*エッセイ298回は、昨年12初旬に呟いたエッセイです。
師走も半ばにさしかかりました。ご存知だと思いますが、師走というのは、旧暦(陰暦)12月の異称のことです。日本では、明治初頭から新暦(陽暦)を採用しました。12ヵ月を1月から12月というように数字で表したのです。それ以前はどうかと言えば、季節感が分かるような和風月名で表していました。弥生、文月、神無月というように … 。そして最後の月を師走と呼んでいたことから、新暦の12月に当てはめて師走と呼ぶようになったようです。最近では、余り聞かれなくなったように思います。師走の語源が、時代に合わなくなったからかも知れませんね。折角ですから、師走の語源に触れておきましょう。調べてみると諸説ありましたが、師匠である僧侶が、お経をあげるために東西を馳せる月という意味の“師馳す(しはす)”というのが、もっとも有名な説のようです。師走の別名として、春待月、歳極月、晩冬など様々な呼び名がありました。笑い話になりますが、ある時期までは、師のことを学校の先生と思っていました。学期末と年末が重なって、超多忙の様子だったからです。
師走の後半からお正月にかけては、今年一年を振り返っての総括や来年の目標と抱負(計画)を考えて決めることに、少しだけ時間を割いてみませんか。そうすることで、新たな希望への点火が容易になるような気がします。私自身は、倦まず弛まず、気負わず焦らず、楽しみながらのひと時にしたいと思います。2023年締め前のエッセイは、「きく」ということに焦点を当てて考えてみたいと思います。
三つの「きく」~聞く、聴く、訊く
どのような受講対象者であっても、私が企画運営する研修では、可能な限りグループ討議(以下、G討議)を組み込んでおります。G討議の目的の一つは、コミュニケーションのあり方や方途のアレコレを対面で学ぶことです。合宿研修では、毎日がG討議ということもありました。
コミュニケーションの定義に鑑みれば、適切で効果的なコミュニケーション実現のためには、送り手(話し手)の話す技術と受け手(聞き手)の聞く技術の両側面を高めることが能力開発テーマになるでしょう。話す技術は、プレゼンテーション技法の基本を学び、学んだことを基本として準備することを地道に積み上げていくことで、かなりブラッシュアップすることが可能です。
一方、聞く技術は、ハウツーを学んで、都度対処すればどうにかなるというものでもありません。私の経験から申しあげますと、聞く技術を磨き上げることの方が、話す技術の数倍、いや何倍も難しいと実感しております。多く見受けられるのが、送り手と受け手のコミュニケーションギャップです。振り返ってみれば、送り手の意図や言葉は、受け取る側の判断や価値観、認識の程度などによって異なることを何度も体験しました。また、送り手と受け手の関係の度合いや、時と場所にも大きく左右されることもありました。ですから、状況に応じた聞く技術をいかにして向上させるかという問題意識が、常に消えることはありません。このような経緯から、特に「きく」ということの意味とあり様に気づいてもらうことを強く意識してG討議を企画するようになったのです。以来、研修スタート時のオリエンテーションでは、G討議の目的意識を高めるために、私が考えている三つの「きく」について、時間を割いて問いかけております。以下、三つの「きく」の概要を紹介したいと思います。
一つ目の「きく」は、“相手の立場に立って「聞く」”ということです。通常のコミュニケーションにおいて、受け手(聞き手)は必ずといって良いほど、自分の枠組みで相手(話し手)の話を解釈し、評価しています。一方、相手の方も、自分の枠組みに基づいて発言していますから、これでは適切で効果的なコミュニケーションが実現することは難しいでしょう。双方が、お互いにしゃべりあっているだけになってしまいます。そこに感情が入ってきた場合には、更にその傾向が強くなってきます。そこで、“相手の立場に立って「聞く」”ことを、信頼と安心につながる適切で効果的なコミュニケ―ションへの道標として方向付けしているのです。
次のテーマは、相手の立場に立って聞くとは、“一体どうやって対処すればいいのか?”ということになります。それは、ひとえに、相手(送り手/話し手)が伝えようとする意味を正確に理解することに尽きると思います。先ず、相手が伝えようとする意味について押さえておきましょう。その意味には、①相手がこちらに伝えようとする内容や事柄、②相手が現在抱いている気持ちや感情、そして、③相手がおかれている状況の3つが含まれています。そのいずれもが大切であって、これらの3つが入り混じって“意味”を伝えているのです。それだけに、受け手(聞き手)は、相手の伝えようとする意味全体を理解するように努力しなければ、適切で効果的なコミュニケーションには至らないと思います。そこで、より正確に理解するための努力の「きく」は何か、ということになります。その何かが、「聴く」であり、「訊く」なのです。
二つ目の「聴く」というのは、傾聴するということです。相手の伝えようとする意味(上記①②③)を理解するためには、積極的に耳を傾けることです。私のこれまでを振り返ってみれば、相手の話しが終わらないうちに途中で遮ってしまったことが、自覚出来るだけでも何度もありました。聞き手に回るべき時に、ついつい先走って話し手になってしまいがちなのです。「聴く」ことは、相手の立場に立って聞く技術の根幹だと、つくづく思い知らされたことが思い出されます。
三つ目の「訊く」は、質問することです。質問することは、相手が伝えようとする“意味”をより正確に理解するための有用な努力表現だと思います。私の経験則になりますが、元来、グルグル回りの応答の対話を通して、はじめてコミュニケーションが深まっていくのです。相互理解につながるコミュニケーション実現の基本は、質問を媒介とした応答の対話を繰り返しながら収斂していくものだと思います。その場合、気をつけたい重要なポイントが二つあります。先ず、何でもかんでも“訊けばいい”という訳にはいかない、ということが挙げられます。矢継ぎ早に、それも枝葉の質問をされては、ウンザリしてくるでしょう。相手が伝えようとする意味の理解につながる、的を射る内容で問いかけたいのです。難しいテーマではありますが、常に意識しながら対処することで質問力を高めていくしかありません。もう一つのポイントは、“何故質問するのか”ということを、率直に伝えることです。本気で投げかけることで、“私は、あなたの立場に立ってき(聞・聴・訊)きたいのです!”という強い思いが伝わります。そうすることで、前向きなグルグル回りの応答の対話へと進展するでしょう。
以上、三つの「きく」の概要を紹介しました。聞く技術は、一朝一夕には身につきません。大切なことは、失敗を恐れずに、本質に沿った努力を積み重ねることです。失敗を繰り返しながらも、覚悟して実践することが、三つのきく技術を磨き上げる唯一の道ではないでしょうか。
EDUCOいわて・学び塾主宰 井上 和裕(2023.12.8記)
【参考】私が考える「コミュニケーションとは」:コミュニケーション(Communication)とは、ラテン語のCommunis(共通な)やCommunicatus(他人と交換し合う)などから生まれた、といわれています。その語源的な意味を考えてみますと、単に伝達するだけではないことが分かります。改めて、定義すれば“コミュニケーションとは、何らかの手段で、あらゆる情報、または意思・感情の伝達、交換、共有化を行う活動”ということになると思います。