エッセイ49:聴く、話すこと以外に、コミュニケーション能力を磨く手段として書くことを奨励したい

投稿日:2013年10月5日

 駅の構内を利用する時、気をつけていることがあります。割合に混雑している場合は、特に気をつけております。
何に気をつけるかといえば、キャリーバックを持参している方の後方を歩く時のことです。キャリーバックにも種類があって、後ろに引いて歩かなければ動かないキャリーバックの場合が要注意になります。
 ある日のことです。キャリーバックを引きながら私の前を歩いていた方が、急に立ち止まったのでした。それに合わせて立ち止まった私でしたが、そのキャリーバック本体に急ブレーキをかけた私の両足の弁慶部分がつまずいて、つんのめってしまいました。危うく、前向きに倒れそうになったのです。その上、私の直ぐ後ろを歩いていた方も、将棋倒しの如く、同じような眼に遭われたのでした。キャリーバックの方は、何事かと思われた風でしたが、何も言わず平然と(少々ムッとした私にはそう映りました)立ち去ったのでした。
 新聞の声の欄に、同じような投稿があって、中には怪我をされたケースもあるようです。人が多い場所での行動は、自分自身の身の回りの持参物(この場合は、キャリーバック)を含めて、周囲に迷惑のかからない配慮の必要性を感じております。私もキャリーバックを使うことがあります。周囲への気配りには、充分過ぎる配慮をするようにしております。
 夏そして秋と旅行シーズンは続きます。キャリーバックの後ろを歩く場合は、少し距離をとって歩くことをお奨めします。転ばぬ先のキャリーバックに要注意を!

聴く、話すこと以外に、コミュニケーション能力を磨く手段として書くことを奨励したい
 
 話し言葉と書き言葉の区別が難しくなっているようです。その道の専門家からすれば、新聞などの文体を見ても一目瞭然なのだそうです。それらの現象に対する賛否や良し悪しは様々でしょう。その問題は別にして、これからの日本の教育では、自分の意見を構築するための文章をしっかりと書かせるようになって欲しい、という声も上がっていることも知りました。10数年間の薬剤師教育経験から、全く同じ感じ方をしております。

 私の関わってきた30年近い企業内教育では、所感作成にかなりの力を注いできました。
 所感作成のルールを共有化して実践することは当然として、“何故、所感作成に力点をおくのか!”の理解と納得には、ことのほか時間を割いて問いかけを行いました。そして、そのことは今でも変わりありません。
 使う言葉の意味が不明であったり、ちょっとでもあやふやだと感じたならば、必ず辞書で調べることも、徹底して方向づけしております。“言葉を磨くことで、考え方が磨かれる”という感触を、何度か体験したからですそうすることで、自主的に自立できる人材になっていくような気がするからです。

 この混沌として矛盾が満ちあふれているような現代社会の中では、誰が問題を発見して解決策を考えて意思決定するのでしょうか。一人ひとりが、主体的に見出していくしかないのではないか、と思えてきます。そうするための育成的訓練機会の一つとして、使う言葉を吟味し、構成する文章表現を練り直し、その都度のコミュニケーション目的を達成する言葉と文章の組み立てを、所感作成という手段で実践し続けているのです。それを繰り返していると、ある人の文章から、その人がどのような理由で、どのような思いでその言葉を使ったのか、感じ取ることができるようになります。傾聴姿勢の強化にも繋がっているのだと思います。そのようなことを積み重ねていく過程で、状況に応じた自己判断が可能な薬剤師が育っていくのだ、という信念なのです。

 詩でもいい、小説でもいい、辞書でもいい、時には意識して言葉の海を遊泳する時間を持ちたいものです高校生、大学生、とりわけ薬学生には、そのような態度と姿勢を身に付けて実行して欲しいものです。

                                                         (2013.8.1記)

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