エッセイ127:一人前の教育担当者への関門は何か?

投稿日:2016年12月22日

 採用担当者つぶやきエッセイをスタートさせたのは、11年半も前のことになります。当時お世話になったばかりの調剤薬局チェーンのホームページ(以下、HP)見直しがきっかけでした。
 オープンしてから一度も手つかずのままのHPを、抜本的にリニューアルすることになったのです。目指すビジョンや標榜する社会的責任を世に問うアンテナ的役割を強化することが主目的で、リニューアルの全権を委任されました。私が信頼する就職情報企業との協同作業で骨格を構築しながら、リニューアル後の更新情報のあり方に苦慮したことを忘れることはないでしょう。
 企業のHPの良し悪しの評価基準の一つに、“更新情報のアップ頻度”があります。中小企業の場合、何ヶ月も更新情報無しの企業を見かけます。そのような実態を鑑みて、更新情報を毎月アップすることを最大の目標に掲げたのです。それも、企業姿勢や考え方をメインに発信することにしました。そして、私がエッセイをつぶやいて毎月掲載することが、考えた末の結果となったのです。これがエッセイスタートの一番のきっかけでした。
 その裏で、つぶやく内容について四苦八苦する状態が始まったのです。立ち止まって悩んでいても、時は待ってくれません。数か月間は、その場その場で思いついたことを中心に、どうにかこうにか対処出来ました。半年が経過して、私が確信を持って問題提起できるテーマは、人事業務の一部である人材開発に関する内容でしかない、と結論づけるに至りました。具体的には、人材開発業務の内の採用と人材育成をメインテーマと定めて、“行けるところまで突っ走ろう”と腹を決めたのです。今振り返ってみれば、これもエッセイ執筆の潜在的きっかけだったと思います。
 1年ほど前になります。10年間の全エッセイを読み流し、あるものは何度も読み返しながら、改めてその傾向を確認することが出来ました。平成27年7月までにアップした全エッセイ(382回)の過半数が、人材育成や企業内教育に関するテーマであるということです。現状実態、現状実態への問題提起、将来の方向性と今後の課題に始まって、問題や課題解決の対案、教育とは何か、マネジメント、リーダーシップ、教育担当者のあり方・要件などの持論、更にはその都度湧き上がってきたテーマを羅列しながら、現在に至ったのです。余談になりますが、そのような認識から、人材育成に特化した“EDUCOの森”構想が浮かんできたのだと思います。
 さて今回のエッセイは、一人前と評価される企業内教育担当者の関所について考えてみたいと思います。

一人前の教育担当者への関門は何か?

 “勉強の目的は?”、“勉強とは、学ぶとは?”、“教育とは何か?”…、これらは常に意識させられる私自身への問いかけです。最近のエッセイでも、何度か登場した自問なのです。
 教育担当成り立ての頃は、「正答は一つ」に疑いの余地を挟むことはありませんでした。○か×という認識の世界で仕事をしておりました。しかし、人事教育の仕事経験を積み重ねていくうちに、問題解決のための議論を重ねていくうちに、或いは人事評価の在り方に悩み続けるたびに、○×の二者択一だけでは解決できない問題が多いことに気づき始めました。
 また、発する言葉が同じであっても、一人ひとりの言葉の理解度や解釈の違いから乖離が浮き彫りになることもありました。また、その逆もあるのです。発する言葉が違っても考えが同じであったり、その時々の問題認識の違いが明らかになることだってあります。
 “何故勉強するのか、学ぶのか?”の問いも、様々な見解があって、正解は10人10通りになり得ることが、年を重ねる毎に分かってきました。「楽しいから」、「友だちができるから」、「恋愛だって勉強。男女の内面の違いが分かった気がするから」、「興味本位で知りたいから」…

 薬剤師の友人が、10年近く前に寄稿してくれたエッセイをご紹介しましょう。“勉強の目的は何か?”の一見解例として、何度となく活用させて頂いております。

☆★☆一千万円の買物★☆★
 昭和45年に薬剤師になってから今日まで、約一千万円の書籍を購入しました。
 それは薬剤師として、不足の部分を埋めるための教材でした。
 薬のことだけではなく、生理、病態、解剖、診断、医学用語、検査、検査値、看護と系統も脈絡もなく、ほとんど手当たり次第だったと思います。
 約40年の月日が流れ、私の中で氷山がひとつ出来上がりました。
 日常は10%の海面上の力で処方せんに向い、患者様に接しております。
 海面下の90%は、私を支える自信です。
 学ぶこと、知ること、そして知っているという余裕が、私に仕事の楽しさをもたらしてくれました。
 結果だけではなく、そこに至るプロセスから得るものも大切です。
 ばらばらの知識が、あるとき突然にネットワークが出来上がり、生きた知識となるとき、水が氷に変わる瞬間を体感します。
 地球温暖化が危惧されるこの頃、私の氷山も溶けて小さくならないよう願っています。

 最近つくづく思います。
 「生きる」とは、「日々の生活から学び続けること」「日常の出来事から学び続けること」であり、「そうであることを知ること」、「そう覚悟をすること」が、私の残りの人生の指針となりました
 勉強の目的、学びの目的は、その人の生き方、人生観の産物なのだと感じております。
 そのように目の前の疑問に対して自答を繰り返しながら、後輩の若い青竹の教育担当者に対してアドバイスをしたあのひと言が蘇ってきたのです。もう20年以上になりましょうか。「一人前の教育担当者としての関門は何か?」という雑談的意見交換の中でのひと言です。
 
「自分自身の生き方や考えを、自分の言葉で語り、問題提起をして、その輪の中に目の前の受講対象者を引き込むことが出来る様になること」と。
 
 その後輩は、22歳で私の部下になり、関門を通過するまでに10年近い試行錯誤の時間を要しました。通過してからは、落ち着いた口調で語りかけ、粘り強く対話を繰り返しては、本質をはずさない進め方が出来る様になったのです。安心して任せることが可能になったのでした。30歳過ぎでしたが、難しい課題を乗り越えた努力に、今日は改めて敬意を表しております。

 年齢に関係なく、あなた自身の人生観を、染み透るようなあなた自身の言葉で投げかけられる教育担当者になって頂きたいのです。それが、最近の私の切実な思いなのです。
                                                                (2016.7.5記)

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