エッセイ121:人財育成の本質を考える

投稿日:2016年9月21日

 前々回のエッセイで取りあげたのが、“教育とは何か?”、“勉強の目的は何か?その理由は…?”など、企業内教育の本質を究めたいという強い思いから出た自問、そして自問に対する回答でした。
 それらの問いかけは、一生消えることのない命題のような存在になりました。仕事経験を積めば積むほどに、様々な異なった迷路を彷徨う場面に出会うのです。難しい問いではありますが、教育担当の任務を果たすための自然な欲求と決めております。
 つぶやきエッセイでは、何度となく企業内教育の本質を追求して追究することを要求しました。実施が目的の教育機会への警鐘であり、表面上のシステム論へのかなり強い危機感からでした。それ以来、やることで満足している表面上の教育体系ではなく、本質的側面やその本質実現のための目的を見誤らない誂えた具体的カリキュラムと手法のあり方など、総合的見地に立脚した議論と行動を実現したいという思いが、消え入ることなく現在に至っているのです。この思いも、任務遂行の当り前の欲求だと自覚してのことです。
 今回は、5、6年前から話す頻度が多くなってきました人財育成の本質について、改めて投げかけたいと思います。この問いを避けているうちは、根本的な課題解決には至りません。付け焼刃の教育体系は、もう通用しない時代に入っているのです。もうご免被りたいのです。簡単に解決するような課題ではありませんが、人財育成の議論の輪が拡がってくれることを期待しての提言なのです。

人財育成の本質を考える

 2年前の5月と6月でした。“人財育成の本質を考える”というテーマで講話する機会が2回ありました。参加者の多くは調剤薬局の現役薬局長で、30歳前後から40歳前半まで11名の方々でした。約50分間の内容を、ドキュメント風に紹介したいと思います。

「人財育成とは、自己啓発できる人財を育成することです。自発的やる気を喚起し続けることのできる人財を育成することです」
 
 両日ともに、私が今考えている人財育成像から切り出しました。育成像を明確にしないまま、本質に迫ることは不可能だからです。そこで、私の考える育成像から入ったのです。その時申しあげた人財育成像と関連するキーワードは以下の通りです。

★目指す人財育成像 
 ・職種や業種の異なる人達と、積極的にコラボレーション出来る人
 ・真のプロフェッショナルに不可欠な、三つの能力要件を兼ね備えている人
  *三つの能力要件
    ①人間として/地域の生活者として
    ②ビジネスネスパーソンとして/会社員として
    ③専門職(薬剤師・医療人)として
     ・医薬品の専門家/予防医療・在宅医療の推進者/生活者の身近健康カウンセラー/
                                                   町の科学者/多職種とのコーディネーター
  *二つの顧客満足(Customer Satisfaction)
    ①患者満足:PS(Patient Satisfaction)
    ②生活者満足:DS(Dweller Satisfaction)

 自己啓発も自発的やる気の喚起も、本人自身が主人公となって能動的に働きかける姿勢無しには前に進みません。ですから、“自分自身を育成する責任は自分自身にある”という自己責任意識が大前提なのです。
 何故、自己啓発や自発的やる気の喚起に拘って問題提起しているのか、本論の前に触れておきましょう。
 日頃から気になっていることがあります。現在も変わりありません。
 その一つが、受け身の人材育成論が当り前に闊歩していると感じられることです。就職活動での企業の教育システム(教育体系)説明に対する薬学生の受け止め方が、正にその傾向を表しているように思えてならないのです。“御社の教育システムを教えてください”という質問の多さは、“私を育ててくれそうな会社かどうか”が、企業選択基準のかなりの比率で上位を占めています。それが選択基準の一つであることに異論はありませんが、“自分を育てる責任は自分自身にある”ことが当り前の大前提であり、その自覚があっての選択肢なのかどうか、ということを問いたいのです。科学者の卵であるはずの薬学生が、企業の人事担当者の説明を鵜呑みにしている実態は、もう勘弁して欲しいのです。一度は“ホントかな?”と疑ってかかる。その上で、想像力と観察力を動員して確かめてみる。その考察プロセスこそが、科学者の基本要件ではないでしょうか。“国家試験さえ通ればどうにかなる”という考えは、もう捨てて頂きたいと思うのです。
 企業の社会的責任(CSR)やサステナビリティが注目される現代の企業にとって、人財育成に力を入れることは当り前のことです。学生の就職活動(企業にとっては採用活動)において、教育システムが目玉商品の如くクローズアップされている実態に、その会社の総合力の未熟さが露呈されているように感じてしまうのです。何をおいても要員確保ということに目を奪われている姿勢に、立派な文言の企業理念が色褪せてしまいそうです。システムを図表として表現することは簡単です。
 大切なことは、ぶれない教育理念に基づいた全人的教育が志向されており、推進努力を惜しまず試行錯誤しながら実践しているかどうかにつきるのではないでしょうか。そのような理由から、ここ数年間、今まで以上に人財育成の本質に言及する機会が増えてきたのでした。

 話を本筋に戻しましょう。
 人財育成像を切り出した後は、“自己啓発とは何か?”の持論を投げかけております。ここが育成のスタートになるからです。二つの資料を使い問いかけによる対話で進めました。
一つ目の資料は、「自己啓発とは、腹の底から納得するまで自分の頭で考え抜くこと」(エッセイ27回)で、講話機会のねらいを中心に問いかけながら、“自己啓発とは何か?”の着眼点に言及しました。
 もう一つは、自己啓発の定義の説明です。言葉が一人歩きすることを抑えるためであり、自己啓発の本質を理解して頂くためです。その内容は、今後のエッセイで取りあげたいと思います。
 その上で、三つの質問を思いっきりぶっかけて、一人ひとりに掘り下げて考えて頂きました。さらに、その三つの質問の回答を、それぞれが本人自身の言葉で後輩や同僚に語ってください、と強調しました。学校薬剤師であれば小学生・中学生・高校生に、薬局長であれば部下に、経営者であれば社員に、実務実習の指導薬剤師であれば実習薬学生に対して、それぞれの対象者に応じた言葉を用意しましょう、と付け加えたのでした。しばらくの間は、誰かの受け売りでも構わないから、自分の言葉で組み立て直すように方向づけをして、50分間の講話を終えました。三つの問いかけと私見は、前回のエッセイをご参照ください。

 私の考える現在の人財育成の本質は、『社員一人ひとりの潜在意識と潜在能力を引き出し、自己啓発・相互啓発できるようにすること』です。(参照:EDUCO TREEの果実)
 それは、“自力で生きていける社員を育成すること”、“自力で問題解決できる社員を育成すること”、“社員の内発的やる気(自己動機づけ)を引き起こし、生き生きとした風土・文化を作ること”、 “同僚と協働して問題解決できる社員を育成すること”であり、その結晶として“企業理念の具現、企業目標の達成”が可能となるのです。
 困難な課題ではありますが、社会の公器としての企業が社会的責任を果たすための最重要課題ではないでしょうか。
                                                                  (2016.5.16記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン