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エッセイ173:言い方いろいろ、みんなよかった

 北東北の秋は急ぎ足ですね。この時期多いのが、いわゆる風邪引きさんです。油断禁物という心がけを意識して用心したいと思います。
 さて、平昌オリンピック・パラリンピックから半年以上も経ちました。政治ショー的色合いが強調された感もありましたが、競技が始まってからは、結果やインタビューの応答に対して、様々な意見や感想がマスコミ報道やSNSを駆け巡りました。最近、切り抜いておいたオリパラ関連の新聞記事を取り出して、その時に感じたこと、心に響いたことを思い起こしております。

言い方いろいろ、みんなよかった

 JOCのホームページによれば、平昌オリンピックは124名、同パラリンピックには38名の日本選手が出場したそうです。選手一人ひとりは、それぞれが確固たる志を持ち、その志に覚悟という魂を吹き込んで、それぞれの努力を積む重ねて臨んだオリパラと受け止めています。その形状は十人十色でしょう。詩人金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」ではありませんが、“みんなちがって、みんないい”というフレーズがピッタリだと今でも感じております。
 以下、私個人が感じ、思い、教わり、気づいたことを、いくつか呟いてみたいと思います。真意は想像の域を出ません。あくまでも、私の見解となります。

 何と言いましても、インタビューに対するいくつもの応答が、私自身の心構えや日々の行動のあり方を見直す機会になりました。インタビューで発する言葉や表現は一人ひとり異なりますが、みんな驕ることなく、誠実で、謙虚で、“みんないい”と強く感じた次第です。
 一番目立ったのが、家族だけではなく支えてくれた方々、応援してくれた方々に対する感謝の気持ちでした。
 “ここまで支えてくれたスタッフ、チームメイト、送り出してくれた会社、家族、応援してくれた方々、国民に感謝したいと思います”、“一人ではここまで来られませんでした”、“多くの人に支えていただいて、いい時も悪い時も私を認めてくれる人がいました”、“先輩たちが20年間カーリングを育ててくれたおかげで、この場に立つことができたのです”、“応援してくれた全員に有難うと言いたいです”、“たくさんの人に支えてもらって、このチームがあってのことなので、感謝の気持ちが一番強いです”、……。ほんの一例ですが、支えてくれた多くの方々への感謝の表現に、毎日聴き入っていました。オリンピック、パラリンピック全選手の思いだと感じます。
 選手の皆さんは、“人は誰でも一人では生きていけないこと”、“人は人づれであること、相見互いであること”を心に刻んで、その日に備えて臨んだのでしょう。そういう考動習慣(思考習慣+行動習慣)に、何よりも心打たれました。試合直後のコメントですから、取り分け心に沁みました。
 競技後の結果もいろいろです。メダリストは20名(オリ16名、パラ4名)で、4位以下の選手が圧倒的に多いのです。悔しい思いを心の内に留めておきながら、その結果をキチンと受け容れて、決して誰かのせいに、何かのせいにはしていないのです。対自競争を貫き、克己心でメンタル面を鍛えてきたからこそのコメントでしょう。

 スキーという遊びに夢中な少年だったノルディックスキー複合の渡部暁斗選手は、ずるが嫌いで正々堂々を貫く人だそうです。個人ラージヒルでの金メダルを目指しましたが、君が代を歌うことが叶いませんでした。個人ノーマルヒルの約2週間前に行われたW杯白馬大会で、公式練習中に転倒して肋骨を骨折していたそうです。言い訳一つしていませんでしたね。“頂上が見えているのに、上り方がわからない …”。その無念さが、心に沁みました。
 特に私の心が動いたのは、スキージャンプ伊藤有希選手の行動です。メダルを期待されながら、風に恵まれず9位に終わりました。泣いてはいましたが、泣き言が聞かれませんでした。それ以上に感じ入ったのが、銅メダルが確定した高梨紗羅選手の2回目のジャンプ後に、真っ先に駆け寄って思い切り抱き寄せて祝福していたことです。ゴーグル越しに、高梨選手の瞳が潤んでいることが分かりました。4年前のソチ五輪では、金メダル絶対確実と期待されながら4位に沈んで呆然とする高梨選手に対して、その内容は分りませんが、伊藤選手は肩を抱いて何か語りかけていましたね。高梨選手の目からは、大粒の涙がこぼれ始めました。その光景も思い出しながら、3年半後の冬季北京五輪での二人に思いを馳せています。
 ノルディックスキー距離男子10kmクラシカル立位の新田佳浩選手は、スタート直後に転倒しました。長野五輪から6大会連続で大舞台を戦ってきたレジェンドは、冷静なレース運びで最後に勝ち切るレースに徹して、子供の首にかけたかった金メダルを掴んだのです。レース後のインタビューでは、ここまで支えてくれた方々への感謝の言葉に終始していました。特に、家族との絆と練習環境を整えてくれた荒井秀樹監督、そして所属企業への強い思いを感じました。
 パラリンピックでは、支えるスタッフが多岐にわたっていることも知りました。
 スキー距離競争では、実走行タイムに障害によって設定された係数をかけて最終順位が決定されます。つまりレース中の順位の把握が非常に難しいのです。そこで、競技中の順位を瞬時にはじき出すタイム計測ソフト「タイムランチャー」を開発し、代表選手に無償で提供しているソフトウェア会社がありました。長野県松本市のAIDです。
 1988年のソウルパラリンピックから今回まで、公式修理サービスプロバイダーとして大会をサポートしている企業があることも知りました。ドイツの総合医療福祉機器メーカー“オットーボック”です。選手村に修理センターを設け、義肢装具士、車いす技術者、溶接のスペシャリストなど20数名のサポートスタッフを派遣したそうです。雪上競技会場、アイスホッケー会場にもブースを用意して、急なアクシデントにも対応する体制を整えており、日本人スタッフも2名派遣されていたようです。選手の不安を少しでも取り除く“よろず屋”を自任して、道具修理のプロとして大会運営を支えていたのです。

 人材育成という視点で大きく頷いたのが、自分の滑りを磨く求道者、滑る研究者と評されている小平奈緒選手の応答でした。日頃のインタビューもそうですが、気負いのない穏やかな温もりのある語り口に、信頼のコミュニケーションを促進するエキスのようなものを感じます。
 スケートが大好きなので、きつい練習も苦ではないそうです。身体全体の仕組みを理解して、理屈にかなったフォームを追究するため、解剖学を勉強し、解剖書を持ち歩いているそうです。オランダの文化を学ぶためにオランダ留学もされました。文化といっても、何故スケートが強いのかという原点や根幹を学びたかったのだと思います。それらが結果につながると信じてのことでしょう。“勉強の目的は何か?何故学ぶのか?”を、拝聴したいと思いました。どのような言葉が返ってくるのか、興味津々というところです。
 “絶対的実力がないと金メダルは取れない”というコメントからは、100%の力が出せないところがオリンピックだから、80%、90%の力でも勝つことができる備えを怠らなかったのだ、と思わされます。そして、“そうなるために多くの人に支えてもらいました”、さらに“金メダルをもらうのは名誉なことですが、どういう人生を生きていくかが大事だと思います”には、人としての本物の優しさが光り輝いていました。生き方の本質(人生観)を明らかにすることはアスリートだけのテーマではなく、ビジネスパーソンにも、市井の人間にとっても、意義ある人生への道標なのだと改めて教えて頂きました。
 カーリング女子吉田知那美選手の“メダルもそうなんですが、ここまでくる過程の全てが宝物だと思います”には、問題解決のヒント、成長のヒントが詰まっていると思います。原因と結果の法則、基本の重要性(修破離の修)は不易だと再確認できました。銅メダル(結果)に至るまでの数多くの様々なプロセス(原因)は何であったのか、一つひとつ知りたくなりました。
 フィギュアスケートの羽生結弦選手について触れないわけにはいきませんね。羽生選手は、昨年11月に右足を痛めてしまいました。ぶっつけ本番で挑んだショートプログラムで、最初のジャンプ4回転サルコーを決めた時には、身震いとともに自然と涙腺が緩みました。本番の数週間前まで氷上で練習できない分、余分なものは全て断って、金メダルにつながると判断したことだけを何でも勉強したそうです。セルフモチベーションとセルフコントロールで、己自身との戦いを克服したのでしょう。フリーの演技を滑り終えて、何度か「勝った」と口に出していたようです。人生をかけて臨んだ五輪連覇後のインタビューから、感謝の表現と笑顔が消えることがありませんでした。あの若さで、風格のようなものすら漂っていたと思います。支えてくれた方々への感謝は当然として、その受け答えには、並々ならぬ覚悟と業績魂が散りばめられていました。
 その羽生選手を、フィギュアスケートコーチの佐藤信夫氏は、こう評しています。“そうした流れるような滑りが、高い演技構成点につながる。先天的な柔軟性に加え、地道に基礎練習を繰り返したたまものだろう。…… もちろんそういう進化は否定しないが、羽生の五輪連覇は、決して忘れてはいけない大事な原点を示してくれた”(朝日新聞「佐藤信夫の目」:2018年2月18日より)と。
 オリンピック閉幕後も、競技によってはワールドカップ(以下、W杯)が続きました。
 渡部暁斗選手は、2017~18年シーズンのW杯で初の総合優勝を獲得しましたね。5か月間で20もの大会に挑み続けての結果となります。W杯王者は本人自身が拘ってきたタイトルで、2度の骨折をしながらの結果ですから、最高のシーズンになったと想像できます。
 高木美帆選手は、全6大会で行われたスピードスケートW杯で、女子全種目の総合得点でトップとなり、日本勢では初めての総合優勝を果たしました。高いレベルで4種目(500㍍、1000㍍、1500㍍、3000㍍)の距離を滑らないと獲得できないタイトルです。オールラウンダーへの憧れが強かった高木選手にとって、オリンピックとは別景色のタイトルになったと思います。
 未勝利が続き苦しんでいたスキージャンプの高梨紗羅選手は、3月24日の第14戦で個人通算54勝目を挙げました。男女を通じてW杯歴代単独最多記録で、6年前に初勝利を飾ってから個人戦通算104試合目の快挙となります。時々刻々変化する風の方向と強さが飛距離に大きく影響する競技であることから、通算勝利数の最多記録は、オリンピックよりも高みの世界に辿り着いたのだと思わされます。正にコツコツと積み重ねた努力の賜物ではないでしょうか。
 これらの朗報から、オリンピックのメダル以上の価値を感じました。さらに、小さな積み重ねを継続することの重要性を改めて実感した気がします。

 とにかく、アスリートの凄さとスポーツの素晴らしさから感じたこと、気づいたこと、教わったことがいっぱいあって、自分自身のあり方を見直すきっかけとなりました。選手たちの歩んできた道を特別視するのではなく、一人の人間としてみることで、教わったことを掘り下げることができたように思います。その中で、私にとっての一番の収穫は、克己心でセルフモティベーションし、日々セルフコントロールしながら基礎能力を磨きあげる、実力を磨き続けることが、自己啓発の本質であることの確信です。ちょうど冬季オリパラの期間は、採用活動や新卒新入社員教育の準備で手一杯の時期で、体調もすっきりせずに精神面でも弱気虫が顔を出していました。そんな状態の時の選手たちの声は、弱っていた私の心的エンジンの点火剤となって、前向きな行動姿勢を促してくれたのです。私の背中を軽く押して、“まだまだ努力し続けよう”という思いを呼び戻してくれました。

 それにしても選手たちの十人十色のコメントは、“みんなちがって、みんなよかった”!

                                                                (2018.9.28記)

エッセイ172:ロールプレイングの目的は、進め方は…

 私が主宰しております学び塾(平成30年6月3日)では、塾生のロールプレイングを行ないました。
 後輩指導の一環として、「行動理論とは何か?」、「行動理論の意義は何か?」について、15分間を目途に講義することを課題としました。いのうえ塾、学び塾を通して、行動理論の意義と不易性を繰り返し取りあげております。それだけ重要な引き出しであることから、キチンと理論武装して説得可能のスキルを身につけるためです。ロールプイング実施を明らかにした第20回学び塾では、参考として私が考える最善のパターンを実演しました。
 何事もそうですが、ロールプレイングで演じること、つまり実施することが最終目的ではありません。どのような場合でも、その手法・手段を選択した理由があります。選んだ手法・手段のねらいが存在します。演じる立場の皆さんが、その理由やねらいを理解しているかどうかによって、事後の訓練成果に大きな違いが生じます。このことを、強く強く申しあげておきたいのです。私の知る限りでは、そこまで掘り下げた教育機会は少ないと思います。率直に申せば、ここ十数年間、出会った記憶が思い出せないのです。
 今回のエッセイでは、ロールプレイングについてまとめた最新の資料を紹介したいと思います。ロールプレイングを実施する時の教材として、是非ご活用頂きたいと存じます。

ロールプレイングの目的は、進め方は…

1.ロールプレイング(Role Playing)とは
 
 薬剤師と患者、或いは上司と部下、営業担当者と顧客というように、現実と同じような模擬場面を設定して、参加者が特定の役割を担って演技をする訓練手法のことです。
 これは、与えられた課題や想定される問題を『考える』とか『話し合う』ということだけではなく、一歩進んで自分なりに『解決策を考えて演じつくす』ことによって、問題解決のあり方や役割・立場の理解を、『身をもって体得する』という訓練手法です。役割演技法とも言われています。
 ロールプレイングは、ヤコブ・レヴィ・モレノが1923年に創案した心理劇から発展したグループセラピー(集団心理療法)です。元来、神経症や心身症などの治療を目指した技法でした。近年では、ビジネスマナーの基本動作や基本スキル、商談技術、服薬指導、対人関係やコミュニケーションスキルの訓練などに応用されています。

 *ヤコブ・レヴィ・モレノ(1889年~1974年:アメリカ人/精神医学者)
   ルーマニア生まれ。オーストリアのウイーン大学で医学、数学を学ぶ。
   アメリカに移った後も集団心理療法の研究を続けて、特に子供を対象とした集団療法を行った。

2.ロールプレイングのねらい

(1)『学んだこと(頭で理解した知識)』を演じてみて、実際に『出来ること(習慣化した技能)』につなげる。
      ※「百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず」
(2)演技者と観察者が、技術を学ぶための実際的教材とする。
      ※ Learning by Doing
(3)失敗体験を分析して、反省点を見つけ出す。
(4)傍目八目の眼を養う。
(5)自己変革への自発的動機付けを喚起する。


3.期待される訓練成果

(1)相手の考えや感情の動きを掴むことの難しさを知る。
(2)相手の話しや訴えを、全て聴き取ることの難しさが分かる。
(3)傾聴すること、共感することの重要性が認識できる。
(4)対話やその進め方によって、都度状況が変わって展開することが分かる。
(5)自分自身の言動の実態が分かり、克服課題が見えてくる。
(6)その場の状況に応じた自主的行動、個別的対応がとれるようになる。
(7)同じやり方で対処しても、相手によって受け容れ方が異なることが理解できる。
(8)共通に理解できる言葉を活用することの必要性が認識できる。
(9)共通認識を確認して共有化することの重要性が分かる。
(10)ボディランゲージの効果が体得できる。

    信頼と安心のコミュニケーションの難しさを意識するようになる

4.基本的な進め方

(1)目的や進め方(演技の基本ルール、演技時間)の説明
(2)役割、想定項目の提示
(3)観察者のフィードバックのやり方の説明
(4)演技者の決定、演技順番の決定
(5)演技者の事前準備
(6)役割の演技
    ・全員への想定項目、目標の説明
    ・全員の拍手で演技の本番スタート
    ・観察者はロールプレイングコメント用紙に気づいたことを記入
(7)演技の評価・分析とフィードバック
    ・観察者の感想
    ・フィードバック(VTR)とトレーナーの講評
    ・演技者自身の感想
(8)再演技

5.心構え

(1)明日の覚悟は覚悟ではない。“今この時”と覚悟して、本気で取り組む。
(2)本番は稽古のつもりで、稽古は本番のつもりで。
(3)“我以外皆我師也”の姿勢で。
(4)結果ではなく原因(プロセス)を気にせよ。
(5)“あがり防止の良薬なし”と心得よ。
     ①自信の持てるスキルを身につけるしかない(基本の修得)。
     ②目標必達魂を持つこと。
     ③万全の準備をすること(備えよ常に)。
    万全の準備をした上で、
     ④“失敗してもともと”と開き直る。
     ⑤次の人へのサンプルと割り切る。

                                                                 (2018.8.20記)

エッセイ171:会議の六悪を見つめ直してみました

 エッセイ166回では、私が考えた会議から得られる14の宝物を紹介しました。どのような問題でも、その原因や本質を掘り下げて追究すれば、それまで気づかなかった着眼点や宝物が見えてきます。コミュニケーション能力を高める基本が、Face to Faceの直接対話であることもその一つです。何らかの問題が発生した時、Face to Faceの直接対話こそが、問題と向き合うことの本質でありながら、避けてしまったことが原因で解決不能に陥ったことが何度かありました。そんな経験を重ねて、何事においても、キチンと向き合うことが、本質的解決、根本的解決のスタートラインなのだと確信できるようになったのです。そうは言いながら、状況によっては、避けて先送りしてしまうことが現実に存在しています。避けてしまう理由を否定はしません。ただ言えることは、Face to Faceの直接対話を当たり前の行動習慣にすることで、それ以降の景色が違ってくるということです。どんな行動を選択するかは、結局、その人の使命感や志などによって決まると思います。

