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エッセイ178:“WELCOME”、いのうえ塾へ

 エッセイ178回は、前回177回で取りあげました『“WELCOME(ようこそ)”、いのうえ塾へ』(改訂3版)を、全文紹介したいと思います。私が担当します教育機会(主に数日間以上の研修)のオリエンテーションで、私の考えている進め方とその理由をまとめたものです。所要時間は20分前後で、補足説明を都度入れながら、考え方の理解と共有化を意識しながら進めております。

“WELCOME”、いのうえ塾へ

 ようこそ、いのうえ塾へ。
 私と皆さんは、これから数時間、数日間にわたりまして、時間を共有することになります。この出会いを、私はこう呼んでおります。
 “これからの人生を前進させる可能性がある不思議な縁の出会い”と。
 そこで、前進の推進力になるであろう心構えをプレゼントします。

 当塾の研修、訓練では、一人ひとりが目的意識を持って、自ら考え、自ら判断し、自ら取り組み、自ら行動するというセルフマネジメント力を発揮して、自分自身の潜在意識・潜在能力を引き出してほしいと考えております。
 このセルフマネジメントというのは、人間誰もが持っている欲求である自己実現を促進し、質を高めて個の充実を図っていくという、人間尊重が基本の考え方です。
 そのような理由から、この塾では、“一方的に教える、教えられる”という方法は、極力排除していきます。つまり、皆さんがこの塾に入ったからには、テキストや講話の内容を、受身の姿勢で教わるのではなく、これからの自分自身の人生(人間としての側面、社会人として側面、企業人としての側面)を有意義で価値あるものにするための行動理論・行動姿勢やヒントを自力で発見して頂きたいのです。出来る限り多くの考え方、見方、そして知識を学んで頂きたいのです。
 そのために、「問いかけ」「グループ討議」「発表と質疑応答」「グループワーク」「ロールプレイング」など、自己啓発・相互啓発の機会を用意しております。毎日の研修所感作成、マナーの徹底も同じ理由からです。いかにして、できるだけ多くの気づきやヒントを皆さん方自身のものにできるか、そして気づいたことを直ぐに行動に移したかどうかが、重要なポイントになって参ります。
 もう一つ、心の底から“ニッコリ ハキハキ ハイ笑顔”で臨んでください。顔を合わせたその時から、塾を後にするまでの全ての時間を、笑顔を絶やすことなく過ごしてください。これも参画の絶対的条件とさせて頂きます。

 そこで私は、皆さん方が学びやすくするための進行役・黒子役として参画させて頂きます。この塾の主人公は、皆さん方一人ひとりなのです。皆さん方自身が自主的に学んで頂くことが、前進への大きな推進力になるのです。

                           塾長:井上 和裕(平成23年10月31日記)

エッセイ177:私の教育担当としての転換点の一つ

 72才の誕生日から、ひと月ほど経ちました。30年近くも前のことになりますが、私の連れ合いが手相鑑定士に占って頂きました。家族全員の将来あれこれに関してだったようです。私については、“健康状態のこと”、“何才迄仕事を続けているか”など訊ねたそうです。
 病気に関しては、“当たっていた”と言えましょうか。手術もしました。しかし、非常に大雑把な見立てでしたから、“当たるも八卦、当たらぬも八卦”的な結果だったと感じています。“仕事は72才迄続けている”との見解だったそうですが、72才を超えても楽しみながら励んでおります。
 占い結果を伝え聞いた時は、笑って聞き流す程度の反応だったと思います。連れ合いは“八卦は当たる”派に近いので、病気も仕事に関しても、“当たっている”と一人悦に入っております。いずれにしても、占い結果への根拠に曖昧さを感じていますから、鵜呑みにして信じる訳には参りません。元来、私の占いに対する基本的な評価は、“当たるも八卦、当たらぬも八卦”です。私流の表現で申しあげるとすれば“(可もなし不可もなし+いいとこ取り)÷3.14”でしょうか。意味不明、優柔不断と受け取られそうですが……。
 楽しみながら今でも続けている仕事の領域は、採用と社員教育(人材育成)になります。多くの会社の要請に、私の現有能力で対処できる唯一の職域だからです。そうでなければ、疾うの昔にリタイアしています。現在でも対処可能な職務遂行能力に行き着いた道程は、基本と試行錯誤の弛まざる積み重ね、もう一つは愚直なまでの自己啓発の継続であったと思い返しております。そんな30有余年の間に、プロ教育担当としてのあるべき考動指針(思考&行動指針)、それも不易の考動指針を確立できたのはいつ頃だったのか、何がきっかけでそこに至ったのか、最近になって明らかになりました。メモ記録が残っていて、数か月前に研修教材を整理していた時に出てきたのです。
 今回のエッセイは、“仕事遂行上の考動指針はこれで行こう”と決めたきかっけを取りあげてみたいと思います。

私の教育担当としての転換点の一つ

 ターニングポイントという表現を使いたくなる時があります。転換点、分岐点、分かれ目という意味の英語です。特に、“人生における重大な”という言葉をつけることが多いと思います。そうであれば、ターニングポイントは幾度となくあるものではないでしょう。
 私のビジネスパーソン人生で、一番長い年月携わってきたのが人事教育分野の仕事です。1986年(昭和61年)10月から現在進行形で続けていますから、もう32年にもなります。今でも問題意識を働かせながら、ある程度自信を持って対処できるようになったターニングポイントとなる出来事が、メモ記録として残っていたのです。
 社員数600名強の会社に新設された教育部責任者として、無我夢中の10年間を終えたあたりから、それまでの社員教育のあり方に大きな疑問を感じるようになりました。考える余裕が出てきたこと、人材育成に関する方針が変更になったことなど、いくつかの要因があったと思います。
 それから数年間は、とにかく自己啓発に励みました。一から勉強し直しました。仕事遂行上参考になると思える書籍を、手当たり次第探しまくり、繰り返し読み漁りました。教育図書から著名人の著書、そして実務書など、これはと思えば積読しておきました。それらの半分以上は、今の時代にはそぐわなくなったことから処分しました。今でも手許に残している書籍は、私の決意と覚悟の証しなのです。
 最終的に、“この考動指針で行こう”と決断したのは、1999年(平成11年)1月10日(日)のことでした。その日の午前9時から、NHK教育テレビ(現Eテレ)でETV40周年記念番組が生放送されました。「日本の学校・ここを変えて!21世紀に生かせ子供たちの声」という14時間番組です。多くの著名人による“私の教育論”の発表、いくつかのテーマ討論などを通して、これからの日本の教育のあり方を考える番組でした。17時50分頃から40分ほど、当時の有馬朗人(ありま あきと)文部大臣の対談がありました。どのような形式で進められたのか、もう忘れてしまいました。また、どこまで正確な記述であるか自信はありませんが、私の心に響いた文言を書き留めていたのです。有馬大臣の経験談が、教育担当としてのあり方・方向性は“これで行こう”、と後押ししてくれました。居ても立っても居られないほど、気持ちが高ぶったことを覚えています。正に、この日が私のターニングポイントとなったのです。以下、書き留めたメモの一部になります。

  私は大学で教壇に立っていたが、一時間の授業をやるのに二日間準備をした。
  そして、授業の前には、準備したものを見ながらルールプレイングをした。
  次に、見ないで板書してやってみて授業に臨んだ。
  しかし、教えっ放しだった。理解度を調べなかったのは失敗だった。
  理解度については、採点に影響しないテストや口頭試問をやると良い。
  授業の評価は、時々生徒にきいた方が良い。良く解ったのか、楽しかったのか。
  併せて、関心度合いもきいたら良い。

