*2022年4月2日のエッセイです。
3月16日(水)午後11時34分頃の地震は、11年前の東日本大震災の再来かと感じました。翌朝は、テレビ報道を横目で見ながら、防災カバンの点検をしたほどです。
さて、新年度になりました。この2年間は、思い描いていた人生にほど遠かったと感じしております。一方で、そのような状況下だからこそ、“一人の人間としての生き方、そして組織運営のあり方がどうあれば良いのか?”を考える格好の機会になったと思います。何年か後に、“あの経験(新型コロナウイルス禍)に学んだからこそ、今の私があるのだ”という方向にしなければ、あんぽんたんの川流れというレッテルを自らに張ることになります。あんぽんたんと言われたくありませんね。これからの一年間が、三年後五年後十年後の姿の礎づくりの年度にしたいと思います。意識と発想を転換して乗り切るしかありません。
そのような気持ちを維持しながら、乗り越えるための考動理論(思考&行動理論)・考動指針(思考&行動指針)の再構築が重要な課題になります。ハッキリ申しあげるとすれば、考動理論・考動指針の再構築こそが将来を見据える出発点であることが、絶対不可欠なターニングポイントだと強く感じております。コロナ禍が収まって“良かった、良かった”だけでは、自粛を強いられた数年間、自粛を強いた数年間の自身の日常に顔向けできません。そんな思いが、エッセイ253回(笑う門には福来たる~笑顔は副作用のない薬)と255回(不易と位置づけたい考動指針の本質的な基本着眼点)の根底に流れています。今回も、その思いから発する呟きになりそうです。そういうプロセスを経ながら、新年度の方針と目標を具体化することこそが、今求められているテーマだと思います。そんなプロセスが、何年か続くと予想しております。
人のためにどれだけ惜しまずに動けるか!
一昨年(2020年)の8月になります。新型コロナウイルスが騒がれ始めてから5ヶ月間は、只々戦々恐々とする毎日でした。先の見通せない状況での自粛では心が滅入ってしまいますから、腹を括ってコロナ禍における日常生活の意義を見直して、収束する迄の期間を充電機会と位置づけることにしたのです。“数年間であれば、自粛ムードを何とか乗り越えられるだろう”と意を決しました。ストレスで気持ちが落ち込んだ時には、思いつきで良いから気分転換策を取り入れながら、上手に波乗りしながら現在に至っております。正直に申しあげますと、昨年の8ヵ月間、メンタルをやられました。この件は機会を改めて呟きたいと思います。それでは、この半年間で気づいたことや思い至ったことを問題提起したいと思います。そして、改めて決意したことを呟きたいと思います。
一つ目は、“顧客や仲間のために、どれだけ惜しまずに行動できるか!”ということです。先ずは、このような状況下において、社会を構成する一員として、一人間としてどうあれば良いのかを再定義することからスタートしたいと思います。感染状況の波が繰り返し押し寄せるたびに感じるのが、もっと我慢し耐えられないものか、セルフコントロールできないものかと思い続けています。併せて、自分が携わっている職能の本質を再点検して、何ができるのか、何をするべきなのかを再構築する格好の機会にしたいと感じるようになりました。顧客や仲間のために惜しまずに行動することは、仕事のあり方や進め方が変わろうとも不易の基本姿勢でなければいけません。世間から期待される自身の選んだ職能と向き合って職責を果たすこと、更にその壁を乗り越えて高みを目指すことで、人としての成長の坂道を駆け上がることが出来ると実感しています。
向き合う時の必須要件は、相手の立場に立って考えることです。相手:自分=51>49の姿勢で臨むことです。相手のことを考えるということは、想像力の出番になります。自分の五感をフル動員してアレコレ考えるのです。時には相手の悩みの種を抱え込み、手立てを見い出せずに悩むことだってあります。その度合いの方が高いような気がします。私は、“悩む人は、努力する人”、“悩む人は、人に優しい人”だと信じています。そして、共に悩むことの積み重ねが、心の筋肉を鍛えてくれると思います。知らず知らずの内にレジリエンスが高まり、感受性の泉が豊かになるのではないでしょうか。そんなことを改めて感じています。少しでも心的余裕があるのであれば、相手の立場に立って考えることに注力したいものです。