 今回は、会議の実態やあり方を逆説的言い方で考えてみることにしました。その上で、“何故会議を開くのか”、“会議の本質的意義は何なのか”を見つめ直すきっかけとしてくれたら本望です。その見つめ直し行為は、働き方改革の本質的取組みの一つではないかと思えてきます。

会議の六悪を見つめ直してみました

 会議というのは、組織の課題や方向性について、報連相や議論を繰り返しながら意思決定する、Face to Faceの直接対話によるコミュニケーションの場です。また、問題と課題、理念やビジョンを相互共有する場でもあります。さらに、参加者一人ひとりの人間的側面の本質を観察できる、願ってもない数少ない機会ともなるのです。その会議のあり方について、無理解、無頓着、不勉強が目につきます。もっともっと、会議の基本的本質を理解して参画して欲しいと感じるのです。そんな会議の実態とあるべき姿を考えてみましょう。

 どなたが考えられたのかは不明ですが、ある時に会議の六悪なるものを知りました。“言い得て妙”と言いましょうか、うまい表現だと思います。ご存知の方も多いのではないでしょうか。

  会せず、会して議せず、議して決せず、
    決して行わず、行って責をとらず、途中離籍して帰って来ず

 約50年の仕事人生を振り返ってみると、それぞれの項目について、これでもかというほどの記憶が蘇ってきます。もう苦笑するしかありません。結果と原因の法則ではありませんが、その実態には原因があって、その先には原因の基になっている要因(原因の原因)が存在するのです。ここで問題にしている要因には、会社全体も含めた各組織やチームの集団性格も含まれます。
 以下、六悪についてコメントしてみましょう。
 先ずは「会せず」です。
こんなことがありました。予め発表された議題から、自分勝手な判断で欠席を決め込むことです。目の前の仕事が手一杯で、所属する組織にとって優先度の低い内容が議題の場合に見かけますね。会社全体の運営に関わる内容が議題ですから、全く無関係な議題ということはあり得ません。その会議に召集される理由と職責を明示して、キチンと理解させることをしなければいけません。それにしても、ある程度の経験を積めば、もっともらしい欠席理由を考えられるようになるでしょう。それで通用してしまう企業は、マネジメントレベルが未熟なのです。ガバナンスの問題になります。職制と職責を明確にした企業統治から始めなければならないでしょう。
 その様な会社では、連絡ミスが頻発します。ミスも様々ですが、一番手に負えないのが、出席該当者に連絡し忘れる(または、連絡しなかった)ケースです。連絡ミスの多い会社は、発生原因を突き止めて、二度と起きないようにする問題解決能力が欠けているのではないでしょうか。連絡担当者を責めるだけで、対症療法すら施されない例も見てきました。日常の指示・命令の仕方に問題があるのですが、そのことに気づいていないことが多いと実感しています。
 また、組織運営に必須となる主要会議が開かれない企業もあるようです。それでは、会社の方向性や方針・ルールなどが、社員間に浸透していきません。急速に拡大している新興企業では、特に注意を要する課題だと思います。企業不祥事発生の要因にもなるでしょう。
 二つ目の「会して議せず」について考えてみましょう。
 告知で済みそうな報告・連絡事項が主体で、ついでに“何か議題のある方は、……”で終了するカイギに出席したことがあります。月一回の定例行事のようですが、“会議って何?”という疑問が湧きました。“不思議で怪しい会議”と意味づけて、怪(かい)議と呼ぶことができそうです。事前準備もしていませんから、なかなか議論に発展しません。会議の趣旨に反しますから、壊(かい)議と揶揄して中止にすればいいのです。
 自分の仕事とは関係なさそうなので、ダンマリを決め込む貝(かい)議もあります。貝のように口を閉ざして不参画状態のことです。具体的な提案をすればお鉢が回ってくることから、総論賛成で当たり障りのない一般論に終始してしまうこともありそうですね。
 会議の主催者・運営者は、“会議のねらいや議題、事前準備事項を明示する”というように、基本事項をしっかりと押さえることから再出発しなければ活性化は不可能でしょう。
 次は「議して決せず」です。
 組織運営の基盤の一つは、課題達成、問題解決の方途を意思決定することです。ベストの意思決定を目指して、議論が深まるようなデータや情報、考えや対案を準備して臨むことが、出席者の当たり前の任務でなければいけません。最終決定するまで誠実に対話や議論を繰り返すことです。決定をタライ回しして先送りするような堂々巡りの回(かい)議であれば、時間の無駄使いになります。また、考えや意見をただ言わせるだけのガス抜きや、決定したと思われる議題を一部の者だけで平気で変えてしまう改(かい)議などは論外でしょう。再度申しあげます。マネジメントとは、意思決定することなのです。
 四つ目が「決して行わず」になります。
これは、会議で意思決定したことを、実行に移さないということです。決めたことを実行することは、ビジネスパーソンの当たり前の責務です。決して行わず病の組織は、アッという間にモラルが低下します。そして、業績は急降下するでしょう。
 ところで、年齢に比例して成長し続ける厄介者をご存知でしょうか。“言い訳”君です。“出来ない言い訳”、“進行を阻害する言い訳”が、まことしやかに通り過ぎていくのです。そんな言い訳を見抜けない経営幹部やリーダーは、即刻その職制を返上すべきでしょう。新たな課題にチェレンジすることを奨励し、進んで能力開発できるような環境を整えることが任務なのですから。
 五つ目は、「決して行わず」に関連する「行って責をとらず」です。
 行動した結果、目標未達成の場合があります。未達の理由を検証しないまま、部下や他律要因のせいにして責任をとらないのが、「行って責をとらず」です。そんな上司は、早晩会社の信用を失うでしょう。そんな社員が大手を振っている会社は、顧客から相手にされなくなります。
 最後は、「途中離席して帰って来ず」。
 これは、“緊急の用事が発生した”ということでの離席ではありません。会議のねらいや議題が曖昧であったり、「会して議せず、議して決せず」であったり、何時から始まって何時に終わるのかハッキリしないことが暗黙のルールの会議で見受けられます。準備不足や会議運営能力不足が原因の場合が多いようです。そのような会議であれば、本来開催する必要のない会議と判断せざるを得ません。途中離席する社員の本音は、“こんな会議不要”なのかもしれません。

 さて、今回取りあげました六悪が横行している会議なら、ぶっ壊してしまえばいいのです。正に、壊(かい)議にするのです。重要な経営資源の一つである時間の無駄になります。結局、会議改革に着手するのか、自主性に任せるのか、様子を探って先送りするのか、そこが分岐点になります。本気で取り組まないことには、働き方改革など掛け声だけで終わってしまいます。心地良い、やる気を醸し出してくれる快(かい)議、間違いや勘違いを正してくれる戒(かい)議にするために腐心し苦心するのが、経営幹部と会議主催部門の機能的役割だと思います。会議の本質的意義に鑑みて、自社の会議の実態を見つめ直してみたいと思います。
                                                                                        (2018.8.1記)

エッセイ170:コミュニケーションを難しくしている要因はこれだけある!

 身近な問題を解決する場合に、目の前にあるデータを駆使して問題発生の要因を分析します。それらのデータ活用の仕方を工夫すれば、様々な角度から分析できることが分かってきます。発想の転換とか、考え方の柔軟性というのは、そういうことの繰り返しから閃いてくるように思います。余談になりますが、日本地図を逆さまにして見る、或いは横にして観察すると、別の国のような錯覚をしたことがありました。いつも同じ方向から考えるのではなく、時には角度や視点を変えてみることで、思わぬ解決策が導かれることだって考えられるのです。
 そこで今回は、コミュニケーションを難しくしている要因をまとめ直してみたいと思います。難しくしているのは、結局、常に同じ見方・考え方をしていることがあげられそうです。その要因の多さに、もっと幅広い視点で原因を追求すれば、ジャストフィットの原因が容易に抽出できると思うのです。

コミュニケーションを難しくしている要因はこれだけある!

