*エッセイ264回は、今年の8月8日に仕上がったエッセイです。
13年前(2009年)の春先のことです。言葉の使い方や話し方について、どうしたら相手に受け容れて頂けるか、考えさせられる場面に何度か出会いました。そのような状況下で、理由は思い出せませんが、「○言」という言葉を調べたのです。何日かかけて国語辞典と睨めっこしながら、70語以上の○言を確認できました。あってはならない○言、戒めとなる○言、気をつけなければならない○言、積極的に発しなければならない○言、分類不能の○言、…… 様々な○言に出会ったのです。それぞれの意味を噛みしめながら、安心と信頼のコミュニケーション実現の自戒のヒントを得たことを思い出しております。
今でも、当時の問題意識が消えることはありません。人間同士のコミュニケーションの多くは、言葉と言い回し、そして態度によって成り立っています。そこには感情が付きまといますから、安心と信頼のコミュニケーションへの導火線として、使う言葉と言い回しなどのあり方を、状況に応じて考えて対処しなければなりません。ここ数年耳にする白々しいフェイク(fake)発言、歯切れの悪い曖昧な言い訳発言に、ウンザリしていることが根底にあるからでしょう。エッセイ264回は、いろいろな○言を紹介したいと思います。辞書をめくって、言葉の意味を楽しまれては如何でしょうか。
提言・切言・善言、侮言・虚言・放言・失言、… ○言いろいろ
暴言・侮言・雑言・讒(ざん)言・誣(ぶ)言、これらは、絶対に慎まなければいけません。
食言は、それまで築いた信頼関係が瓦礫と化してしまいます。流言・造言・空言(そらごと)・虚言・戯言(たわごと)・妄言は、“根拠のないうわさ、デマ”とか“偽り、うその言葉”という意味です。意味が似通っている兄弟言葉の数の多さから、人間の傲慢さが透けて見えるようです。狂言も同類項にして良いでしょう。“偽り”に関する言葉が、こんなに数多く存在するのかと思うとゾッとします。広言・高言・大言も巧言も、傍から観れば見っともない言い回しです。その人の品性が表れていると思います。
出会った○言の意味を一つひとつ調べてみれば、無責任な発言となる放言や、うっかり発言の失言は、まだ可愛らしく見えてきます。耳にしたくないのが繰言・泣言ですが、聞いてくれることで心が晴れる場合もあります。
名言・金言・格言・箴言は、人生における方向性やあり様を示してくれます。私たちの心の必活お助け人の存在でしょうか。教育担当にとっては、話材として活用させて頂く機会が何度もありました。私の本棚には、数冊の名言・格言集が置いてあります。大切なことは、その真意や経緯をキチンと調べることです。表面上の言葉だけを紹介することは、厳に慎まなければいけません。
2001年の転職を機に、特に意識した○言があります。それは、発言・宣言・公言・提言です。進言・諫(かん)言・直言も、苦言・痛言を厭わず、状況に応じて率直に申しあげることにしました。また、心を尽くした切言・忠言・助言も、同じように意識し続けております。
実践に当たっては、確言・明言・極言・揚言はもとより、換言・詳言・約言・略言にも気を配るようにしております。場合によっては、断言・曲言・寸言を駆使するようにも心がけました。当然、善言になるような言葉を考えることが、いかなる場合でも大前提であることが肝要です。そのような中で気を使いたいことは、甘言・贅(ぜい)言・妖言にならないことです。また、難しい課題ではありますが、売り言葉と買い言葉は封印するようにしたい言い回しです。
それ以外にも、たくさんの○言がありました。国文法の概念としての体言・用言を初めとして、謹言・祝言・通言・方言、一言・千言・万言・俗言、不言・有言に付言・前言・後言・独り言、証言・代言・遺言、……です。この二日間、根つめて復習しましたが、お疲れモードになってきたようです。譫言(うわごと)にならぬよう、このあたりでペンを置くことにします。
そうそう、予言というのもありました。その予言、狭義ではキリスト教の神のお告げのことで、預言とも言われているそうです。
その気になれば、自己啓発テーマはいくらでも存在します。一昨日は広島原爆の日、明日は長崎原爆の日です。今週から来週にかけては、歴史を知り、歴史から学ぶ日々にしたいと思います。
人財開発部/EDUCOいわて・学び塾 主宰 井上 和裕(2022.8.8記)