エッセイ18:それをやることは意味があることなのか?

投稿日:2012年6月1日

 平成23年1月のエッセイです。

 今年の干支は、兎です。ウサギといえば、カメでしょうか。
 ♪ もしもしかめよ かめさんよ…… 。♪なんとおっしゃるうさぎさん それなら……。
いつ頃覚えた童謡でしょうか。アンパンマンもハートキャッチプリキュアも、当時は存在しませんでした。

 企業内専任教育担当を拝命してからというもの、多くの方の考えや意見、思いなどから、多くのことを学びました。研修では、その内容や意味を損ねないように、神経を使って慎重に解釈をし、閑話休題として、補足用教材として、有意義に活用もさせて頂きました。それらは、研修参考資料であったり、ダイレクトに表現したタイトルであったり、様々なまとめ方をしております。時間を置いて読み返してみると、以前とは違ったことが見えてくる場合に恵まれることがあります。
人間の年輪というのは、そうやって拡がっていくのでしょうか。そうして、説得力のある皺模様が刻み込まれていくのでしょうか。
 今回のエッセイは、最近見せ付けられた鮮烈な一言の紹介です。

それをやることは意味があることなのか?

 A氏は、物静かに問いかけました。「それをやることは意味があることなのか?」と。
 そして続けました。 「それは、君の顧客のためになることなのか?間違っても、デモンストレーションが第一目的ではないよね。その点をハッキリとさせよう。やるかどうかを決めるのは、それからだ」
 この10数年間、実施することが目的の教育機会を数多く見てきました。参加を強要される社員や仲間は、辟易してしまうでしょう。
企画する側は、“その教育機会の顧客は誰なのか”、“教育ニーズは何なのか”、“実施する必要があるのかどうか”など、本質的な問いかけを全く実行していないのです。そういう発想すらないのです。だから、ねらいが存在しない演題やカリキュラムの羅列になってしまうのです。

 A氏の見解は、そんなやることが目的の教育機会や行事の存在を証明しているような気がします。“鈍感だから気づかないのです”、“無知だから気づかないのです”、なんて言われたくありません。教育担当者にとって、常に持ち続けていなければならない思考習慣です。

                                                        (2011.1.22記)

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