 かなり以前の研修でしたが、約100名の受講者に次のような質問をしたことがあります。
 Q「コミュニケーションを図ることは、簡単ですか?それとも難しいですか?」と。
 “簡単です”と挙手した方が3名、“難しいです”の方が約60数名、手を挙げなかった残りの方々はケースバイケースだったり、チョッピリ決断力が乏しかったり、全く無関心だったのか……。そんな結果になりました。このような質問をする時は、多くの場合、二者択一にしております。その理由は、三者択一(簡単/どちらでもない/難しい)にすると、“どちらでもない”や“普通”などの中間層が増えて、明確にならないことが多いからです。
 私は、補足説明を添えてこう返答しております。
 「私は“難しい”を大前提として対応しています。しかし、コミュニケーションがしっかり図れたケースを振り返ってみれば、その要点さえ押さえておけば“簡単です”に至ると実感することもあります。それは、コミュニケートする相手のニーズを想定して、コミュニケーションが成立するような進め方を事前に考えたり、資料や道具などを準備して作戦を立てて対処できた時です。相手のニーズや考えていることを把握すれば、思いのほか容易にコミュニケーションが成立すると思うのです。そう思いませんか」と。
 それは、「元来コミュニケーションを図ることは難しいことである、と常に意識することであり、対話の中で、相手のニーズやウォンツを把握することがキーポイントである」ということになってきます。改めて、コミュニケーションの定義を思い出してください。「コミュニケーションとは、何らかの手段で、あらゆる情報、または意思・感情の伝達、交換、共有化を行う活動」ということを。
勇気をもって“簡単です”と挙手した3名は、私が申しあげたことを、無意識に、ある時は意識的に実践している数少ない方々であろうと、ただただ尊敬しました。今まで、コミュニケーションを図ることに苦労した経験を、日常の生活で活かしていらっしゃると想像できます。

 さて、「常にコミュニケーションを図ることは難しいと意識すること」と述べましたが、難しくしている要因が必ずあるはずです。それが今回のテーマであり、頭を空っぽにして捻り出してみました。以下、コミュニケーションを難しくしている要因のオンパレードです。

 ①相手の関心やニーズを把握していない。
 ②日々の信頼関係:あの人は…(言行不一致。評論家。相手によって言うことが違う。裏切る。言いふらす。噂話をする。告げ口をする。考え方がよく分からない。…)
 ③固定観念や先入観:あの人なら…。あの事なら…。あそこの会社なら…
 ④(③と似ていますが)独断や偏見:あいつなら当然…。あの人なら言いそうなことだ。…
 ⑤知識の差:専門家と素人。ベテランと新人。大人と子供
 ⑥立場の違い:上司と部下。経営者と従業員。売り込む側と買う側。作る側と使う側
 ⑦錯覚:聞き違い。言い間違い。勘違い。思い違い。早とちり。憶測・推測
 ⑧コミュニケーションの限界:コミュニケーションロス。コミュニケーションギャップ
 ⑨コミュニケーションスキルの限界:傾聴姿勢と聴き取る能力。プレゼンテーション能力
 ⑩誤解される言葉:曖昧。抽象的。難解。不明確。不明瞭。専門用語。外国語
 ⑪人間には感情があり、その感情は一定ではない:反感。面白くない。嫌悪感。興奮。意気消沈
 ⑫自分本位:自分自身に都合のいいように聞く、解釈する、判断する。
 ⑬自己防衛本能:現状を失いたくない。自分を守りたい。都合の悪いことは耳を塞ぐ。
 ⑭姿勢や態度:服装(だらしない、TPOに合わない)。横柄な態度。無表情。相手を見ない。
一方的に話す。熱意が無い。傾聴姿勢の欠如。聞き取れない。
 ⑮TPOS:時間帯。場所。位置。状況。タイミング。コミュニケーションスタイル

 円滑なコミュニケーションを実現するためには、次のことを日々実行することだと思います。仕事・会議・ミーティング・商談・面談・研修会・発表会・講演会・日常会話などのコミュニケーションの場面で、上手くいった時も、失敗に終った時にも、自分事として、その原因(上手くいった原因、失敗した原因)分析をやることです。着眼点は、「コミュニケーションを難しくしている15の要因」で十分カバーできると思います。最初は時間がかかっても、慣れてくれば数分でできます。“謙虚に素直に看脚下”することを継続して積み重ねることで、目に見えて進歩すると思います。

 最後に、私が納得している名言を紹介しましょう。

「良好なコミュニケーションは、お互いの信頼感の中で成立する。お互いの安心感の中で生まれる」 

 信頼感とか安心感は、どうやったらお互いの心の中に芽生え、成長促進できるものでしょうか?
 それは、健全な人間観、仕事観を絶対的信念として持つこと、日々心を耕して小さな努力行動を積み重ねことだと思います。その努力が「三日坊主」で終ったとしても、また実行すれば良いのです。三日坊主を積み重ねるのです。考え方や行動の一貫性が、気がつけば信頼関係という宝物を授けてくれると信じています。
                                                                         (2018.7.25記)

エッセイ169:言葉の意味を理解し、発する言葉を吟味することが、心を磨くことになる‼!

 私たちは、相手がどなたであろうとも、言葉と表情、(伝わることの難しい)心遣い、そして行動を媒介としてコミュニケーションを図っています。その中でも、圧倒的な主たる手段は言葉になりましょうか。その言葉の意味の解釈いかんで、コミュニケーションの品質格差が生じてしまいます。ですから、コミュニケーションのあり方を追究していくと、“発した言葉の真意をどれだけ正しく理解してコミュニケートされているか!”という問題に行き着くのです。
 今回のエッセイは、言葉に関して感じているそのような問題を考えてみたいと思います。信頼と安心のコミュニケーション実現の阻害要因となることに気づいて頂きたいのです。私の見解ではありますが、かなり深刻なテーマだと思います。

言葉の意味を理解し、発する言葉を吟味することが、心を磨くことになる ‼

 アナウンサーの皆さん、コメンテーターとしてテレビなどのマス媒体に出演されている皆さん、“発する言葉の意味を理解してお使いでしょうか!”、“言葉の使い方を間違えていませんか!”…… 。そう断定できることに、時々出会います。フリップ、パネル、画面の誤字表記も時々あって、そうなってしまう要因を、担当されている方からお伺いしたいと思うことさえあります。皮肉っぽくて申し訳ありませんが、そのような傾向が気になって仕方がないのです。
 その一つが、何でもかんでも「号泣」を使う、アナウンサーやコメンテーターそしてゲスト出演者に対しての問題提起でした。号泣とは、“大声をあげて泣くこと”、“烈しく泣くこと”です。それなのに、ちょっと涙した程度にも号泣、もらい泣きにも号泣、泣き方の程度なんてお構い無しに全て号泣なのです。明らかに間違っているそのような使い方の連発を、苦々しく感じたこともありました。言葉のプロであるはずのアナウンサーが、情けなくなりました。“もっと言葉の意味を勉強してください。プロの自覚が足りないのではありませんか!”と。
 また食レポでの「絶品」のオンパレードにも、苦言を呈したくなります。有名といわれる料理や食べ物を紹介する番組が多いからでしょうか。都度発せられる言葉が絶品、同じ番組の中でも絶品の連呼が続きます。Aさんも、Bさん、Cさんも、絶品なのです。“ぜっ~ぴい~ん”という言い回しには、失笑してしまいました。絶品というのは、“極めて(この上なく、極限、はなはだ)すぐれた品物や作品”、“くらべるものがないほどすぐれた品物、作品”のことを指します。使われる頻度が高くなる言葉ではないように思います。世の中絶品だらけでは、何が絶品なのか怪しくなってしまいます。そもそも絶品という判断は、かなりの経験を積んで初めて分かるような類のものではないでしょうか。
 アナウンサーもコメンテーターも、発する言葉が命とも言える仕事だと思います。使うべき言葉を選んで発することが最低限の倫理観であるはずです。公共の電波を使って不特定多数の人を相手にする、非常に影響度の高い仕事なのです。間違った解釈をしても、それが正しいと誤解されてしまう危険性をはらんでいますし、間違ったまま流布してしまうことも考えられます。「号泣」、「絶品」が、その証しでしょう。間違いに気づいたら、“謝罪してお終い”で済まして良いはずがありません。最近の傾向は、そんな基本的自覚が薄らいでいますし、世間の規範をも侵食していると感じてしまいます。
 10年前あたりと現在を比較しても、その問題意識が好転しているとは思えません。昨年(2017年)は、国会でのある論戦で頻繁に登場した「忖度」が、ユーキャン新語・流行語年間大賞に決定しました。あまり使われることのなかった忖度は、あの問題によって時代劇の悪代官役として有名になったのです。忖度が頻繁に登場するようになって、“忖度の本来の意味は違うのではないか?”という疑問に駆られました。国語辞典を紐解けば、“他人の心の中をおしはかること”とあります。“何を望んでいるか考えること”、或いは“推察”、“慮(おもんぱか)る”と同義といえましょう。
 それまでの私は、顧客満足という理念を優先して仕事に取り組んできましたし、その考え方は今でも変わりません。現在勤務する会社の顧客は、通院中の患者さんやストレスを抱えた生活者になります。どれだけ顧客に寄り添ってサポートできるかが問われる仕事なのです。ですから、“顧客の心の中をお(推)しはか(量)って、苦しみや悩みは何なのか、どうして欲しいと感じているのか、何が必要なのかを考えること”を心がけて相手と向き合います。症状を緩和し、治癒の手助けをし、全快後の自立も視野に入れて、一人ひとりの思いやニーズを引き出して、個別に対応する仕事になります。だから、慮ることを問い質し、相手:自分=51>49を行動指針とするよう言い続けているのです。それが基本的な仕事のスタンスですから、忖度の意味を辞書で確認をしながら、何でマイナスイメージ的な使われ方がされているのか、大きな違和感を禁じ得ませんでした。それも、影響力の格段高い国会の場で……。ほとんど出番のなかった言葉が、本来の意味とはかけ離れた解釈となってアッという間に拡散してしまいました。
 再度声高に申しあげます。顧客の心中を推し量り、何を望んでいるのか、どうして欲しいのか…、を推察しながら対処するのが医療従事者の仕事です。ストレスの溜まる忖度を通じて心を砕き、対話を通してあれこれ考えて、最良の方途を意思決定する仕事なのです。忖度という言葉がどのように解釈されようとも、現場の医療従事者は使命を全うするために忖度することに変わりありません。その様な仕事が存在することにも思いを馳せて、言葉を選んで頂きたいと願っております。余談になりますが、国会の場では「忖度」という一言で済ませないで、思いの丈をそのまま表現された方が理解され易かったと思います。例えば、「国民には理解されない先回りした服従ではありませんか…」、「無言の圧力となって、そういう結果を導いたのではありませんか …」とか … 。
 影響力の高い司法・立法・行政に携わる皆さん、アナウンサーを始めとしたマスコミの皆さんは当然として、私たち一人ひとりがもっと言葉の勉強に励まなければいけませんね。使う言葉が適切なのか、問題意識を高めて検討する… 。もっとプライドと覚悟を持って、吟味して言葉を発する… 。撤回発言、訂正発言は見苦しいこと、と自覚して発言する… 。百歩譲って、撤回するなら潔く間違いを認めて、同じ間違いを繰り返したなら身を引く覚悟で臨む… 。さらに、年数回でいいから、自分の発した言葉を検証して“言葉を使う仕事をする資格があるのかどうか?”謙虚に振返る… 。そのようなことを、あれこれ思い巡らしています。その上で、自分自身の職責の影響度に鑑みて、それでもやり通す覚悟があるかどうか、年に一度の誕生日にでも確認する位の矜持で仕事に臨まれては…、と深く感じているのです。

 以上、私見を申しあげましたが、このような言葉遣いの問題は、相変わらず山積されているのが現状だと思います。それは、誰にでも起こりうる問題だからでしょう。意味が不確かな言葉、意味の分からない言葉は、必ず辞書や書物で調べることを、これからも私自身の行動指針にしてまいります。さらに、“生涯を通じて謙虚に学び続けるという誠実な姿勢をもち続けること。それは、人間に付与された他者への感謝の表現の一つである”という考え方を、心に刷り込んで対処してまいります。そして、謙虚に学ぶということは、“人の振り見て、我が振り直せ”であることが、もう一つの忘れてはいけない自戒の指針となりました。
 こうやってコミュニケーションのあり方を考え続けていくと、いつの間にか次のような見方へと深まっていきました。“使う言葉や言動が貧弱だと、考え方や姿勢もが貧弱になってしまう”という実感です。ですから、事あるごとに申しあげております。「言葉を磨こう、言葉の意味を理解しよう。言葉を磨けば、考え方が磨かれる。考え方を磨けば、心が磨かれる。心が耕される」と。
 皆さんは、どう思われますか。
                                                             (2018.7.16記)

エッセイ168:新人事制度導入や研究講座実施が、覚悟の根を丈夫にしてくれた

 ここ数年のエッセイの一番の眼目は、企業における人材育成、そして人事教育担当の育成にあります。その理由も含めまして、エッセイ118回「ようこそ(WELCOME)EDUCOの森へ」で申しあげております。その思いを意識しながら、私が教育担当として成長したと実感できる事例を振り返ってみたいと思います。前々回のE森で、“学ぶことの意味が分かってくるのは学んだ後のことで、それも学んだことが何らかの役に立ったと実感できた時に、理解し納得するのだと思います。そのようなことが一つひとつ積み重なってくると、視野が拡がる感覚、教養が身についていく感覚、人間性が深まる感覚が意識されるようになります”と呟きました。“今の私があるのは、あの体験や出来事が要因だった”と、明確に言い切れる事例を紹介したいと思います。

新人事評価制度導入や研究講座実施が、覚悟の根を丈夫にしてくれた

 人事教育担当の職域は、思いのほか範囲が広く多岐にわたっています。それが、30年以上も従事してきた私の見解です。守備範囲が広いからこそ、覚悟の度合いによって一つひとつの仕事の出来栄えが異なってきます。そういうことも含めて、仕事の難しさが理解できるようになりました。
 “覚悟することが必須要件”と強く意識して取り組んだのが、新人事評価制度の企画から導入・定着までのプロジェクトでした。それまで借りモノであった人事評価制度が、当然の帰結として仕事内容にそぐわないことが明らかになったからです。社員の将来に関わってくる制度であることから、“中途半端や妥協は、絶対に許されない”、“自主自立を貫こう”と、肚を括りました。評価のイロハから運用のあり方まで、自学自習に多くの時間を費やしたことは、これからも忘れないでしょう。勉強すればするほど、評価制度導入失敗事例の多くは、仕事のあり方の見直しに未着手であったこと、だから全ての職種の仕事遂行方法の見直しがポイントであることが分かってきました。そこで、仕事の進め方の基盤を「目標と自己統制によるマネジメント」とし、職種別能力要件の明示、半期3回の面談記録(被評定者、評定者がそれぞれ記入)の義務化など、骨格部分を明らかにしながら手探りでスタートしました。
 企画から導入まで2年間、導入後の制度定着のための啓発研修や拠点別個別フォローに3年間、さらに多面評価を目的とした人事委員会の設立など、かなりの時間とエネルギーを費やしたことになります。また、制度導入の経緯、制度の本質的理解、制度定着のための面談訓練など、社員教育機会の企画・運営も同時並行で進めました。社員の理解と納得こそが、新制度の定着には欠かせない一番の要素でしたから、些細なことであっても気を遣うことは忘れなかったですね。これらの取り組みは、全国展開のモデルケースとして高い評価を得ました。このプロジェクトは、東北地区教育責任者として参画した関係から、制度の理解、円滑な運用などの社員教育まで網羅したことが功を奏したと自負しております。教育担当に求められる能力要件の核となる幅広い視野の重要性、そして肚を括って覚悟することの必然性は、この時に根付き始めたのだと思います。

