エッセイ221:新型コロナウイルス禍で気づかされたこと

投稿日:2021年1月5日

 年が改まりました。例年のような“明けましておめでとうございます”という気持ちになれませんね。それが正直な心情です。しかし、それでは弱気虫が増殖してしまいます。そこで、現在の私のささやかな望みを呟いてみたいと思います。

 先ず、新型コロナウイルス感染を気にすることなく、安心して新幹線などの公共交通機関に乗車することです。遠方の身近な家族と気兼ねなく行き来したいのが、今の一番の願いになります。話して、食べて、目いっぱい笑い合いたいのです。二つ目は、マスクを外した対面での研修会・勉強会を思いっきり運営することですね。本質追究を目的としたグルグル回りの応答の対話は、対面形式でなければ具現化できそうもありません。もう一つは、中田薬局と異業種企業とのコラボレーションのキックオフです。両社を知る私が仲人役となって、一昨年の8月から打合せを重ねました。昨年3月からアクションスタートの予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響でお休み状態にあります。高齢化率の高い釜石エリアでのフレイル対策、衛生&感染予防の啓発や体験活動を計画しております。まだまだ出てきそうですが、欲張り禁物で切り上げましょう。

 令和3年に入っても、新型コロナウイルス禍の先行きが見通せません。第三波の感染拡大が気になります。そのような状況下ですから、エッセイ継続の気力が失せてしまいそうになることもあります。それでも、まだまだという感情も残っています。問題意識を投げかけたい気持ちの方が上回っているうちは、エッセイを継続していく所存です。昨年(令和2年)は、新型コロナウイルス一色の年でした。数え切れないほどの憤りや恨めしさが消えることはありませんが、それは棚の重箱にでも上げておきましょう。年初のエッセイは、新型コロナウイルス禍が“何を教えてくれたのか?”、“気づかせてくれたものは何なのか?”のアレコレを、思いつくままに呟こうと考えております。アレコレに関しては、年令・健康状況・家族構成・仕事環境・生活環境・居住地域など、個人を取り巻くいくつもの要素によって一人ひとり異なるでしょう。“後期高齢者間近で、週2日前後の在宅アルバイト勤務という年金生活者の呟き”と捉えて頂きたくお願い申しあげます。

新型コロナウイルス禍で気づかされたこと

 新型コロナウイルスが騒がれ始めたのは、令和2年がスタートして間もない頃でした。2月初旬からは、それまでの当たり前が通用しない雰囲気になってきましたね。特に、持病持ちの高齢者は重症化しやすいという情報に、3月中旬からは食料品の買い出し以外の外出を控えるようになったのです。以来、同じ行動パターンをほぼ毎日繰り返しております。これまでの感染推移からして、最新情報を理解した上でのセルフコントロールが、現状におけるベストに近い行動選択の基本だと理解しているからです。

 3月早々、来年度予定しておりました中田薬局での全ての研修を白紙に戻しました。4月1日スタートの新入社員導入研修・フォロー研修、マネジメント&リーダーシップ教室実践Ⅰ・実践Ⅱなどです。進め方はグルグル回りの応答の対話が基本ですから、未だにスケジュール化できそうにありません。さらに、私が主宰しております学び塾も、第23回でストップしたままです。そのような状況ですから、これまで経験した記憶が無いほどの変化のない毎日になってしまいました。公私ともに、時計の針が止まった状態が続いているという感覚に支配されることもあるのです。3月半ばからは、マイナス思考でアップアップしそうな弱気虫が顔を出してきたように思います。4月に入って、一時下火かと思われた感染者数が急上昇してきました。懸念されていたマスクや消毒用アルコール、ハンドソープなどの必需品が、相変わらず入手不能です。さらに、収束見通しが立たないという現実から、言いようのない戸惑いが急拡大したことが思い出されます。いくつもの不安要素が渦巻く中で、やっとのことで思い立ったのがE森号外編を出すことでした。“皆さんも感じている不安を、お互い吐き出し合ってシェアしませんか!”と叫びたかったのです。文言を選びながらアレコレ呟き続けていくと、似たような心境の方々から、言い出し難い思いや感情までも届くようになりました。信頼と安心のコミュニケーションの温かさを、何度か味わうことができました。 5月上旬だったと思います。発想を変えて号外編を書き続けながら、あることに気づかされました。過去の生き方を振り返って、仕事のあり方も含めて、これからの生き方を真剣に考える機会になっているということです。私だけかも知れませんが、新型コロナウイルス禍は、向き合って考える時間を与えてくれていると思えたのです。私の場合、この自己啓発的な思考パターンが日常化されて現在に至っております。1回目の号外編「この数ヵ月で気づかされたこと」(全6回)や号外編Ⅱなどが、気づきの産物として呟いたエッセイになります。