新型コロナウイルス感染者数が右肩上がりの時に気が気でなかったのが、保健所も含めた医療体制の崩壊危機が、常につきまとっていたことです。そこから感じたことが、二つ目の問題提起になります。そのような状態に陥ってしまう理由は、平時に推し進められてきた無駄を削ぎ落した効率化システムによるところが大きいと思います。急激な環境変化に見舞われた時には対応不能になってしまうほどの余裕のないシステムの限界の産物だったのです。元来平時のシステムは、急激な需要増には即対応できません。経営資源の内、特に専門性と経験を要する人とモノ(装備や設備など)は、即応できないのです。効率性を重視したシステムは、イザという時には脆弱性が諸に顔を出してしまいます。大震災や集中豪雨などの自然災害にも相通じるような気がします。行き着くところが、喉元過ぎて熱さを忘れでは、学習能力欠如を露呈することになります。想定外という思考停止で終わらせるのではなく、新型コロナウイルス禍の各波(第1波~第6波)毎に出てきた問題点をケーススタディとして、どう対処するかという選択肢を処方箋として残しておくことではないでしょうか。そのような本質的な解決策の処方箋をどれだけ積み重ねていけるかが問われているのです。仕事の進め方や職務遂行能力のあり方についても同様です。それぞれの組織、そして構成するメンバー一人ひとりが向き合わなければならない避けて通れない喫緊の課題だと思います。
三つ目は、問題提起というよりも、ある年齢層の方々へのお願いになります。それも、是非“実践しましょう!”という叫びのような提案です。対象は、学生を卒業して社会人の仲間入りをしてから10数年を経た30才以上の人生経験者に対してです。その方々には、所属する組織メンバーや人生の後輩を育てて頂きたいのです。背中で教えるというやり方で構いませんから、率先垂範して欲しいのです。それまで培ってきた仕事に対する姿勢、人としての生き方を示範して欲しいのです。それまで積み重ねた能力と体験は、あなた自身の貴重な真の実力なのです。何ら臆することなく、自信を持って日々生きてきた様を自然体で披露して頂きたいと強く思っています。
何故か?一番身近で効果的な人材育成機会は、共通目標達成に向かうチームメンバーとの切磋琢磨なのです。人生の先輩のリーダーシップや示範こそが、何をおいても有益な方途だと思うようになりました。コロナウイルス禍ではリモートワークへの転換が盛んに言われています。人材育成も変わっていかなければなりませんが、一方で仕事のやり方が変わろうとも不易の育成方法も存在することに気づきました。その一つが示範であり、その効果の有効性と確実性が忘れ去られていると思います。人材育成という企業活性化必須の重要課題は、日常のチームワークの中で脈々と受け継がれるべきテーマであり、その教科書となるのが30才以上の人生経験者の多種多様な生き様なのです。この2年間で、改めて気づかされました。
もう一つ理由があります。それは、中堅クラスのビジネスパーソンの影響力の希薄さです。20年ほど前から気になっているのが、従属的依存意識と思える後ろ向きで現状維持型の思考習慣と行動姿勢です。折角の問題意識を、対人批判、会社批判で終わらせているケースも気になります。会社の人材マネジメント上の問題もありましょうが、それまでの経験で培った真の実力を活かして、SDGsの社会貢献として、自信を持って影響力を発揮して頂きたいのです。そうするためには、世間から期待される職能とキチンと向き合って再確認することです。限界の先に成長があると思います。新型コロナウイルス禍を、自己変革の機会にしたいのです。正に、持続可能な自己啓発策であり、使命なのだと思います。
【参考】エッセイ210回:行動理論から考動理論(2020.8.31記)/エッセイ211回:“向き合う”ということは、……(2020.2.28記)/エッセイ149回:「相手の立場に立つ」の私的実践例アレコレ(2017.9.1記)/エッセイ196回:心の筋肉を鍛えてくれるレジリエンス(2019.8.17記)
人財開発部 井上 和裕(2022.4.2記)