エッセイ2:認めることは、向き合うための前提条件

投稿日:2011年9月10日

3月に入って、ようやく蝋梅の開花に気がつきました。昨年開花を確認したのが1月28日(木)ですから、ずいぶん遅かったことになります。花芽は、昨年に較べて、ずっとずっと多い感じがします。この蝋梅の開花時期一つとってみても、経年変化を観察し続けることによって分かってくること、感情をくすぐられること、考えさせられること、いろいろ出て参りますね。ある程度の問題意識、感受性、好奇心を持ち続けることは、脳の活性化ばかりではなく、心を洗浄してくれるような気がします。

そして、先入観を極力排除して、眼の前の現象を受け容れる、認めるという態度こそが、何物にも変え難い基本的姿勢でありたい、と心から願っております。

今回のエッセイは、そのような心境の中でつぶやいてみます。

日々の出来事や問題に対しても、患者さんや同僚に対しても、先ず“シッカリと向きあうこと”が、問題解決の、そして、信頼関係樹立の一番の基本要件になります。

学び塾などにおいて、使う頻度がとみに高くなっている言葉でもあります。シッカリと向き合うことを疎かにして、その場しのぎで済ましてしまう現象が、日々の中で眼につくからです。

シッカリと向き合えば向き合うほど、どうしたら良いのか分からないままに時間が経過して、途方に暮れてしまうことが多くなります。投げ出したくもなります。

私自身を振り返ってみても、“大した影響は出ないであろう”という、勝手な希望的観測による無責任判断で放っておいたことがありました。お茶を濁してしまったような対応をしたこともありました。正確に言えば、解決する術を見出せずに、何一つ手を打てなかったのです。能力不足だったのです。結局は、何もしていなかったと同じ結果だったのです。

 

「どうやったら、同僚や部下が、自主的に動いてくれるのか?」

教育担当になりたての25年前も、今の時代も変わらない質問ではないでしょうか。

そして、その質問の根底には、“私は(的確な)指示を出して(ハッキリとした)方向づけをしている(つもりな)のに、(未熟な)部下たちは思うように動いてくれない”という本音が、何となく透けて見えます。

私は、こう言いたいと思います。

「あなたは、自分の部下や同僚の存在を、キチンと認めていますか。日々、率直に働きかけていますか。問題を提起したり、問い質したり、お互いの考えを出し合って議論をしていますか。面と向かって対話をしていますか」と。これが、向き合うということです。

自分自身が思っている以上に、部下や同僚は、あなたの日常の姿勢や態度を評価しているのです。「この人は、私のことを認め、私のことをシッカリと見ていてくれる」と感じていない限りは、いくら鞭を振るっても動きはしないでしょう。

私たち薬剤師の間では、コミュニケーション能力が問われて久しいですね。

コミュニケーション能力を高めるためには、そのハウツーを学ぶことは大事なことです。しかし、ハウツーを学ぶ時には、先ず自分自身の日常の仕事に対する姿勢や態度を、謙虚になって反芻することからスタートすることから始めなければなりません。

上司という名の持つパワーで人が動くこともあるでしょう。飴と鞭で動かすことが出来ることもあるでしょう。理屈で縛り付けることも可能でしょう。

しかし、チームの成果は、メンバー全員が思いを共有化することで、+αの力とそれに伴う結果が湧いて出てくるのです。

今の仕事にやるべき価値を見出し、そのやるべき価値を共有化する努力をシャカリ気になってやることが先で、極論すれば、それさえやっていれば、メンバーは自主性を持って成長していくということは、今までも何度か体験していることでした。

 

(2011.3.4記)

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