エッセイ305:私が目指したリーダーの姿

投稿日:2024年6月5日

 エッセイ302回(24.3.7記)の前文で触れておりますが、不祥事と言われることが目につきます。経営環境が変わっても、同じ様相の不祥事が、変わることなく発生しています。残念と言うよりも、“もううんざり…… ”という感覚です。ガバナンスとかコンプライアンス、SGDsや企業倫理などの言葉を耳にしても、虚しさ以外の感覚が見当たりません。一方で、限られた情報だけでは、ほんの一部の発生原因しか分かりません。それも表面上の原因で、本質的な発生原因を知ることは難しいのが現実でしょう。しかし、その実態が何であれ、発生原因の根源は当該組織のリーダーの思考習慣、行動実態にあると思います。さらに、リーダーが築いてきた組織風土に問題があるのではないでしょうか。特に、会見での応答や発生後の報道などを通して、そのような空気を察することができます。結局、組織の命運はリーダーのあり様で決まってしまうということになると思います。

 私自身、40年以上も“リーダーとしてどうあれば良いのか?!”を悩み考えながら、リーダーとしていくつかの組織運営に関わってきました。私自身の無力・無知を思い知らされたことが、何度となくありました。何も手を打つことができないまま終わったこともありました。そのような思い出したくない過去を振り返りながら、最近感じているリーダーのあり方を、アレコレ呟いてみたくなったのです。世の中には、数多くの“リーダーかくあるべし”論が出回っております。書店のビジネス書コーナーは、選ぶのに四苦八苦するほどの書籍で埋まっています。今回のエッセイは、私自身の経験から行き着いた、私なりのリーダーのあり方論を発表したいと思います。苦しさの中で気づいたこと、失敗したからこそ学ぶことができたこと、周りから助けられて分かったことなど、その経緯は様々ですが、私見として課題提起したいと思います。現在リーダーの方はもちろん、将来を期待される若い方々は、先輩後輩も含めた身近な同僚の皆さんと、真面目な雑談会を開いて、リーダーのあり方の意見交換をされては如何でしょうか。視野が拡がる感覚を味わうことのできる、またとない機会となるはずです。

私が目指したリーダーの姿

 40年以上も前になります。私が課長職に任命された時、数冊のビジネス書を手にしました。リーダーに求められる要件の多さに圧倒されて、自信を失った記憶が残っております。意を決して読み始めたのですが、その内容が理解できないまま途中で投げ出してしまいました。しかし、任務を投げ出すことは許されることではありません。何よりも、自ら負けを宣言したことになります。数年間は、“リーダーとして、どうあれば良いのか?”を考えては、思いつくままに試行錯誤する毎日でした。本文を着手するにあたって、そんなことが思い出されます。そこで、苦悩しながらも私が目指していたリーダーの姿を呟いてみたいと思います。壁にぶつかった時に、その都度“こうありたい!”と感じたことが基になっている私個人の見解です。

 課長に任命された時、特に意識したことは、“チーム目標を明示して率先垂範すること”でした。範を示すとか、背中で教えるというレベルのことではありません。その当時、私に唯一できることは、ただ我武者羅に皆の先頭を走るということでした。卸売販売業の営業担当でしたから、販売成績のトップを走ることを目標に、基本に忠実な活動を徹底して突っ走ったことが思い出されます。私のとった行動がズバリ的中したことで、半年後にはメンバーが後に続くようになりました。私が先を走ることで、“チームメンバーが安心して仕事に集中できるようになる”ということが分かったのは、何年も後のことでした。そういった意味では、リーダーはチームを目標達成に導く人だと思います。目標達成したか、未達成で終わったかでは、メンバーの士気に対する影響度が違ってきます。また、いくら入念な計画と周到な準備で臨んだとしても、様々な要因から失敗や目標未達成はつきまとうのです。そんなこともありますから、リーダーは失敗しても立ち上がれる人でなければいけません。メンバーを鼓舞して、共に知恵を出し合う人でありたいと思い続けております。

