7月と言えば七夕ですね。古くから行われているお祭り行事で、一年間の重要な節句である五節句の一つです。そのルーツは、中国伝来の「七夕伝説(織姫と彦星の星伝説)」と「乞巧奠(きっこうでん)」に、日本古来の行事「棚機津女(たなばたつめ)伝説」などが結びついて、現在のような形になったそうです。奈良時代に伝来し、平安時代には宮中行事として行われるようになりました。庶民の間に広まったのは江戸時代あたりのことで、七夕行事が五節句の一つとなって、人々は野菜や果物を供えて詩歌や習い事の上達を願いました。また、色とりどりの短冊や飾りに願い事を書いて笹竹につるし、星に祈るお祭りへと変わっていったようです。もともと“7月7日は織姫と彦星が年一回だけ出会える日”という七夕伝説が原型となって、旧暦(太陰太陽暦)の7月7日に祝うようになりました。その後、明治の改暦による新暦(現在の暦)の7月7日に行うことが一般的となったのです。そのような経緯から、私の居住する盛岡市もそうですが、旧暦の7月7日に相当する8月に祝っている地域があります。保育園や幼稚園では、この様な行事でお祝いする時に、みんなが大きな声で歌いながらお祈りしています。七夕の場合、昔(1941年頃)から歌われているのが“たなばたさま”(作詞:権藤はなよ/作曲:下総皖一)でしょうか。どなたも歌ったことがあると思います。
ささの葉さらさら のきば(軒端)にゆれる お星さまきらきら きんぎんすなご(砂子)/ごしき(五色)のたんざく(短冊) わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる
この年になって、改めてこの詩に馳せた思いを想像してみました。あくまでも私見です。お星さまは、一人ひとりの願いや行いを、天上からキチンと見守ってくれているのですね。口ずさみながら、何か心洗われる気持ちになります。もう一つ、地球全体の姿を直視しているのではないでしょうか。そして、今の地球上の実態を、間違いなく心悲しく感じていると思います。
こうやって現存する行事の由来や歴史を調べてみると、その意味の奥深さや人を想う優しさに気づかされます。だから、時代が変わろうとも、消え失せることなく引き継がれているのだと思います。正に、SGDsの見本の一つのような気がするのです。多忙な日常の間隙をぬって、現存する身近な行事の歴史をチョッピリ紐解いてみませんか。私的感覚ではありますが、その時々に積もっていた心のモヤモヤやストレスを治めてくれました。今回のエッセイは、行き詰まった時の強力な助っ人となる“発想の転換”に関して呟いてみたいと思います。
今あるもの、今出来るものに注目する
壁にぶつかった時、苦境に陥った時、あれこれ考えても思うような結果に至らなかった時、皆さんはどのように対処されていますか?見回してみると、常識と言われることや過去の成功体験の枠の中で堂々巡りしていることが、ほとんどのような気がします。また、日常の多忙さに追い回されて問題意識や感受性が低下し、考え方や行動そのものが凝り固まってマンネリ化しているようにも見受けられます。小さなミスを起こしても、大きな問題にならない状態が続いていれば、改善努力をすることなどには見向きもしないでしょう。これが多くの方々の現実の姿なのかも知れません。しかし、そのような状況から抜け出さないかぎり、先の見通しなど立つ訳がありません。そんな時の助け舟の一つが、今回のテーマである発想の転換ではないでしょうか。“着眼点や見る角度を変えて考えてみよう”ということです。
思い起こせば、発想の転換の必要性を強く意識したのが、12年数ヵ月前の東日本大震災でした。あの時、あちこちで言われた想定外という言葉に、日が経つにつれて違和感のような感覚が強くなったのです。私の問題意識は、想定外では思考停止に陥ってしまうことの違和感でした。つまり、問題の本質が解明されない状態で、“もうやめた、これでお終い”になってしまうことへの危機感なのです。