 話しを進めましょう。これまでの生き方を振り返って、私の性格的側面や行動傾向を、素直に客観的に確認できました。素直に認めて確認できたことは、大きな気づきの着眼点になったと実感しております。恥ずかしながら、その一つを俎上に載せてみたいと思います。それは、自分自身の気持ちを素直に表すことが、からっきし下手だったことです。具体例は、両手からこぼれるほどあります。周りに気を遣い過ぎて譲ってしまうのです。しかも、煮え切らずにクヨクヨと後悔したことが何度もありました。それは、自信の無さ、失敗への恐れ、現実からの逃避癖などが、その根底にあったからなのです。一言で表せば、飛び込む勇気、乗り越える勇気が乏しかったのです。その壁を何とか乗り越えたと自覚できたのは、40才半ばを過ぎてからでした。ある時、“これからの人生、そんな体たらくで良いの?後悔しないのか?”という自問が発せられたのです。素直に“このままでは嫌だ!駄目だ!”と腹を括りました。こうやって振り返りながら、“何故そうだったのか?”ということに興味を覚えております。そして、“臨床心理学を学んでみたい”と考えるようにもなりました。これも気づかされたことの一つでしょうか。

 恥ずかしながらという意味では、礼を失したことがあります。山ほどあったと思います。この年になれば、若気の至りでは済まされません。赤面ものです。そうやって虚心坦懐にキチンと実態を認めることが、人間性を高める上で重要なキーになると、改めて気づかされました。こんなこともありました。“今も大事にしているものが何か?”ということを振り返る機会にもなったのです。それらは、生き方を考える時のファクターになるのです。また、“不安の無い当たり前がいかに有り難いことなのか!”ということが痛いほどこみ上げてくる瞬間もありました。

 当たり前という意味では、“健康であることの有難さと感謝の念”を、つくづく感じております。令和2年最初のエッセイでとりあげたテーマが、“何をおいても、健康第一”でした。この一年間も、体調の優れない日々の多さに振り回されましたが、健康であることへの感謝の念をこれからも持ち続けたいと思います。そのような気持ちであれば、新型コロナウイルス禍における忍耐は、ポジティブ思考で乗り越えることができそうに思えます。

 今までの年初のエッセイとは風景の異なる内容となりました。当分の間、感染防止予防と経済活動の両立という試行錯誤が続くでしょう。不安と忍耐、自粛という縛りも、もうしばらくは当たり前と覚悟しなければなりません。しかし、10ヵ月前と比べたら、希望につながる光るものも少しは見えてきたように思います。一人ひとりのこれからの生き方の中に、それぞれの希望を同居させましょう。50年前に口ずさんだ「今日の日はさようなら」(作詩・作曲:金子詔一)が気づかせてくれました。

      EDUCOいわて・学び塾 井上  和裕(2021.1.3記)

【参考】号外編:この数ヵ月で気づかされたこと第1回:フレーフレーみんな(2020.5.22)

    号外編:この数ヵ月で気づかされたこと第2回:免疫力を高める(2020.5.25)

    号外編:この数ヵ月で気づかされたこと第3回:生き方の総見直しの機会に(2020.5.28)

    号外編:この数ヵ月で気づかされたこと第4回:“備えよ常に”と“基本の徹底”(2020.6.3)

    号外編:この数ヵ月で気づかされたこと第5回:人材育成の基本は応答の対話(2020.6.7)

    号外編:この数ヵ月で気づかされたこと最終回:“無知の知”と“能力の多機能化”(2020.6.12)

    号外編Ⅱ:危機感を失うことなく、ささやかな満足に感謝しよう(2020.10.1)

    号外編Ⅱ:性格に関する一考察~性格は状況に応じて評価が変わる(2020.9.6)

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