30年近くも続けている私の行動指針の一つが、“備えよ常に”という理念の下で、“準備万端整えること”を何が何でも実践することです。研修であれ講演・講話であれ、依頼されて受諾した教育機会は、可能な限り予定日の一ヶ月前までには実施可能の状況にすることを、イの一番の指針と決めて守り続けてきました。この指針は、未熟の度合いが高いほど、時間をかけて取り組まなければならないルーティン的課題だと思い続けています。
そんな仕事作法を堅持しながら、一方でつくづく感じていることがあります。それは、仕事であれ、学びであれ、“準備不足が横行していませんか!”という皮膚感覚です。準備内容の貧困化と言っても過言ではありません。
かなり以前のある時から、“想定外という言い訳は恥かしいこと”と自分自身に言い聞かせて、どのような事態が起きたとしても最低限の任務を果たすことができる作法を特定し、その作法を当り前に実践し維持し続けている人こそが、本物のプロフェッションなのだと思うようになりました。その不易の日常的作法の一つが、何度もしつこく言及している“備えよ常に”と“準備万端整える”なのです。最近、その重要性を後押ししてくれる方に出会いました。
つぶやきエッセイで何度も取りあげました「備えよ常に」と「準備万端整える」を、改めて考えてみたいと思います。
「備えよ常に」&「準備万端整える」
上野由岐子投手(以下、上野さん)をご存知でしょうか。
日本女子ソフトボール界のレジェンドであり、今でも至宝と評されるほどの現役アスリートです。2004年アテネ五輪銅メダル、2008年北京五輪金メダル獲得の立役者である上野さんが、岩手県出身の二刀流大谷翔平選手(以下大谷君)との速球王対談を行ないました。一昨年12月下旬、朝日新聞紙上にその対談内容が掲載されました。上野さんの試合に臨む心がけから、目標達成のためには、いかに準備が重要であるのかを掬い取ることができたのです。そして強く申しあげたいこと、シッカリ気づいて頂きたいことは、それは名声あるアスリートだから為し得ることなのではなく、未熟で力不足の我々こそが、その何十倍もの準備を積み重ねることを示唆しているということなのです。
大谷君の「大事な試合の前日にすることはありますか?」という問いかけに対して、上野さんはこう回答していらっしゃいます。
「相手に関することやコンディショニング、道具とか準備にはきりがなくて、無駄のないものだと思っています。大事な大会になればなるほど相手より一つでも多く準備した者勝ち、という気持ちでいます」
さらに、「北京の時、ソフトボールが五輪競技として最後の大会だったので、これでソフトボール人生が終わってもいい、という思いでした。これでやって負けたら仕方ない、と思える準備ができたと自分は思っています。だから、結果を出すことができた。ですから、もう1回五輪に向かうとなると、またあの準備をするのかと思うとちょっと踏み切れないですね。それくらいすべてをかけて臨んだ」
また、「私は自分の目標が達成できるまで毎日、日記をつけていました。そうすることでやるべきことが見えてきた」、「中学の時からそこそこボールが速かったので、捕手の構えたところに投げないと取れないというケースが多かったんです。捕手が親指を突き指とかしていたので。その子を思って投げていたので、コントロールはつきました」とも答えていました。
上野さんの一言一言から、言い続けてきた「備えよ常に」、実践し続けてきた「準備万端整える」に、希望のような明かりが灯った気がしております。天賦の才の持ち主が、想像もつかないほどの努力(準備)を積み重ねているのです。私のような名もない人間こそ、“準備万端整えることができなくなったなら現職を辞する”くらいの矜持を持って、日々の課題と向き合いたいと思います。
折角の機会です。改めて「備えよ常に」と「準備万端整える」を復習してみたいと思います。
日本ボーイスカウト愛知連盟のホームページによれば、「備えよ常に」は、世界各国のボーイスカウトの共通のモットーだそうです。イザという時に備えて、どのようなことに出会っても、必ずやり通せるように、日頃からいろいろと準備しておく、という意味なのです。言い方を変えれば、どんなことにも直ぐに応じられる心構え、身構えを持って、“いつでも準備ができているぞ”という態勢の証明でもあるそうです。
仕事でいえば、やりがいのある仕事を任された時、それをやり遂げられる能力開発を、日頃からコツコツやっておこう。自己啓発による積み重ねを怠らず、日々、心技体を磨き上げておこう、ということになりますね。
「準備万端整える」とは、事前準備を万端整えるということです。「万端」の「万」は、数の多いことを言いますが、「端」は単なる“端っこ”ではなく、“時局多端”とも言うように“キチンとやらなければならないこと”を指します。その心は、数の多さではなく、やるべきこと、やらなければならないことを、百パーセント準備して事に臨むことが“勝利の唯一の方程式”だ、と言うことになりそうです。
もう一つ、備えにしろ、準備にしろ、その具体的内容を考える際の大前提も重要です。私が意識している以下の三つの前提を、皆さん方には是非考え頂きたいと思います。
【前提1】最悪の事態(結果、プロセスなど)を想定しておく。
【前提2】“行動や結果の責任は自分でとる”、“自分のことは自分で守る”と肚をくくる。
【前提3】“平時でも、有事においても、自分の能力以上のことはできない”と自覚する。
三つの前提は、今まで受講した自己啓発研修やテレビ番組などから教えて頂いたことです。
前提1は、私が企画し運営する教育機会では、ほとんどの場合に実践している指針になります。何事においても、不測の事態や失敗は起こり得ることですから、最悪と判断した事態を想定して備えることが、イザという時に対処できる度合いが高まると考えております。タガの緩んだ付け焼刃の備えでは、想定外の場合には役に立たないことを、何度も経験し見てきました。
前提2は、自己責任意識を意味します。自分の将来は自力で意思決定する、行動結果に対しては責任をとる、ということです。備えに対する心構えが他人任せでは、有事の際に何も対応できないことは自明の理です。自己責任意識が根底にあるからこそ、万全の準備が実現可能になります。
さらに、イザという時には、即断即決しなければ間に合いません。そこで前提3に行き着きます。
能力開発、自己啓発の重要性が、何故問われるのでしょうか。理由はいくつかあると思いますが、“日常においても、有事においても、自分の能力以上のことはできない”という経験則が前提にあるからではないでしょうか。現社会で生きていくからには、“将来への備えを自力で行うことは当たり前である”と、自覚しておかなければいけないでしょう。“将来に対する備えは義務である”という気概で、日々能力開発に励むことです。生涯学習の所以は、そのようなところにあるのかも知れません。
以上の三つの前提が全てとは思いません。自然災害が起きるたびに叫ばれる対応への警笛、失敗や不祥事が表面化した時に言及される防止対策の必要性 ……。難題ではありますが、ボーイスカウトのモットーに立ち返って見直さなければ、根本解決に至らないと思うのです。
最後に、何度でも申しあげます。
「備えよ常に」も「準備万端整える」も、仕事だけに限ったことではなく、日常生活においても相通じる躾化すべき不易の作法だと。
そして、備えは予防医療のプラットフォームでもあるのです。
(2017.3.17記)