エッセイ128:心構えが変われば言動に表れる

投稿日:2017年1月3日

 明けましておめでとうございます。
 年が改まりました。本年も宜しくお願い申しあげます。
 私にとりましては、71回目の年越しとなりました。ゆったりした気分で、平成29年の元旦を迎えております。「心構えが変われば言動に表れる。言葉と態度が変わる」を、今年の強調テーマに決めております。そのことを意識させてくれた先師の教えを、今年のトップバッターにしました。
 
心構えが変われば言動に表れる ~ 我以外皆我師也/歩歩是道場/書を捨てよ、町へ出よう

 最初は“我以外皆我師也”(われいがいみなわがしなり)。ご存知の方も多いと思います。作家吉川英治氏の造語で、人生哲学を反映した座右の銘として有名です。
 氏の著書では『新書太閤記』に出てくるそうです。「常に、接する全ての人から、必ず何か一事を学び取るということを忘れない」というような表現で出ているようです。
 一般的に言われているのが、同じ氏の作品『宮本武蔵』の、日観と武蔵の会話の場面での武蔵の言葉として引用されています。しかし、『宮本武蔵』の中では、“我以外皆我師也”という形では出ていないとのことです。
 
 二つ目の“歩歩是道場”(ほほこれどうじょう)は、趙州録に出てくる禅の教えとのことです。佐々木則夫氏(日本女子サッカーなでしこジャパン前監督)の座右銘であることを新聞報道で知りました。
 気になって調べてみますと、もともとの由来は“直心是道場”(じきしんこれどうじょう)という言葉で、“直心”とは、「素直な心、我執のない真っ直ぐで無雑な心」を指すようです。
歩歩是道場とは、「心構えいかんで、心の持ち方一つで、いつでも、どこでも、学びの場になる」という意味に解釈しております。 常に問題提起しております「頭の中に満たされた不要な水を捨てて、謙虚に学ぶことからスタートすること」が、大前提の心構えになりましょうか。

 三つ目は、詩人であり劇作家の寺山修司氏の評論集「書を捨てよ、町へ出よう」の一節です。
 それは、“教育は与えるものではない。受け取るものである。そのような視点に立てば、人生いたるところ学校であり、ゲームセンターにも、競馬場にも、映画の中にも、歌謡曲の一節にも、教育者はいるのである”という百文字未満の氏の見解です。
 私が教育担当の仕事を任されたのは30年前、昭和年代の後半でした。私の行く手に立ちはだかった命題に対する自答を模索していた時期でもありました。その命題は、“教育とは何か?”という、エッセイでも何度か取り上げたテーマです。当時の私にとっては避けては通れない、しかし何とも難解なテーマでした。そんな時に出会ったのが、“教育は与えるものではない。… ”という寺山修司氏の見解でした。目の前の雲間から明るい光が差し込んできた感があったことを、今でも鮮明に覚えております。何を介して出会ったか、その記憶は残っていませんが…。

 これらの先師の教えは、今でも、多くの場面で引用させて頂いております。

 「先ずは、頭を空っぽにして受け容れなさい」、「私たちの身の周りには、学ぶ人、学ぶ機会、学ぶ教材が限りないほど溢れています。あなたの心構え、考え方、見方、そして行動をちょっとだけ変えてみることで、見え方が違ってきませんか。あり方が変わってきませんか。そして、言い方が変わってきませんか」… 。
 私にとりましては、そのような大切なことを常に意識させてくる指針なのです。そして、信頼のコミュニケーションの土台であることを、何よりも忘れてはいけません。
                                                                        (2017.1.1記)

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