エッセイ113:私のルーティーンは、10分間の振り返りと5分間の準備

投稿日:2016年5月7日

 エッセイ111回「つぶやきエッセイからの贈り物」(2016.1.23記)の前文では、心の余裕についてつぶやきました。先ず、心の余裕に関して、もう少し踏み込んで申しあげたいことがあります。それは、“私の心の余裕は、時間の余裕とセットだ”ということです。つまり、私の心の余裕は、時間の余裕があって始めて実現できるのです。時間的余裕の無い状態であっても、心の余裕を持って対応することが理想なのですが、私には難しい課題でした。何度も跳ね返されました。考えあぐねた末に、ある時から、早期着手で乗り越える道を選択して現在に至っております。
 私の場合、満63歳で正社員の道を卒業してからは、自分と家族のペースに合わせた日々を送ることにしたのです。仕事を志事と置き換え、目の前にある目標を取捨選択して対処する身分を選択しました。何よりも時間的余裕を持つことが、最優先の行動基準となったのです。それは早期着手であり、併せて準備万端整えることが、具体的な行動規範になります。その上で、“無理はしない”、食事は“腹八分目”、志事は“出来栄え七分目”というように、余裕のある歩留まりを前提とした日々を目指して行動しているのです。
 その理由の一部は、前々回のエッセイで触れました。それ以外では、身体の老いを素直に受け容れているからでしょうか。身体のあちこちにガタがきました。積極的な気持ちについていけない身体能力になりました。嚥下能力も衰えましたから、大好きなお餅だけではなく、3度の食事も十分咀嚼するようにしております。心肺機能も衰えました。記憶力の減退には、もうお手上げ状態です。当然ですが、欲張って無理をすれば、その反動が頭をもたげてきます。数年前から、等身大の意味が心身で理解できるようになったのです。
 さて、一昨日は立春でした。24節気の一つで、春の始まりを意味する日でしょうか。
 今回のエッセイは、昨年の流行語を拝借して、“私のルーティーン”をつぶやいてみます。

私のルーティーンは、10分間の振り返りと5分間の準備

 ある時、幼い時からの持病である臆病に効く処方薬を考えました。その一つが、毎日行なう“私のルーティーン(routine:日課)”になりました。1日15分間を目安に、PDCAサイクルのCとAを回すのです。
 先ず10分間、その日の振り返りをします。主な目標の結果判定とその要因を検証しながら、その日1日を総括するのです。結果判定がやり難い目標(例えば、納期が半年後の目標など)は、その日の進捗目標に対して行ないます。反省すべきことがあれば、主体的にキチンと反省します。心の持ち様に対しては謙虚な姿勢で向き合い、間違いや過ちは素直に反省することを忘れないように努めております。さらに、愛情のこもった三度の食事に感謝をします。家族の笑顔、友人・知人の気遣いにも“有難う”の気持ちを確認します。意識すれば、感謝できることは容易に見つかります。感謝しなければならないことは、私の周りには山ほどあるのです。振り返りの10分間は、思いのほか長い時間です。心を落ち着けて、穏やかな姿勢で臨むようにします。
 振り返って総括し終えたら、明日の準備です。5分間を目途にしております。
 総括内容を踏まえて、明日の目標やタイムスケジュールを確認します。再構築が必要な場合もあります。約束があれば、時刻と携行物、移動手段の確認をします。準備物のチェックは入念に行なっております。過去の失敗から学んだことです。
 明日の準備は物心両面の備えであり、安眠熟睡のための導入剤の役目も担っていると思います。

 日によって所要時間は異なりますが、20年以上継続している“私のルーティーン(日課)”をご紹介いたしました。内容は別にして、同様のルーティーンをやられている方は、かなりいらっしゃると思います。そうではない方には、是非お奨めしたい日課として呟いたのでした。
 この日課は、自分流の“備えよ常に”だと思います。そして、私にとりましては、年相応の年輪を重ねる成熟への一里塚となっているのです。
                                                                     (2016.2.6記)

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