> エッセイ&ニュース

ライン

ライン

記事一覧

エッセイ165:学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後のお話だと思います。だから…

 今年は、本格的な新社会人教育に取り組んでおります。数年ぶりになりましょうか。
 思い起こせば、昭和63年(1986年)3月下旬からの2週間が、私の人生のエポックメイキングとなりました。新社会人教育の初心と初志は、それからの5年間に凝縮されています。以来、“倦まず弛まず試行錯誤し続けてきた”と、心密かに自負しております。その時の意気込みは、現在も進行中です。年相応に、気負うことなく、特に人材育成の本質を外さないことを気にかけて、体力減退による質の低下をカヴァーしたいと思います。そして、一年間は続く今年度の新入社員教育機会から、今まで気づかなかったあり方、もっと成果に結びつきそうなやり方を、貪欲に、しかし平常心で追究したいと考えています。
 平成30年の折り返し点が見えてきました。今年の強調テーマについて、この機会に見つめ直したいと思います。取組み課題に対して意味づけするのに、奇を衒った表現に拘る、或いは苦し紛れの理由付けで済ましたことがありました。それらは、勉強不足、未熟さの裏返しなのですが、そんな初心を素直に認められるようになりました。今回のエッセイでは、強調テーマの本質を、シンプルに、平易に、しかしキチンと表現しておきたいと思います。

学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後のお話しだと思います。だから…

 先ず、今年の強調テーマの復習です。

 人間どれだけ年を重ねても、自分の知らないことがイッパイあることを、しっかり自覚しておかなければいけませんネ。その上で、日々謙虚に真摯に学ばなければいけません。
 学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから…

 “学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから…”と言われても、若輩と言われる段階ではピンとこないと思います。未だに弱輩者と自認している私ですが、超弱輩であった30歳代辺りまでは「フ~ン、……」という感じでした。意識することなく、目の前を素通りさせていたのです。そんな私が「なるほど、そうだよネェ……」と明らかに意識するきっかけになったのは、堀切和雅さんの著書「三〇代が読んだ『わだつみ』」(1993年7月初版発行・築地書館)の“あとがき”の中の一文でした。もう40歳代後半になっていました。理屈抜きで、私自身の姿が恥ずかしくなりました。それ以来、謙虚な姿勢で学ぶための時間が格段に増えたと思います。どこか半強制的だった読書も、自主的姿勢で読み耽るようになりました。今流の言い方になりますが、学ぶことが楽しくなったのはこの時期なのです。
 いつ頃だったか定かでありませんが、“こんなこと勉強して何の役に立つの?”と強く感じながら過ごしていた時期がありました。仕事遂行に自信を持ち始めた辺りだと思います。“こんなことやっても無駄じゃないの!”と決めつけて参加した教育機会もありました。そんな時は、教育機会の内容とは無関係な目の前の課題に頭を巡らし、場合によっては、いわゆる内職をしたこともありました。最近問いかける頻度が多くなった“勉強の目的は何か?”、“何のために勉強するのか?”などの自問自答とは、全く無縁な時期でした。

 何年か前から、学ぶことの意味について、私の言い方も変わってきました。“学ぶことに無駄はありません”の後に、実感を込めて付け加えて語りかけております。“学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後なんだよね”と。この認識は、学んだことが何らかの役に立ったと実感できた時に、心の底から湧き上がるように理解し納得するのだと思います。そのようなことが一つひとつ積み重なってくると、視野が拡がる感覚、教養が身についていく感覚、人間性が深まる感覚が自覚できるようになりますさらに、謙虚、誠実、真摯などの心構えの必要性を後押ししてくれるのです。当たり前のことでしょうが、そんな本質にようやく気づいたことになります。だから、学ぶことが面白いのです。楽しいのです。苦にならないのです
                                                    (2018.5.31記)

エッセイ164:負けてなるものか!

 159回と前回(163回)のエッセイは、二つの“勧め”がテーマとなりました。“失敗や悔しい体験から学ぶことの勧め”と、“失敗からも悔しい体験からも逃げないで、乗り越えることの勧め”です。改めて読み返してみると、その基盤となる行動理論(心構え、思考習慣)など意識的側面の核心部分の掘り下げが不十分でした。問題意識が後退しない内に追究しておきたいと思います。

負けてなるものか!~ 仕事に対する誇りの証し

 20数年も前の人材育成関連月刊誌に掲載されていた記事を思い出しております。何かの競争で負けた時や目指す目標が未達成だった時、その後の行動パターンを大別すると三つのタイプがある、というような内容だったと思います。
 先ず、負けたり失敗した直後は非常に悔しがるけれども、しばらくしてコロッと忘れるのが、一つ目のタイプのようです。二つ目は、枯れ木がポキッと折れるように、プライドを失って負け犬状態になってしまうタイプです。もう一つは、その時は落ち着いた風を装っていても、“こんなことで負けてなるものか”、“この借りは必ず返す。見返してやる”と、目標必達魂を持ち続けるタイプだそうです。目標必達魂の持ち主は、ある意味“私自身を認めさせたい”という欲求が旺盛なタイプかもしれません。私が目指したのは、“目標必達魂を持ち続けるタイプ”でした。そのような境地に辿り着いたのは、平成年代初期の40歳代半ばを過ぎていたと思います。
 それからというもの、とにかく自己啓発に励みました。学ぶために、自己資金を投下しました。そして、懸命に励み続けて得たものが、仕事に対する誇りでした。さらに、失敗から学ぶ謙虚さ、目の前のこととキチンと向き合う誠実さ、継続して対処する粘り強さなど、それまでとは異なる行動をとり始めました。話し方、接し方にも、変化の兆しが表れたようです。その一つが、問いかけによるグルグル回りの対話です。どこかで教わった“応答は問いに依存する”を行動指針に、傾聴姿勢と質問技術を意識して磨きました。“あなたの考えが正答”と言い続けるようになりました。
 また、“失敗とは転ぶことではない。転んだまま起き上がらないことだ”、“今いるところの小さなことから始めなさい。そこで花を咲かせなさい”、“克己は人間がかちとる勝利の中で、最も偉大な勝利である”など、先人の至言や箴言を信じて歩み続けました。それらは、失敗の原因を他律要因に求めてしまう心の弱さを、少しはシャットアウトしてくれたと思います。
 人は誰でも、悩み事(その理由は十人十色)を抱えながら日々過ごしています。悩む理由にもよりますが、“悩んでいるなら、目の前のことを何か一つでもやりましょう”と言いたくなる時もありました。そんな時は、目的が曖昧でも、“とりあえず目の前のことをやってみるか”位の気持ちでやってみることです。“成功は小さな行動からスタートする”のですから… 。また、困った時の神頼みで、○○診断(適性、手相など)にすがりたくなることもありましょう。しかし、それで解決するほど世の中は甘くありません。結局、誠実な積み重ねこそが王道なのだと思います。肚を括って、「(小さな)積み重ねこそが力なり」、「継続こそが力なり」を貫くことです。5年もすれば、精神的タフさも身についてきます。71年間生きてつくづく感じています。
 もう一つ、常々申しあげていることを再復習したいと思います。
 仕事であれ、日常生活であれ、イザという時に備えて、日頃から万全の準備をして、目の前の日々の課題や出来事と向き合って対処することです。失敗から学ぶ、学習能力を磨く、準備万端整える、これらはリスクマネジメントと言われる範疇の定番でしょう。やること全てにおいて、意図を明らかにしてPDCAサイクルを回すことが基本ということです。“成功の道標は、成功するまで努力し続けること”という言い方を耳にしたことがあります。とすれば、“失敗の道標は、楽な道を選択して途中で投げ出すこと”になりましょうか。老婆心の繰り言にならないようにしなければいけませんね。
                                                                       (2018.5.16記)

エッセイ163:失敗は“胆力強化の眠りの森”

