新型コロナウイルスが騒がれ出して、それまでとは様変わりの生活が2年半も続いております。…… そんな書き出しで始めましたが、“何が、どう様変わりしたのか?”、適格な言葉がなかなか見つかりません。私にとっては、淡々とした毎日の繰り返しのような気もしますし、昨年の大半は芳しくない体調の変化に右往左往した悩ましい日々であったともいえます。また、公私を問わず、それまで毎年行われていた恒例行事やイベントも、中止や規模縮小を余儀なくされました。最近、あちらこちらから、再開の声が発せられています。明るい光が差してきました。
振り返ってみれば、一昨年4月頃から、コロナ禍が収束するまでは“私自身の状況対応力や回復力、学習能力が試されてる”と意識して現在に至っております。一方で、カレンダーが2020年になってから、時計の針が止まったままの感覚に近いような気がしております。何か言えることがあるとすれば、思考力の凝りを自覚して解きほぐすきっかけになったことでしょうか。そこから視野が拡がる機会へとつながりました。また、これまで関りを持った方々を含めて、人を想う時間のウェイトがかなり増えたと思います。今日は七夕です。マスクを外して思いっ切り語り合い笑い合える日の到来を、心の短冊に託しました。昨年からの私のこの願いは、織姫と彦星も一緒のはずです。
さて、前々回のエッセイでは敗者復活戦に関して感じていることを呟きました。その後も、さらに視野を拡げて考えてみました。そのいくつかは、今だからこそ問題提起しておきたいような気がしております。エッセイ261回は、「人生は、再挑戦が可能の敗者復活戦」の続編にしましょう。
敗者だから分かること ……
先ず、前々回言い忘れたことから考えてみました。“敗者だから分かること”、“敗者にしか分からないこと”があるということです。さらに、“それらのことの方が、人にとって大切な側面を含んでいる”という認識こそが、敗者復活戦に挑むモチベーションの源泉になると思いますし、敗者にとってのアドバンテージだと感じるのです。その考え方は、“人にやられて嫌だったことは、やってはいけない”と意思決定したいくつかの理由の一つになります。また、“目標必達”、“負けたくない。リベンジしたい。絶対勝ちたい(対自競争&対他競争)”という心の姿勢が強くなる要因にもなります。目標未達成の悔しさが根底にあるからこそ、目標達成のために努力するという意欲が、高まってきます。負けた悔しさが高じるからこそ、勝利への道程を乗り切る覚悟が養われるのです。シンプルに考えて、目標に届かなければ面白くありません。楽しい気持ちになれません。失敗経験から出発した“絶対成功してみせる”という目標必達魂が、回復力強化のターニングポイントだと思うに至りました。
数日前に思い出したことにも触れておきましょう。
名捕手で名監督だった野村克也氏が発した座右の銘があります。“勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし”です。出会った時は、野村氏のオリジナル名言と思っていましたが、最近誤りであることを知りました。調べてみると、肥前国第9代平戸藩主松浦清(1760~1841)の書いた剣術書『常静子剣談』の中に出てくる言葉であることが分かったのです。文武両道に励んだ清は、隠居後には静山と号し、随筆集『甲子夜話』を執筆しています。明治天皇の曽祖父にあたることも知りました。
私が初めて耳にして心底納得させられたのが、“負けに不思議な負けなし”という件(くだり)です。負けを、仕事の失敗や目標未達成に置き換えて考えてみました。失敗や目標未達成を含めて成果が出なかった時のことを検証すれば、明らかな原因が見えてきます。端的に言えば、仕事の進め方の基本であるPDCAサイクルから外れており、そのことに眼を向けていないのです。そこから眼を背けてスルーしては、失敗を繰り返すことになるでしょう。失敗の裏には、その原因が必ずあって、偶然の成功はあっても、偶然の失敗はないのです。そのことを教えてくれたのが、“勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし”でした。成功や失敗に一喜一憂するのではなく、一つひとつの体験から謙虚に学ぶ姿勢の重要性を、数々の失敗や目標未達成が気づかせてくれたのです。
人財開発部/EDUCOいわて・学び塾・種蒔き塾 主宰 井上 和裕 (2022.7.7記)
【参考】エッセイ259回:人生は、再挑戦が可能の敗者復活戦(2022.6.2記)