 また、同じ時期、どなたの考えか定かではありませんが、多大な影響を受けた着眼点があります。

  『答えは一つではない』というモノの見方をしっかり教えたい。
  見方は、その角度、方向によって異なる。
  その理由
について、お互いが出し合って考え合うことで気づかせたい。

 研修などのOffJTにおける基本的あり方が固まったことで、具体的指針や方途が湧き出してきました。“早期着手”、“3カ月前準備完了”、“実施要領書の用意”、“全講義内容の暗記”(= 教材を見ないで対話する)、“ホームルームでの対話による振返り復習と口頭試問”、“理解度テストの実施”、“毎日の研修所感作成”、“アンケート実施”、“MY新聞作成”などは、その当時の問題意識から辿り着いた産物になります。
 もう一つ、ある試みをスタートさせました。私が担当する教育機会(主に数日間以上の研修)のオリエンテーションで、私の考える進め方とその理由を表明することです。A4版1枚にまとめた『“WELCOME(ようこそ)”、いのうえ塾へ』(エッセイ23/2012年8月11日掲載)を使います。20分かけて、行間にも触れながら考え方の共有化を意識して進めております。平成14年から始めて、現在の『“WELCOME(ようこそ)”、いのうえ塾へ』は改訂3判になりました。

 “今あること(結果)の理由や経緯(原因)は何か!”が明らかになるまでには、それなりの時間を要するものです。糸口となるのが、その当時の経緯・推移が何らかの形で残されていることも、大きなポイントになるでしょう。教材の中からヒョッコリと顔を出してくれたメモ記録に、理屈抜きに感謝しております。さらに、あれだけ追究することに没頭したことを、心から懐かしんでおります。私にとりまして、あの時の努力と試行錯誤が、仕事推進上の精神的余裕の一因になっていることも確認できました。まだまだ、否、ますます現役でいようと思います。
                                                                 (2018.11.3記)

エッセイ176:会議の機能と会議活性化のチェックリスト

 今回は、エッセイ171回(会議の六悪を見つめ直してみました)の続編になります。
 会議活性化を目指して、20年前に作成したチェックシートをリメイクしてみました。会議のあり方やツールが様変わりしていることから、自己満足になりはしないか気にしながらの作業でした。目的は会議の六悪追放ですが、大切なことは、現状実態を客観的な眼で把握することから始めたいのです。その上で、原因を見つけ出し、それぞれの考える理想の会議活性化につなげて頂きたいと願っております。

会議の機能と会議活性化のためのチェックリスト

 会議には、いくつかの機能があります。
 会議は“意思決定”の場であり、“相互理解・共有化”の場です。これが基本だと思います。
さらに、意思決定のために必要な“情報提供・収集”、“報告・連絡・相談”、“調整”という機能が必要になってきます。会議の内容次第で、 “報告・連絡”、“情報提供”だけで事足りる場合もありますし、“情報収集”だけの場合もあるでしょう。当然、“質疑応答”は、どのようなケースでもついて回ります。議題によっては、“英知の結集(知恵を出し合う)”という様相を呈することもありましょう。
 会議の議題と求められる機能によって、出席者の人数とメンバーの選出、想定される所要時間が大きく異なります。定例的な会議であれば、それほど気を遣わなくて済みそうですが、緊急の議題やプロジェクト活動では、運営主催者の知恵の出し所、腕の見せ所となりましょう。円滑な議事進行のために準備万端整えることは当然として、出席者が事前に意見・対案を用意して臨めるように、会議の案内状を練りに練って作成し配信することも求められます。
 最近もそうですが、案内状で気になることがあります。ビジネス文書の基本から逸脱した不備な案内状を、しばしば見かけることです。基本的なビジネススキルが身についている人材(それも管理者クラス)が、残念ながら少ないように思います。そのようなことを感じながら、活性化した会議の実現を目指して、20年前のチェックリストを見直し再登場させてみました。参加者数の多少にかかわらず、Face to Faceの会議やミーティング活性化にお使い頂きましたら幸いです。

   (2018.9.5記)


          【会議・ミーティングのチェックリスト】
*「会議やミーティングの実態はどうなっていますか?」事実をシッカリChe~ck *

1. 会議の案内が、口頭や他の人から聞いただけで全員に伝えていないことがある
2. 事前連絡が無く、急遽呼び出されて出席するように言われることがある
3. 会議の予定や内容が、曖昧なことが何度かある
4. 会議の開催目的が不明なことがある
5. 欠席者が時々いる。その理由の一つが、連絡ミスだったりすることがある
6. 席次がいつも同じで、それも役職順。それが慣習のようになっている
7. 予定時間通りに始まらない、終わらないことが時々ある
8. いつ始まっていつ終了したのか、ハッキリしないことがある
9. 「徹底的に議論しよう」と言っておきながら、机の配置が議論になじまない学校形式で進めることがよくある
10. 掲示や回覧、或いはEメールで済むようなことが、時々取りあげられる
11. 「本音を聞かせて欲しい」と言わせるだけ言わせておいて、「上の方で検討させて頂く」「今、検討中」で、終わることがある
12. 説明や報告の時間が長すぎ、肝心なことを議論する時間が不足して、保留のまま散会することがある
13. 本質にはほど遠い枝葉の話や特定の人の余分な話が長かったりで、「もう、いい加減に勘弁してよ」と感じてしまうことがある
14. 会議に関係のない資料作りや資料研究を、平気で行っている人がいる
15. 電話や別件等で離席する人がいる。それに対して会議の主催責任者が注意すらしない
16. 提案もしないで、人の意見を批評するだけの人(評論家風)がいる
17. 積極的な提言をすると、その人にお鉢が回ってきそうになるので、意見をひかえる雰囲気がある
18. 前向きな議論だったのに、結局従来のやり方に落着くことがよくある
19. 始めから結論が決まっていて、会議の必要性がないと感じることがある
20. 議論が右往左往したまま終始する、或いは的外れの議論になることがある
21. プロジェクターやOHPで発表する時、照明を全て消して、真っ暗な中で説明をする傾向がある
22. 影響力の強い役職者の一言や、声の大きさで決まることがある
23. 議事の進行が行き詰まると、誰かに丸投げをして、責任だけ押付けて権限を与えないことがある
24. 意思決定できる判断材料が用意されているのに、結論を先送りしてしまう
25. 過去の議事録が無いので、以前議論したことが再度繰り返されることがある
26. 結論に至らなかった場合、次回までの課題が不明確なまま散会することがある

                                (2018.8.20改訂①)

エッセイ175:これからも、無知の知を認めて本質を探究し続ける

 明けましておめでとうございます。平成最後のお正月ですね。
 採用担当者つぶやきエッセイをスタート(2005年4月)してから、14回目のお正月を迎えたことになります。全エッセイの中身を比較することで、私自身の成長度合いが明らかになりそうですが、あまり気乗りがしません。自覚していることは、念には念を入れて、私の真意が少しでも正しく伝わるようにしていることです。5年前と比較しても、仕上がるまでに何倍もの時間をかけていると思います。それは、コミュニケーションの難しさの壁に跳ね返されていると感じることが、常にあるからです。書くことが目的ではありません。これからも当たり前の躾としてエッセイの土づくりを究めたいと思います。