 現場での仕事から退いて、つくづく感じているリーダーの必須要件があります。ありたい姿の中で、これさえあれば何とかなるという幹と言えましょう。それは“チーム目標達成を目指して、メンバー一人ひとりと真剣に向き合う姿勢”を、常に持ち続けることです。絶えず持ち続けるためには、“私の仕事時間は、メンバーのための時間でもある”と腹を括らなければいけません。真剣に向き合う姿勢を継続して積み重ねていけば、多くのメンバーのやる気を刺激するだけでなく、人望という宝物が降り注いでくると思います。それが求心力となって、知らず知らずのうちにチームワークに磨きがかかることが期待されるでしょう。

 ここからは、54才からの転職以降で気づいたことを呟いてみたいと思います。転職してから22年の間、5つの企業で人材育成と採用の仕事に携わりました。ドラッグストアチェーン2社、調剤薬局チェーン3社です。規模も出店エリアも様々でしたが、多くの企業に共通する難問題がありました。それも一つ二つではありません。その中で、特に問題と感じていたのが“モノが言い難い企業風土。風通しの良くない企業風土”、“上意下達の指示待ち型組織運営”、“どうしても、上の顔色を窺って仕事をしてしまう社員の姿勢”の三点でした。そのような状況下で、“仕事を楽しんで前向きに取組む社員を増やしていきたい”と、強く思うようになりました。何故なら、人生における仕事時間の比率は、多くの方々にとって一番高いからです。さらに、仕事を楽しんで好きになることが、豊かな人生への強力な導火線になることを実感していることがあげられます。もう一つ、“企業の風土改革は、経営トップを含むリーダー達の当然の最重要任務である”ということを、改めて認識させられたことが大きかったと思います。

 あれやこれやと試行錯誤を繰り返しました。行き着いたのが、ノーサイドミーティング(真面目な雑談会)の日常化です。その課題実現の胆と位置づけたのが、リーダーの笑顔であり、機嫌良く仕事に励むことです。それからは、自分自身の機嫌をマジメントすることが、私の隠れた行動指針になりました。ノーサイドミーティングに関しては、エッセイ210回で詳しく呟いております。もう一つの胆は、二宮尊徳の“可愛くば、五つ教えて三つ褒め、二つ叱って、良き人となせ”という名言です。人間誰でも長所短所合わせ持っています。目に付きやすいのは短所の方ですから、どうしても短所を矯正することに力が向いてしまいます。それでは、なかなか前向きになれませんね。ですから、長所を伸ばすことに注力したいのです。二宮尊徳の名言を借りれば、褒める>叱るがポイントだと思います。そういう意味で、長所を活かし短所をカバーするのが一流のリーダーだと思います。さらに長所を活かすことは、目標達成に向けた行動を促すことになります。そうすることで、リーダーが不在でも目標を達成できる強いチームへと変身するのではないでしょうか。それにしても、風土改革というのは、経営トップが粘り強くブレずに取組まないと解決できない超難題だと思います。私の場合、経営トップとの現状認識や考え方に齟齬が生じて、挫折の方が多かったと思います。そのような中でも、諦めることなくシャカリ気になって再チャレンジし続けるのが一流のリーダーなのだと思うに至りました。

 最後に、リーダーが気をつけたいことを呟いて締めくくりたいと思います。組織における職位(役職)は、社員一人ひとりの役割・機能を表わします。決して、人格の序列ではありません。一番気になるのが、職位付与者が“私は偉くなった”と勘違いすることです。その姿勢は日々の言動に現れますから、メンバーは敏感に感じ取ると思います。やはり、謙虚であることです。私は生涯未熟であると自認し、メンバーや同志とスクラムを組んで、目の前の課題と真摯に向き合って解決を目指すことです。生涯を通して学び続けるリーダーが、本物のリーダーの勲章を授かることでしょう。

 エッセイ305回は、これまでの経験から学んだ“私の目指したリーダーの姿”の一部を呟き出してみました。情けないと感じてしまうレベルの不祥事に接するたびに、“出でよ、芯の備わったリーダー!”と、心の底で叫んでおります。今回のテーマについて、皆さんは、どう思われますか?

    EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上  和裕(2024.4.19記)

【参考】エッセイ244回:ブラックリストではなく、ホワイトリストを持て(21.10.18記)/エッセイ210回:ノーサイドミーティング(真面目な雑談会)日常化のすすめ(20.2.16記)/エッセイ277回:私の考える信頼と安心のチームマネジメントのあり方(23.3.3記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン