エッセイ105:もっとしっかり生きなくてはいけないんだけれども、…

投稿日:2016年1月20日

 30年前(1985年・昭和60年)の8月12日は、羽田発大阪伊丹行きの日航ジャンボ機123便が墜落した日になります。墜落場所は長野県境に近い群馬県御巣鷹山の尾根で、520人が犠牲になった大惨事でした。
 尾根の麓にある「慰霊の園」(上野村)では今年も追悼式典が行なわれ、記憶の継承を誓ったと報じられました。多発している飛行機事故やトラブルが気になりながら、この事故から大いに考えさせられる日常の存在を知りました。8月1日(土)21時放送のNHKスペシャル(NHK‐TV)では、事故から30年を迎えた日航ジャンボ機事故が取りあげられたのです。「日航ジャンボ機事故 空白の16時間 ~“墜落の夜”30年目の真実」というタイトルの49分番組でした。
 墜落場所が特定されるまでの16時間に何があったのか、それがどのように検証されてきたのか、NHKが独自の取材で明らかにした内容でした。捜索に当たった警察や自衛隊などの当事者の証言や現在の思いを通して、“救えた命があったのではないか”という、非常に重い問いかけのように感じました。
 エッセイ105回は、30年間も消え去ることのない、これからも消えることのない、番組の中でのご遺族の深く重い言葉を、そのまま書き綴りたいと思います。それらの言葉を決して忘れない、それが私の感懐です。

もっとしっかり生きなくてはいけないんだけれども、…。

 美谷島(みやじま)邦子さんは、遺族でつくる8・12連絡会の事務局長です。今年の7月22日(水)、東京での講演でこの様に話されていました。
 事故や災害をなくすことはできないけれども、被害を少しでも減らすことができるのではないかと思ってきました。当り前の日常が断ち切られた30年前、その日常が大切にされる社会であってほしい、そう願っております。
 「失われた命を生かしたい」30年間思い続けている言葉です。これからも同じだと思います。

 栗原哲さん(92才)は、大阪の実家へ帰省のために搭乗した長男(大学講師)家族3人を亡くされました。“亡くなった家族のために事故の真相や失ったものの大切さを書き残したい”と、ずっと思い続けているそうです。しかし、90歳を過ぎて難しくなってきたと実感されています。
 番組の中で、静かに真情を吐露されました。

 亡くなった子どもらのためにも 
 本当は もっとしっかり生きなくちゃいけないんだけれども …… だめですね。

 次男の毅さん(61才)は、「十分生きたよ」と、間をおいて優しく語りかけました。
 92才の哲さんは、「ごめんなさい」とつぶやいて、両手で頭を抱えてうなだれました。涙を浮かべているように見えました。
 私より二周りも年長の哲さんは、何と30年もの長い間、そう想い続けていらっしゃるのです。62歳から30年間も背負い続けている変わらぬ想いに、発する言葉が見当たりません。思いもよらない事故で先立たれた家族への無念さと深い愛、生きることへの真摯で生真面目な姿勢に、ただただ圧倒されました。ただただ感じ入るばかりでした。
 向き合うとは、学ぶとは、“だから日々どのような心構えで、何を目指して行動をするのかを追求し実践すること”だと、改めて思い知らされた気がします。打ちのめされた気がします。

 毅さんは、「何らかの形で伝えていかなければいけないんだよね」という思いで、10数冊の哲さんの日記の記録化に着手されていました。
 そして、持主の分からない事故による遺品が、まだ眠っていることも知りました。
                                                                          (2015.9.17記)

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