ここからは、発想の転換に関する私見を呟いてみたいと思います。スランプから抜け出せない、アイディアが枯渇してしまった、打開策が見いだせない、…… 。多かれ少なかれ、その様な経験をお持ちではありませんか。表面上は取り繕ったとしても、心の中で悩み苦しんだことがあったと思います。そんな時に陥ってしまうことの一つが、“○○が足りない”、“○○が出来ない”、という発想になることです。その様な状況になれば、思考回路は諦めの方向へと歩み始めます。解決を目指すためには、考え方を変えることが身近で有効な対処法だと思います。その対処法は、思いっ切り“エイ、ヤー”っと叫んで、発想を転換することです。
「発想」というのは、“あることを思いつくこと”、“考えや気持ちをまとめて表現すること”、或いは“考え、思いつき、着想、見解、概念”のことです。私の考える「発想の転換」は、一言でいえば“見方、考え方を変えること”であり、“裏側からみる。角度を変えてみる。上下逆さにする”、“思い込みや固定観念を捨てる”、“常識を疑う”、“柔軟な発想で”という意味です。その気にさえなれば、容易に着手可能なテーマなのです。例えば、先ほどの足りない・出来ない発想になりそうな予感がした場合、今あるものや、今出来ることに注目することを奨励したいと思います。いかんせん、無いものねだりでは先へは進めません。つまり、原因分析の基本である自律要因に目を向けることです。自助努力で着実に実現できることを積み上げていけば、不足が充足へ、不可能が可能へと変身する可能性が高まってきます。そのやり方は地味な活動ではありますが、アッと驚くほどの発想の転換の一例だと思います。不足や不可能を嘆いたところで解決しないことは、誰だって解っていることです。今あるものを活用するという、シンプルな発想の転換しかないのです。そう腹を括ってコツコツ積み重ねていけば(これが肝)、ほんの数センチでも前に進むことができます。それが数メートルになり、さらに数十メートル、数百メートルになるのです。そうやって、足りなかったものを減らし、出来なかったことを出来るようにしていくということではないでしょうか。
この発想の転換という対処法は、オリンピック・パラリンピックを始めとして、各種スポーツの大会などから学ぶことができます。多くのアスリートたちは、スランプや怪我を含めていくつもの挫折を乗り越えて、晴れの舞台に臨んでいらっしゃいます。克服するために実践したのが、それまでの自助努力を信じて、自分自身のマイナス発想を変えることでした。それらの経緯と経過を拝聴しながら、大会での成績結果如何にかかわらず、発想の転換をもたらしてくれた金メダルは、強い意志と覚悟で勝ち得た自己変革だと思うに至りました。もう一つ紹介したいことは、難問に直面した時の姿勢です。“問題が難しければ、シメタこれは他の連中にできないぞと考え、問題が易しければ、シメタこれはオレにできるぞと思うことだ”という数学者の森毅氏(1928 ~ 2010)の発想転換術です。
アレコレ私見を呟きながら、発想の転換を新たな引き出しに加えることにしました。そして、毎年誕生日前後にでも、自分自身の出来ること、今あるものの点検を行って、考え方の凝りを解(ほぐ)してリフレッシュすることにしたいと思います。どなたも、多かれ少なかれ、挫折や悔しい思いをしたことがあったはずです。立ち直るまで、かなりの時間を要したこともあったでしょう。挫折の無い人生はありませんから、私は次のように考えています。挫折は、人間を大きくしてくれる肥やしであって、人間としての魅力を深めてくれる。さらに、周りに対する思いやり精神が芽生え、複眼的見方や多様な生き方が身についてくると。今回の呟きは、そんな結論へと導いてくれました。そんな学びに感謝しております。
EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2024.7.20記)
【参考1】五節句:人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日) 【参考2】軒端:軒の端っこのことで、屋根の端から張り出した部分/砂子:金箔や銀箔を、砂のように細かくしたもの。金銀砂子は、“天の川の星々がキラキラと輝いていること”を表わしている/五色:中国の五行説に由来した色で、“黒(紫)・白・赤・緑(青)・黄」を指す。七夕の短冊はでは、「黒(紫)は学業」、「白は規則などのルール」、「赤は感謝」、「緑(青)は成長」、「黄は人間関係」に関する願い事を書くと叶いやすくなるといわれている。