これからも、無知の知を認めて本質を探究し続ける

 一年前のエッセイ152回は、「人間どれだけ年を重ねても、自分の知らないことがイッパイあることを、しっかり自覚しておかなければいけませんネ。その上で、日々謙虚に真摯に学ばなければいけません。学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから」で結びました。
 この思いは年を重ねるほどに増幅しています。ソクラテスの“無知の知”を私自身に言い聞かせて、日々の様々な出来事から学ぶ努力を続けております。さらに、学んで終わりにするのではなく、“本質は何か?”を掘り下げて考えることにも時間を割いています。
 そんな心がけと行動が、私の心だけではなく、私の日常生活を豊かにしてくれていると感じるようになりました。それまで気づかなかった感謝の瞬間、生きていてよかった思える瞬間や体験が、以前よりもずっと増えてきています。そのような瞬間が積み重なっていくほどに、私の心が耕されていると実感できるようになるのです。人生の豊かさといっても、一様に述べることは不可能でしょう。それぞれの置かれた環境や事情によって大きく異なるばかりではなく、毎日毎日、言い様のない出来事にだって出会うからです。しかし、如何ともし難いことに出会っても、その事実を否定しないで、その根源や本質は何かを考えるようになりました。日常の処し方は人それぞれ異なると思いますが、私の場合はそうするようになったのです。
 私がイメージしている“豊かな人生”というのは、生きていてよかったと思える(感じる)瞬間(体験)を積み重ねることであり、どれだけ積み重ねられたのか、ということなのです。医療の世界で使われるQOL(Quality of Life)の本質も、結局はそこに行き着くのだと思えてきます。新たな年を迎えて、そんなことに思いを巡らすお正月三が日になりました。

 昨年の今頃は、新卒新入社員教育のあり方を土台から見直すことを目標に決めました。それまでの進め方と教材を壊して、ゼロベースから編成し直すことにしたのです。新カリキュラムがスタートしてからは、独りよがりにならないように、受講者の反応をより客観的に観察し、何度も声に耳を傾けながら、点検評価を怠らないようにしました。この1年を省みれば、かなりの手応えを実感しております。さらに進化させることを、今年の優先度の高い目標にしました。
 いずれにしても、人材育成の仕事を通して私にできることは、生きていてよかった、チャレンジしてよかった、行動に移してよかった、…という機会を企画し提供することです。無知の知であることを問いかけ続けながら、自発的やる気をスパイラルアップし、考えては行動し続ける仕事環境を誂えることです。併せて、私にとって身近な方々の人生が豊かになると考えたことは、積極的に取りあげていこうと思います。“倦まず弛まず日々努力”で、小さな行動例を積み重ねる所存です。

                                   (2019年1月3日記)

エッセイ174:質問と意見具申の当たり前の基本

 スポーツ競技終了後のインタビューのやり取りは、何らかの問題意識を働かせて観察すれば、問いかけ方の勉強になります。インタビュアーのあり方(文言、質問順、話す速度、言い回し、間の取り方など)によって、返ってくる回答に違いが出てくると感じることがあるからです。この気づきは、対話のノウハウを学ぶ実際的教材となることを教えてくれました。
 このインタビューというのは、インタビュアーの総合力が試される実戦場になります。いかに選手やスタッフの本心を的確に引き出すのか、行き着くところはその一点に尽きると思います。“一番聴いて欲しいことは何か”、“一番訴えたいことは何か”…、選手一人ひとり個性があり、そこに至るプロセスも一人ひとり異なるでしょうから、よく耳にする紋切型の文言と声色では、個性を引き出すことは難しいでしょう。核心を引き出すためには、どのような言葉を動員して、どのような表現と言い回しで応答の対話をスパイラルアップできるかにかかってきます。インタビューの目的達成のために、どれだけの準備をしたかで決まってしまいそうです。インタビューする選手のそれまでの人生のプロセス(出来事、心情など)をどれだけ調べ上げたか、節目節目で関わりをもった支援者からどのような秘話を聴き出したか、周辺情報や関連情報をどれだけ集められたのかなど、引き出しの量と質が分岐点になるでしょう。さらに、それまで培ってきたお互いのリレーションシップの密度も影響してくると想像できます。
 グルグル回りの応答の対話を志向する私にとって、インタビューにおける問いかけ方とボディランゲージも含めた問いかけ姿勢が、大いに参考となるのです。やはり、応答は問いに依存します問いかけ方で決まります。そんなことを考えながら、今回のエッセイでは、質問や意見をする時の基本原則について考えてみたいと思います。

質問と意見具申の当たり前の基本原則

 仕事経験を積み重ねて基本が身についたら、それまでと同じように、言われたことをそのまま指示通りにやって満足していては、進歩の道へは辿り着かないでしょう。その時々の置かれている立場や状況を見極めて、会社や組織の方針実現のために、積極的に自分自身の仕事の質を高めていかなければなりません。
 積極的に質を高めるための身近な方途の一つに、“質問する”、“意見や対案の具申”があります。上司や先輩を含めた周囲の皆さんも、メンバー一人ひとりが考えたことや感じたことを、積極的に発言してくれることを望んでいます。若いフレッシュな方々の新しいモノの見方や考え方は、マンネリを打破するための刺激として大歓迎されるのです。
 そのような場合、具申した意見や対案が円滑に受け入れられるために、留意しておきたい基本原則があります。これらの基本は、正にコミュニケーション能力をブラッシュアップするための土台(プラットフォーム)であり、有効な着眼点でもあります。

基本1:そこに思い至った理由をつけて質問する、意見する

 最近、思いのほか多いと感じることがあります。それは、質問と応答のミスマッチです。傍目八目的見解になりますが、“何故その質問をするのか?”という質問理由を添えれば、ミスマッチの多くを防ぐことができると思います。一方、明らかなミスマッチの場合、回答者も逆質問した方が良いのではないか、と感じることもあります。何故かといえば、質問には必ず理由があるからです。質問者が質問理由を簡潔に添えることで、核心に迫った応答の対話が実現すると思います。
 このことは意見をする場合も同様です。理由のない意見は、単なる思いつきでしかありません。思いつきでは、うまく事が運ばないでしょう。また、間違いや勘違いだって起こり得ます。人には感情がありますから、こじれてしまえば先へは進まなくなるでしょう。ですから、“何故そう考えたのか”という理由をまとめて、意見と一緒に示すということが大切です。6W3HのWHYに相当する思い至った理由は、最高の説得力となるのですから。

基本2:自己責任意識で発言する

 他人事という言い方をする時があります。裏を返せば、無責任ということになりましょうか。
 “自分の考えだけを言って後の判断は相手に任せる”といった態度、“○○さんの考えと同じです”と自分以外の意見を伝聞調で発言する、……。このような主体性を欠いた評論家的意見は、見透かされて歓迎されませんね。気がつけば影響力が急降下しているでしょう。
 やはり、正面から向き合って、自分自身の問題として自己責任意識で発言することが大切になります。向き合って責任を持つということは、“何故そう考えたのか(WHY)”、“何を(WHAT)、どのように対処(HOW)した方がいいと考えたのか”という自分の意志と対案を明確にして発言することです。

基本3:建設的で誠実に質問する、意見する

 批判的な質問や意見は、一人ひとりの気持ちを萎えさせるだけではなく、チーム全体の士気にも影響を及ぼします。一方、建設的な意見は、皆の気持ちを前向きにしてくれます誠実な対応は、チームメンバー同士の信頼感の醸成に寄与してくれること間違いないでしょう
 もちろん、周りから否定的な見解を言われたり、間違いを非難されることもあると思います。その一つひとつに過剰反応して意気消沈しないよう、気持ちをセルフコントロールすることも、ビジネスパーソンに共通する責任となります。

 それぞれが関連し合う三つの基本原則を紹介いたしました。
 コミュニケーションの本質を語る時、ラポール(rapport)という言葉が使われることがあります。心が通い合った相互の信頼関係、共感、好感といった意味ですが、ラポールに至る過程の中で、上記の三つの基本以外に、いくつかの着眼点があると思います。そのいくつかを、今年度新入社員導入研修のまとめの講義録から紹介して、エッセイ174回を締めたいと思います。

