エッセイ228:鏡アレコレ考

投稿日:2021年4月20日

  *昨年12月に脱稿したエッセイです

 令和2年も12月を残すのみとなりました。ふた月ほど前になります。自動車王ヘンリー・フォードの名言に出会いました。その一つが“成功の秘訣は、何よりもまず準備すること”です。準備万端整えることを重視している私にとって、改めて勇気づけられる名言になります。見入ってしまったのが、“品質とは、誰も見ていないときにきちんとやることである”でした。私の心に響いたのは、“誰も見ていないときにきちんとやること”という件です。私たちの身の回りには、誰かに言われてやるのではなく、自分事としてコツコツ努力している方が必ずいらっしゃいます。そのような方の存在に気づくと、何をおいても心が洗われます。“そうなろう。見習おう”と、私自身も努力させられます。そんなパーソナルインフルエンスが、組織活性化の理想形の一つだと思えてくるのです。自動車王フォードの名言から、私の心を磨いてくれたいくつものあの瞬間を思い起こしております。今回を、令和2年に書き終えるアンカーにしたいと思います。締めのエッセイとして、以前取りあげました鏡のアレコレを考えてみたくなりました。自分自身を見つめ直す鏡、自分自身をふり直す鏡、…… 。鏡に映し出された実像と向き合う時の要諦は、真摯な態度、謙虚な姿勢にこそあると考えるようになりました

鏡アレコレ考

 先ず、エッセイ211回(2020.5.30記)の復習からスタートしたいと思います。ジャーナリストの轡田隆史氏は、「新入社員に贈る言葉」(日本経団連出版編:平成19年11月20日発刊)において、「一日のすごし方とは、平凡な当たり前をきちんと確実にこなしてゆくこと」というタイトルで、平凡な当たり前を10項目掲げています。1項目には、“今日という日を、どう生きようとしているのか、自分に問いかけるために、鏡の中の己と対面するのだ”と、朝起きて鏡に顔をうつすことの意味が表現されていました。その真意を共に考えながら、“毎朝10秒間、気持ちを集中して、今日どのように生きるのかを、鏡の奥の自分自身に問いかけようぜ!”と、ジックリやんわり提案しております。この問いかけは、なかた塾M&L教室実践コースⅠ『人のふりが気になったら、我が身をふり直してみよう』(所要時間:約80分)のスタートトークの一部になります。そういう意味では、今回のエッセイは“人のふり見て、我がふり直せ”の続編になりそうです。

 今年は、“我がふり直せ”の年になりました。コロナ禍の自粛生活が続いて、時間的なゆとりを持てたことが大きな要因だったと思います。もう一つは、先が見通せない不安と恐れの渦中においては、これからの生き方を考えて意思決定することが必須だと考えたことも挙げられます。生き方を再構築するにあたっては、それまでの生き方を客観的な姿勢で振り返ることが欠かせません。振り返るといっても、ネガティブな過去に固執するのではなく、意識して過去の経験をポジティブに活かすという姿勢で向き合おうと意識しました。希望を明らかにすることこそが、明るいメンタルを維持してくれると判断したからです。神経質でマイナス思考の私ですが、そう言い聞かせて前を向いております。

 振り返る時は、透き通った鏡なるものを目の前において、素直に投影することからスタートしたいと思います。“透き通った”という形容詞は、“化粧することなく、ありのままの姿を映す”という意味でつけました。そう考えるようになったキッカケが何だったのか、ひと月ほど前に思い起こすことができたのです。気づかせてくれたのは、6年半前のエッセイ62回でした。以下、そのエッセイとダブる部分もありますが、思い起こした内容を呟いてみます。

 私が薬剤師のバスから降りたのが、あと半年もすれば30才を迎える時でした。降りてからどのような葛藤があったのか、もう思い出すことはできません。記憶にあるのは、知人の紹介で、ある上場企業に留学する機会に恵まれたことです。1年半の見習い期間を経て、昭和53年(1978年)からの8年間は、日用品・トイレタリー・サニタリー製品の卸売業IK販売に在籍し、小売業への営業と販売促進企画立案の仕事に携わりました。県内初の自動倉庫を備えたIK販売の社屋は、雪の多い奥羽山脈の麓近くにありました。その関係で冬季は風が強く、玄関には風除室がついていたことを覚えております。風除室には社員と来客用の靴箱が備えてあり、上履きに履き替ると、その先には大人二人の全身を映すことが出来るほどの大きな鏡が、デンと構えていました。その当時はさほど意識しておりませんでしたが、営業に出発する時と営業から帰ってきた時、必ず鏡に向かって“ある点検”をしていたことが思い出されます。その点検というのは、当たり前の日課となっていました。

 出発時は、服装と顔を主体とした身だしなみ点検です。とりわけネクタイは、キリッと締めてから靴に履き替えました。その頃から、営業担当は第一印象で評価されることを意識していたのかもしれません。帰社時は、元気度と身だしなみのチェックです。営業担当には、毎日の販売目標があります。その成否こそが、元気の一番の源になります。目標がクリア出来ればルンルン気分でしたが、未達成の場合は、「ただいま帰りました」のトーンに反映するのです。内勤の皆さんには、声のトーンでその日の成否が見て取れるのだと聞かされたことがありました。ですから、余計な心配をかけまいと、それ以上にやる気が失せないように大鏡に向かってセルフチェックしていたのです。その大鏡設置の発案者が誰なのか、その設置目的は何だったのか、在職当時は考えたことがありません。当時から40年近く経って、自分自身の今の姿を正直に映してくれる透き通った鏡の存在が、実は自分の周りに数多く存在していることに気づくようになりました。社屋は取り壊され、あの大鏡も現存しません。こうやって“あの大鏡の存在意義が何だったのか”を考えながら、身の回りに存在する多くの鏡を列挙したいと思います。鏡は人生の教科書になるのです以下、私が気づいた“鏡アレコレ考”です。

 公私にわたって日々接している方々との会話やお付き合いのあり方から、多くのことを学ぶことができます。私にとりましては、一番の生きた教科書になります。知り合いではなくても、行き交う人々の仕種や行動から教えられることがあります。体力維持のためのウォーキングで感じることです。地球上では、毎日多くの出来事が起きています。それらを、透き通った鏡に投影して想像力を働かせると、無知の知を実感させられます。それ無しに成長は望めないと思います。もっと身近なところには、大小さまざまな鏡が存在します。洗面所や居間の鏡はもちろんですが、自宅の庭や生活空間、家族からのアドバイスやサポート、仲間の仕事流儀や人生観などの生き方などは、自分自身を映す鏡になってくれます。私自身を映し出す鏡になるのです。こうやって考えてみれば、身近な鏡の存在を蔑ろにしているような気がしてきます。裏返してみれば、気づきを促してくれる鏡に対する感謝の念が希薄になっていると感じるのです。鏡のアレコレを考えながら教えて頂くことの多さに驚いております。これからも、謙虚に学ぶことを怠ってはいけませんね。74才の私自身に、そう言い聞かせる師走になりました。

   井上 和裕(2020.12.2記)

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