エッセイ78:歴史から学ぶ人でありたい

投稿日:2014年12月20日

歴史から学ぶ人でありたい

 ジャンルを問いませんが、史実を改めて調べ直したり、関連づけて考え直してすると、それまで気にも留めずに素通りしていた事柄が反転して、大いなる興味へと変わることがあります。新たな想像の世界に引き込まれるように。
 いわゆるクラシック音楽の世界の話になります。名だたる名曲の初演日を時系列で並べてみると、“あの曲とあの曲は、同じ時代に作られた曲だったのか”という驚きに出会うことがあります。
楽聖といえばベートーベンですが、最後の大作である交響曲第九番ニ短調作品125「合唱」の初演は、200年近く前まで遡ります。1824年5月のことでした。それから6年後の1830年12月に、フランスの作曲家ベルリオーズの幻想交響曲が初演されました。楽聖の死の3年後になります。現在では標題音楽の最初の傑作と評される曲ですが、当時としては最も前衛的な音楽だったそうです。
 最近、そのような事実に気づかされながら、型を重んじていた時代に作られた、形式も雰囲気も異なるシンフォニーの曲作りのきっかけは何であったのか、動機付けの要因は何であったのか、大いに興味をそそられます。
 さらに、唱歌や童謡などの子どもの歌について、それらの歴史を知る機会がありました。
 8月下旬、ある音楽会を聴きに上京しました。全国大学音楽教育学会関東地区学会主催の「うたと映像でつづる日本の子どもの歌140年歩みコンサート」です。私の大学時代の部活(東京薬科大学合唱団)の恩師が企画構成し、司会まで務めた2時間のコンサートでした。
 140年の歩みとは、子どもの歌の歴史そのものです。その歴史にはその時々の世情が深く絡まりあっていることを知りました。日本における国情やその時代背景などでしょうか。幾重にも連なる壁を乗り越えて現在があることを認識することで、今まで意識もしていなかった側面が見えてくるのです。畏敬の念を禁じえません。

 何かの本からだったでしょうか、「歴史を学ぶ人でありたい」というアドバイスを頂戴したことがあります。現在を結果と置き換えれば、結果の原因は過去にあります。過去のプロセスの中に主因が存在します。現在は過去の歴史があっての産物と言えそうです。
 ただし、気をつけて学ばなければなりません。同じ人物、出来事でも、諸説が存在することです。何が真実であったのか、その見極めが難しい場合があるのです。学ぶことは当然として、そのまま鵜?みにして信じてしまい、思考停止で終わらぬようにしなければなりません。
 学びの教材は、その気になれば彼方此方に存在しています。そのようなことを気づかせてくれた平成26年の夏でした。

                                                                (2014.10.20記)

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