 私たちの仕事は、患者や生活者、会社の同僚、他職種の医療従事者との対話によって成り立つ仕事です。信頼と安心のコミュニケーションがあって、初めて専門的技能が活かされる仕事です。その信頼と安心のコミュニケーション実現のために、一体どうしたらいいのだろうか。
 基本の一つは、傾聴することです。患者さんが、同僚が、或いは他職種の皆さん、他職場の皆さんが、遠慮しないで自分の思いを率直に発することが出来る環境を作ることです。その魔法の杖が、傾聴なのです。何度も申しあげたことです。
 もう一つ考えて頂きたいことがあります。それは、他人と対話する時、意見、注意、アドバイスする時には、心に赤信号を点(とも)し、数秒立ち止まって、こう呟いてジャッジして欲しいのです。「この表現(言葉、言い方、態度)で良いのだろうか?」、「どんな言い方をしたら対話が弾むのだろうか?」、「理解し共感してもらうためには、どのような言葉を使えば良いのだろうか?」…と。そんな時間を持つことを躾化して欲しいと感じています。
 さらにもう一つ提案したいと思います。それは、「大切だと思うこと、絶対にここで言わなければいけないと思うことは、本気になって話して欲しい。その理由を、必ず添えて話して欲しい」ということです。それが、本当の優しさではないかというのが私の見解です。

                                                                  (2018.10.23記)

【参考】・エッセイ161回:信頼と安心のコミュニケーション実現のための前提条件(2018.4.15記)
     ・エッセイ166回:会議やグループ討議から得られる宝物(2018.6.10記)

エッセイ173:言い方いろいろ、みんなよかった

 北東北の秋は急ぎ足ですね。この時期多いのが、いわゆる風邪引きさんです。油断禁物という心がけを意識して用心したいと思います。
 さて、平昌オリンピック・パラリンピックから半年以上も経ちました。政治ショー的色合いが強調された感もありましたが、競技が始まってからは、結果やインタビューの応答に対して、様々な意見や感想がマスコミ報道やSNSを駆け巡りました。最近、切り抜いておいたオリパラ関連の新聞記事を取り出して、その時に感じたこと、心に響いたことを思い起こしております。

言い方いろいろ、みんなよかった

 JOCのホームページによれば、平昌オリンピックは124名、同パラリンピックには38名の日本選手が出場したそうです。選手一人ひとりは、それぞれが確固たる志を持ち、その志に覚悟という魂を吹き込んで、それぞれの努力を積む重ねて臨んだオリパラと受け止めています。その形状は十人十色でしょう。詩人金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」ではありませんが、“みんなちがって、みんないい”というフレーズがピッタリだと今でも感じております。
 以下、私個人が感じ、思い、教わり、気づいたことを、いくつか呟いてみたいと思います。真意は想像の域を出ません。あくまでも、私の見解となります。

 何と言いましても、インタビューに対するいくつもの応答が、私自身の心構えや日々の行動のあり方を見直す機会になりました。インタビューで発する言葉や表現は一人ひとり異なりますが、みんな驕ることなく、誠実で、謙虚で、“みんないい”と強く感じた次第です。
 一番目立ったのが、家族だけではなく支えてくれた方々、応援してくれた方々に対する感謝の気持ちでした。
 “ここまで支えてくれたスタッフ、チームメイト、送り出してくれた会社、家族、応援してくれた方々、国民に感謝したいと思います”、“一人ではここまで来られませんでした”、“多くの人に支えていただいて、いい時も悪い時も私を認めてくれる人がいました”、“先輩たちが20年間カーリングを育ててくれたおかげで、この場に立つことができたのです”、“応援してくれた全員に有難うと言いたいです”、“たくさんの人に支えてもらって、このチームがあってのことなので、感謝の気持ちが一番強いです”、……。ほんの一例ですが、支えてくれた多くの方々への感謝の表現に、毎日聴き入っていました。オリンピック、パラリンピック全選手の思いだと感じます。
 選手の皆さんは、“人は誰でも一人では生きていけないこと”、“人は人づれであること、相見互いであること”を心に刻んで、その日に備えて臨んだのでしょう。そういう考動習慣(思考習慣+行動習慣)に、何よりも心打たれました。試合直後のコメントですから、取り分け心に沁みました。
 競技後の結果もいろいろです。メダリストは20名(オリ16名、パラ4名)で、4位以下の選手が圧倒的に多いのです。悔しい思いを心の内に留めておきながら、その結果をキチンと受け容れて、決して誰かのせいに、何かのせいにはしていないのです。対自競争を貫き、克己心でメンタル面を鍛えてきたからこそのコメントでしょう。

 スキーという遊びに夢中な少年だったノルディックスキー複合の渡部暁斗選手は、ずるが嫌いで正々堂々を貫く人だそうです。個人ラージヒルでの金メダルを目指しましたが、君が代を歌うことが叶いませんでした。個人ノーマルヒルの約2週間前に行われたW杯白馬大会で、公式練習中に転倒して肋骨を骨折していたそうです。言い訳一つしていませんでしたね。“頂上が見えているのに、上り方がわからない …”。その無念さが、心に沁みました。
 特に私の心が動いたのは、スキージャンプ伊藤有希選手の行動です。メダルを期待されながら、風に恵まれず9位に終わりました。泣いてはいましたが、泣き言が聞かれませんでした。それ以上に感じ入ったのが、銅メダルが確定した高梨紗羅選手の2回目のジャンプ後に、真っ先に駆け寄って思い切り抱き寄せて祝福していたことです。ゴーグル越しに、高梨選手の瞳が潤んでいることが分かりました。4年前のソチ五輪では、金メダル絶対確実と期待されながら4位に沈んで呆然とする高梨選手に対して、その内容は分りませんが、伊藤選手は肩を抱いて何か語りかけていましたね。高梨選手の目からは、大粒の涙がこぼれ始めました。その光景も思い出しながら、3年半後の冬季北京五輪での二人に思いを馳せています。
 ノルディックスキー距離男子10kmクラシカル立位の新田佳浩選手は、スタート直後に転倒しました。長野五輪から6大会連続で大舞台を戦ってきたレジェンドは、冷静なレース運びで最後に勝ち切るレースに徹して、子供の首にかけたかった金メダルを掴んだのです。レース後のインタビューでは、ここまで支えてくれた方々への感謝の言葉に終始していました。特に、家族との絆と練習環境を整えてくれた荒井秀樹監督、そして所属企業への強い思いを感じました。
 パラリンピックでは、支えるスタッフが多岐にわたっていることも知りました。
 スキー距離競争では、実走行タイムに障害によって設定された係数をかけて最終順位が決定されます。つまりレース中の順位の把握が非常に難しいのです。そこで、競技中の順位を瞬時にはじき出すタイム計測ソフト「タイムランチャー」を開発し、代表選手に無償で提供しているソフトウェア会社がありました。長野県松本市のAIDです。
 1988年のソウルパラリンピックから今回まで、公式修理サービスプロバイダーとして大会をサポートしている企業があることも知りました。ドイツの総合医療福祉機器メーカー“オットーボック”です。選手村に修理センターを設け、義肢装具士、車いす技術者、溶接のスペシャリストなど20数名のサポートスタッフを派遣したそうです。雪上競技会場、アイスホッケー会場にもブースを用意して、急なアクシデントにも対応する体制を整えており、日本人スタッフも2名派遣されていたようです。選手の不安を少しでも取り除く“よろず屋”を自任して、道具修理のプロとして大会運営を支えていたのです。

 人材育成という視点で大きく頷いたのが、自分の滑りを磨く求道者、滑る研究者と評されている小平奈緒選手の応答でした。日頃のインタビューもそうですが、気負いのない穏やかな温もりのある語り口に、信頼のコミュニケーションを促進するエキスのようなものを感じます。
 スケートが大好きなので、きつい練習も苦ではないそうです。身体全体の仕組みを理解して、理屈にかなったフォームを追究するため、解剖学を勉強し、解剖書を持ち歩いているそうです。オランダの文化を学ぶためにオランダ留学もされました。文化といっても、何故スケートが強いのかという原点や根幹を学びたかったのだと思います。それらが結果につながると信じてのことでしょう。“勉強の目的は何か?何故学ぶのか?”を、拝聴したいと思いました。どのような言葉が返ってくるのか、興味津々というところです。
 “絶対的実力がないと金メダルは取れない”というコメントからは、100%の力が出せないところがオリンピックだから、80%、90%の力でも勝つことができる備えを怠らなかったのだ、と思わされます。そして、“そうなるために多くの人に支えてもらいました”、さらに“金メダルをもらうのは名誉なことですが、どういう人生を生きていくかが大事だと思います”には、人としての本物の優しさが光り輝いていました。生き方の本質(人生観)を明らかにすることはアスリートだけのテーマではなく、ビジネスパーソンにも、市井の人間にとっても、意義ある人生への道標なのだと改めて教えて頂きました。
 カーリング女子吉田知那美選手の“メダルもそうなんですが、ここまでくる過程の全てが宝物だと思います”には、問題解決のヒント、成長のヒントが詰まっていると思います。原因と結果の法則、基本の重要性(修破離の修)は不易だと再確認できました。銅メダル(結果)に至るまでの数多くの様々なプロセス(原因)は何であったのか、一つひとつ知りたくなりました。
 フィギュアスケートの羽生結弦選手について触れないわけにはいきませんね。羽生選手は、昨年11月に右足を痛めてしまいました。ぶっつけ本番で挑んだショートプログラムで、最初のジャンプ4回転サルコーを決めた時には、身震いとともに自然と涙腺が緩みました。本番の数週間前まで氷上で練習できない分、余分なものは全て断って、金メダルにつながると判断したことだけを何でも勉強したそうです。セルフモチベーションとセルフコントロールで、己自身との戦いを克服したのでしょう。フリーの演技を滑り終えて、何度か「勝った」と口に出していたようです。人生をかけて臨んだ五輪連覇後のインタビューから、感謝の表現と笑顔が消えることがありませんでした。あの若さで、風格のようなものすら漂っていたと思います。支えてくれた方々への感謝は当然として、その受け答えには、並々ならぬ覚悟と業績魂が散りばめられていました。
 その羽生選手を、フィギュアスケートコーチの佐藤信夫氏は、こう評しています。“そうした流れるような滑りが、高い演技構成点につながる。先天的な柔軟性に加え、地道に基礎練習を繰り返したたまものだろう。…… もちろんそういう進化は否定しないが、羽生の五輪連覇は、決して忘れてはいけない大事な原点を示してくれた”(朝日新聞「佐藤信夫の目」:2018年2月18日より)と。
 オリンピック閉幕後も、競技によってはワールドカップ(以下、W杯)が続きました。
 渡部暁斗選手は、2017~18年シーズンのW杯で初の総合優勝を獲得しましたね。5か月間で20もの大会に挑み続けての結果となります。W杯王者は本人自身が拘ってきたタイトルで、2度の骨折をしながらの結果ですから、最高のシーズンになったと想像できます。
 高木美帆選手は、全6大会で行われたスピードスケートW杯で、女子全種目の総合得点でトップとなり、日本勢では初めての総合優勝を果たしました。高いレベルで4種目(500㍍、1000㍍、1500㍍、3000㍍)の距離を滑らないと獲得できないタイトルです。オールラウンダーへの憧れが強かった高木選手にとって、オリンピックとは別景色のタイトルになったと思います。
 未勝利が続き苦しんでいたスキージャンプの高梨紗羅選手は、3月24日の第14戦で個人通算54勝目を挙げました。男女を通じてW杯歴代単独最多記録で、6年前に初勝利を飾ってから個人戦通算104試合目の快挙となります。時々刻々変化する風の方向と強さが飛距離に大きく影響する競技であることから、通算勝利数の最多記録は、オリンピックよりも高みの世界に辿り着いたのだと思わされます。正にコツコツと積み重ねた努力の賜物ではないでしょうか。
 これらの朗報から、オリンピックのメダル以上の価値を感じました。さらに、小さな積み重ねを継続することの重要性を改めて実感した気がします。

 とにかく、アスリートの凄さとスポーツの素晴らしさから感じたこと、気づいたこと、教わったことがいっぱいあって、自分自身のあり方を見直すきっかけとなりました。選手たちの歩んできた道を特別視するのではなく、一人の人間としてみることで、教わったことを掘り下げることができたように思います。その中で、私にとっての一番の収穫は、克己心でセルフモティベーションし、日々セルフコントロールしながら基礎能力を磨きあげる、実力を磨き続けることが、自己啓発の本質であることの確信です。ちょうど冬季オリパラの期間は、採用活動や新卒新入社員教育の準備で手一杯の時期で、体調もすっきりせずに精神面でも弱気虫が顔を出していました。そんな状態の時の選手たちの声は、弱っていた私の心的エンジンの点火剤となって、前向きな行動姿勢を促してくれたのです。私の背中を軽く押して、“まだまだ努力し続けよう”という思いを呼び戻してくれました。

 それにしても選手たちの十人十色のコメントは、“みんなちがって、みんなよかった”!

                                                                (2018.9.28記)

エッセイ172:ロールプレイングの目的は、進め方は…

 私が主宰しております学び塾(平成30年6月3日)では、塾生のロールプレイングを行ないました。
 後輩指導の一環として、「行動理論とは何か?」、「行動理論の意義は何か?」について、15分間を目途に講義することを課題としました。いのうえ塾、学び塾を通して、行動理論の意義と不易性を繰り返し取りあげております。それだけ重要な引き出しであることから、キチンと理論武装して説得可能のスキルを身につけるためです。ロールプイング実施を明らかにした第20回学び塾では、参考として私が考える最善のパターンを実演しました。
 何事もそうですが、ロールプレイングで演じること、つまり実施することが最終目的ではありません。どのような場合でも、その手法・手段を選択した理由があります。選んだ手法・手段のねらいが存在します。演じる立場の皆さんが、その理由やねらいを理解しているかどうかによって、事後の訓練成果に大きな違いが生じます。このことを、強く強く申しあげておきたいのです。私の知る限りでは、そこまで掘り下げた教育機会は少ないと思います。率直に申せば、ここ十数年間、出会った記憶が思い出せないのです。
 今回のエッセイでは、ロールプレイングについてまとめた最新の資料を紹介したいと思います。ロールプレイングを実施する時の教材として、是非ご活用頂きたいと存じます。

ロールプレイングの目的は、進め方は…

1.ロールプレイング(Role Playing)とは
 
 薬剤師と患者、或いは上司と部下、営業担当者と顧客というように、現実と同じような模擬場面を設定して、参加者が特定の役割を担って演技をする訓練手法のことです。
 これは、与えられた課題や想定される問題を『考える』とか『話し合う』ということだけではなく、一歩進んで自分なりに『解決策を考えて演じつくす』ことによって、問題解決のあり方や役割・立場の理解を、『身をもって体得する』という訓練手法です。役割演技法とも言われています。
 ロールプレイングは、ヤコブ・レヴィ・モレノが1923年に創案した心理劇から発展したグループセラピー(集団心理療法)です。元来、神経症や心身症などの治療を目指した技法でした。近年では、ビジネスマナーの基本動作や基本スキル、商談技術、服薬指導、対人関係やコミュニケーションスキルの訓練などに応用されています。

 *ヤコブ・レヴィ・モレノ(1889年~1974年:アメリカ人/精神医学者)
   ルーマニア生まれ。オーストリアのウイーン大学で医学、数学を学ぶ。
   アメリカに移った後も集団心理療法の研究を続けて、特に子供を対象とした集団療法を行った。

