エッセイ42:被災した薬剤師M君が醸しだす、仮設薬局での心のこもった空気

投稿日:2013年6月21日

 平成25年3月10日(日)の東京は小春日和どころか、盛岡のゴールデンウィークを想わせるような暖かさでした。最寄り駅のコインロッカーに、着用していったコートを預けて会場に向かいました。
 その日は、“こどものコーラス展”を聴きに上京したのでした。社団法人日本童謡協会の主催で毎年開催されているようです。
この一年間で作られた“新しいこどもの合唱曲”の発表演奏会で、今回は、22人の作曲家による22曲の新作が披露されました。17回目のコンサートの17番目に演奏された「いつまでも友達」(詩・秋葉てる代さん)を作曲されたのは、私たちの恩師早川史郎さんです。東京薬科大学合唱団の唱和会(昭和44年卒同期会愛称)会員たちは、毎年、史郎さんにお会いしたくて会場に集まります。開演が14時でしたから、先ずは恒例のランチ会です。コンサート会場(府中の森芸術劇場 どりーむホール)内にあるレストランが集合場所になります。今回は5名が参集しました。
 早川史郎先生は、昭和42年11月から昭和44年6月までの間、東京薬科大学合唱団をご指導頂いた指揮者、声楽家、作曲家で、大学教授として後進の育成にも携わっていらっしゃいます。私たち同期が執行部として合唱団運営に携わった1年間(昭和42年11月~昭和43年11月)は、ウィーン留学中のK先生のピンチヒッターとして東薬合唱団に新風を吹き込んで頂いた恩師であり恩人なのです。
 当時は、打合せやヴォイストレーニングなどで、先生のお宅に何度お伺いしたことか。昭和43年11月8日の第12回定期演奏会後は、確か30名以上の部員が先生のお宅で徹夜をさせて頂きました。多感な時代の長兄的存在の恩師なのです。
 史郎先生との思い出を掘り起こせば、それはそれは限がありません。

 ポリフォニックな少年少女の二部合唱が紡ぎだすハーモニーは、清澄な倍音となって響いてきます。言葉もキチンと耳まで届きます。だから、心にも届きます。歌というのは、言葉と調べが共鳴して届いてこそ生命が吹き込まれるのだと思います。聴く人の心の中に響いてくるのだと思います。久しぶりに、ホンとに久しぶりに、本物の合唱音楽に触れた気がしました。そして、この世の中で、見ず知らずの多くの皆さんが一緒に唱和できるのは、童謡だけのような気がしました。
 ジャニーズやAKB48も良いのでしょうが、「故郷(ふるさと)」や「赤とんぼ」には適わないでしょう。聴衆は少ないけれども、続けて欲しい催しです。

 このコンサートからしばらくして、東日本大震災から数ヶ月間にやり取りした全メールを読み返しました。繰り返して、しっかりと目を通しながら、ある光景が思い起こされました。

被災した薬剤師M君の醸しだす、仮説薬局での心のこもった空気

 様々なシステムは、効果と効率を両輪として作られたもので、社会における多くのインフラはシステム化の代表ではないでしょうか。そのお陰で、不自由の無い生活が送れているのが現在の日本社会になります。
 しかし、そのシステムに不具合が生じたり、そのシステムが壊れてしまったり分断されて稼動しなくなれば、日々の生活が立ち行かなくなります。東日本大震災や福島原発事故は、そのことを証明してくれました。
そう考えますと、人間にとって必要不可欠なシステムが、気がつけば“システムに支配されている人間生活になってしまったのではないか”ということになってきます。

 マニュアルもそうです。マニュアルはシステム化の表現例の一つですから。
 “何とか効果と効率を上げよう”と、シャカリ気になってマニュアル化します。それが患者サービスにつながることを最優先に、マニュアル内容を細分化し、何か問題が発生すれば補足版の追加マニュアルをプラスしていきます。そのことを繰り返しながら、医療の安全性が確保されることを念頭に、立派なマニュアルが整備されることになります。
 しかし、そのマニュアルの運用について、時々考えさせられることがあります。マニュアルは実践的なやり方ですから、「型」や「形」と置きかけることができます。マナーもそうですが、「型」というのは、運用する人の「心」や「思い」が備わって、初めて正しいやり方が相手に通用するのです。しかし、心は不在のやっつけ仕事風の実態に、愕然とさせられる時もあります。
 そう感じながら、東日本大震災から数ヶ月間にやり取りした全メールを読み返して、再開したある仮設調剤薬局での光景を思い出したのです。

 大槌町で被災した東京薬科大学合唱団の後輩にあたるM君は、地域住民からの強い要請で、薬局を再開することを決意しました。その仮設薬局に何度か足を運びました。最初の仮設薬局から引越しを余儀なくされた2箇所目の仮設薬局は、四畳半ほどの調剤室と三畳ほどのカウンター兼待合室でした。
 その時の訪問記を、M君の東薬合唱団の同期(ジブデン会)に宛ててメールを差しあげました。以下、その抜粋です。

 15日(水)、16日(木)と、岩手県沿岸の釜石市での仕事がありました。16日の午前中、時間が空いておりましたので、M君の仕事ぶりの見学(笑)をしてまいりました。3ヶ月ぶりになります。
 9時45分から約1時間の滞在でした。その間、20名ほどの患者さんがいらっしゃいました。大忙しの中、それはそれは手狭の調剤室兼事務所を、私が占拠してしまいました。不自由が多いのでしょうが、皆さん明るく対応していました。
 M君のあの優しい眼差しと、患者さんを最優先に気遣った心の通う語り口は、あまりにもシステム化されてしまった最近主流のやり方の無味乾燥さを浮き彫りにしてくれました。この人の命を預かる仕事は、かなりの経験を積まなければならないという認識や、経験からくる対人関係能力(含コミュニケーション能力)の巾と奥行きの必要性を、年配者は強く語っていかなければならないことを気づかせてくれました。一包化の処方せんが入ったところで、薬局を後にしました。
 ご本人も、奥様も、お元気の様子で何よりでした。
 新薬局の開設は、さらに延びて5月以降になりそうとの事でした。マスコミ報道でご存知のように、その要因は、大工さんや建築材料が不足していることで、スケジュールの目途が立たないのだそうです。
 それから一時間ほど大槌町内を見て歩きました。あれから11ヶ月、道路工事が目につく程度で、瓦礫置き場はそのままの高く積まれた状態です。岸壁に打ち上げられた割合大きな船舶が、まだそのままの場所もあります。行き交うトラックが目立ちます。 …… 
(2012.2.17送信) 』

 昨年の師走の初め、念願叶った新装の薬局を訪ねました。その時、年が改まってから、当時の感情や思い、そして、この二年間の心の軌跡など、思いの丈を聴かせて欲しいという意思表示をさせて頂きました。行動開始したいと思います。

                                                    (2013.4.15記)

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