エッセイ254:不易と位置づけたい考動指針の本質的な基本着眼点

投稿日:2022年5月20日

 東日本大震災から丸11年が経過しました。発災以来、地震はもとより、台風や集中豪雨による洪水・土砂災害、大雪による交通障害・雪崩、火山噴火などの自然災害に、神経を尖らせるようになりました。この2年間、その対象が新型コロナウイルスとなって、毎日の生活にアレコレ気を遣い続けております。抜かりのない備えを怠らないようにしていますが、時を経るうちに馴化しているような気もします。悲しいかな、喉元過ぎて熱さを忘れてしまうのが現実の姿であり、多くの場合、そのような実態を繰り返している人生だと思わざるを得ませんね。昨年10月半ばに第5波が落ち着いてきた時、結局“同じ轍を繰り返しているよね”という思いが頭をもたげ始めました。医療体制逼迫に関する課題が、新型コロナウイルス禍が始まってから、大波が押し寄せてくるたびに叫ばれているからです。このように同じ課題が繰り返し出てくる体制上の課題は、本質的側面を明らかにしないと解決しないテーマであることは明らかです。それらの多くは、即応できない時間を要する課題になります。長い間の目先の利益最優先・効率化優先のツケが表面化したのであって、緊急時には従事者の使命感におんぶするしかなくなるのです。その場しのぎの小手先の手当てでは解決できません。直ぐに体制を拡充するだけのストック資源(主に人・物、そして金、ノウハウ)が不足していますから、掛け声だけでは解決しないのです。対症療法を施して、嵐が過ぎ去るのを待っているだけのような気がしてきます。年明けの第6波でも…… 。

 どのような課題も、対処法は二つに大別されます。根治療法と対症療法で、最終的には根治療法で対処しなければ、本質的解決には至りません。当初は応急手当という対症療法で凌ぐわけですが、頃合いを見計らって根治療法を施さなければ、後日同じ轍を踏むことになります。そのような問題意識を常に感じ続けていますから、仕事のあり方がどのように変わろうとも、人材育成や社員教育に関する疑問や課題、そして考えついた対案を提起し続けることにしました。新年度を目の前にして、本質追究と議論の種を撒き続けることを再決心したのです。エッセイ254回は、最近強く感じている本質追究の種蒔きをしたいと思います。不易と位置づけたい“考動指針の本質的な基本着眼点”という種を、それぞれの土壌で育てて頂きましたら幸いです。

不易と位置づけたい考動指針の本質的な基本着眼点

 今回は三つの種を用意しました。私自身の経験則や、多くの方々から学んだことになります。考え方の問題ですから、賛否も取捨選択も十人十色でしょう。視野拡大と本質追究のきっかけになることを期待しております。

その1:時間は限られているし、待ってくれません。だから…

 一つ目の種は、能力開発のタイミングと時間の相関関係に関する私の見解です。能力開発の有効性を高めるためには、開発にかけた時間量が大きく影響すると思っています。どれだけ時間をかけたのか、に尽きるのではないでしょうか。断わっておきますが、目的なしにダラダラと時間をかけるということではなく、開発目標達成計画に沿った行動(PDCAサイクルのスパイラルアップ)に費やした時間量を大前提と考えております。一方で、10才代と60才代を比較すると、同じ開発目標であっても、達成に要する時間は明らかに異なります。年を重ねる毎に、体力的側面だけでなく、理解力・記憶力も衰えてしまい、目標到達時間が大幅に増えてきました。雲泥の差と言って良いでしょう。10才代に要した何倍もの時間がかかってしまいます。75才になっての切実な実感です。そこで考えて頂きたいことがあります。

 先ず、人の一生は鑑みれば“思っているほど時間は無い時間は限られているだから無理が利く間に着手しよう”ということです。もう一つは、“時間は待ってくれません思っているほど多くはありませんから思い立ったら、即行動に移そう”と、声高に申しあげたいのです。20才代の前途有為な若木には、ハッキリと申しあげたい。一方、テーマによっては、年令に関係なく無理が利くことだってあります。そんな時には、無理してでもチャレンジしたい。“積み重ねは力なり”は永遠に不滅だと確信しております。

