エッセイ199:何をおいても、健康第一

投稿日:2020年1月9日

 明けましておめでとうございます。令和最初のお正月になります。
 東日本大震災から学んだことの一つが、“想定外と決別する”、“想定外は思考停止に陥ってしまう”ということです。しかし、まさに予想もしなかった事態に、かなりの度合いで出会ってしまうことも有り得ますね。数年前から、新社会人に対しては、次のような言い方で、問題提起をするようにしております。思考停止に陥らないように、想定していなかった事態に遭遇しても、その事態をキチンと受け止めて向き合いましょう。想定外というのは、結局は他律要因でしかありません。根本解決を目指すなら、自律要因に目を向けることです。…… 一年前のエッセイで掲げました本質探究と明らかに馴染まないのが、想定外という言い訳だと思います。本質探求姿勢で、今年もE森の土づくりを究める所存です。
 年明け最初のE森は、健康第一の意味を、改めて考えてみたいと思います。

何をおいても、健康第一

 新社会人を対象とした新入社員導入研修の初日は、開講宣言とオリエンテーションです。3時間かけて、丹念に進めております。
 開講宣言の中では、前途有為な若人に対して『人生の門出にあたって』というタイトルで、人生の先輩からの七つの激励メッセージを差しあげております。そのイの一番目が、“健康第一”です。“ビジネスパーソンにとって一番大切なことは、… ”で始まり、“日頃から心身の健康管理を心がけて、ベストコンディションで目も前の仕事に対処できる状態を保っておきたい”と続きます。
 この健康第一の意味は、本人や身近な隣人が大病を患ったような経験をお持ちではない限り、20才代の若人にとっては、あまりピンとくるメッセージではないかもしれません。年を重ねて、身体のあちこちに異変を感じるようになって、そこで初めて健康の有難さを身に沁みて実感するものです。私の場合は、還暦を過ぎたあたりから理解できるようになったと思います。最近では、15日間の研修期間中に、健康第一の意味を、私の経験談を通して投げかけております。毎朝のホームルーム、『人生と仕事』や『真のプロへの道』というカリキュラムの中で、何度となく取りあげてきました。少々の無理をしてでも乗り越えられる年代の人たちにも、健康第一の意味を想像して考えることで、患者や生活者のQOL向上の本質に切り込んで欲しいのです。そうすることで、患者とその家族、生活者の日々の健康に対する切実な思いに、少しでも理解が及ぶようになるのではないでしょうか。現実には、想像しても理解できないこと、或いは回答まで行き着かないことが、かなり多いと思います。しかし、一所懸命に自問自答する姿勢は、相手の心にジワーっと沁み込んでいくと確信します。そこから、新たなつながりへと発展する可能性が生まれてくるのです。

 さて、私の経験談の骨子は、大きく二つあります。
 一つは、病気が治癒するまでの辛さ、辛さからくるメンタルの弱さに関することです。2012年に手術入院した時、そして昨年5月の病気療養の時にも、病状、感じたこと、気づいたことを、些細なことも含めてノートにしました。その中から、その時々の状況に応じた内容をピックアップして正直に話すようにしております。
 もう一つは、自戒という視点での重要な行動指針です。全快するまでは療養に専念する、ということです。それは、療養以外には何もできないということであり、少々のやる気があっても身体が言うことを聞いてくれないということです。焦って仕事や家事の遅れを取り戻そうとしても、本質から外れる、ムダ・ムラ・ムリを作る、それ以上に体力回復を遅らせてしまうことにつながります。再発することだってあるかもしれません。
 
 “健康第一であることが如何に大切なのか!”を、自分の言葉で話すことができなければ、医療従事者として半人前だと思います。体力に自信がある時にこそ、健康第一の意味を考えて頂きたいと願って、令和2年のスタートエッセイとします。

(2020.1.3記)

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