2.ロールプレイングのねらい

(1)『学んだこと(頭で理解した知識)』を演じてみて、実際に『出来ること(習慣化した技能)』につなげる。
      ※「百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず」
(2)演技者と観察者が、技術を学ぶための実際的教材とする。
      ※ Learning by Doing
(3)失敗体験を分析して、反省点を見つけ出す。
(4)傍目八目の眼を養う。
(5)自己変革への自発的動機付けを喚起する。


3.期待される訓練成果

(1)相手の考えや感情の動きを掴むことの難しさを知る。
(2)相手の話しや訴えを、全て聴き取ることの難しさが分かる。
(3)傾聴すること、共感することの重要性が認識できる。
(4)対話やその進め方によって、都度状況が変わって展開することが分かる。
(5)自分自身の言動の実態が分かり、克服課題が見えてくる。
(6)その場の状況に応じた自主的行動、個別的対応がとれるようになる。
(7)同じやり方で対処しても、相手によって受け容れ方が異なることが理解できる。
(8)共通に理解できる言葉を活用することの必要性が認識できる。
(9)共通認識を確認して共有化することの重要性が分かる。
(10)ボディランゲージの効果が体得できる。

    信頼と安心のコミュニケーションの難しさを意識するようになる

4.基本的な進め方

(1)目的や進め方(演技の基本ルール、演技時間)の説明
(2)役割、想定項目の提示
(3)観察者のフィードバックのやり方の説明
(4)演技者の決定、演技順番の決定
(5)演技者の事前準備
(6)役割の演技
    ・全員への想定項目、目標の説明
    ・全員の拍手で演技の本番スタート
    ・観察者はロールプレイングコメント用紙に気づいたことを記入
(7)演技の評価・分析とフィードバック
    ・観察者の感想
    ・フィードバック(VTR)とトレーナーの講評
    ・演技者自身の感想
(8)再演技

5.心構え

(1)明日の覚悟は覚悟ではない。“今この時”と覚悟して、本気で取り組む。
(2)本番は稽古のつもりで、稽古は本番のつもりで。
(3)“我以外皆我師也”の姿勢で。
(4)結果ではなく原因(プロセス)を気にせよ。
(5)“あがり防止の良薬なし”と心得よ。
     ①自信の持てるスキルを身につけるしかない(基本の修得)。
     ②目標必達魂を持つこと。
     ③万全の準備をすること(備えよ常に)。
    万全の準備をした上で、
     ④“失敗してもともと”と開き直る。
     ⑤次の人へのサンプルと割り切る。

                                                                 (2018.8.20記)

エッセイ171:会議の六悪を見つめ直してみました

 エッセイ166回では、私が考えた会議から得られる14の宝物を紹介しました。どのような問題でも、その原因や本質を掘り下げて追究すれば、それまで気づかなかった着眼点や宝物が見えてきます。コミュニケーション能力を高める基本が、Face to Faceの直接対話であることもその一つです。何らかの問題が発生した時、Face to Faceの直接対話こそが、問題と向き合うことの本質でありながら、避けてしまったことが原因で解決不能に陥ったことが何度かありました。そんな経験を重ねて、何事においても、キチンと向き合うことが、本質的解決、根本的解決のスタートラインなのだと確信できるようになったのです。そうは言いながら、状況によっては、避けて先送りしてしまうことが現実に存在しています。避けてしまう理由を否定はしません。ただ言えることは、Face to Faceの直接対話を当たり前の行動習慣にすることで、それ以降の景色が違ってくるということです。どんな行動を選択するかは、結局、その人の使命感や志などによって決まると思います。

 今回は、会議の実態やあり方を逆説的言い方で考えてみることにしました。その上で、“何故会議を開くのか”、“会議の本質的意義は何なのか”を見つめ直すきっかけとしてくれたら本望です。その見つめ直し行為は、働き方改革の本質的取組みの一つではないかと思えてきます。

会議の六悪を見つめ直してみました

 会議というのは、組織の課題や方向性について、報連相や議論を繰り返しながら意思決定する、Face to Faceの直接対話によるコミュニケーションの場です。また、問題と課題、理念やビジョンを相互共有する場でもあります。さらに、参加者一人ひとりの人間的側面の本質を観察できる、願ってもない数少ない機会ともなるのです。その会議のあり方について、無理解、無頓着、不勉強が目につきます。もっともっと、会議の基本的本質を理解して参画して欲しいと感じるのです。そんな会議の実態とあるべき姿を考えてみましょう。

 どなたが考えられたのかは不明ですが、ある時に会議の六悪なるものを知りました。“言い得て妙”と言いましょうか、うまい表現だと思います。ご存知の方も多いのではないでしょうか。

  会せず、会して議せず、議して決せず、
    決して行わず、行って責をとらず、途中離籍して帰って来ず

 約50年の仕事人生を振り返ってみると、それぞれの項目について、これでもかというほどの記憶が蘇ってきます。もう苦笑するしかありません。結果と原因の法則ではありませんが、その実態には原因があって、その先には原因の基になっている要因(原因の原因)が存在するのです。ここで問題にしている要因には、会社全体も含めた各組織やチームの集団性格も含まれます。
 以下、六悪についてコメントしてみましょう。
 先ずは「会せず」です。
こんなことがありました。予め発表された議題から、自分勝手な判断で欠席を決め込むことです。目の前の仕事が手一杯で、所属する組織にとって優先度の低い内容が議題の場合に見かけますね。会社全体の運営に関わる内容が議題ですから、全く無関係な議題ということはあり得ません。その会議に召集される理由と職責を明示して、キチンと理解させることをしなければいけません。それにしても、ある程度の経験を積めば、もっともらしい欠席理由を考えられるようになるでしょう。それで通用してしまう企業は、マネジメントレベルが未熟なのです。ガバナンスの問題になります。職制と職責を明確にした企業統治から始めなければならないでしょう。
 その様な会社では、連絡ミスが頻発します。ミスも様々ですが、一番手に負えないのが、出席該当者に連絡し忘れる(または、連絡しなかった)ケースです。連絡ミスの多い会社は、発生原因を突き止めて、二度と起きないようにする問題解決能力が欠けているのではないでしょうか。連絡担当者を責めるだけで、対症療法すら施されない例も見てきました。日常の指示・命令の仕方に問題があるのですが、そのことに気づいていないことが多いと実感しています。
 また、組織運営に必須となる主要会議が開かれない企業もあるようです。それでは、会社の方向性や方針・ルールなどが、社員間に浸透していきません。急速に拡大している新興企業では、特に注意を要する課題だと思います。企業不祥事発生の要因にもなるでしょう。
 二つ目の「会して議せず」について考えてみましょう。
 告知で済みそうな報告・連絡事項が主体で、ついでに“何か議題のある方は、……”で終了するカイギに出席したことがあります。月一回の定例行事のようですが、“会議って何?”という疑問が湧きました。“不思議で怪しい会議”と意味づけて、怪(かい)議と呼ぶことができそうです。事前準備もしていませんから、なかなか議論に発展しません。会議の趣旨に反しますから、壊(かい)議と揶揄して中止にすればいいのです。
 自分の仕事とは関係なさそうなので、ダンマリを決め込む貝(かい)議もあります。貝のように口を閉ざして不参画状態のことです。具体的な提案をすればお鉢が回ってくることから、総論賛成で当たり障りのない一般論に終始してしまうこともありそうですね。
 会議の主催者・運営者は、“会議のねらいや議題、事前準備事項を明示する”というように、基本事項をしっかりと押さえることから再出発しなければ活性化は不可能でしょう。
 次は「議して決せず」です。
 組織運営の基盤の一つは、課題達成、問題解決の方途を意思決定することです。ベストの意思決定を目指して、議論が深まるようなデータや情報、考えや対案を準備して臨むことが、出席者の当たり前の任務でなければいけません。最終決定するまで誠実に対話や議論を繰り返すことです。決定をタライ回しして先送りするような堂々巡りの回(かい)議であれば、時間の無駄使いになります。また、考えや意見をただ言わせるだけのガス抜きや、決定したと思われる議題を一部の者だけで平気で変えてしまう改(かい)議などは論外でしょう。再度申しあげます。マネジメントとは、意思決定することなのです。
 四つ目が「決して行わず」になります。
これは、会議で意思決定したことを、実行に移さないということです。決めたことを実行することは、ビジネスパーソンの当たり前の責務です。決して行わず病の組織は、アッという間にモラルが低下します。そして、業績は急降下するでしょう。
 ところで、年齢に比例して成長し続ける厄介者をご存知でしょうか。“言い訳”君です。“出来ない言い訳”、“進行を阻害する言い訳”が、まことしやかに通り過ぎていくのです。そんな言い訳を見抜けない経営幹部やリーダーは、即刻その職制を返上すべきでしょう。新たな課題にチェレンジすることを奨励し、進んで能力開発できるような環境を整えることが任務なのですから。
 五つ目は、「決して行わず」に関連する「行って責をとらず」です。
 行動した結果、目標未達成の場合があります。未達の理由を検証しないまま、部下や他律要因のせいにして責任をとらないのが、「行って責をとらず」です。そんな上司は、早晩会社の信用を失うでしょう。そんな社員が大手を振っている会社は、顧客から相手にされなくなります。
 最後は、「途中離席して帰って来ず」。
 これは、“緊急の用事が発生した”ということでの離席ではありません。会議のねらいや議題が曖昧であったり、「会して議せず、議して決せず」であったり、何時から始まって何時に終わるのかハッキリしないことが暗黙のルールの会議で見受けられます。準備不足や会議運営能力不足が原因の場合が多いようです。そのような会議であれば、本来開催する必要のない会議と判断せざるを得ません。途中離席する社員の本音は、“こんな会議不要”なのかもしれません。

