エッセイ62:あの玄関の大鏡は自身を映す鏡だった

投稿日:2014年4月21日

 新聞や雑誌の切り抜きを、相も変わらず続けております。パソコンが普及し始めてからは、古臭いやり方と敬遠されてしまったきらいがありますが……。
 長年続けていると、月毎に毎年決まって取りあげられる記事の存在が判ってきます。
 12月初旬には、アルコールハラスメント、急性アルコール中毒に関する内容の記事が顔を出してきます。若者の“一気飲み”や“多量飲酒”を防止するグループや市民団体も、この時期に動き出すそうです。急死という悲劇が、今でも続いているからでしょう。今年も切り抜くことにしました。
 7年前につぶやいたエッセイの中に、「起こさない、起こさせない“急性コール中毒”(2006.2.20記」がありました。その時、急性アルコール中毒に関する知識の無さに気づき、関連する情報収集に時間を使いました。そのような過程を通して、様々なところに情報の在処が存在することも教えて頂きましたね。そのようなことも思い起こされたのでした。
 思い起こしついでに、私が所属していたI社の玄関先の光景が浮かんできました。
 その玄関先の大鏡の存在意義をつぶやいてみます。

あの玄関先の大鏡は自身を映す鏡だった。そして ……

 昭和53年からの8年間は、日用雑貨・トイレタリー、さらにサニタリー製品の卸売販売業I社に在籍して、営業の仕事に従事しておりました。30歳代のことです。
 営業先は、スーパーなどのチェーンストア本部、中小規模のスーパー、薬局・薬店、食料品店、雑貨品店などの小売業です。コンビニやドラッグストアのような新業態店の無い時代でした。
 社屋は奥羽山脈の麓近くにありました。その関係で冬季は風が強く、玄関には風除室がついていました。風除室で上履きに履き替ると、その先には大人二人分の身を映すことが出来るほどの大きさの鏡が、デンと構えていたのでした。
 当時はそれほど意識しておりませんでしたが、営業に出発する時と営業から帰ってきた時には、必ず鏡に向かって『ある点検』をしていたことが思い出されます。その点検は日課でした。
 出発時は、服装と顔の表情の点検です。とりわけネクタイは、キリッと締めてから靴を履き替えておりました。その頃から、第一印象で評価されることを、どこかで理解し意識していたのかもしれません。
 帰社時は、元気度と服装のチェックです。営業担当には、毎日の販売目標があります。その成否こそが、一番の元気の源になります。しかし、目標がクリア出来ればルンルン気分ですが、未達成の場合は、「ただいま帰りました」のトーンにも明らかに反映します。それも人間の姿なのでしょう。内勤の皆さんには、ハッキリと分かるのだそうです。ですから、余計な心配をかけまいと、それ以上にやる気が失せないようにセルフチェックをしていたのです。

 この鏡の発案者が誰なのか、その目的は何だったのか、在職当時は意に介していませんでした。それから数十年経った今、自分自身の今の姿を正直に映してくれる鏡の存在が、自分の周りに数多く存在していることに気づくようになりました。
 I社の玄関先の大鏡、私が日々接している方々との会話やお付き合い、行き交う人々の仕種や行動、地球上で起きている出来事、自宅の庭や自分が生活している場所、仕事の流儀、人生観や人間観、家族や友人からのアドバイス、もちろん洗面所の鏡…それらはみんな自分自身を映す鏡、映し出す鏡になるのです。
 さらに踏み込んで思いを巡らせると、そう考えられるようになった原点の一つが、“相手の立場に立って考えること”であり、自分:相手=49<51の比率によって、自分自身を映してくれる鏡の数は違ってくるのだろう、と感じているのです。本人の考え方次第なのではないでしょうか。

 今日は節分。追い出された鬼たちが走り回っています。鬼はソトー、福はウチー ・・・

                                                     (2014.2.3記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン