私の母校は盛岡市立仁王小学校です。自宅2階からは、校舎の一部(2階、3階部分)が間近に見えます。9月になれば、いくつもの教室の灯りが20時を過ぎても消えることがありません。今年も、岩手大学教育学部4年生の教育実務実習が始まったのでしょう。そういえば、9月上旬だったと記憶しております。早朝7時前から、校庭のライン引きをする教育実習生らしき方々が数人いらっしゃいました。また、13時前後の昼休みの時間帯に、多くの学童と運動や遊びに興じている姿を目にしました。関わる仕事の多い教師職の大変さを耳にしますが、心の底で“頑張ってな!”と叫んでしまいました。
走り回っている生徒の大歓声から、対面(Face to Face)コミュニケーションの本質的な意義をつくづく感じました。ほんの数分間でしたが、立ち止まって見とれたほどです。コロナ禍の影響で、新たな授業のあり方が試行錯誤されていると思います。全てを変えるのではなく、従来の方途の本質的なメリットを活かさなければいけません。一人ひとりの心根に響いて共感まで辿り着く信頼と安心のコミュニケーションは、グルグル回りの直接対面対話によってこそ成し遂げられます。このことを、決して忘れてはいけません。仁王小学校校庭での学童と教育実習生のあの姿から、数々の忘れられない瞬間が蘇ってきました。新型コロナウイルス禍は、コミュニケーションの本質的あり方を総活する機会にもなりそうです。三密(密閉空間・密集場所・密接場面)は新型コロナウイルス感染防止策の核ですが、同じ密でも信頼と安心のコミュニケーションは直接対話の密な積み重ねが基本だと思います。そのコミュニケーションの密のあり様をどうしていくのか、人事教育担当者に突き付けられている課題なのです。常に意識しておきたい基本的課題なのだと自覚しております。オンラインであろうと、対面であろうと、信頼と安心のコミュニケーションの本質追求は、永遠の課題として横たわっているのです。
もう一つ、コミュニケーションのあり方を考えさせられたことがありました。考えさせられた、というよりも、“そうだよね!そうなんだよね!”と心底納得した至言に出会ったのです。レナード・バーンスタイン(1918年~1990年)をご存知でしょうか。20世紀を代表するアメリカ人指揮者で、ピアニスト・作曲家・教育者としての顔を持つ稀有な音楽家でした。日本を代表する世界的指揮者小澤征爾の師匠でもあり、日本でも大ヒットしたミュージカル「ウェストサイド物語」を作曲しております。8月29日(土)テレビ朝日の「題名のない音楽会」の“偉人たちが残した言葉”コーナーで、そのバーンスタインのある言葉が紹介されたのです。ピ~ンと来るものがありました。
“テクニックとはコミュニケーションのことだ。指揮者にとってこの二つは同義語なんだ”
指揮者にとってのテクニックは、正に多種多様なファクターが存在すると思います。管弦楽団、吹奏楽団、合唱団であろうとも、その団員とのコミュニケーションが多くのテクニックと同じように重要だという意味と解釈しております。演奏する曲目を、指揮者の意図する方向へ演奏者と共につくり上げるためには、正に密なコミュニケーションが必要不可欠なのです。大学時代の合唱団(東京薬科大学合唱団)を思い出しております。聴く人の心に届くメンタルハーモニーは、団員と指揮者とのコミュニケーションの産物なのだと実感したことが思い出されます。このバーンスタインの至言は、組織運営、チーム運営にもそのまま相通じることです。指揮者を、社長・部長・課長・薬局長・マネジャー・リーダーなどの組織責任者に置き換えてください。組織目標を達成するためには、メンバーとの納得と理解のコミュニケーションが大前提となります。50数年間の会社勤めで、その重要性を数えきれないほど味わいました。
新型コロナウイルス禍によって、「新しい○○」がいわれています。日々の生活であろうが、仕事であろうが、掘り下げて追求すればコミュニケーションのあり方が問われていくのです。最近の二つの出来事から、私なりに学び直したことを呟いてみました。
井上 和裕(2020年9月19日記)