エッセイ138:コミュニケーションの品質は、事前期待と事後評価の相対関係で決まる

投稿日:2017年6月5日

 アラフィフ世代の知人から、次のようなメールが届きました。5年以上も前から、エッセイの定期便をお送りしているTK販売時代の後輩です。親御さんの体調が芳しくなく、病院への送迎が日課になっているそうです。メールの一部を紹介したいと思います。
 『毎日のように病院へ送迎していますが、お医者さんにも看護師さんにも、そして薬剤師さんにも意見したいことがたくさんあります。なかでも一番感じていることは、どんなに歳をとっても一人の大人として扱って欲しいということです。忙しい中で、何人もの患者さんを診る側からすれば細かいな…、と思われるでしょうが。言葉遣いであったり、態度であったり、仕切りすらない薬局で他の患者さんの前で薬剤師さんに病状を聞かれたり……。医療現場だからこそもう少し気遣いが欲しいなと思ってしまいます。(以下、略)』

 『病気になってクリニックで診てもらう時、いつも疑問に思っているのだけれども…』と前置きして、遠慮がちに感想を漏らした隣人もいました。
 『医師に症状をいろいろ訊かれます。診断されて処方箋をくれます。それを持って近くの薬局に行くと、今度は薬剤師から同じような質問をされたり、アンケートを記入させられます。時には、医師以上に詳しく訊ねられることもあります。一方的に質問をされることには納得いきません。何故訊くのか、その理由を言ってくれれば話す気にもなるのでしょうが。熱があって具合すぐれない時には、かなりつらいし、早くして欲しいと思います』

 もう一つは、私自身の体験感想文です。
 昨年のことでした。薬学生の実務実習受入れ実績のある某調剤薬局を利用させて頂きました。抗生剤など5日分、痛み止めの頓服薬、含嗽剤の5種類の処方箋調剤のためです。投薬時に訊かれたことは、“風邪ですか?”だけでした。訊かれたというよりも、先入観から発し勝ちな決めつけと感じました。ちなみに、病状は風邪ではなく鼻腔近くの咽喉の腫れ物でした。
 返答を躊躇っていると、直ぐに一方的に薬の説明を始めました。それもほんの10数秒間で、支払金額を言われた以降は無言でしたね。傾聴姿勢を微塵も感じることができませんでした。さらに、“今日は…”、“お大事に…”などの声掛けが一言もありませんでした。この有様は、私が患者として薬局を利用して以来、初めての(危機感いっぱいの)体験でした。この薬局が薬学生の実務実習施設であることを知って、悲しくなりました。

 皆さんは、この三つの事例をどのように感じられましたか。どのような仕事実態を思い描きましたか。患者自身の気持ちを、さらに付き添いの家族の思いを、どのように想像されましたか。
 私はつくづく感じているのです。時々でいいから、コミュニケーションの本質的なあり方を、一人ひとりが意識して見直す必要性を……。今回のエッセイは、コミュニケーションの品質を考えてみたいと思います。

コミュニケーションの品質は、事前期待と事後評価の相対関係で決まる

 相手が誰であれ、信頼と安心のコミュニケーション実現のための大前提の心構えとして、“常にコミュニケーションの難しさを意識すること”を何度も申しあげてきました。その理由として、コミュニケーションの阻害要因なるものが、想像している以上にごまんと存在するからです。ほんの一例として、“一回の伝達で内容が20%もぼけてしまう(コミュニケーションロス)”、“医療従事者と患者というような相互の立場の違いからくるコミュニケーションギャップ”、“人間の感情は一定ではない”などがあげられます。ですから、“コミュニケーションは難しい”を大前提として、“準備段階から目指す目的実現のための対処法を練ること”を、当たり前の行動習慣としたいのです。
 以上のことは、コミュニケーションの基本技術修得を意図した“いのうえ塾”において、必ず強調している基本のキです。その重要性を常に認識しながら、もう一つ考えておきたいことがあります。それはコミュニケーションの品質評価という視点です。
 
 私たちが何かを利用する時、或いは欲しい商品やサービスを購入する時のことを考えてみましょう。急を要する場合を除いて、殆んどの場合「これ位のことはしてくれるだろう」、「これ位の値打ちはあるだろう」というように、何らかの期待をもって臨んでいると思います。それを事前期待と呼ぶことにしましょう。次に、利用した結果や購入したものを使用した結果の評価を、事後評価としましょう。事前期待と事後評価の相対関係で、それらの品質の決定的な一側面が見えてきます。さらには、この事前期待と事後評価の関係は、コミュニケーションの品質を評価する客観的尺度の一つになると思えてくるのです。
 つまり、『事後評価が事前期待より高ければ、“相談して良かった”、“参考になった”というような良い評価となり』、それ以降の信頼関係作りにも好ましい影響を与えることになります。
一方、『事後評価が事前期待より低ければ、“何だ、相談しなければ良かった”、“期待外れだった”』と、がっかりさせられます。また、『事後評価が事前期待と差がなければ、“可も無し不可も無し…”』で、特に印象に残らないという結果になるでしょう。
この三つの事例から察するに、コミュニケーションの品質とは、相手の「事前期待」と「事後評価」の相対関係によって決まってくる、ということに落ち着きます。
 さて、皆さんはどう思われますか?そして、ここからが問題提起となります。

 医療従事者が患者や生活者と相対してコミュニケーションを図る場面では、必ず相手は「事前期待を持っているのだ」ということを意識して臨むことで、今までとは違ったやり方・接し方が浮かんできて、それまでとは異なった結果が生じてくると思えてくるのです。さらに、医療従事者同士、上長と部下、同僚同士、先生と生徒、親子を始めとした家族同士、顧客と販売員、……というように、コミュニケーション活動全てに、この原則が当てはまると思うのです。職種に関係なく、このようなコミュニケーションのあり方を身近な人生のインフラと位置付けて、和顔愛語の社会風土・家族文化を作っていくことが、閉塞化した日常には欠かせないのだと気づかされました。
  そもそもコミュニケーション(Communication)とは、ある共通なものを他人と交換し合うことですから、単に伝達して終わりではありません。“言語・非言語を問わず、なんらかの手段で、あらゆる情報や意思・感情の伝達、交換、共有化を行なう活動”であることから、その品質評価が相手の「事前期待」と「事後評価」の相対関係によって決まってくることが理解できます。“常にコミュニケーションの難しさを意識すること”を大前提として、対話をコントロールする準備を怠らないで、品質を高める努力をしていきましょう。時代が変わろうとも、コミュニケーションツールが変わろうとも、それが千歳不易の基本的行動理論・行動指針ではないでしょうか。
                                                         (2017.3.8記)

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