 次は、当時の教育担当の仕事に要する時間比率が一番高い教育機会のインストラクター育成を主眼として取り組んだ事例を紹介したいと思います。
 在籍していた日用雑貨トイレタリー企業グループでは、社員の教育ニーズの把握から教育機会の企画・運営、教材作成まで、自前で誂えることが基本方針でした。カスタマイズは当たり前という感覚です。平成年代に入って、会社創業100周年記念事業として宿泊可能の研修施設が新設され、マネジメントスクールとセールススクールが常時開講される運びとなりました。40名前後の教育担当者が関わったと記憶しておりますが、全体構成の企画に頭を悩ましながら、カリキュラム毎に一からの勉強をスタートさせました。販売部門のセールススクールでは、お取引先のコンサルティング機能強化のために、入社後3年間を義務教育期間と定め、新入社員導入研修、基礎コースⅠ・Ⅱ、実践コースⅠ・Ⅱ、アドバンストコースⅠ・Ⅱの7コースを、半期毎に受講する仕組みに落ち着いたと思います。殆どが5日間の合宿形式でしたから、自己啓発と相互啓発を兼ね備えた学び舎作りを心がけるなど、環境作りにも配慮しました。また、新任セールスマネジャー向けのマネジャー基礎(3日間)コース、人事評価面談のロールプレイング訓練を取り入れた部下育成実践(3日間)コースも企画して、現場で実施可能な研修作りにもチャレンジしたのです。
 私のインストラクターとしての実績は、新入社員導入研修、基礎コースⅠ・Ⅱ、実践コースⅠ・Ⅱ、マネジャー基礎コース、部下育成実践コースの全カリキュラムとなります。当時は、任務遂行に精一杯でしたから、大きなプレッシャーを感じながらも、ガムシャラに取り組みました。自信の無さは、“負けてなるものか”と言い聞かせて、乗り越える努力をしたと思います。今振り返って、その何年間かの仕事体験が地力を大幅にアップしてくれたことは間違いないでしょう。そして、覚悟の根を太く柔軟にして、地中深く掘り下げてくれたと実感しております教育風土という土壌作りの重要性も教えられました。
 各コースの最終日には、全受講者の研修所感とともにアンケートの提出がありました。アンケート項目には、各カリキュラムの理解度調査だけではなく、担当インストラクターの評価項目が複数箇所入っています。まさに(私の)通信簿ですね。
 セールススクールがスタートした当初、インストラクターによる能力格差が顕著だったことから、その差を埋めることにも着手しました。それは、教育担当のインストラクション能力開発公開研究講座(以下、研究講座)です。小学校時代に経験した公開研究授業を思い出してください。その研究授業と同じ目的で企画した取り組みです。
 研究講座は、ロールプレイングではありません。カリキュラム毎に、複数名(多い時で5名前後)の同僚が、オブザーバー(=インストラクション能力評価者)として本番に同席します。参加したカリキュラムについて、PDCAサイクルのCとAを徹底的に行うのです。何を観察するのかは各人に委ねられていましたが、私が用意していたチェック内容を紹介させて頂きます。
 “①時間配分を含めた進め方”、“②教材の使い方”、“③オリジナル教材の内容と使い方”、“④問いかけ方、考えの引き出し方”、“⑤話し方や表現の工夫”、“⑥言葉遣いの適切さ”、“⑦態度・姿勢を含めたインストラクションテクニックの習熟度”、“⑧例え話の適切度”、“⑨重要ポイントを押さえているかどうか”、“⑩まとめ方の適切度”、“⑪受講者の取り組み姿勢”、“⑫受講者への動機づけのあり方”、“⑬意欲の低い受講者への対処”などを中心に、気づいたこと、感じたことを、客観的な表現でメモしました。特に、“⑭狙いが伝わっているか?”、“⑮伝えるためにどのような工夫をしているか?”、“⑯重要な点と枝葉を区別して方向づけしているか?”など、本質的側面を注視しました。最終的には、担当インストラクターの実力をオープンに検証することになります。生半可な評価は許されません。この研究講座は、集中力を養ってくれたと思います。
 終了後は、徹底した反省会です。率直な批評は勿論ですが、オブザーバーの私が特に拘ったことがあります。先ず、“担当者自身の自己評価を訊くこと”と“自己評価の理由・根拠を聴くこと”です。もう一つは、問いかけ方や話し方を含めて、“私が疑問に感じた進め方に関しては、そのようにした意図や理由を聴くこと”でした。私が逆の立場であれば、“私の考えも聴いて欲しい”と感じることが多かったからだと思います。さらに“私ならこうする”という対案の提示を課して臨みました。いずれにしても、開始前の事前準備から終了後の原状復帰までの全てが、反省会のまな板に上げられます。最低でも2時間、翌日に持ち越すこともありました。
 この研究講座は、コースと各カリキュラムの狙いの達成であり、受講者満足の追求&追究であり、最終的には教育担当者のスキルアップが目的です。しかし、40名前後の同僚(北海道から九州まで)の反応は様々で、感情的になって明らかな拒否反応を顔に出す方もいたと思います。私自身も、幾度となくまな板の鯉になりました。その都度、数多くの課題を頂戴しましたが、プロと評価される教育担当が目標でしたから、落ち込み悩むことがあっても、向上心が衰えることはありませんでした。この体験が、真のプロへ導いてくれたと思います。転職を経験して、そう公言できるようになりました。教材や資料を説明することは誰にでもできます。社員の心に火を点けることができる人が、プロの教育担当なのです。覚悟の根の張り具合と行動量が決め手になると思います。 
 今回のエッセイは、“今でも仕事やプロボノ的活動を続けていられるのは、あの体験や出来事が要因だった”事例の一部を紹介しました。状況に応じた対応力・修正力が身についたのも、古希を過ぎてもニーズに即してカスタマイズできるのも、そのおかげだとつくづく実感しております。

                                                   (2018.7.1記)

エッセイ167:ロールプレイングの主目的は、後輩の自発的やる気に火を点ける訓練

 6月3日(日)に、私が主宰しております第21回学び塾を行ないました。前日から二日間、東北六魂祭の後継イベントである“東北絆まつり”が開催される中、会場の岩手県公会堂に面した中央通りでは、青森ねぶたや秋田竿灯などのパレードと演技があって、何か得した気分になりました。
 今回の学び塾には、新社会人として船出したばかりの新薬剤師2名が、オブザーバーとして参加してくれました。オープンキャンパスもどきでしょうか。現塾生が学び塾レポートで述べているように、いわゆる共通専門能力や考動(思考&行動)理論、そして考え方や生き方を学ぶ機会が少ないというのが実態です。少ないというより、皆無に近いようですね。初参加のお二人には、学び塾設立の趣旨と参画ルールに賛同してくれるのであれば、以降の受講を歓迎したいと考えております。そして、年齢差、経験差に関わりなく、これからも切磋琢磨しながら相互啓発し続けられる塾にしたいと思います。

 前回の学び塾から、部下を持つマネジャー(管理者)のためのマネジメント&リーダーシップ教室をスタートさせました。中堅薬剤師として、人材育成実践能力のスキル化を目的に企画したオリジナルカリキュラムです。スキル化とは、知っているだけというレベルではなく、説得力のある対話やプレゼンテーション、状況に応じた適切な指導が実践出来る能力を身につけることです。考え方や基礎知識は、教材を用意して講義と対話で進めますが、毎回ロールプレイング(以下、RP)やテーマ討論を研究講座として組み込んで、現状実態に近い環境で進めることにしております。今回は、その手始めとして行動理論のRPを行ないました。その意図することや感じたことを、率直に取りあげたいと思います。

ロールプレイングの主目的は、後輩の自発的やる気に火を点ける訓練

 人材育成の要諦は、“自発的やる気(心)に点火できるかどうか!”にかかってきます。さらに、誰彼の支援を仰ぐことなく、セルフモチベーションしながらセルフコントロール、セルフマネジメント出来る様にすることです。常にそのことを意識しながら、その時の状況に応じた個別対応が本質なのだと自覚しております。
 しかし、個別対応が本質と言われても、一人ひとりの自発的やる気に点火することは、「言うは易し行うは難し」で、頭では理解していても、そう簡単に事が運ばない大難題なのです。私自身の過去を振り返ってみても、「心に火を点けてやる気を引き出すこと」は容易なことではありませんでした。
 一方、大難題だからといって手を拱いて何もしないままでは、私自身そして学び塾の理念に反することになります。そこで、部下や後輩の心に火を点ける訓練の一環として、テーマを決めた研究講座を企画したのです。
 その1回目として、行動理論のレクチャーロールプレイングからスタートすることにしました。前回の学び塾では、私のやり方を一モデルとして実演してみました。“学ぶ”は、“真似る”或いは“倣う(ならう)”(手本として真似る)でもあります。そんな遊び心でチャレンジすることにも意味がありますし、何よりもチャレンジすることを楽しんで欲しいのです。
 今回は、後輩育成の理論武装の一環として、「行動理論とは何か?」、「何故行動理論を正すことが重要なのか?」、「行動理論の意義は何か?」の三点を中心に講義することが目標です。講義といっても、“正確さ、分かりやすさ、説得力”を評価基準とし、所要時間は15分間という時間制限もしました。3名の塾生が挑戦しましたが、新人薬剤師が参加したこともあって、格好の研究講座になったと思います。
 それ以外にも、私が意図するRPの目的があります。“知っている(知識)というレベルと出来る(技能)というレベルでは、雲泥の差があること”を、人材育成の大前提として意識させたいのです。前文でも申しあげましたが、知識を技能に昇華して、いつでも出来るような状態にしておくことを後押ししたいのです。その出来るレベルに進むためには、みんなの前で実演するという訓練を積み重ねることが、格好の教育手段なのだと思い続けております。“実演では、本気で自分で考えた言葉と表現でやりましょう”という激励が、私の口癖になりました。

 「心に火をつける」とは、“内発的やる気を引き出すこと”です。さらに、その火は実行動へと受け継がれなければ元の木阿弥となります。意識と行動をセットで変革に導いて、はじめて“火をつけた、引き出した”と言えましょう。そうするためには、説得力のある言葉を選び出し、その言葉の使い方や表現方法を吟味しながら、心に響く眼差しと雰囲気をもって、心の琴線に触れる話し方で、全力投球することだと思います。もう一つ忘れてはいけないことがあります。投げかけ続けること、問い質し続けることです。そう心に刻んで、私は対処するようにしております。

 さて、今回の塾生のRPが、私の目にどのように映ったのか、あれこれ呟いてみましょう。
 「瓢箪から駒(が出る)」という諺をご存知でしょうか。本来“酒を入れる器である瓢箪から馬が飛び出す”ということで、転じて“あり得ないことが起こる”、“思いがけないことが実現する”という意味で使われているようです。3名には失礼な例えになりますが、そんな感じを抱いた70分間の演技だったと思います。三者三様で、全く異なるアプローチが何よりも新鮮でした。どのような表現で締めくくるのか、なかなか想像できない展開でもありました。それぞれに苦心の跡が見られ、中には感心させられた工夫もあって、興味深く拝聴した次第です。過去30年間では、営業担当者の新規商談、マネジャーの目標管理面談、いくつものビジネスマナー関連のRPを行なってきました。今回は、テーマと対象者を決めて講義するという形式をとりました。初めての試みです。それぞれのRP内容の違いを目の当たりにして、新たな引き出しを発見した気がしております。しばらくは、この形式を続けたいと思います。
 一方で、実を申せば、私が思い描いていた目的や目標達成には程遠かったのです。何故そうであったのか、数日間かけて検証してみました。
 先ず、今回のRPの目的・目標が抽象的であったこと、さらに、目的・目標が共有化されないままに見切り発車したことがあげられます。“試行錯誤しながら解決していけばどうにかなる”という甘えが根底にあったのです。もう一つは、そもそもRPという手法の目的、メリット、注意事項などの基礎知識修得を怠ったことにあります。基本は修得済みという前提で実施したのです。
 これらの原因は、企画運営する側の進め方の問題になります。早速、それらの課題を克服する準備を始めました。今月を目途にRPの基礎知識をまとめあげて、次回の学び塾(10月21日)で共有化する予定でおります。知らないことは、出来ないし、やる気も起きません。やる気が起きれば、いろいろなことを知ろうとするし、上達も早くなります。また、出来ることは、やる気も起きるし、勉強するようになります。ここは、原点に返って、基本から積み上げてスキルアップしたいと思います。
 もう一点あげるとすれば、演技者がどれだけ準備したかの問題になります。後輩育成は重点任務という観点から、パーソナルインフルエンスのアップ策として今回のようなRPを続けたいと考えております。次回からは、ストーリーを文書化して公表し、その上で演技することを基本ルールにして進めたいと考えております。そして、“教うるは学ぶの半ばなり”の意味を考えて準備することを促したいと思います。
                                                                          (2018.6.21記)

