今日は。リニューアルエッセイEDUCOの森(以下、E森:イイモリ/良い森)の2回目は、EDUCOの意味や私の考える“教育とは?”につきまして、次回と2つに分けて言及したいと思います。
教育とは ~ EDUCO TREE 前編
社員数500名の合併企業に新設された教育部の実務責任者(次長職)を任された時、その任務を遂行する上で意識したことがいくつかありました。その一つが、集合研修の講師を務める時には、言葉の意味を知り理解することにかなりの時間を費やしたこです。“知っているつもり”から生じるコミュニケーションギャップ、ミスマッチが多いことを、常に感じたからです。教材研究時間の中で占めるウェイトは、一番高かったと思います。日常汎用されている言葉でも、気になれば辞書にあたる癖は、それ以来ずっと身についたものです。
その当時、言葉の意味を知ることの究極の難問が、「教育とは何か(或いは、何を表わしているのか)?」、「教育の目的は何か?」を明らかにすることでした。この壁を乗り越えなければ、教育担当の任務を果たすことは不可能である、と思い知らされたからです。そのきっかけや理由は、機会を改めて取りあげたいと思います。それらの問いかけは、教育部配属の昭和61年(1986年)から今日この日までの30年間、常に揺れ動きながら自問自答しているものです。
「教育とは何か?」の自答が完成するまでに、1,200日を要しました。つぶやきエッセイでは何度か取りあげましたが、悩んで悩みぬいて辿り着いたのは平成2年(1990年)の初夏ではなかったか、と記憶しております。
当初は、教育の全体像を家屋で表わしました。家全体を支える“土台”、屋根を支える“柱”、そして雨風をしのぐ“屋根”の三つの構成要素で構築してみたのです。
土台は、全ての企業活動の原点です。人間観、マネジメント観、組織観、教育観などの価値観が主ですが、CSRやサステナビリティなどにも波及する企業理念も含めて考えています。
柱は屋根を支える行動指針になります。その16の屋台骨は運営上の規範でもあります。具体的な行動指針は、考えて考えて考えあぐねた末の結論です。「教育」の「教」という文字を、同じ「きょう」と発音する漢字を当てはめてみたものです。私の考える「教育とは何か?」の一側面を、一語一語が語ってくれています。
そして屋根は、「教育とは何か?」、「教育の目的は何か?」の回答です。あれこれ悩み思案中に、ある雑誌の記事が私を釘付けにしました。それは“教育の語源”の解説でした。まさに眼から鱗で、私は大きな勘違いをしていたことに気づかされたのです。打ちのめされたのでした。educationは教育と訳されました。そのeducationの語源はラテン語のeducoで、「(潜在能力、本来持っているものを)引き出す」、という意味だったのです。
そのことが私の胆におちてくると、考え方と行動に大きな変化が出てきたのを覚えています。これが開眼か !!
このことが契機となって、「教育の基本理念(人材育成の着眼点)」「教育活動の基本原則」等の理念構築、教育問題の兆候や教育ニーズに基づく実践的なオリジナルカリキュラムの企画・実施へと進化していきました。
10年前でしたでしょうか、家(家屋)を樹木に見立てて図式化を試みました。土台を“根っこ”に、柱を“幹”に、屋根は“枝・葉・花・実”に置き換えました。そして、『EDUCO TREE』と名付けたのです。それは、“社員一人ひとりの潜在意識・潜在能力を引き出すことが企業内教育の根幹”であることを意味しています。いかがでしょうか?(添付ファイル参照)
岩手県釜石市の中田薬局では、この考え方を取り入れた人材育成に尽力されています。
今回はここまでにします。続きは次回にて。
(2016.4.30記)