 「見返り」という言葉があります。(ある行為に対して与えられる)報酬とか、あるいは保証という意味で考えてみたいと思います。
 周りを見渡せば、“これだけ頑張ったのに見返りが少ない”、“これっぽっちの見返りしかなかった”と不満を漏らし、“やる気が起きない”と陰口を叩く人がいます。口外しないまでも、心の中でそう呟いている人たちも含めると、ある一定の比率(それもかなりの高率)を維持しているように感じます。給料についても同じように不満を漏らす人がいます。
 ここで質問です。“給料は、会社が保証してくれるものでしょうか?”、“ 給料は、毎年アップすることが保証されているのでしょうか? ”と。あなたなら、どんな回答をされますか。
 私はこう考えます。所属企業の収入源となる製品やサービスを、これからも所属企業の顧客が選んでくれる保証が無ければ、社員に対する給料を保証することなど誰にもできないのではないでしょうか。顧客満足を追求し、顧客(広い意味ではステイク・ホルダー)から支持されなければ、会社の存続を維持することなどできないことは明らかです。ここはやはり、「給料は誰が支払うのか?」、「給料の源泉は何であるのか?」、「会社の収入、経費、利益の仕組みはどうなっているのか?」を、社員に対する基礎教育課程で明示するべきだと思います。コンプライアンス意識醸成の土台となる就業規定とともに、入社時にキチンと説明して理解させるべき重要テーマではないでしょうか。それは社員のためでもあるのです。春を迎える時期になれば、そんな思いが毎年のように過るのです。その実態を点検するのが、人事教育担当の優先度の高い任務の一つではないでしょうか。
 そんなことをフッと感じながら、今、頭の中にある問題意識を書き連ねたいと思います。

失敗は“胆力強化の眠りの森”

 “場数を踏む”という言い方があります。どのような場合に使われているのでしょうか。私自身は前向きで積極的なイメージを描いています。場数は経験の度数ですから、“場数を踏む”ことは、“多くの経験を積み重ねること”になります。行き着くところは、“積み重ねは力なり”、“継続は力なり”になりましょうか。目の前の課題から逃げないで、誠実に対処しなさいということです。課題の大小を問わず、時間を要することでもコツコツ努力を積み重ねると、気がつけば多様な能力が身についているのです。それらについては、エッセイでもE森においても、しつこい程に言い続けてきました。今回は、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
 場数と言っても、数は当然として、その内容にこそ成長の秘訣が潜んでいるとつくづく感じております。リスクテイクの精神(多くの可能性の中から一つに絞り込んで、実現のために集中して取り組むこと)で、時には難関にもチャレンジすることが、成長度を高めてくれるということです。難易度の高い関所にどれだけ挑戦したかによって、それ以降の生き方にも影響してきます。積極的なチャレンジ行動を積み重ねた結果得られるものが、“腹が据わってものに動じない気力”、いわゆる胆力ではないかと思えるのです。予期せぬ場面に接する可能性の高い医療従事者にとって、腹が据わってものに動じない気力は、その任務からして優先度の高い基礎能力だと実感しています。
 度胸や肝っ玉とも言い換えられるこの胆力は、一朝一夕で身につくものではありません。場数を踏むこと、つまりは目の前のこととキチンと向き合って、失敗を恐れないで果敢にチャレンジすることを積み重ねて育まれるのだと思います。それだけが胆力を身に付ける王道なのではないでしょうか。“失敗を恐れないで”と申しあげましたが、チャレンジ回数が多くなれば、失敗事例も積み重なってきます。しかし、それで足を止めては元の木阿弥、ここは楽観的な行動理論を貫くことです。例えば、「継続は力なり」、「一所懸命取り組んだ結果の失敗から教わったことが、いつの日にか、私の地力、底力として蓄積されていくのだ」というように…… 。
 失敗に関して、私はこのように考えています。
 失敗は“胆力強化の眠りの森”だということです。失敗をそのまま放っておけば、何事も躊躇したまま先送りする、臆病風に吹かれて諦めてしまう、現状維持で満足する、そんな症状が慢性化するでしょう。現状維持は後退を意味します。さらに、ほどほど意識が闊歩して鈍感さが支配し始めます。そんな病状は自力で追い払わなければ、先行きに明かりを点すことなどできません。眠りから覚醒させるためには、唯一PDCAサイクルを回すことです。“同じ轍を踏んでなるものか。同じ失敗の繰り返しは許さない”という目標必達魂で、失敗の原因を追求することしかありません。キチンと向き合って追求すれば、どう対処すれば失敗しないかが分かってきます。気がつけば新たな引き出しが増えているのです。それが地力・底力の蓄積であり、胆力強化を促してくれるのです。失敗から学ぶとは、そういうことだと思います。それにしても、失敗から学ぶということが、どれだけ行われているのでしょうか。私には置き去りにされているとしか思えません。このことに関しては、機会を改めて考えてみたいと思います。

 ここからは、場数を積み重ねることで得られる化学反応とその結晶(=成果、業績)について、私の体験を紹介したいと思います。
 それまで解決できなかったような難題にぶつかって、何とかしようと試行錯誤を繰り返す中で、それまで身につけたバラバラの知識が反応し合ったり、思わぬ形で結びついたりしながら、目の前の難題が解決したという体験に出会った時のことを思い出しております。その様な感覚を自覚できるようになったのは、40歳代半ばを過ぎた頃でした。それは、新たな知恵が結晶化されたような、何とも不可思議な感覚でした。そんなことが徐々に積み重なると、難題と感じる課題数が減ってくるのです。さらに、私に対する周囲の見る目が変わってきました。何かと相談されること、“教えてください”と懇願されることが多くなりました。
 そんな私ですが、40歳になっても、先行きを見極められるような眼力や知恵を持ち合わせていませんでした。とにかく、目の前の課題を解決することで精一杯だったのです。週休2日制導入が議論され始めた時代ですが、就労時間は1日14時間前後だったと思います。不本意ながら、そのような毎日を何年も続けました。しかし、ある時、思い描いた結果に到達する頻度が多くなっていることに気づいたのです。それが40歳代半ば過ぎだったと思います。それからは、私に何ができるのか、どのようなことで会社や社会に貢献できるのか、私は何をやりたいのか、そんなことが見えてくるようになりました。40何年間も続いた消極的な行動姿勢に、大きな変化が芽生えた時期でもありました。今にして思えば、そこからが私の新たな人生のスタートだったと思います。いつの間にか、「行き着いたのは“積み重ねは力なり”、“継続は力なり”」という表現を使うようになりました。時を同じくして出会ったのが、「人間は幾つになっても、自分の知らないことがあることぐらい、知っていなければいけませんね」という作家堀切和雅さんの著作のあとがきでした。そんな行動理論をプラットフォームとした生涯学習を心がけるようになりました。そして、今年の強調テーマのきっかけになったのです。
失敗から学ぶことは、自分自身の甘えとの闘いになります。克服は容易ではありません。しかし、乗り越えなければ、その場で安住するしかありません。結局は、一人ひとりの生き方の選択になります。エッセイで表明した生き方を、これからも地道に実践したいと思います。

「人間どれだけ年を重ねても、自分の知らないことがイッパイあることを、しっかり自覚しておかなければいけませんネ。その上で、日々謙虚に真摯に学ばなければいけません。学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから」

 そんな私の精神的支柱の一つが、最近知った山中教授(現・京都大学iPS細胞研究所所長)のプロフェッショナル論になります。
『自分が何も分かっていないということを分っていること。そして、それを乗り越えるように、ず~っと努力ができること。それがプロだと思っています』
                                                 (2018.5.1記)

エッセイ162:信頼と安心のコミュニケーション実現のための前提条件

 今まで呟いてきたエッセイで、コミュニケーションに関する問題とあり方、そして基礎的知識やスキル修得について、かなりの頻度で取りあげました。テーマ別で括ってみれば、その回数はベスト3に入ると思います。仕事では当然として、私的な日常生活においても、コミュニケーションという手段が意思疎通の重要なファクターなのです。コミュニケーションを抜きにして、信頼を土台とした人間関係は成り立ちませんね。そのような思いが根底にあるからこそ、コミュニケーション関連のテーマを意識して取りあげたのだと思います。
 技術革新の波は、旧来のコミュニケーション方法を飲み込んで、そのあり方の本質さえも変えようとしている気がします。しかし、簡単な言葉や画像のやり取りだけで成立するほど、信頼と安心のコミュニケーションは単純ではありません。仕事であれプライベートであれ、多くの人の手を経て課題が解決されるのです。時代がどのように変化しても、信頼と安心を支えるインフラ(土台)は、コミュニケーションの質と量であることに変わりはありません。
 そんなことを思いながら、久方ぶりにコミュニケーションのあり方に言及したくなりました。信頼と安心のコミュニケーションを実現するための土台は何か、どうやって能力を磨きあげたらいいのか、改めて考えてみたいと思います。

信頼と安心のコミュニケーション実現のための前提条件

 コミュニケーションというのは、自分の思いや感情を伝えて“はいお終い”というものではありません。コミュニケーションの真意を強調するために、Two‐way(双方向)コミュニケーションという言い方がされます。One‐wayであればプロパガンダです。Two‐wayでなければ、コミュニケーションとは言えないのです。
 コミュニケーションの語源的な意味は、“ある共通なものを他人と交換し合う”ことです。定義づけすれば「コミュニケーションとは、なんらかの手段で、あらゆる情報、或いは意思・感情の伝達、交換、共有化を行なう活動」ということになります。現実の仕事場面では、顧客の対応(打合せ、商談、説明、対話など多種多様)、窓口でのやり取り、組織内での報連相(報告、連絡、相談)、チーム活動、意思決定に向けてのディスカッション、会議での質疑応答、ICTを媒介とした対話など、かなりのウェイトでコミュニケーションが介在します。そこには、直接か間接かを問わず、必ず相対する人が存在しているのです。常に申しあげていることですが、日常の生活環境を鑑みれば、自分一人では生きていけません。ですから、異なる考えや意見が存在することを認めて、問題や課題を解決するために、知恵を出し合って集約しなければ立ち行かないのです。さらに、関わりのある皆さん方は、意思決定したことを遵守する義務を負うことになります。これらは、コミュニケーションという重要なプロセスを経て陽の目を見ることになります。元来、組織運営において蔑ろにできないのがコミュニケーションであることが明らかです。30年以上も前に企業内教育担当に従事してから、常にコミュニケーションの重要性を意識して現在に至っております。
 一方、言動を含めたコミュニケーションのあり方が気になる場面があります。何年か前からは、特に気になり始めました。マスコミに登場する頻度が高い(=非常に影響力の高い)有名な方々だけではなく、日常の身の回りにおいても感じることです。一昨年の東京都知事選挙、昨年の都議会議員選挙や衆議院議員選挙における候補者や関係者の発言には、何とも言いようのないコミュニケーション能力の稚拙さを感じました。私が気になった言動の一部を紹介したいと思います。

“初めて聞く難しい言葉、抽象的なスローガンで終始する”(影の声:何を言わんとしているのか、何をされたいのか、見えてきません。理解できません。…)
“他政党の批判を声高に訴える”(影の声:あなたの政党に何ができるのですか?そう仰るあなたの政党の足元は大丈夫でしょうか?何とも聞き苦しい。…)
“選挙公約の理由や根拠、財源などの説明があまりにも少ない”(影の声:それでは支持できません。本当に実現可能なのですか?それでは信用できません。…)
“質問に対して、曖昧な言い方で煙に巻いたり、はぐらかしてしまう”(影の声:質問に対して明確に回答して欲しい!正直に回答して欲しい!上から目線で、何か見下されているように感じます。有権者を甘く見ないで頂きたい。有権者を馬鹿にしていませんか!…)
“何年か前の発言と異なる考えを、顔色変えずに訴える”(影の声:恥ずかしくないのでしょうか?カメレオンみたいで、信頼できそうにありません。…)
“何年か前と同じ政策を、選挙の度に掲げる”(影の声:今まで何をされてきたのでしょうか。言行不一致ではありませんか?実現不可能ではありませんか!…)
“一方的に弁明して、一切質問を受け付けない”(影の声:何が○○ファーストだ!自分ファーストではありませんか!本心は聴く耳をお持ちではないんだ。…)
“苦し紛れの答弁、間違った答弁を平気で繰り返す”(影の声:口は禍の元。覆水盆に返らず。厚顔無恥。…)…… 。
 ほんの一例ですが、脱線しそうですから、これ位で止めておきましょう。

 学歴、職歴などの経歴に圧倒させられる方々ですから、知識も語彙も表現力も豊富なのでしょう。巧みな話術で堂々と話されます。言い訳表現も朝飯前なのでしょう。しかし、繰り返し拝聴すれば、その場しのぎの発言を平然とお話しされていることが、透けて見えることだってあります。数年前の発言を、顔色変えずにひっくり返す発言にも出会います。自分本位の言い訳、質問に対して回答をはぐらかす言い方は、真剣にコミュニケーションを図る姿勢とは程遠いですね。支離滅裂な言い訳に至っては、感受性や倫理観・人間観を疑ってしまいます。また、傾聴姿勢を感じさせない姿は、自信がないことを自己証明しているとしか思えません。
 結局、固有専門能力がいかに高くても、共通専門能力は低いのだと判断せざるを得ません。特にコミュニケーション基礎能力はお粗末で、一般社会の常識には疎く、健全な庶民感覚も持ち合わせていないように映ります。使命感の塊だと錯覚しそうになる方もいらっしゃいますが、選挙の時の渡り鳥風景に接すると、もう信頼感は地に落ちてしまいます。
 綺麗ごとだけでは務まらないのが政治の世界なのでしょう。そんな姿を見せつけられると、少しは理解できなくもありません。しかし、発言する前に、場所柄・相手の状況・使う言葉の一言一句・表情などを、キチンと整理し整頓してから言葉を発するのが、政治家の基本要件ではないでしょうか。一度立ち止まって、言って良いのかどうか考えてから、覚悟の上で発言するべきだと思います。そんな潔さの一滴を見せてください、と申しあげたくなります。選挙の時だけ笑顔を振りまき、低姿勢で両手を握り、時には涙を流して投票をお願いされても、客観的な眼で観察すれば、政治家=自分ファーストの権化に見えてきます。在宅医療・予防医療も含めた地域包括ケアには、○○ファーストという考えは適合しません。二年以上も前から、○○ファーストなんて表現は勘弁して欲しいと思うに至りました。政治家にとって言葉は命であるはずです。政治は言葉を手段とした営みとすれば、発した言葉に責任を持つことは当然として、発する言葉を吟味し、理解されるまで丁寧に対話することが重要な任務の一つではないでしょうか。批判、攻撃、その場しのぎと感じてしまう大言壮語、理解できそうもない横文字言葉(独語のaufhebenに至っては、呆れ果ててしまいました)が闊歩する主張や説明には、もううんざりです。
 そんな場面を睨みつけたとしても、参政権を放棄する訳には参りません。一人ひとりを評価する情報も非常に限られていますが、その範囲から難しい選択をするしかありません。そんな時の気分転換策として、私はこうしています。醜い自分ファーストを反面教師とすることです。“人のふり見て我がふり直せ”と、 私の言行を看脚下することにしています。自己啓発的振り返りを押し付け風に自己奨励しています。あれこれと紙面を割いてしまいましたが、これがコミュニケーションの実態なのです。
 それでは、どう対処したらいいのでしょうか。永遠の課題かもしれませんが、私が実践している小さなアクション例を紹介したいと思います。

 いのうえ塾で実施するコミュニケーション基礎講座に、“コミュニケーションの難しさ体験ゲーム”(以下、体験ゲーム)があります。その中で、声を大にして問いかけていることが、信頼と安心のコミュニケーションを実現するための前提条件(或いは、行動理論)を、どのように捉えるかという本質的側面についてです。私自身の数多くの苦い失敗体験からも、本質的側面をハッキリと申しあげたいのです。私が考えている当たり前の前提条件が、見過ごされていることが多いと感じているからでもあります。
 コミュニケーション能力を磨きあげる一番の前提条件は、コミュニケーションの定義に鑑みて『コミュニケーションの難しさを、常に意識すること』です。一週間の基礎講座においては、この行動理論をサブタイトルとして、切磋琢磨しながら学び合うことにしております。体験ゲーム(2~3時間)では、『共通に理解できる言葉を活用することの重要性、必要性を認識すること』、『共通認識を確認して共有化しておくことの重要性を理解すること』の二点を狙いの中心に据えた進め方を心がけております。これらの前提条件をどう位置付けるかによって、受講者の克服目標は大きく異なってきます。信頼と安心のコミュニケーション実現の重要なポイントなのです。
 何年もの間、薬学生や現役薬剤師との教育機会を通して、つくづく実感させられることがあります。信頼と安心のコミュニケーション実現のための前提条件をどのように捉え、それを意識した実践的教育が行なわれているのだろうか、という疑問です。開催することが目的の教育機会ほど、無駄で無益なものはありません。体験ゲームを始めとした基礎講座での受講者の実態から、そんな危機意識が常につきまとってしまうのです。コミュニケーションの根幹は、行き着くところが人としての揺るぎのない信頼関係ではないでしょうか。友好を伴った信頼に至るかどうかです。それは、発酵と同じで、時間をかけた熟成というプロセスが必要です。“コミュニケーションの難しさを、常に意識すること”の本質の一つは、『人間同士の信頼関係は、一朝一夕には得られない』ということなのだと思います。

 さて、“コミュニケーション能力を高める一番の方法は何か?”と問われて、私は何と答えるでしょうか。10年来、こう言い続けております。『多くの人と、積極的に対話すること』と。それも、意見の異なる人、気難しい人、聴き上手の人、口数の少ない人など、いろんなタイプの人と対話することです。コミュニケーションの定義、信頼と安心のコミュニケーション実現の前提条件(行動理論)を意識して、赤ちゃんも含めた老若男女と、笑顔で対話することです。自分:相手=49<51を思い起こし、心を啓いて対話することです。自発的な対話を続けるプロセスこそが、何にも増して身近で最良の能力開発手法ではないでしょうか。これが私の見解です。
                                                                         (2018.4.15記)

エッセイ161:箴言・提言・切言・善言、失言・暴言・放言、… 〇言いろいろ

 今回は9年前に呟いたエッセイのリメイク版となります。
 2009年の立春も過ぎた2月のある日、国語辞典と睨(にら)めっこしながら、「○言」という言葉を調べたことがありました。いつの間にか夢中になり、70語以上も確認できました。一つひとつの意味を書き出して比較すると、あることに気づいたのです。同義語として括ることができそうなのです。あってはならない○言、戒めなければならない○言、気をつけて発しなければならない○言、もっと発しなければならない○言、…… 様々な○言がありました。
 併せて、それら意味を意識しながら、私の人生を振り返ってみたことも思い出されます。赤面、青面、… 反省しなければならない○言が、記憶の中にしっかりと残っていました。その事実をキチンと認識しながら、人間同士のコミュニケーションの多くは、共通語である言葉を媒介として成立していることにも気づかされます。そんなことが少しでも理解できれば、言葉の使い方、口のきき方も、相手のことも考えてから発することができると思います。良好なコミュニケーション実現のあり方を考えるきっかけになったことは、思ってもみなかった収穫でした。

箴言・提言・切言・善言、失言・暴言・放言、… ○言いろいろ

 暴言・侮言・雑言・讒(ざん)言・誣(ぶ)言、これらは、絶対に慎まなければならない言動ですね。
 流言・造言・空言(そらごと)・虚言・戯言(たわごと)・妄言は、“根拠のないうわさ、デマ”とか“偽り、うその言葉”という意味になります。意味が似通っている兄弟言葉の数の多さから、人間の心の中が透けて見えてきます。狂言も同類項と言っていいでしょう。“偽り”に関する言葉が、こんなに数多く存在するのかと思うと、ゾッとします。これらも、慎まなければいけない言動になります。それまで築いた信頼関係が瓦礫と化してしまう言葉に、食言というのがあります。

 広言・高言・大言も巧言も、傍から観ればみっともなく、場合によっては耐えられなくなります。その人の品性そのものが現れてきそうです。
 それぞれの言葉の意味を調べてみると、無責任な発言となる放言や、うっかり発言の失言は、まだ可愛らしくみえてしまいますが、政治家や名を成した有名人がやってはいけません。本音は聞きたくないのが繰言・泣言ですが、聞いているだけで相手の心が晴れる場合もあるので、時間に余裕があれば奉仕の精神を発揮していることにもなりそうです。

 名言・金言・格言・箴言は、人生における方向性を示してくれる言葉です。私たちの心の必活お助け人の役目を果たしてくれます。教育担当にとっては、話材として活用させて頂く機会が多いこともあって、私の本棚には何冊かの名言・格言集が常備されています。

 20年近く前の転職を機に、心に決めた優先度の高い行動指針があります。それは、発言・宣言・公言・提言などです。。進言・諫(かん)言・直言も、状況に応じて率直に申しあげることにしました。苦言・痛言も厭わない覚悟でしたね。また、心を尽くした切言・忠言・助言も、同じ位置づけにして意識するようにしました。
仕事を誠実に遂行するに当たっては、確言・明言・極言・揚言はもとより、換言・詳言・約言・略言にも気を配るようになりました。場合によっては、断言・曲言・寸言を駆使するように心がけたと思います。当然、善言となるような言葉を考えながら選ぶことが、いかなる場合にも前提としなければなりません。
 一方で、甘言・贅(ぜい)言・妖言にならないよう、常に気をつけております。また、なかなか難しいのですが、売り言葉と買い言葉は封印するようにしています。感情的な対処法では、解決の糸口が途絶えかねませんから。

 それ以外にも、たくさんの○言に出会いました。
 国文法の概念としての体言・用言を初めとして、謹言・祝言・通言・方言、一言・千言・万言・俗言、不言・有言に付言・前言・後言・独り言、証言・代言・遺言、綸言、……… 。そうそう、予言というのもありました。その予言、狭義ではキリスト教の神のお告げをさし、預言とも言われているそうです。

 まだまだありそうな気もしますが、新たな○言に出会いましたら追加したいと思います。
 根をつめてまとめていたら、チョッピリお疲れモードになってきました。譫言(うわごと)にならぬよう、このあたりでペンを置くことにしましょう。

 そうそう、どなたが発せられたのか不明ですが、こんな箴言もありました。薬や病という言葉に敏感な私ですが、そんなこととは関係なく納得できる戒めの言葉です。

 「苦言は薬なり、甘言は病なり
                                                                    (2018.5.10記)

エッセイ160:WELCOME なかたシップへ


スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー

 平成31年4月入社の新卒新入社員を対象とした採用活動が本格化しております。その一環としてのインターンシップも、売り手市場が顕著になり始めた数年以上前から、全ての業種で過熱化しているように感じます。私が人材開発部長を務めます中田薬局(本店:岩手県釜石市)は、釜石市内に5店舗の小さな企業だからでしょうか、大学主催の就職セミナーでは、学生の皆さんになかなかお越し頂けないのが実情です。あれこれ手を尽くしているのですが、残念ながら成果に結びつきません。薬学生の採用業務に携わって20年近くになりますが、これだけ薬学生の心に入っていけなかったことはなかったと思います。これが厳しい現実なのでしょう。
 数年前から、採用のあり方を再構築してみました。薬剤師の卵である薬学生に対して、東日本大震災に関連する啓発活動とインターンシップを組み合わせて、小企業だからこそ実践できるやり方をオンリーワン的視点で企画することにしたのです。試行錯誤の結果「なかたシップ」(中田丸=中田城)と名付けて、こうありたいと思い描いている本質的インターンシップを立ち上げました。二年前のことです。採用活動は手段であって、これからの薬剤師のあり方を共に考える機会の提供を第一義として、薬局薬剤師の可能性の追究をメインにした中身にしております。
 今回のエッセイは、昨年度3回目のなかたシップを紹介したいと思います。

WELLCOME なかたシップへ

 一昨年4月にスタートさせました“なかたシップ”ですが、昨年度は3回ほど開催いたしました。在宅同行見学、特養老人ホームカンファレンス見学、他職種従事者の講義、参加学生の学事日程など、自社以外の複数箇所との調整が必要なことから、最終日程が確定するまで時間を要することになります。また、首都圏薬学生の参加が多いこともあって、被災地見学の時間確保にも頭を悩めることがありました。このような事情もあって、年間開催数は数回程度が限度になります。
 先ず、平成29年度3回目の「なかたシップ」の主なスケジュールを紹介しましょう。9月25日(月)~28日(水)の日程で、首都圏から同じキャンパスで学んでいる2名と弊社で実務実習中の薬学生1名(全員が5年生)に参加頂きました。

初 日:平成29年9月25日(月)
 ・被災地見学:釜石市鵜住居地区・両石地区、大槌町旧市街地・医療機関
 ・初日の振り返り
二日目:平成29年9月26日(火)
 ・オリエンテーション
 ・これからの薬剤師のあり方、調剤薬局の方向性を考える
  *東日本大震災の釜石方式、チームかまいしによる地域包括ケア、他職種連携の実際など
 ・実務担当者(薬剤師)による処方医との連携事例、介護施設との連携事例の紹介
 ・特別養護老人ホームでの全職種参加のカンファレンス見学
 ・介護福祉士&ケアマネジャーによる薬科介護連携事例研究、介護福祉士からの薬剤師への期待
 ・在宅看護師による薬剤師・看護師の連携事例研究、看護師からの薬剤師への期待
 ・二日目の振り返り、まとめ、レポート作成
 ・現役薬剤師との懇談会
三日目:平成29年9月27日(水)
 ・オリエンテーション
 ・介護施設見学
 ・患者様宅在宅医療同行見学(薬剤師2名に同行、全4患者様宅)
 ・三日間の振り返り、まとめ、質疑応答、レポート作成、感想発表

 患者様を始めとして、介護施設、特別養護老人ホームのご協力を賜りました。また、在宅医療に熱心な介護福祉士、看護師からは、貴重な体験談と薬剤師に対する期待や思いを拝聴できました。
 患者様宅同行(2名の薬剤師に同行、全4件)では、薬学生が描いていた以上の活動実態を目の当たりにして、薬局薬剤師のイメージが様変わりしたという実感を抱いたようです。感想の詳細については、機会を改めて取りあげたいと思います。
 二日目のオリエンテーションでは、将来を考えるための本質的着眼点について、問題提起を中心に私見を投げかけております。三日間のこの体験を、三期目の実務実習の中で活かしてくれることを強調しました。その講義録は、下記の通りです。その一部を紹介したいと思います。

 おはようございます。ようこそなかたシップへ!
 中田薬局が目指している今年度3回目のインターンシップに、今回は3名の皆さんにご参加頂きました。先ずは、お礼の言葉を申しあげたいと思います。誠に有難うございます。
 スタートにあたりまして、30分間のオリエンテーションを進めさせて頂きます。人材開発部の井上が進行役を務めます。宜しくお願い申しあげます。人事と人材育成が主な仕事です。  *簡単に自己紹介(OHP)
 このオリエンでは、なかたシップのねらい、スケジュールを中心に進めて参ります。最後に、皆さんの自己紹介もお願いしたいと考えております。
 先ず、わざわざ「なかたシップ」と命名した理由から紹介させてください。
 一にも二にも、現在のインターンシップのあり方に対する“大いなる不満”と“私達が思い描いている理想のインターンシップの実現”に尽きます。多くの会社の似たり寄ったりの内容、本質が見えてこない内容に対して、だから薬剤師の存在意義が認知されない、存在価値が上がらないというちょっとした憤りのような思いが出発点でした。
 そこで、「なかたシップ」(中田丸=中田城)と命名し、本質追究を旗印として掲げて、あるべきインターンシップを立ち上げた次第です。まだまだ未熟で、発展途上ですが、そんな思いを受け止めて臨んでくれたら嬉しく思います。
 その志を基にしたなかたシップのねらい(参加者向けの目的)を申しあげます。
 一つは、正に就職活動(就活)の本質を考えて頂くこと、つまり自分自身の将来を考えて頂くことです。就活というのは、企業研究や仕事研究も含みますが、一番重要なことは、「仕事の本質(何のために仕事をするのか)を考えて、その重さを覚悟すること」です。その上で、「どのような人間になりたいのか、どのような薬剤師を目指すのか、今持っている能力で意思決定すること」です。ここが大きなポイントです。これを疎かにした人の多くが、社会に出てから意味のない転職を繰り返すことになります。(キャリアアップの転職はOK)
 二つ目は、難しいテーマになりますが、これからの自分自身の生き方を深耕することです。あなた方のこれからの人生の本質を考えること、それも掘り下げて考えることです。何故このようなことを申しあげるのかというと、30才までには自分の居場所を特定して欲しいからです。“どこの場所で、何をライトワークとして社会貢献するのかを、30才までに決めなさい”ということです。時間が過ぎるのは速い。決められない人は、当てにされない薬剤師で終わって
しまう可能性が高いと思います。(私見)
 この二つのねらいを土台(プラットフォーム)として、なかたシップを企画しました。そして、これらのねらい実現のための内容が、事前配布いたしました“なかたシップ3スケジュール”になります。(内容説明:時間帯、予定カリキュラム、場所、担当など)
 毎日の振り返りでは、簡単なレポートをお願いする予定です。皆さんの声を参考にして、なかたシップをより意義のある形にレベルアップしたいのです。ご協力のほど、宜しくお願い申しあげます。それ以外の重要な着眼点は、その都度申しあげたいと思います。
 オリエンテーションの最後は、皆さんの自己紹介をお願いいたします。(氏名、大学名・所属講座・学年、出身地、なかたシップ参加理由、その他)有難うございました。

 なかたシップの運営には、時間・費用ともにかなりの負担が生じることも事実です。しかし、参加者の内発的やる気が明らかに高まること、それまで抱いていた薬局薬剤師のイメージが様変わりしたという感想を聴くにつけ、薬剤師の後輩育成という使命感を維持して継続開催する所存です。

                                                                       (2018.3.16記)

エッセイ159:怒りを鎮めて…焦らず腐らず日々努力~悔しい体験から逃げないこと


スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー

 私が持ち合わせていると自認する課題解決法は、時間がかかっても、諦めないで、コツコツ努力を積み上げることしか見当たりません。優先順位に沿って、目の前の問題・課題と向き合い、考えついた対処法を実践することが、私にできる唯一の手法なのです。結果がどうであれ、その結果を受け入れる覚悟を以って臨むようにしております。
 そこに至った理由が何であったのか? この際まとめておきたいと思います。
 私の場合は、自覚しているいくつかの悔しい出来事が原点でした。それしか考えられません。そんな出来事が積み重なって、気がつけば“こんな事で負けて良いの?‼ …… 負けてなるものか!”という前向きな姿勢に繋がるようになりました。私のモチベーションを高める要因の一つとなったのです。平成30年という節目に、その出来事を振り返ってみたいと思います。

怒りを鎮めて…焦らず腐らず日々努力~悔しい体験から逃げないこと

 5年近く前になります。一生忘れてはならない私の初心を、隠すことなく正直に呟きました。“私が未熟だった時の出来事を忘れるな”というのが初心の本意です。その時の心情は、居たたまれないほどの気持ちから逃げ出したい一心でした。本音は悔しさでいっぱいでした。昭和60年代から平成10年代前半までの期間は、私の初心の溜まり場でしたね。その後も、情けないほど悔しい体験を何度か味わいました。先ず、3年前のエッセイで紹介した実例に再登場して頂きましょう。
 全国規模の販売会社では、エリア毎の売上構成比率が、施策面での重点地区設定の優先度に影響してきます。マーケティング戦略と戦術は当然として、人事面、社員教育面などにも少なからず反映していたことでしょう。私が20数年間お世話になりましたハウスホールド・パーソナルケア・サニタリー製品(在籍当時の取扱商品カテゴリー)卸売業のK販売は、各県毎にその地域の問屋が中心となって単一メーカー製品専門の卸売業として設立されました。以降、全国シェア(市場占拠率)ナンバーワンを目標に、何度かの合併をくり返して全国を一括カバーする会社に成長しました。何年か前に社名を変えて現在に至っているようです。
 私が退職した17年ほど前には、全国9拠点体制で運営をしておりました。北海道、東北、東京(関東1都7県)、中部、近畿、中国、四国、九州の8支店と支店を統括する本店(東京)がありました。K販売の売上高は、いわゆる東阪名(東京、中部、近畿)の3大経済圏で70%を優に超えていたと記憶しております。日本全体の人口の7割弱(2010年国勢調査データ)ですから、当然の結果でしょう。
 私が在籍しておりました1992年(平成4年)当時の東北地区(青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島の6県)は、人口構成比が対全国比8%弱で、売上高構成比も7%ほどだったと思います。一方、エリア面積は日本全土の17%近くもありましたから、活動面での生産性向上には頭を悩ませました。そのような実態は、裏を返して考えてみれば、業務革新の宝庫だったと思います。しかし、歴史によって培われた暗黙の劣等意識が大きく勝っていました。それが生の姿でした。いずれにしても、売上高規模と売上高構成比率が、あらゆる面での序列順位となっており、それが当たり前という環境の中にありました。
 その会社では年2回程度の頻度で、全社あげてのベストプラクティス発表会がありました。半期間の創造的チャレンジ活動の成功事例発表会です。全国の中で注目される先進的なベストプラクティス事例が、毎回数テーマ発表されました。具体的には、消費者への購買促進策成功事例、コンサルティング的売場改善提案事例、効果的効率的な販売活動革新事例、事業所の仕事改善事例など、企業理念や基本方針の具現化が顕著であった活動実践事例です。取りあげられる事業所は、売上高構成比の7割を占める東阪名地区がメインでした。一方、影響度が低い地区(つまり、ABC分析による売上高構成比がBランク、Cランクの地区)の場合、頑張りが評価される度合いが低かったと思います。そのような状況下で怖かったのが、東北地区のようなB・Cランクの地区では“それで当り前、それが当り前”という意識が染み付いてしまうことでした。そのような現状に甘んじてしまい、常に五番手、六番手でオーライ、という負け犬根性に蝕まれてしまうことでした。それ以上に、そういう認識すら感じなくなってしまうことを恐れた時期もありました。
 卸売業であっても、当時の組織形態には、人事、総務、経理、教育、物流などの間接部門も地区毎に存在しておりました。私の配属先は、新設部門の教育部でした。新設部門ですから蓄積されたノウハウもありません。先ず、自分自身を一人前の教育担当にすることから始めなければなりません。それから数年間、全国の教育担当者育成のプロジェクト活動が頻繫に行なわれました。仕組み作り、教材作り、マニュアル作りと、真新しい白いキャンバスに新たなロードマップを描く活動です。不慣れな活動を未熟な能力で実践しながらのプロジェクトでしたから、今振り返ってみれば、よくやれたと思うほどの10年間でした。教育を始めとする間接部門においても、売上高構成比の高低による影響度が巾を利かせていたと思います。(本音では)生々しい実態を詳しく申しあげたいのですが、際限がありませんので話を先に進めましょう。
 売上高構成比の高い東阪名地区の活動には、目を見張る成功事例、取り入れるべき成功事例が、それなりに存在はしておりました。また、会社全体を背負っているという自負心、そして背負っているというプレッシャーを感じながらの活動には、素直にリスペクトしておりました。一方、何年かして全体が見えてくると、首をかしげたくなる活動、当地にはフィットしない活動も分かってきました。そんな事例を“参考にせよ。真似をしなさい”と押し付けられたことが、一再ならずあったように記憶しております。
 このようなこともありました。私が担当する人事教育部門において、明らかに素晴らしい成果に結びついた活動が看過されたことです。問題提起をしても、見向きもされずに無視されたこともあります。一方的に、業務連絡一本で報告書の提出を求められたことだってありました。事実と異なる実態を指摘されたり、訳もなく威張り散らされた出来事は、今でも反面教師として忘れることはありません。正直に申しあげますと、精神的にはかなり腐りました。腹の底から怒り、眠れないほどの悔しさから、任務を投げ出したくなったことも何度かありました。しかし、頭を冷やして考えれば、それでは何一つ産み出すことが出来ないばかりか、結局、私自身が負けたことになりますし、部下に対して顔向けができなくなります。そんな思いが数ヶ月続いたある時、一つの指針が私の眼に留まりました。それは、アオイクマの五ナイ精神でした。五頭のアオイクマたちは、私の内面に冷静さを呼び戻してくれました。「焦らない」「怒らない」「威張らない」「腐らない」「負けない」です。これらは、他人事精神を排除した自戒の心構えです。アオイクマに出会って数日後には、「こんなことで負けてたまるか!」に至ったのでした
 人は誰でも、自分自身の未熟さを置き忘れて冷静さを見失うことがあります。気がつけば、失敗の原因を対他要因に求める、感情が先に立って失言・失態を繰り返す、という見苦しい対処法をとることになります。「焦る」、「怒る」、「腐る」では、暗に負けを認めたことを意味します。ある時、こう決めました。悔しい体験から逃げないで、焦らず腐らず日々努力しよう。小さなサクセスストーリーを、一つひとつ積みあげよう。…… と。日々の小さな積み重ねが、私の人生の石垣を築いていくのだと思います
 地味な行いを重ねる毎に、そんな行動姿勢を自然体で実践できるようになりました。謙虚の二文字を心に刻んで、一生学ぶ人であり続けるようになりました。そうすることが、私の座右銘である誠実であることを、思い出させてくれたのでした。


   我、決して焦らず、腐らず、辛抱して平凡なことをやり続ける。
   我、不都合を人に押しつけない。相手の身になって、当り前のことをやり続ける。
   これ誠実なり。  (読み人知らず)

                                                      (2018.3.7記)

エッセイ158:もっと知りたい“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”その3(最終回)


スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー

 新入社員導入研修の最終日近くになって、ホームルームで必ずお話することがあります。言い続けて30年以上になります。それは、初めて頂戴したお給料の使い途についてです。
 言い始めた時と現在の言い方は異なりますが、その主旨は変わっていません。「今までお世話になった方々に、初給料で、それまでの感謝の意を表してみませんか?」という問いかけでスタートします。10年前までは、遠慮がちな奨励的内容でした。最近では、私の家族の実話、そして私がどう感じているのかの紹介にしております。私からの奨励というより、家族のあり方、仕事のあり方などを、社会人1年生の時に考えて頂く機会としてお話しております。後日その使い途を訊けば、30年前も現在も変化は無さそうです。肉親や恩人に対する「有難う」の心が、今でも廃れていないことに安心しています。
 今回は、「新・23の行動習慣」の最終回にしたいと思います。取りあげたかったのが、“美点凝視の習慣”と“健全な判断力(判断基準)を養う習慣”です。1年間で定着することが難しい習慣であることを承知の上で、しかし、この時期から強く意識し続けなければ身につかないことから、わざわざ仲間入りさせました。部下を持つようになるまでに、当たり前化しておきたい行動習慣だと考えております。

もっと知りたい“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”その3(最終回)

21.美点凝視の習慣
   
 美点凝視!?その意味は、読んで字の如しでしょう。ブラックリストを捨てて、人の長所・美点・善行に眼を向けよう、シッカリ観察して評価しよう、ということです。
 ヒトは、他人の短所・欠点そして不具合を容易に探すことができますね。事と次第によっては、自分自身と比較をして、悲しいかな一人ほくそ笑むこともありましょう。一方、長所・美点・善行は、意識していても、思いのほか気づくことが難しいのが実態ではないでしょうか。余談ですが、何故そうなってしまうのか、心理学的側面で学びたい気が起きています。
 皆さん、ここで一つチャレンジしてみませんか。あなたの同僚・後輩あるいは部下数名を選んで、“○○さんの長所・美点・善行と、短所・欠点・不具合な点”を書き出してください。いかに長所・美点・善行に眼を向けていなかったのか、明らかになるはずです。
 また、このような経験をされたことはありませんか。長所・美点・善行を言われた時と、短所・欠点・不具合を指摘された時を比較してみれば、前者の方が嬉しいですね。やる気も起きてきます。
 大切なことは、日常から、両面を、事実に基づいて、客観的に把握していることではないでしょうか。そのためには、努めて『美点凝視』を心がけたいのです。若い内に、美点凝視の習慣を身につけておくことではないでしょうか。実は、このことの大切さを、私に教えてくれた若者がいました。20歳も年が離れているTK販売時代の後輩です。彼は30才代半ばで亡くなりました。その経緯については、別の機会に譲りたいと思います。
 もう一つ触れておきたい着眼点があります。長所・美点・善行であれ、、短所・欠点・不具合であれ、本人に対してキチンと伝える努力を惜しまないことです。その場合、非常に大切なことは、そう評価した理由を必ず添えることでしょうか。何故なら、間違い勘違いが付きまとうことがあるからです。また、人によっては、“思いもしなかった”ということもあるかもしれません。コミュニケーションの問題になりますが、理解と共感・共鳴のための準備を用意して臨むことです。

