エッセイ260:ただいま思索中~私自身の仕事のしまい方

投稿日:2022年8月19日

  *6月19日付のエッセイになります。 

 今年の夏至は6月21日(火)です。ご存知でしょうが、夏至は24節気の一つで、北半球では昼が最も長く夜が最も短い日になります。その日は、いわゆる冠デーの『冷蔵庫の日』でもあります。6月といえば梅雨ですね。梅雨から夏にかけては冷蔵庫の出番になりますから、夏至に合わせて日本電機工業会が1985年(昭和60年)に制定したようです。冷蔵庫といえば、三種の神器を想い出します。戦後復興の象徴として、冷蔵庫・白黒テレビ・洗濯機が三種の神器といわれました。私の幼少期(1950年代)の庶民憧れの的でしたね。令和時代の家電三種の神器もあるそうです。ここでも冷蔵庫が顔を出します。ロボット掃除機と4K・8Kテレビが令和版初期の家電三種の神器ということらしいです。

 エッセイ260回は、手動式扇風機から流れる柔らかな風で涼を取りながら、二年前から考え始めた“私自身の仕事のしまい方”に関して呟いてみたいと思います。

ただいま思索中~私自身の仕事のしまい方

 先ず、今回のテーマを考える経緯に触れておきましょう。1986年(昭和61年)に、合併会社の新設部門(教育部)である企業内教育担当職を拝命しました。当時は、人事と教育の一体化を目指していましたから、新卒者の採用や新人事制度策定も担当するようになりました。社員教育では、自己啓発できる人材育成を旗印に、多くの社員が“学ぶことが楽しい”と公言できるようにしたいと考えてスタートしたと記憶しております。意識改革のために、事あるごとに育成像と目標、そう考える理由を繰り返し語りかけたことが思い起こされます。共有化の機会を積極的に設けて、その必要性と重要性を説いたのでした。転職する2001年(平成13年)までの15年間は、主な対象職種が卸売業の営業担当でした。転職してからの最初の2年間は、対象がドラッグストアの店舗販売担当と薬剤師に変わりました。再転職後の2003年(平成15年)以降は、調剤薬局の薬剤師がメインとなって現在に至っております。当然のことですが、部門長や店長・薬局長などの部下を持つ管理者・リーダーも含みます。

 共有化という意味では、職種毎の専門的知識・技能の修得と共に、人間観・仕事観・人生観・社会観などのライフフィロソフィー(人生哲学)を考えては議論し合う時間を、事あるごとに設けました。また、人格を高めることの意味やあり方を問題提起しては、具体的な行動指針を学び合う機会も意識して作りました。その姿勢は、今でも変わることがありません。新卒新入社員の場合、10年ほど前までは、どのような職種であっても、人格を高めることの重要性を受け容れて、真剣に取組んでくれました。考える時間が積み重なるにつれて、随所に共感し合う場面が増えてきました。しかし、何年か前から、私の問いかけに耳を傾けて共有化することが難しくなってきたのです。膚感覚としてそう感じる比率が、明らかに増えてきましたし、会社説明会での学生との対話からも、私の影響力の低下を感じ始めました。そして、今でも先行きの見えない新型コロナウイルス禍が始まった一昨年の夏頃から、30数年間続けている現在の仕事のしまい方を考えるようになったのです。ここからは、あれこれ思い煩った中身に触れてみたいと思います。

 私の主任務である研修を含む教育機会の進め方は、対面によるグルグル回りの応答対話形式ですから、コロナ禍においては延期せざるを得ませんでした。当面の対応策として、課題レポートの提出とオンライン研修にチャレンジしましたが、目的の共有化と動機づけの難しさを実感した2年半でした。結局、新たなマネジメント&リーダーシップ教室を含む全ての対面による教育機会(年間予定実施日数35日前後)が、約3年間未実施のまま現在に至っております。薬学生の採用業務についても、同じ様に手つかずの状態が続いているのです。

 このような状況下での3年間で明らかなことが、“能力も使わなければ錆びてしまう”という実感です。このことは百も承知していることですから、錆び防止策の一環として、イメージトレーニングを兼ねた一人ロールプレイングを繰り返し実践しております。私が企画した全カリキュラムを、予定した実施要項に沿って声を出して実演するのが、私流の一人ロールプレイングです。受講対象者一人ひとりの顔を思い浮かべて、いくつかの対話パターンを想定しながらのイメージトレーニングに励みます。しかし、錆びつかない努力をしても、私の設定した譲れない評価基準には程遠い状態になってきました。コロナ禍以前と比較して、“一生懸命努力しても及第点には届かなくなってきた”というのが、私の現在の姿なのです。知識(知っている、分かっている)があっても、実際に技能(やれる)として表現出来なければ意義ある教育機会の実現は叶いません。

 考えられる要因の一つに、心技体のバランスをコントロールするセルフマネジメント能力が、高齢化に伴って急激に地盤沈下していることが考えられます。顕著なのは体力の衰えです。私が企画運営する研修を含めた殆んどの教育機会は、一泊二日から四泊五日というように宿泊を伴う集中スケジュールで進めております。(ある時期、五泊六日を4週続けたこともあります。)生活習慣病を含む持病の影響もあって、何年か前から宿泊を伴う研修実施がしんどくなってきました。さらに、寄る年波からくる体力低下は、心の姿勢に対して思っている以上に影響しているのです。初歩程度のモチベーションを維持することすらハードルが高くなってきました。一人ロールプレイングを始めとしたセルフトレーニングが長続きしないばかりではなく、思うように進められないと諦念意識や限界意識が顔を出すのです。5年前までは、総合力で何とかカバー出来たのですが、質を落とすことなくやり通す自信が徐々に失せてきました。

 もう一つは、若い方々との価値観の違いの大きさに戸惑うようになりました。最近では、私が感じているこの価値観の違いこそが、仕事から身を引く方向へと誘ってくれている気がします。卒業したての新社会人であれば、私とは半世紀(50年)ほどの年の差があって、同一年齢時の時代背景が全くと表現して良いほど異なります。経済実態を始めとして、社会環境・家庭環境・教育環境・仕事環境など、較べようのないほど違いますから、人生観や仕事観などの価値観に差異があって当たり前でしょう。ですから、その違いを重々認識した上で、これからのビジネスパーソンとしてのあり方について問題提起をし、掘り下げて考える機会を設けました。新薬剤師の場合であれば、岩手医科大学の建学の精神である「医療人たる前に、誠の人間たれ」を引用しながら、プロフェッショナルの土台となる人格をブラッシュアップすることの意義を、何度となく問いかけております。しかし、考え方や提起する問題点・課題、そしてそれらの理由の共有化が、私の持ち合わせている考え方と能力では実現不可能になってきました。対話の中身を工夫して試行錯誤するのですが、数年前からは限界を感じるようになりました。そして、数ヵ月前には、現役から身を引く時が来たという思いが膨らんできたのです。

 一方で、開塾して13年になる学び塾と2005年から呟いてきたエッセイは、もうしばらく続けたいと思います。さらに、新型コロナウイルス禍でストップしております異業種企業とのコラボレーションを、シッカリと見届けたいのです。思えば、63才の時、何人かの後輩に生涯現役を宣言しました。その時点では、やり抜く自信と成長余力が残っていました。しかし、ここ数年の明らかな影響力の衰退を看過する訳には参りません。引くべき時が、明らかに近づいています。いずれにしても、志事となった仕事の潔いしまい方を、今年中に意思決定したいと考えております。

   人財開発部/EDUCOいわて・学び塾・種蒔き塾主宰 井上和裕(2022.6.19記)

【参考】エッセイ233回:年を重ねるということは…(2021.11.6記)

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