 さて、今回取りあげました六悪が横行している会議なら、ぶっ壊してしまえばいいのです。正に、壊(かい)議にするのです。重要な経営資源の一つである時間の無駄になります。結局、会議改革に着手するのか、自主性に任せるのか、様子を探って先送りするのか、そこが分岐点になります。本気で取り組まないことには、働き方改革など掛け声だけで終わってしまいます。心地良い、やる気を醸し出してくれる快(かい)議、間違いや勘違いを正してくれる戒(かい)議にするために腐心し苦心するのが、経営幹部と会議主催部門の機能的役割だと思います。会議の本質的意義に鑑みて、自社の会議の実態を見つめ直してみたいと思います。
                                                                                        (2018.8.1記)

エッセイ170:コミュニケーションを難しくしている要因はこれだけある!

 身近な問題を解決する場合に、目の前にあるデータを駆使して問題発生の要因を分析します。それらのデータ活用の仕方を工夫すれば、様々な角度から分析できることが分かってきます。発想の転換とか、考え方の柔軟性というのは、そういうことの繰り返しから閃いてくるように思います。余談になりますが、日本地図を逆さまにして見る、或いは横にして観察すると、別の国のような錯覚をしたことがありました。いつも同じ方向から考えるのではなく、時には角度や視点を変えてみることで、思わぬ解決策が導かれることだって考えられるのです。
 そこで今回は、コミュニケーションを難しくしている要因をまとめ直してみたいと思います。難しくしているのは、結局、常に同じ見方・考え方をしていることがあげられそうです。その要因の多さに、もっと幅広い視点で原因を追求すれば、ジャストフィットの原因が容易に抽出できると思うのです。

コミュニケーションを難しくしている要因はこれだけある!

 かなり以前の研修でしたが、約100名の受講者に次のような質問をしたことがあります。
 Q「コミュニケーションを図ることは、簡単ですか?それとも難しいですか?」と。
 “簡単です”と挙手した方が3名、“難しいです”の方が約60数名、手を挙げなかった残りの方々はケースバイケースだったり、チョッピリ決断力が乏しかったり、全く無関心だったのか……。そんな結果になりました。このような質問をする時は、多くの場合、二者択一にしております。その理由は、三者択一(簡単/どちらでもない/難しい)にすると、“どちらでもない”や“普通”などの中間層が増えて、明確にならないことが多いからです。
 私は、補足説明を添えてこう返答しております。
 「私は“難しい”を大前提として対応しています。しかし、コミュニケーションがしっかり図れたケースを振り返ってみれば、その要点さえ押さえておけば“簡単です”に至ると実感することもあります。それは、コミュニケートする相手のニーズを想定して、コミュニケーションが成立するような進め方を事前に考えたり、資料や道具などを準備して作戦を立てて対処できた時です。相手のニーズや考えていることを把握すれば、思いのほか容易にコミュニケーションが成立すると思うのです。そう思いませんか」と。
 それは、「元来コミュニケーションを図ることは難しいことである、と常に意識することであり、対話の中で、相手のニーズやウォンツを把握することがキーポイントである」ということになってきます。改めて、コミュニケーションの定義を思い出してください。「コミュニケーションとは、何らかの手段で、あらゆる情報、または意思・感情の伝達、交換、共有化を行う活動」ということを。
勇気をもって“簡単です”と挙手した3名は、私が申しあげたことを、無意識に、ある時は意識的に実践している数少ない方々であろうと、ただただ尊敬しました。今まで、コミュニケーションを図ることに苦労した経験を、日常の生活で活かしていらっしゃると想像できます。

 さて、「常にコミュニケーションを図ることは難しいと意識すること」と述べましたが、難しくしている要因が必ずあるはずです。それが今回のテーマであり、頭を空っぽにして捻り出してみました。以下、コミュニケーションを難しくしている要因のオンパレードです。

 ①相手の関心やニーズを把握していない。
 ②日々の信頼関係:あの人は…(言行不一致。評論家。相手によって言うことが違う。裏切る。言いふらす。噂話をする。告げ口をする。考え方がよく分からない。…)
 ③固定観念や先入観:あの人なら…。あの事なら…。あそこの会社なら…
 ④(③と似ていますが)独断や偏見:あいつなら当然…。あの人なら言いそうなことだ。…
 ⑤知識の差:専門家と素人。ベテランと新人。大人と子供
 ⑥立場の違い:上司と部下。経営者と従業員。売り込む側と買う側。作る側と使う側
 ⑦錯覚:聞き違い。言い間違い。勘違い。思い違い。早とちり。憶測・推測
 ⑧コミュニケーションの限界:コミュニケーションロス。コミュニケーションギャップ
 ⑨コミュニケーションスキルの限界:傾聴姿勢と聴き取る能力。プレゼンテーション能力
 ⑩誤解される言葉:曖昧。抽象的。難解。不明確。不明瞭。専門用語。外国語
 ⑪人間には感情があり、その感情は一定ではない:反感。面白くない。嫌悪感。興奮。意気消沈
 ⑫自分本位:自分自身に都合のいいように聞く、解釈する、判断する。
 ⑬自己防衛本能:現状を失いたくない。自分を守りたい。都合の悪いことは耳を塞ぐ。
 ⑭姿勢や態度:服装(だらしない、TPOに合わない)。横柄な態度。無表情。相手を見ない。
一方的に話す。熱意が無い。傾聴姿勢の欠如。聞き取れない。
 ⑮TPOS:時間帯。場所。位置。状況。タイミング。コミュニケーションスタイル