 部下をお持ちの皆さんには、二宮尊徳の言葉をプレゼントしましょう。共感できる名言であり、金言だと思います。

   可愛くば、五つ教えて三つ誉め二つ叱って良き人とせよ

22.健全な判断力(判断基準)を養う習慣
   
 マネジャー(取締役、執行役員、支店長、部門責任者、部長、課長、係長、エリア責任者、薬局長、管理薬剤師など)となって部下を持ち、組織の責任者になった時、必ず身につけておかなければならない能力要件があります。“それは何か?”を申しあげる前に、マネジャーの任務に触れておきましょう。
 マネジャーの主要任務は、大きく三つあると思います。「業績・業務目標の継続達成」「組織活性化」「部下育成(人材育成)」です。この三つの任務を遂行する上で、絶対避けては通れない関所があります。それはデシジョンメイキング、意思決定ということです。“マネジメントとは、意思決定である”とも言われるくらいですから。この意思決定は、自分一人で判断しなければならないことも発生してきます。否、部門の最終責任はその部門のマネジャーが負うわけですから、マネジャーが判断しなければなりません。
 一方で、よ~く考えてみれば、この意思決定の問題は、部下の有無に関係ありませんね。日々の仕事、日常生活そのものが、一人ひとりの意思決定によって遂行されているのです。まさしく自己責任で行われるべき問題になります。そうなれば、意思決定の根拠となるものを、その都度用意することが必要となります。組織の場合は、上司という力学的立場で、上司の言うことを部下に言い聞かせることは可能でしょう。しかし、それでは不信感が募ってきて長続きしません。個人の場合は、根拠なしには評価のしようがありません。
 とどのつまりは、“常に判断基準が問われてくる”、ということになります。この判断基準を身につけるためには、様々な経験と試行錯誤、不断の勉強・学習が求められます。部下を持つようになってから勉強すれば事足りるほど甘くはありません。手遅れになってしまいます。だから、今の内に申しあげておきたいのです。“健全な判断力(判断基準)を養う習慣を意識しなさい”と。
 健全さとは、多くの人が納得できるものをいいます。その企業の顧客満足実現のために一所懸命努力している人が報われるもの、でなければなりません。当然、法に触れることは許されません。
 そのために、もう一言申しあげておきます。“健全な判断力(判断基準)の土台は、企業理念と行動理論(心構え)である”と。自然体で、当たり前に、患者満足・生活者満足・従業員満足・取引先満足を追究し続ける思考習慣、行動習慣を身につけたいのです。行動理論(心構え)を正す意識を持ち続けたいのです。

 もっと知りたい“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”のいくつかを、3回に分けて取りあげてみました。いかがでしたか?
 このような行動習慣のあり方、行動習慣内容そのものに対して、様々な考え方が存在しますね。ですから、私の見解にも賛否両論あるでしょう。何事においても重要なことは、戦略発想ではないでしょうか。シンプルに表現すれば、6W3HのWHAT‐WHY‐HOWのトライアングルだと思います。

                                                                (2018.2.19記)

エッセイ157:東日本大震災から教えられ教わったこと


スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー

 毎年2月半ばになれば、3月11日を意識するようになります。
東日本大震災発災から8年目に入りますね。どのような出来事でも、風化という現象がついてまわります。私自身がそうならないように、4年前にブルーレイディスクレコーダーを購入しました。新聞のテレビ欄をチェックしては、これはと思う番組を録画しております。東日本大震災を忘れないための番組録画が購入理由ですが、その他には、第2次世界大戦、その時々に起きたドキュメンタリー番組、ジャンルを問わずに気になる番組にも範囲を拡げております。
 また、私の力で実現可能な東日本大震災に関連する啓発活動も継続しております。学び塾は当然として、薬剤師の卵である薬学生を対象とした活動にも注力しています。いくつか実施している活動の中から一例紹介したいと思います。私が人材開発部長を務める中田薬局(本店:岩手県釜石市)のインターンシップです。名付けて「なかたシップ」。本来あるべきインターンシップの具現化を旗印として掲げ、こうありたいと思い描いているインターンシップを立ち上げました。そのねらいや実施録は機会を改めて取りあげるとして、今年度参加してくれた薬学生の参加理由には、“東日本大震災時の医療活動を知りたい”、“被災地を直に見学したい”、“復興状況を知りたい”という声があります。首都圏の参加薬学生からは、必ず被災地見学の要請があるのです。被災地見学と共に、かかりつけ薬剤師実現のヒントとなる事例をスケジュールに盛り込んでおります。
 今回のエッセイは、発災から7年間を振り返って、東日本大震災から私が教えられたと感じていることをまとめておきたいと思います。

東日本大震災から教えられ教わったこと

 年1、2回程度になりましょうか。450話近いつぶやきエッセイを、1話から順に読み返してみることがあります。斜め読みの場合もありますが、丸1日かけて熟読したこともありました。書き上げた時点では及第点であったものも、時を経て読み直して点検すれば、未熟さが露わになって恥ずかしくなります。当時よりも問題意識が高まっているテーマの場合、できる限り書き改めるようにしております。
 所々で、何らかの出来事が影響していると確信できる内容もあります。原因と結果の法則ではありませんが、“あの事態が、この呟きのきっかけになっていた”という具合に … 。もう一つは、私自身の直感と申しましょうか、それまでの仕事経験によって耕された感覚的な問題意識から発せられた内容もあります。
 “あの事態が…”という意味では、東日本大震災から教わったこと、気づかされたこと、さらに付随しているいくつもの諸事から教えられたことが、一番のインフルエンス(influence)であることは間違いないでしょう。エッセイ151回で触れておりますが、ある時期から“抑々論”をかなりの頻度で呟いていました。10年近く前から意識し始めたと自覚しておりますが、取り分け東日本大震災以降が顕著ですね。私の抑々論のポイントは、本質追究にあります。特にここ数年は、本質について言及する機会が半端なく増えているのです。

 最近になって感じたことですが、東日本大震災から教わったこと、或いは突き付けられたことは、「本質的側面をキチンと押さえて対処すること」だったのです。そうすることで、目的を見失うことなく活動の継続が可能になる、ということに尽きると思います。私は追究という言葉を多用するようになりました。追究することは、本質を明らかにすることです。そして、日々の学び一つひとつが、受身で教わることではなく、本質を自力で明らかにすることなのです。
 3年半ほど前には、今後の仕事(志事と表現)遂行上の重要な着眼点を、“本質を問い、本質に切り込み、本質を見定めること”、“本質を追求すること、追究すること”と、心に刻みました。それは、物事の本質を問い、本質を追求することが、相も変わらずマネジメントの隅に追いやられていると感じていたからです。それ以上に恐ろしいのは、本質追求という重要な着眼点の姿が消えてしまうことです。そうなれば、顧客満足、企業の社会的責任、持続可能性(サスティナビリティ)など、企業経営の根幹が欠落してしまうことになりかねません。
 また、発生している問題だけではなく、世の中の事象、組織や個人の考え方や行動のあり方にも、それぞれに本質というものが存在しているのだと思います。5W法(何故?、何故?、何故?、…何故を5回繰り返す )で問い詰めていけば、必ずや行き着くのが原因・要因であり、原点・出発点なのです。しかし、その本質が忘れ去られています。本質について言及したり、本質を追求&追究しあうことが少なくなっていることが気になって仕方ありません。
 私は71歳を過ぎました。何時まで仕事が続けられるか定かではありませんが、残りの私の現役期間は、その都度頂戴した仕事の本質追求を第一義として、そこから見えてくる課題を掘り起こしながら対処することにしております。会社組織だけではなく、学校、家庭、個人的つながりにおいても、同じスタンスで臨む所存です。難題ではありますが、その姿勢を貫いて進みたいと思います。東日本大震災から教えられたこと、教わったことは、「本質とは何か?」という自問自答を忘れてはならない、ということに尽きるのです
 そんなことを意識してから、私の問いかけ方にも変化が起きました。
「勉強の目的は何ですか?」、「就職活動の目的は何ですか?」、「企業内教育の目的は?」、「あなたの教育理念は何ですか?」、「御社の人材育成上の問題点は?課題は?」、「あなたの人生観は?仕事観、人間観は?」、「あなたの生きる目的は何ですか?どのような人間を目指していますか?」という問いかけが茶飯事になりました。これらはほんの一部ですが、WHAT-WHYの戦略思考的対話が進め方の主流になりました
 もう一つ、前提の捉え方も追究するようになりました。想定外という言い方に、疑問を感じることが多いからです。本当かな?って。不十分な備えや未熟な計画の言い逃れに使われるいる、と感じる時があります。また、“致し方なかった”で済まされて、思考停止で終わってしまうこともありました。
 3月11日を目前にして、これらの教わったことを思い返して、着実に歩を進めたいと思います。