エッセイ166:会議やグループ討議から得られる宝物

 私が考えて目指している人財育成像は、“自己啓発できる人財、内発的やる気を喚起し続ける人財”です。角度を変えてみれば、“問題意識を働かせて自問自答できる人財”と言い換えることもできそうです。考え方や行動に自信が持てなかった私の弱輩の時代には、周りの誰かに頼ることが多かったと思います。他力本願的な姿勢で、実体の持てない何かに頼っていました。目指す育成像に到達して一人前だとすれば、頼っているようでは一人前ではないということになります。やはり、二つのジリツ(自立&自律)がなければ、関所を通過することは叶いません。それが、私の見解であり実感なのです。自分自身で責任を取ることを覚悟した上で、セルフコントロール、セルフモチベーションしながら、自分で決めて、自分で行動するということを、一つひとつ、コツコツ積み重ねて一人前になるのだと思います。この二つのジリツ(自立&自律)について、別の視点で考えてみることにします。
 規模の大小を問わず、組織で仕事する、或いはチームで活動する場合、意思決定にしても、戦略・戦術の共有化にしても、メンバー同士のコミュニケーション機会のジリツが、活性化の鍵ではないかということです。そのコミュニケーションのあり方は、ICT技術の激変に伴って様変わりしています。ツールの多機能を駆使して、顔を合わせないで、迅速に情報交換することが可能になりました。今回のE森では、技術革新が進展し続けようとも、主要なコミュニケーション機会であることに変わりのないFace to Faceの会議、その会議におけるジリツについて考えたいと思います。研修や日々の仕事におけるFace to Faceのグループ討議や対話も含めております。

 本論に入る前に、“何故、グループ討議や対話も含めた会議の二つのジリツ(自立&自律)を取りあげたのか!”に触れておきましょう。
 限られた範囲ではありますが、薬学生との関わりや情報交換を通して、どうしても気になってしまう現実があるのです。10数年前は、ほんの小さな問題意識でした。しかし、その小さな問題意識が、6年前辺りからは急拡大し始めたのです。例えば、同好会やグループ活動の運営について、アドバイスを求められることがあります。思うように事が進んでいないから声をかけられるのでしょう。先ず、用件を聴くことから始めます。問題点を明らかにするためです。問題が抽出できたら、その問題の原因を探るために、いくつもの角度から客観的姿勢で聞き取りを行います。Q&Aの対話ですね。多くの場合“どうして、実行までそんなに時間を要するのだろうか?”、“どうして、意思決定まで至らないのだろうか?”という疑問に出会います。さらに、“メンバーが集まって、Face to Faceで報連相すれば解決するだろうに……”という結論が多いことに至るのです。
 何故、そうなってしまうのか?行き着いた想定要因の一つは、本質的な問題解決を避けていることにあると感じています。幹の議論を避けて、右往左往しているのです。他律要因を言い訳にして逃げているのです。結局、“直接会って、問題とキチンと向き合った議論をしていない”ことが、一番の要因なのです。そもそも信頼と安心のコミュニケーションは、Face to Faceの直接対話を繰り返して熟成されるものです。報告や連絡だけで済むことは別にして、SNSを通して解決できるほど簡単ではないことの方が多いのです。特に薬学生が卒後従事する比率の高い医療現場では、信頼と安心のコミュニケーションのあり方が問われます。専門知識を生かす土台は、信頼と安心のコミュニケーションなのです。現状のあり様を横目で眺めながら、コミュニケーション能力を鍛え直してくれる代表的機会の会議について、数回に分けて、いくつかの側面から考えてみたいと思い立ったのです。Face to Faceの会議でしか得られないものの多さに、是非気付いて頂きたいのです。

会議やグループ討議から得られる宝物

 今回の主旨からチョッピリ脱線しますが、私の考える会議出席者に必須の基本的心構えについて、最初に申しあげておきましょう。
 会議というのは、“顔を合わせて議論する場”のことです。政治の世界でよく使われる言い方ですが、“発議する場”であり“熟議をこらす場”のことです。会社などの組織には、明文化されているかどうかは別にして、いくつもの会議体が存在します。それぞれの会議では、その会議の目的に関わる議題が提案されます。出席者が議論に参加することは当然の責務ですが、提起された議題に対する意見、見解、論評は、その場にいれば自然と湧いてくるものではありません。テーマによっては湧いてくることもあるかもしれませんが、強い問題意識を働かせなければ、源泉かけ流しの温泉のような訳にはいかないと思います。私の場合はそうでしたし、今でも変わりありません。そんな私が、ある時気づいたのです。意見も見解も、自己責任意識で、自力で作るもの…、ということに。二つのジリツ(自立&自律)ですね。そうなるためには、「意見を言ってやろう」、「結果と理由・裏付けをセットにして、説得できる見解を発表しよう」と、参加が決まった段階から強く意識することだと思うようになりました。まさに心構えと行動をセットで正すことからスタートしたのです。それまでの私は、他人の考えに引っ張られる、決められないまま無言を貫くことが多かったと思います。だから分かるのですが、問題意識を集中させて意見を作り発しなければいけないのです。間違いや勘違いもありますが、発しない限りは間違いにも勘違いにも気付かないまま通り過ぎてしまいます。発することで、発言力のスキルアップが期待できるのです。
 前文で触れましたが、薬学生や若手薬剤師と共に学びながら、意見を作ることが苦手な方が多いと感じることがあります。早い段階からどうあるべきかに気づいて欲しいことから、私の見解を率直に申しあげることにしております。コミュニケーションツールや手段の急激な進展は、コミュニケーションのあり方にも大きく影響しています。また、薬剤師にとって喫緊の重要課題でもある地域包括ケアは、それまでの仕事のあり方の見直しが大前提なのです。垣根を越えた生活者視点の連携やコラボレーションなくして、実現不可能であることは明白です。私たちの仕事環境がいかに変わろうとも、信頼と安心のコミュニケーションの実現は、Face to Faceが基本であって、限られた少ない字数によるSNS対応では如何ともし難いと思います。それは、組織の重要なコミュニケーション機会である会議運営や他職種連携も同じではないでしょうか。会議から得られる効用、見えてくる着眼点を知ることで、Face to Faceの意義を感じて頂きたいと強く感じているのです。

 ここから、私が感じている会議やグループ討議から得られる宝物の紹介です。納得できるまでには、数年以上もの実体験が必要でしょう。しかし、実感できるようになれば、人間観や仕事観などの“○○観”を看脚下して見直すきっかけやヒントとなるでしょう。私の場合は、気づいて以降の生き方に影響を与えてくれたと思います。
 先ず、“参加者一人ひとりの考え方、行動理論、判断基準、行動姿勢、さらには人間観、仕事観、人生観などが分かる”ということです。また、何かがきっかけとなって“好み(食べ物、趣味、スポーツなど)を知る”ことも可能になります。人事評価などの人事関連、問題や不祥事に関する議題では、“人としてのあり方を考える機会”にもなります。“特定の人に対する好み(好き嫌い)が顔を出す”ことだってあります。一度や二度の会議では判断が難しいと思いますが、半年もすれば、“自分の考え方や行動理論に近い人は誰か、相違点の多い人は誰なのかが見えてくる”と思います。そういう意味では、“人を知る場であり、多様な情報を知る場”ではないでしょうか。さらに、“コミュニケーション能力を磨きあげる実戦的な機会”にもなります。“理解し易いプレゼンをする人、説得力のある人、訊き上手の人、傾聴力のある人など、参加者一人ひとりの個性を発見できる場”です。“積極的に発言する人、影響力のある人、状況に応じた対応力のある人が見える場”にもなります。議論が白熱して結論に至らない場合、“状況に応じてどのような話し方をしたらいいのか、どんな対応がベストなのかを学ぶ場”にもなり得ましょう。プレゼンテーションという意味では、“理解や共感へと導く言葉や言い回し、ボディランゲージを学ぶ”ことができますし、“NGの言葉遣いや態度・姿勢を学ぶ”ことも可能です。見方を変えると、“観察力を養う場”であり、“心を耕す格好の場”にもなるということでしょうか。
 以上のことは、アフターファイブのお付き合い、アルコールを媒介した飲み会にも通じると思います。下戸の私は酒席が苦手ですが、仕事場とは違った人としてのあり方を学ぶ場になりす。やってはいけないこと(=やられて嫌なこと)の多くは、会議よりもお酒の場で学びましたね。
 今回のE森は、Face to Faceの会話をもっともっと奨励することが目的となったようです。最近のSNS活用による誤解、勘違いなどのコミュニケーションギャップやコミュニケーションロスが気になります。特に、主語と述語、経過や理由などの省略は、ミスマッチの大きな要因だと思います。簡潔さは否定しませんが、正確さが最優先されるべきではないでしょうか。私の見解を叩き台として、コミュニケーション機会のあり方を再考することを期待しております。
                                                                 (2018.6.10記)

