*このエッセイは、7月29日に脱稿しました。
エッセイでもEDUCOの森でも、何らかの問題意識が湧いてきたら、その都度感じる思いを率直につぶやいてきました。この数年間は、何人もの政治家や経営者の何とも情けない説明責任(accountability)に、開いた口が塞がらないほど呆れ果てております。自己弁護の言い訳と責任放棄の言い逃れは、当然責任を果たしたことにはなりませんね。また、どなたとは申しませんが、日常のマスコミ取材での応対においても、同じように感じることが幾度かありました。その方々の多くは、多くの国民に範を示さなければならない責任ある立場なのです。この数年間と限定して申しあげましたが、何年も前から、そんな光景が珍しくなくなりました。情けないだけではなく、心底悲しくなってしまいます。
半面、感心させられること、嬉しくなる出来事にも出会います。感受性を高めて目配せすれば、見習わなければならないと感じさせてくれる世間様に出会います。気づかされること、襟を正さなければならないことが、あちこちで息づいています。ブツブツ言いながらも、“今の世の中、捨てたもんでもない”と思えることが、チョッとばかり息を潜めて観察すれば出会うことが可能なのです。そんな気づきや感覚は、今年の2月から続いている不安やストレスを取り除いてくれています。そう思いながら、日々のコミュニケーションのあり方に関して、久し振りに考えてみたくなりました。
人の心を動かすためには ……
先ず、豆知識の問答からスタートしましょう。Q:日本の財団法人・社団法人の数をご存知でしょうか?
A:公益財団法人助成財団センターによれば、2019年3月現在で、公益財団法人5,458、一般財団法人7,311、公益社団法人4,188、一般社団法人が54,769あるそうです。
7,300余りの一般財団法人の一つである国際ビジネスコミュニケーション協会(以下、IIBC)では、高校生を対象とした英語のエッセイコンテスト(IIBCエッセイコンテスト)を、毎年開催しているそうです。IIBCのホームページ(以下、HP)によれば、第11回目となった2019年のテーマは“私を変えた身近な異文化体験”(家族や友人、先生など、身近な相手とのコミュニケーションにおいて、どのような異文化に出会い、何を感じ、考え、どのように異文化を持つ相手とのコミュニケーションギャップを乗り越えたのか、英語で表現する)で、本選205作品、奨励賞1,545作品の応募があったとのことでした。
本選205作品の最優秀賞(1名)は、岩手県立不来方高校2年の竹内彩翔(あやと)さんでした。その報告とインタビュー記事が、朝日新聞岩手版(2019年11月16日付)に掲載されました。“Listening to Silence(沈黙に耳を傾けて)”というタイトルのエッセイは、聴覚障害のご両親との日常のコミュニケーションの実態を綴られたそうです。原文はIIBCのHPで見ることができます。内容が知りたくて、プリントアウトして英訳にチャレンジしました。しかし、英語と遠ざかって久しい私には、その内容を理解する能力はありませんでした。新聞の取材記事や第11回のテーマ内容から、日頃のコミュニケーションのあり方が発信されていると受けとめております。改めて、身近で大切なポイントを気づかせてくれたエッセイになりました。竹内さんの英文エッセイは、日米協会会長賞とのダブル受賞で、2019年11月9日(土)に表彰式が行われたようです。17才という若さで、人の気持ちに寄り添うコミュニケーションのあり方を、家族との日常とキチンと向き合って考えていることに、大いに感心させられました。最優秀として認められたことは、何の面識もない私にとっても誇らしく感じられたのです。さらに、前文で申しあげたような呆れ果ててしまう現実には、残念で悲しい気持ちが込み上げてきました。自分ファーストの水とは、どうしても混じり合わないのです。
話しを進めましょう。竹内さんのように自身の実体験から綴った相手を想うエッセイや表現は、聴き手や読み手の心根にスーッと沁み込んでいくのです。共感から共鳴へと導いてくれるのだと感じてしまうのです。“Listening to Silence(沈黙に耳を傾けて)”から気づかされたコミュニケーションのあり方は、宮沢賢治のある言葉を思い出させてくれました。