                                                                 (2018. 2.10記)

【参考】東日本大震災関連のエッセイ、本質追究関連のエッセイの一例
   エッセイ第9回:東日本大震災を経験して、改めて問い質したい課題!(2011.4.7記)
   エッセイ第42回:被災した薬剤師道又君の醸しだす、仮設薬局での心のこもった空気(2013.4.15記)
   エッセイ第72回:本質を問い、本質に切り込み、本質を見定める(2014.7.17記)
   エッセイ第103回:薬局の未来は、薬剤師一人ひとりがつくる(2016.1.1記)
   エッセイ第104回:隠れた身近な被災地の声に、もっと耳を傾けよう(2015.10.26記)
   エッセイ第105回:もっとしっかり生きなければいけないんだけれども…。(2015.9.17記)
   エッセイ第112回:あの大震災から5年になります(2016.3.10記)
   エッセイ第147回:鳥瞰することで見えてくる本質(2017.8.20記)
                                                                    以上
                   

エッセイ156:もっと知りたい“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”その2


スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー

 私が企画運営する新卒新入社員導入研修(全日程15日間)の総まとめのカリキュラムは、『真のプロフェッションへの道』(約7時間)というタイトルです。
 その中に、「基本って、一体何ですか?」という問いかけのグループ討議を用意しております。「“基本とは何か”が分からなければ、基本修得は我流修得になってしまう可能性大なのです」という問題提起をしながら、問いかけに対する回答例の一つとして“入社1年間で定着させたい行動習慣”を、その理由も含めて方向づけしながら自分事として考えて頂くのです。
 対話が進むにつれて、少しずつ肯(うなず)きながら納得していく皆の表情から、こんなことを感じるようになります。それは、“人間は、方向性が見えてくると、自主的に行動する”ということです。その実態から、“研修こそ、その方向性のヒントやアイディアを、じっくり掘り下げて考えながら納得して見つけ出すことが可能な機会(チャンス)となる”ことが見えてきます。この実例から、心の中では研修に否定的な人材育成に関わる方々に、是非考えて頂きたいことがあります。研修に対する先入観や痛い失敗体験から離れて、研修の進め方を工夫して活性化することにチャレンジして欲しいのです。内発的自己動機付け効果を高めるノウハウを、試行錯誤を繰り返して掴んで頂きたいのです。難題ではありますが、是非乗り越えて欲しいのです。そうすることで、組織風土の革新という新芽が出てくると確信します。企業内教育担当のプロを目指すなら、そこまでの能力を身につけて欲しいとつくづく感じております。
 エッセイ156回は、前回の引き続きになります。もっと知りたい“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”の2回目です。

もっと知りたい“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”その2

 仕事の進め方の基本フォルム(型)は、何をおいてもPDCAサイクルです。どのような職種においても必須となる共通専門能力で、いつでも実践しているレベルに、早い段階で身につけておきたいことから、挨拶同様3項目リストアップしております。

5.日々目標を持つ習慣
6.目標達成のために6W3Hを動員した計画を立てる習慣
7.実
行したことを振り返って、次につながるチェックをする習慣

 PDCAサイクルをスパイラルアップし続けることで、仕事の質と量が上がっていきます。その場合、6W3H、報連相、成功確率の高い問題解決の基本手順の要点などを、常にお供に従えることが重要です。実行する段になったら、準備万端整えることをイの一番の指針と決めて、確実にやり通すことです。“成長という産物は、簡単には手に入らない”を大前提として、“倦まず弛まずコツコツと対処するべき”と、つくづく感じています。私が提唱しております「教育の基本理念(人財育成の着眼点)」には、PDCAサイクルの重要性を明記しております。

  ●理念5『私達の能力を発揮する場所は、仕事場である。最終的には、顧客との接点である現場や窓口、日常のオフィスとなる。
   そして、一人ひとりの仕事そのものが、最高の能力開発機会(チャンス)なのである。このことは、自分の手で課題を見つけだし、
   仮説を立てて、PDCAサイクルをスパイラル状に回すことを意味する』:仕事が教材

 薬剤師の場合、どのような職種にも必須となる共通専門能力に問題がありますね。未熟な方が多いと感じています。その代表が、PDCAサイクルと6W3Hであり、ビジネスマナーやコミュニケーション能力を含めた対人関係能力なのです。共通専門能力という土台が身についてこそ、専門能力が生きてくるのだと思います。

8.メモ用具を必携し、こまめにメモをとる習慣

 何故メモが大事なのでしょうか。
 誰彼を問わずに、何度も“メモをとれ!”と指摘されたことが、私がメモ魔を意識した出発点でした。小学生の時だったかもしれません。思い返せば、先生に言われたから、ただ従っただけでした。それ以来、メモをとることに何の疑問も感じる間もなく、小忠実(こまめ)にやり続ける当たり前の行動習慣になっていたのです。
その理由でもあるメモのメリットを意識するようになったのは、それから数十年後の30才代後半だったと思います。メモすることの重要性と理由について、チームリーダーとして問題提起する必要性を感じた時でした。それらの詳細は、エッセイ145回(2017.9.20掲載)をご覧ください。
 50才代までは、メモすることが目的に思えるほど、メモをとりまくっていました。その中身は、“教わった事、学んだ事”、“約束事”“感じた事”を中心に、“気づいた事”、“気になる事、気になった事”、“思いついた事”など、何でも有りの状態でした。場合によっては、“教わった事、学んだ事を、持ち帰ってどう活かすか”を、殴り書きしたメモもあります。書いた本人が判読できないほどの象形文字風メモも、あちこちに顔を出していました。最近では、一字一句漏らさずの様相から、その時々のニーズに応じて取捨選択しながら、要点を押さえてメモするようになりました。
 この機会に、成長したと思える私自身を検証してみました。
 人一倍メモをとるようになって、感受性や問題意識が明らかに高まったと思います。さらに、相手の立場を考える、一歩立ち止まって考えることが、当たり前の行動習慣になりました。それらの高まりや行動習慣は、何か変だと感じる嗅覚や皮膚感覚を研ぎ澄ましてくれたように感じています。科学的根拠は何もありませんが、そんな私の感覚を信じたいと思います。

9.約束事・約束時刻を厳守する習慣

 私が提案する「新・23の行動習慣」を、自然体で当たり前に実践しているレベルに達するまでに要する年月は、各項目によって異なるでしょう。また同じ項目でも、一人ひとり異なります。その問題はあるとしても、多くの項目は、キチンと修得してしまえば劣化することはないと思います。年数回程度のメンテナンスを怠らない限り、品質を維持し続けられます。しかし、項目によっては例外もあります。その一つが『約束事・約束時刻を厳守する習慣』というのが、私の経験則であり見解です。
 相手が誰であれ、“約束を守る”ということは、信頼関係樹立の基本中の基本と位置づけても過言ではありません。習慣というよりも、そうすることが当たり前というのが大前提ではないでしょうか。世の中における全ての関係性は、信頼という土俵の上で機能しています。ただ一度の10秒の遅刻が、以降の付き合い方に影響を及ぼすことだってあります。小さな約束事の不履行が、取引停止にまで発展したことも一再ならずみてきました。学生時代の苦い失敗から、約束時刻の15分前到着を行動指針としております。
 私の経験則になりますが、ちょっと気を抜くと綻び易いのが、この『約束事・約束時刻を厳守する習慣』です。友好的関係を築くことができたという気の緩みが、取り返しのつかない事態を招くことを何度か見てきました。信頼関係樹立のための一番の秘訣は、常に約束事・約束時刻を厳守することです。そのための秘訣は、段取りと早めの準備、そして克己心ではないでしょうか。この習慣は、一生持ち続けるべき行動指針になります。

 最後に、信頼という土俵に定住し続けるために、もう一言申しあげたい。実現は容易ではない、ということに尽きます。いくつもの要因があって、それらの要因を、何年もの間コツコツ積み重ねて、気がついたら土俵の上に定住させて頂いている、という代物なのです。自力で地道に築きあげてこそ、暗黙の信頼フラッグ(旗)が心地良くはためくのだと思います。
                                                                        (2018.1.16記)

ページ移動

to TOP

₢킹 vCoV[ TCg}bv

c