その2:願望から決意へ

 絶対に達成すると決意したのが目標ですから、「なりたい」という願望だけでは目標とは言えないと思います。多くの場合、到達するまでの道筋が見えてこないからです。だから、壁に当たれば、その段階で歩みがストップしてしまいます。行動を取り止めてしまうのです。「なるのだ」という決意目標であれば、先ず達成までの道のりを逆算して、6W3Hを総動員した実現実行計画を策定します。PDCAサイクルをスパイラルアップしながら達成するという課題解決の基本的王道を歩むのです。“絶対に手に入れる”という強い決心ですから、壁に当たっても諦めて退散することをしなくなります。自分の心に恥ずかしくて退散できないのです。

 当たり前のことですが、行動しなければゴールまでの距離が縮まることはありません。何事においても、心の底から実現したいことであれば、実現意欲が燃焼し続けます。そのような心的状態になれば、目標達成度は確実に高まります。PDCAサイクルをスパイラルアップしていけば、さらに高みの目標への階段を駆け上がるでしょう。そこで、三つ目の着眼点になります。

その3:百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず

 百見は一験に如かず”は、“百聞は一見に如かず”の意味やリズムなどから想いついた造語です。いくつかの問題意識によって導き出されたのですが、その時期は20数年前だったと記憶しております。先ず“百聞は一見に如かず”の意味や出典に触れておきましょう。中国の歴史書である漢書「趙充国伝」にある話が由来とされています。ご存知だと思いますが、“百回聞くよりも一度直接見た方がよく分かる”という意味で、自分の目で確かめることの大切さを強調していると思います。さらに、見ることは信じることにつながることも表しているという気がします。

 いくつかの問題意識というのは、“他律要因の批判はするが、自律要因からは目を背けている”、“公言はするものの、行動に移さない”、“権利は主張するが、義務を果たさない”など、実行力の衰退が気になったことがきっかけでした。さらに、“見ているだけでは理解につながらない”、“体験してみなければ、その本質は分からない”という思いが相まって、“百見は一験に如かず”というフレーズが思い浮かんだのです。“あれこれ考えるよりも、やってみればよく分かる”という経験則を、どなたもお持ちではないでしょうか。“百回見るよりも一度体験した方がよく分かる”という意味で、自ら実行することの大切さを強調したかったのです。以来、“百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず”の意味を引用する機会が増えております。

 改めて、年々膨れ上がっている私の危機意識を確認しておきましょう。それは、チャレンジ意識や前向きな状況対応力、実行力が低下していると感じることです。コミュニケーション能力を含めた対人関係能力についても、心配な度合いが大きくなっています。目を凝らして観察すれば、目標達成や課題解決のためにやれることが、私たちの周りにゴロゴロ転がっているのです。しかし、積極的にチャレンジする姿を見かけることが少なくなりました。何故そうなのか、いくつかの要因が絡まり合っていると思われますが、特に気になっているポイントに触れておきましょう。それは、二つのジリツ(自立、自律)意識の鍛錬と志の明確化です。これまでのエッセイで、何度となく取りあげてきました。特に若手社会人には、少々の無理が利く今こそ、あれもこれもと挑戦していただきたい視野を拡げて実践型自己啓発に取り組んで欲しいと強く感じています。いくら考えても、いくら座学で学んでも、アクションを起こして実行しなければ状況対応力は身につきません。リスクテイクの精神で数多くの体験をすることで、総合的な職務遂行能力が身につくのです。何はともあれ“百見は一験に如かず”だと、最近つくづく感じております。

 具体的な考動指針や行動計画を策定する時には、前提となる本質的な基本着眼点の存在が成否を左右します。今回は、いま私の脳裏に投影されている三つの着眼点を取りあげてみました。その意図も含めまして、何らかの参考になれば嬉しく思います。

   人財開発部 井上 和裕(2022.3.15記)

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