エッセイ165:学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後のお話だと思います。だから…

 今年は、本格的な新社会人教育に取り組んでおります。数年ぶりになりましょうか。
 思い起こせば、昭和63年(1986年)3月下旬からの2週間が、私の人生のエポックメイキングとなりました。新社会人教育の初心と初志は、それからの5年間に凝縮されています。以来、“倦まず弛まず試行錯誤し続けてきた”と、心密かに自負しております。その時の意気込みは、現在も進行中です。年相応に、気負うことなく、特に人材育成の本質を外さないことを気にかけて、体力減退による質の低下をカヴァーしたいと思います。そして、一年間は続く今年度の新入社員教育機会から、今まで気づかなかったあり方、もっと成果に結びつきそうなやり方を、貪欲に、しかし平常心で追究したいと考えています。
 平成30年の折り返し点が見えてきました。今年の強調テーマについて、この機会に見つめ直したいと思います。取組み課題に対して意味づけするのに、奇を衒った表現に拘る、或いは苦し紛れの理由付けで済ましたことがありました。それらは、勉強不足、未熟さの裏返しなのですが、そんな初心を素直に認められるようになりました。今回のエッセイでは、強調テーマの本質を、シンプルに、平易に、しかしキチンと表現しておきたいと思います。

学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後のお話しだと思います。だから…

 先ず、今年の強調テーマの復習です。

 人間どれだけ年を重ねても、自分の知らないことがイッパイあることを、しっかり自覚しておかなければいけませんネ。その上で、日々謙虚に真摯に学ばなければいけません。
 学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから…

 “学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから…”と言われても、若輩と言われる段階ではピンとこないと思います。未だに弱輩者と自認している私ですが、超弱輩であった30歳代辺りまでは「フ~ン、……」という感じでした。意識することなく、目の前を素通りさせていたのです。そんな私が「なるほど、そうだよネェ……」と明らかに意識するきっかけになったのは、堀切和雅さんの著書「三〇代が読んだ『わだつみ』」(1993年7月初版発行・築地書館)の“あとがき”の中の一文でした。もう40歳代後半になっていました。理屈抜きで、私自身の姿が恥ずかしくなりました。それ以来、謙虚な姿勢で学ぶための時間が格段に増えたと思います。どこか半強制的だった読書も、自主的姿勢で読み耽るようになりました。今流の言い方になりますが、学ぶことが楽しくなったのはこの時期なのです。
 いつ頃だったか定かでありませんが、“こんなこと勉強して何の役に立つの?”と強く感じながら過ごしていた時期がありました。仕事遂行に自信を持ち始めた辺りだと思います。“こんなことやっても無駄じゃないの!”と決めつけて参加した教育機会もありました。そんな時は、教育機会の内容とは無関係な目の前の課題に頭を巡らし、場合によっては、いわゆる内職をしたこともありました。最近問いかける頻度が多くなった“勉強の目的は何か?”、“何のために勉強するのか?”などの自問自答とは、全く無縁な時期でした。

 何年か前から、学ぶことの意味について、私の言い方も変わってきました。“学ぶことに無駄はありません”の後に、実感を込めて付け加えて語りかけております。“学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後なんだよね”と。この認識は、学んだことが何らかの役に立ったと実感できた時に、心の底から湧き上がるように理解し納得するのだと思います。そのようなことが一つひとつ積み重なってくると、視野が拡がる感覚、教養が身についていく感覚、人間性が深まる感覚が自覚できるようになりますさらに、謙虚、誠実、真摯などの心構えの必要性を後押ししてくれるのです。当たり前のことでしょうが、そんな本質にようやく気づいたことになります。だから、学ぶことが面白いのです。楽しいのです。苦にならないのです
                                                    (2018.5.31記)

エッセイ164:負けてなるものか!

 159回と前回(163回)のエッセイは、二つの“勧め”がテーマとなりました。“失敗や悔しい体験から学ぶことの勧め”と、“失敗からも悔しい体験からも逃げないで、乗り越えることの勧め”です。改めて読み返してみると、その基盤となる行動理論(心構え、思考習慣)など意識的側面の核心部分の掘り下げが不十分でした。問題意識が後退しない内に追究しておきたいと思います。

負けてなるものか!~ 仕事に対する誇りの証し

 20数年も前の人材育成関連月刊誌に掲載されていた記事を思い出しております。何かの競争で負けた時や目指す目標が未達成だった時、その後の行動パターンを大別すると三つのタイプがある、というような内容だったと思います。
 先ず、負けたり失敗した直後は非常に悔しがるけれども、しばらくしてコロッと忘れるのが、一つ目のタイプのようです。二つ目は、枯れ木がポキッと折れるように、プライドを失って負け犬状態になってしまうタイプです。もう一つは、その時は落ち着いた風を装っていても、“こんなことで負けてなるものか”、“この借りは必ず返す。見返してやる”と、目標必達魂を持ち続けるタイプだそうです。目標必達魂の持ち主は、ある意味“私自身を認めさせたい”という欲求が旺盛なタイプかもしれません。私が目指したのは、“目標必達魂を持ち続けるタイプ”でした。そのような境地に辿り着いたのは、平成年代初期の40歳代半ばを過ぎていたと思います。
 それからというもの、とにかく自己啓発に励みました。学ぶために、自己資金を投下しました。そして、懸命に励み続けて得たものが、仕事に対する誇りでした。さらに、失敗から学ぶ謙虚さ、目の前のこととキチンと向き合う誠実さ、継続して対処する粘り強さなど、それまでとは異なる行動をとり始めました。話し方、接し方にも、変化の兆しが表れたようです。その一つが、問いかけによるグルグル回りの対話です。どこかで教わった“応答は問いに依存する”を行動指針に、傾聴姿勢と質問技術を意識して磨きました。“あなたの考えが正答”と言い続けるようになりました。
 また、“失敗とは転ぶことではない。転んだまま起き上がらないことだ”、“今いるところの小さなことから始めなさい。そこで花を咲かせなさい”、“克己は人間がかちとる勝利の中で、最も偉大な勝利である”など、先人の至言や箴言を信じて歩み続けました。それらは、失敗の原因を他律要因に求めてしまう心の弱さを、少しはシャットアウトしてくれたと思います。
 人は誰でも、悩み事(その理由は十人十色)を抱えながら日々過ごしています。悩む理由にもよりますが、“悩んでいるなら、目の前のことを何か一つでもやりましょう”と言いたくなる時もありました。そんな時は、目的が曖昧でも、“とりあえず目の前のことをやってみるか”位の気持ちでやってみることです。“成功は小さな行動からスタートする”のですから… 。また、困った時の神頼みで、○○診断(適性、手相など)にすがりたくなることもありましょう。しかし、それで解決するほど世の中は甘くありません。結局、誠実な積み重ねこそが王道なのだと思います。肚を括って、「(小さな)積み重ねこそが力なり」、「継続こそが力なり」を貫くことです。5年もすれば、精神的タフさも身についてきます。71年間生きてつくづく感じています。
 もう一つ、常々申しあげていることを再復習したいと思います。
 仕事であれ、日常生活であれ、イザという時に備えて、日頃から万全の準備をして、目の前の日々の課題や出来事と向き合って対処することです。失敗から学ぶ、学習能力を磨く、準備万端整える、これらはリスクマネジメントと言われる範疇の定番でしょう。やること全てにおいて、意図を明らかにしてPDCAサイクルを回すことが基本ということです。“成功の道標は、成功するまで努力し続けること”という言い方を耳にしたことがあります。とすれば、“失敗の道標は、楽な道を選択して途中で投げ出すこと”になりましょうか。老婆心の繰り言にならないようにしなければいけませんね。
                                                                       (2018.5.16記)

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