人の心を本当に動かすのは、その人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは、人は共感を感じないものだ。
人材育成の仕事に携わって30数年間、つくづくと、しみじみと納得できる見識です。私の40才台半ば過ぎまでを謙虚に振り返ると、聞きかじった付け焼刃的言葉を並べて、知ったかぶりで相対していたことが殆どでした。言葉として正論を伝えただけで満足していたのです。そのような体験を紹介するまでもなく、表面的な知識だけでは相手の心に伝わり難いことを何度も味わいました。ある時から、可能な限り私自身の体験を基に文言を発するように努めました。聞きかじりであっても、想像力を働かせて、その真意を知ることを課しました。私なりに理解した真意に、私自身の体験を重ね合わせる努力を怠ることなく継続しております。そうすることで、どれだけ共感して頂けるのだろうか?正直、気になります。結果は判り兼ねますが、それ以前とは違って、気負うことなく自然体で応答の対話ができるようになったと思います。
紹介したようなステップを経て、私が企画運営する研修においては、受講者自身も直接言葉を発する機会を、意識して組み込んでおります。時間を区切ったスピーチ(2分間スピーチ、10分間スピーチなど)、Q&A、グループ討議、コロキウムなどの研究発表など、体験したことを、自分自身が選んだ文言でプレゼンして頂くのです。“人の心を本当に動かすのは、……”という賢治の言葉は、私にとってセルコントロールを促す応援歌になっております。
日々の仕事において、その出来栄えを左右するウエイトの高い要素の一つが、コミュニケーションのあり方になります。コミュニケーションの量と質の最適な組み合わせを、状況に応じて処方しなければなりません。仕事経験の多寡を問わない生涯学習テーマとして、コミュニケーション能力の重要性が問われる所以なのだと思います。ですから、気になるコミュニケーション上の課題や問題については、その都度考えて頂くようにしております。新型コロナウイルス禍の影響で、コミュニケーションのあり方に変革の兆しが表れています。しかし、これから申しあげることは、どのようなコミュニケーション手段にも共通する本質的内容です。そのいくつかを紹介しましょう。
先ず、“その道のプロではない人にとって分かり易い言葉で、その言葉を吟味して伝えるように努めましょう”ということです。いくつかある中でも核になる行動指針だと思います。医療従事者と患者・生活者の関係が該当します。聴く側、受け取る側の問題もあります。如何に伝えるかに力点を置きがちですが、少しばかり発想を変えることも必要です。常に申し上げていることですが、傾聴姿勢の問題です。“伝えることよりも、分かろうとすること、解ろうとすること”が重要な状況の場合が多いのです。話すと聴く・訊くを織り交ぜてコミュニケートすることこそが、信頼関係の構築への道なのだと思います。
私の失敗体験から、次のような問題提起をしたことがありました。その一つが、“何故伝わらないのか”を掘り下げて考えていくと、私自身が本当に理解できていないことが挙げられます。“教うるは学ぶの半ばなり”が分かっていないのです。教育担当の場合は当然として、成人式を過ぎた皆さんは、自戒の意味も込めて“教うるは学ぶの半ばなり”を心に張り付けて日々対処しなければいけません。こうやってアレコレ振り返ってみると、理解まで辿り着くためのシンプルな秘訣は、先ず実行してみることだと思います。体験するということです。“百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず”の如く、現実問題として、頭では分からないことがかなりあります。やってみて気づかされることが数多くあるのです。自分のやったことは90%憶えているが、聞いたことは10%程度しか残っていない、とも言われています。いずれにしても、信頼のコミュニケーション実現の原点は、相手の立場になって追究することにつきるのではないでしょうか。
井上 和裕(2020.7.29記)