エッセイ104:隠れた身近な被災地の声に、もっと耳を傾けよう

投稿日:2016年1月12日

 2013年(平成25年)10月1日(火)午前11時30分頃、横浜市緑区のJR横浜線川和踏切において、会社員村田奈津恵さんが下り列車にはねられた死亡事故がありました。遮断機が下がった踏切の線路内に横たわる男性を、運転する車から降りて助けようとしてはねられたのでした。
 報道によれば、“助けなければ”の一心で、同乗していた父親の制止を振り切っての行動だったようです。男性はレールとレールの間に横たわっていたために一命をとりとめたことが分かり、村田さんがそのように動かした可能性が高いといわれています。“困っている人がいれば放っておけない子”、“温厚で優しい人柄”の奈津恵さん評を知って、私自身の人生をキチンと全うしなければならないと思い知らされました。今までお世話になった世間様に、少しでも恩返しする行動を続けていかなければなりませんね。村田さんの行いから、改めてそう教えられました。
 さて、104回のエッセイは、前々回の続編になります。言い忘れたことを呟きたいと思います。

隠れた身近な被災地の声に、もっと耳を傾けよう

 エッセイ102回「これが大事 ~ 知り学んだ体験を、どう生かすのか」(2015.10.15記)では、岩手医科大学薬学部における自由科目「東日本大震災の被災地薬剤師から学び考える“これからの薬剤師のあり方”」の成果と今後の課題を取りあげさせて頂きました。先ず、前回のエッセイの中で課題として申しあげたことをお浚いしたいと思います。
 「今回の体験をスタートラインとして、知って学んだことを掘り下げて、“だから、これからの1年間(或いは半年間)は、日々の学業・私生活において、○○○を目標にしてこのように実行します”という具体的実行計画を立て、倦まず弛まず着実に行動を積み重ねることです。つまり、PDCAサイクルを自力で回すことです」、という内容でした。
 実は、それらに関連して申しあげたいことがありました。どうしても、そのことに触れておきたいのです。それは、今後も続くであろう同じ趣旨の自由科目の進め方に関することです。

 過去2回の被災地薬剤師から学び考える会の内容は、東日本大震災発災から数週間の活動実態と、その経験を通して気づいた課題を中心とした報告と課題提起でした。その多くは“3.11の実態を知り学ぶ”という貴重な機会であり、実際に知ることで“風化させてはならない”という意識が高められました。それは受講者の声から明らかですが、上級生に対しては角度を変えた学びの必要性も感じ始めております。その角度を変えた学びのヒントの一つが、宝来館の女将岩崎昭子さんの“震災復興の語り”にありました。実際に被災された女将さんの『今』の心情や日々の活動・取組み実態から、受講学生それぞれが、日々の目標を明確にする意義や目標のあり方の本質に気づいてくれそうだと感じたのです。それも他人事ではない、自分事の意義やあり方、具体的目標として。
 私の大学の後輩である道又利一さん(薬剤師)は、大槌町で薬局を経営しております。発災時、全壊した自宅兼薬局の屋上から翌日救助されました。当時は引退を考えたそうです。しかし、その地で薬局を再興し現在に至っています。
 東日本大震災が縁で知り合った大阪府門真市在住の薬剤師がいます。西垣有輝子さんです。大阪薬剤師会のボランティアとして、発災から3ヶ月の間に2回も釜石地区の医療支援活動に参加されました。それ以来、毎年数回の頻度で、釜石・大槌でのボランティア活動を継続中です。一昨年からは石井万里子さんとのペアで、被災者の心身のリフレッシュを目的としたヨーガレッスンとタッチケアの活動をやられています。『アイタイカラ』というホームページをご覧ください。違う角度からの被災地の現状が見えてきます。
 道又さんや西垣さんのように、謙虚な使命感と地道な仕事(志事)に就かれている薬剤師の心情や活動実態の中にこそ、“これからの薬剤師のあり方”を考える根っこが潜んでいると思えるのです。もっと傾聴したい声は、傾聴しなければならない声は、気づき難いけれども身近な所にあるのではないでしょうか。
                                                              (2015.10.26記)

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