エッセイ114:続・つぶやきエッセイからの贈り物

投稿日:2016年6月3日

 あるニュースを思い出しております。
 小学4年生の女子児童(以下、Aさん)が、お祖母さんのオレオレ詐欺被害を未然に防いだことです。昨年11月中旬、餃子で有名な栃木県宇都宮市での出来事でした。
 Aさんが帰宅すると、お祖母さんが現金を数えていたそうです。不思議に思い事情を訊いたところ、テレビで見るオレオレ詐欺に似ていることから、Aさんがお父さんの職場に連絡をしました。そこで詐欺であることが判明したのです。
 大切なことは、それで一件落着ということではなく、そこから“何を学ぶか”、“何を学ぶべきか”ということではないでしょうか。以下、私の見解です。
 日頃からの家族間の良好なコミュニケーションの産物であり賜物である。それに尽きるのではないでしょうか。ニセ父親の電話内容(出張先で大事な物を紛失)から、その日の父親の行動(出張の話は聞いていない)を知っていたAさんが、これは怪しい?(オレオレ詐欺ではないか)と想像したのです。
 もう一点は、Aさんがお祖母さんに対して、感じたことを気軽に(或いは、率直に)話しかけていることです。日常的に当り前に行なわれている家族内コミュニケーションの成果といえましょう。サザエさん家族を思い起こしました。
 コミュニケーション能力を身につける学び舎は家庭そのものにあります。五月蝿いほどに、言葉と思いが行き交う会話、相手を気遣う言葉と思いに基づいた対話を、家庭内で日々始終続けたいと思います。Aさんの行動から教えて頂きました。
 そんなことを思い出しながら、エッセイ114回は、111回の続編を呟きたいと思います。その趣旨に関しては、本文の最後に述べさせて頂きました。
 ただし、全て私的な内容になります。恐れ入りますが、そんな内容に気の向かない方は、パスして頂きたいと存じます。その場合は、申し訳ございません。

続・つぶやきエッセイからの贈り物

 111回で呟きましたエッセイからの贈り物として、“①あやふやなこと、曖昧なことは、可能な限り調べる”、“②私の見解や思いを、考えては練り直す”、その行為を無意識に継続できるように努めた結果としての“③深耕の習慣化”、“④キチンと公言する”、そして“⑤前提条件の捉え方が、より幅広くより深くなった”の五つを挙げました。
 これらの贈り物はそれぞれが独立しているのではなく、そのいくつかが重なりあっていることが、日が経つほどに肚に落ちてきました。問題解決の基本ステップまたはPDCAサイクルをスパイラルアップする上で、避けては通れない作法であることが分かってきたのです。
 前々回を書き終えて3週間になります。その間、薬学生とのプロジェクト(6日間)を企画運営しました。一段落して我に返った数日前、エッセイからの贈り物がもっとあったような気がして仕方がないのです。贈り物の再発掘を試みながら呟くことにしたいと思います。

 そうですね、言行一致を常に意識するようになりました。些細なことでもキチンとやり通す歯止め役として、あるいは優柔不断でやり過ごしてしまう抑止力として、私にとっては必須の指針なのです。そして、ぶれることなく実践し続けたい思いが、年を重ねる毎に強くなったのです。今では、言行一致こそが、人事&教育担当者としての倫理観の根幹の一つであると決めています。エッセイから頂いた厳しい贈り物となりました。
 継続実行が難しい言行一致を堅持するための行動習慣にも触れておきましょう。過去のエッセイでも言及している内容です。
いのうえ塾主宰の勉強会は当然として、依頼された講演や短時間のスピーチも、当り前にかなりの時間を割いて徹底した予行演習(私流のイメージトレーニング)も行ないます。行なっております。自己紹介や研修中の余談の中で“そうしている”と言い切っておりますから、やらざるを得ません。“やらざるを得ない”状態にして退路を断っていたのは、人事教育担当なり立て当初のことであって、今では受講者満足のための当り前の行動習慣になりました。
 そういう意味では、利他の精神が徐々に身についてきたのかも知れません。いのうえ塾では、相手:自分=51>49を信頼によるコミュニケーション実現の行動理論として、強く意識するよう方向付けしております。そうすることで、陥りがちなコミュニケーション阻害要因を納得して理解できるようになります。相手を尊重する意味でも、先ずは受け容れることから始めるようになりました。非常に難しいことではありますが、成長速度が牛歩であっても貫く姿勢に変わりありません。

 エッセイは記録として残ることになります。何年何月頃、どこで、どのような状況の中で、“何を考えていたのか、その理由は何なのか?”、“どのようなことを問題提起しているのか、何故しているのか?”などの記録なのです。ですから、“あやふやなこと、曖昧なことは、可能な限り調べる”、そして“私の見解や思いを、考えては練り直す”ことを、努めて意識し続けてきました。面倒臭がらずにやり続けて現在に至っております。やり続けながら、ある日ある時から、いくつかの口癖が始まったのです。それらも贈り物だと感謝しているのです。
 「継続は力なり」、「行動(実行)が心を耕すこと」、「小さな積み重ねは力なり」、「心構えと行動をセットで改めること」などは、その代表格になりましょうか。それまでのエッセイを紐解くたびに、“そうだ”、“そうなんだ”と肯いているのです。紐解くことで、行動し続けることの大切さが身に沁みてくるのです。
 昔読んだ本を読み直すと、当時とは違った解釈が浮き出てきたり、理解度の浅さが浮き彫りになることがあります。当時では理解できなかったことがストンと肚に落ちる、その時は気づかなかったことや考え違いが明らかになった、ということも何度か体験しました。私自身が呟いたエッセイにおいても、同じような感覚に出会うことがあります。無責任な気がしないでもありませんが、その様なこともあるのです。その多くは、未熟な私への激励として受け止めております。
 111回と今回のエッセイは、ある程度の経験を積んで将来の方向性が明らかなビジネスパーソン向けのメッセージでもあります。今後の人生の中で、それまでの人生を振り返った時に、必ずや存在する贈り物を探し出し、そこから新たな行動指針や心構えを特定して頂きたいのです。それも、借り物ではない自分の言葉で表現して欲しいのです。
 その行為は心を耕す作業であり、謙虚さへの原点回帰なのだと思います過去への感謝を添えての作業でありたいと願いながら……
                                                    (2016.2.19記)

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