり拡がってきます。それまで見えてこなかった職域に出会うのです。狭い範囲で仕事選びをしていたことに唖然とするはずです。そのような狭い了見に気がついたなら、より明確な志・ビジョンとの出会いが、目の前まで来ていると判断していいでしょう。やはり、コツコツという地道な努力を怠らないことが、出会いの重要な要素なのだと思います。だからでしょうか、“実力とは習慣になった努力”という表現が気に入っています。

 自分の人生を振り返ってみれば、自分のやりたいことが見つからずに、悩み続けたことがありました。見つけられずに諦めて、考えることを投げ出したこともありました。やりたいことがあっても、言い出せずに引き下がることも多かったですね。遠慮する気持ちのまま、誰にも言えずに我慢することもよくありました。今思えば、我慢をしたこと、悩むだけ悩んだことも良い経験だったと思います。ある意味、他人に迷惑をかけない自分の責任の範囲であれば、とりあえず何をやっても良いわけです。そう腹を括ることで、無駄・無理・無益の何たるかも見えてくるものです。それ以上に、自分自身を見失わずに済みます。
 消極的だった私にとって、“やりたいことはこれだ”というレベルの出会いに至ったのは、中年間近の年令に至っていました。社会人になって17年目の40歳目前ですから、超遅咲きといえましょうか。遅咲きというより、情けない気持ちというのが本音になりますが、ようやくその気になったという印象です。そのような実態でしたから、これが正解と断言できることなどありません。学んだ結果として強いて言えることは、自らの意志で捕りに行かなければ、志に出会う確率は極端に低くなるという実感です。出会いが叶うかどうかは、ひとえに自分自身のトータル意識の強さの問題なのだと思います。結局は、自ら動いて追い求めなければ、納得できる出会いは叶わないということではないでしょうか。“これだ!”と公言できる志に出会うまでの40年間が、そのことを物語っています。そのトラウマが、薬学生に対する問題提起の源泉の一つになっています。“どうあれば良いのか”という考え方やあり方を早い機会に気づくことで、将来像を描く引き出しや選択肢が拡がります。これからも問題提起し続ける所存です。

 この機会に、もう一つ触れておきたいことがあります。
 “実力とは習慣になった努力”という意味では、自己啓発は一生続けるものということです。わざわざ自己啓発などという言葉を持ち出さなくても、“学びは一生の権利であり、一生の義務である”と言いたいのです。生きることそのものが学びの教材であり、私たちは無意識に学び続けているのです。中身が何かは問いません。テレビのニュースを聞きながら、様々な想いを抱くことそのものが勉強なのです。“学び続ける秘訣は、勉強が好きになること”ということを申しあげる機会が多いのですが、そもそも人間は学ぶことが好きなのです。学ぶ対象は十人十色でしょうが、人は日々勉強しているのだと思っています。公言する必要はありませんが、何臆することなく“私は勉強が好き”と、自信を持って呟いて頂きたいと思います。はにかみながらで構いませんから、“○○の勉強が大好きです”と呟いてみませんか。

(2019.10.22記)

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