エッセイ86:私が教わったデクノボーからの教訓

投稿日:2015年4月20日

 年明けにお届けいたしましたエッセイ82回では、新カリキュラム「生き方を学ぶ①“雨ニモマケズ”」のねらいと進め方、そして討議内容を紹介させて頂きました。
 今回は、新カリキュラムの最後のまとめでの私の見解に言及したいと思います。私が教わったデクノボーからの教訓、現時点で感じているデクノボーからの教訓をつぶやいてみます。

私が教わったデクノボーからの教訓

  何事においても熱意と誠意が基本。
  熱意があれば、一所懸命になって観る。シャカリ気になって調べる。真剣に訊く、聴く。
  そうすると、幾つもの着眼点が分かってくる。複数の回答が見えてくる。

 この3行が、デクノボーから教わった教訓とその理由になります。

 物事の基本は熱意と誠意ではないでしょうか。熱意と誠意があれば、熱心な行動となって表れてきます。熱心さは、必要に迫られて、もう後がない状況に追いつめられた時点で、自然発生的に生まれてくるように感じています。
 そうなれば、一所懸命になって考えます。考え抜こうとします。眼を凝らして観察します。方々から調べます。分からなければ、頭を下げて訊きにいくでしょう。真剣になって聴きます。聞き漏らさずにメモをとります。鬼のような形相で対処するのです。
 だからと言って、直ぐに解決するわけでもありません。そう簡単には解決に至りません。
 しかし、熱意と誠意が基本にあれば、ちょっとしたことで諦めることをしません。諦めずに心を啓いて追究すれば、様々な教訓に気づき始めます。幾とおりもの着眼点、観点、眼の付け所が分かってきます。そこまでくれば、解決したも同然でしょう。
私は、ちょっと不自由で、恵まれない環境の中に置かれている状況の時に、不思議と知恵が涌いてくるような気がします。競争上、二番手、三番手、あるいはそれ以下の場合の方が、一所懸命に取り組むことが出来るような気がします。負けず嫌いだからでしょうか。
自分自身の置かれている立場、境遇をしっかりと認識し、等身大の行動をとり続けていれば、今、何をするべきかを描くことが出来るようになると信じています。以上が、私が教わった木偶の坊からの教訓とその理由になります。

 もう一点、Q1の解釈例として用意していることもご紹介したいと思います。
 そして、雨ニモマケズからの皆さんの気づきや考えを、是非教えて欲しいと願っております。

  ・雨にも風にも、雪にも夏の暑さにも負けない丈夫な身体。
  ・無欲(無私)。                                     ★心身健全
  ・怒らない、微笑(静かに笑っている)。                      ★謙虚
  ・よく観聴きして理解する。そして忘れない。                    ★観察
  ・病気の子供がいれば、行って看病する。                     ★傾聴
  ・農作業に疲れた母親がいれば、行って稲束を背負う。             ★しっかり向き合う
  ・南に、…… 。北に、……。                              ★共に悩む、考える
  ・日照りの時は、…… 。寒い夏は、……。        
  ・ほめられもしない。苦にもされない。                           ●相手:自分=51>49

Q1:木偶の坊とは、“役に立たない人をののしって呼ぶ言葉”です。雨ニモマケズのデクノボーは、本当に役に立たない人なのでしょう  
   か。読み返しては、想像力を働かせ、どのような人なのかを考えて、発表しあってください。
   そして、議論を繰り返して、グループとしての見解をまとめてください。
                                                                          (2015.1.31記)

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