 円滑なコミュニケーションを実現するためには、次のことを日々実行することだと思います。仕事・会議・ミーティング・商談・面談・研修会・発表会・講演会・日常会話などのコミュニケーションの場面で、上手くいった時も、失敗に終った時にも、自分事として、その原因(上手くいった原因、失敗した原因)分析をやることです。着眼点は、「コミュニケーションを難しくしている15の要因」で十分カバーできると思います。最初は時間がかかっても、慣れてくれば数分でできます。“謙虚に素直に看脚下”することを継続して積み重ねることで、目に見えて進歩すると思います。

 最後に、私が納得している名言を紹介しましょう。

「良好なコミュニケーションは、お互いの信頼感の中で成立する。お互いの安心感の中で生まれる」 

 信頼感とか安心感は、どうやったらお互いの心の中に芽生え、成長促進できるものでしょうか?
 それは、健全な人間観、仕事観を絶対的信念として持つこと、日々心を耕して小さな努力行動を積み重ねことだと思います。その努力が「三日坊主」で終ったとしても、また実行すれば良いのです。三日坊主を積み重ねるのです。考え方や行動の一貫性が、気がつけば信頼関係という宝物を授けてくれると信じています。
                                                                         (2018.7.25記)

エッセイ169:言葉の意味を理解し、発する言葉を吟味することが、心を磨くことになる‼!

 私たちは、相手がどなたであろうとも、言葉と表情、(伝わることの難しい)心遣い、そして行動を媒介としてコミュニケーションを図っています。その中でも、圧倒的な主たる手段は言葉になりましょうか。その言葉の意味の解釈いかんで、コミュニケーションの品質格差が生じてしまいます。ですから、コミュニケーションのあり方を追究していくと、“発した言葉の真意をどれだけ正しく理解してコミュニケートされているか!”という問題に行き着くのです。
 今回のエッセイは、言葉に関して感じているそのような問題を考えてみたいと思います。信頼と安心のコミュニケーション実現の阻害要因となることに気づいて頂きたいのです。私の見解ではありますが、かなり深刻なテーマだと思います。

言葉の意味を理解し、発する言葉を吟味することが、心を磨くことになる ‼

 アナウンサーの皆さん、コメンテーターとしてテレビなどのマス媒体に出演されている皆さん、“発する言葉の意味を理解してお使いでしょうか!”、“言葉の使い方を間違えていませんか!”…… 。そう断定できることに、時々出会います。フリップ、パネル、画面の誤字表記も時々あって、そうなってしまう要因を、担当されている方からお伺いしたいと思うことさえあります。皮肉っぽくて申し訳ありませんが、そのような傾向が気になって仕方がないのです。
 その一つが、何でもかんでも「号泣」を使う、アナウンサーやコメンテーターそしてゲスト出演者に対しての問題提起でした。号泣とは、“大声をあげて泣くこと”、“烈しく泣くこと”です。それなのに、ちょっと涙した程度にも号泣、もらい泣きにも号泣、泣き方の程度なんてお構い無しに全て号泣なのです。明らかに間違っているそのような使い方の連発を、苦々しく感じたこともありました。言葉のプロであるはずのアナウンサーが、情けなくなりました。“もっと言葉の意味を勉強してください。プロの自覚が足りないのではありませんか!”と。
 また食レポでの「絶品」のオンパレードにも、苦言を呈したくなります。有名といわれる料理や食べ物を紹介する番組が多いからでしょうか。都度発せられる言葉が絶品、同じ番組の中でも絶品の連呼が続きます。Aさんも、Bさん、Cさんも、絶品なのです。“ぜっ~ぴい~ん”という言い回しには、失笑してしまいました。絶品というのは、“極めて(この上なく、極限、はなはだ)すぐれた品物や作品”、“くらべるものがないほどすぐれた品物、作品”のことを指します。使われる頻度が高くなる言葉ではないように思います。世の中絶品だらけでは、何が絶品なのか怪しくなってしまいます。そもそも絶品という判断は、かなりの経験を積んで初めて分かるような類のものではないでしょうか。
 アナウンサーもコメンテーターも、発する言葉が命とも言える仕事だと思います。使うべき言葉を選んで発することが最低限の倫理観であるはずです。公共の電波を使って不特定多数の人を相手にする、非常に影響度の高い仕事なのです。間違った解釈をしても、それが正しいと誤解されてしまう危険性をはらんでいますし、間違ったまま流布してしまうことも考えられます。「号泣」、「絶品」が、その証しでしょう。間違いに気づいたら、“謝罪してお終い”で済まして良いはずがありません。最近の傾向は、そんな基本的自覚が薄らいでいますし、世間の規範をも侵食していると感じてしまいます。
 10年前あたりと現在を比較しても、その問題意識が好転しているとは思えません。昨年(2017年)は、国会でのある論戦で頻繁に登場した「忖度」が、ユーキャン新語・流行語年間大賞に決定しました。あまり使われることのなかった忖度は、あの問題によって時代劇の悪代官役として有名になったのです。忖度が頻繁に登場するようになって、“忖度の本来の意味は違うのではないか?”という疑問に駆られました。国語辞典を紐解けば、“他人の心の中をおしはかること”とあります。“何を望んでいるか考えること”、或いは“推察”、“慮(おもんぱか)る”と同義といえましょう。
 それまでの私は、顧客満足という理念を優先して仕事に取り組んできましたし、その考え方は今でも変わりません。現在勤務する会社の顧客は、通院中の患者さんやストレスを抱えた生活者になります。どれだけ顧客に寄り添ってサポートできるかが問われる仕事なのです。ですから、“顧客の心の中をお(推)しはか(量)って、苦しみや悩みは何なのか、どうして欲しいと感じているのか、何が必要なのかを考えること”を心がけて相手と向き合います。症状を緩和し、治癒の手助けをし、全快後の自立も視野に入れて、一人ひとりの思いやニーズを引き出して、個別に対応する仕事になります。だから、慮ることを問い質し、相手:自分=51>49を行動指針とするよう言い続けているのです。それが基本的な仕事のスタンスですから、忖度の意味を辞書で確認をしながら、何でマイナスイメージ的な使われ方がされているのか、大きな違和感を禁じ得ませんでした。それも、影響力の格段高い国会の場で……。ほとんど出番のなかった言葉が、本来の意味とはかけ離れた解釈となってアッという間に拡散してしまいました。
 再度声高に申しあげます。顧客の心中を推し量り、何を望んでいるのか、どうして欲しいのか…、を推察しながら対処するのが医療従事者の仕事です。ストレスの溜まる忖度を通じて心を砕き、対話を通してあれこれ考えて、最良の方途を意思決定する仕事なのです。忖度という言葉がどのように解釈されようとも、現場の医療従事者は使命を全うするために忖度することに変わりありません。その様な仕事が存在することにも思いを馳せて、言葉を選んで頂きたいと願っております。余談になりますが、国会の場では「忖度」という一言で済ませないで、思いの丈をそのまま表現された方が理解され易かったと思います。例えば、「国民には理解されない先回りした服従ではありませんか…」、「無言の圧力となって、そういう結果を導いたのではありませんか …」とか … 。
 影響力の高い司法・立法・行政に携わる皆さん、アナウンサーを始めとしたマスコミの皆さんは当然として、私たち一人ひとりがもっと言葉の勉強に励まなければいけませんね。使う言葉が適切なのか、問題意識を高めて検討する… 。もっとプライドと覚悟を持って、吟味して言葉を発する… 。撤回発言、訂正発言は見苦しいこと、と自覚して発言する… 。百歩譲って、撤回するなら潔く間違いを認めて、同じ間違いを繰り返したなら身を引く覚悟で臨む… 。さらに、年数回でいいから、自分の発した言葉を検証して“言葉を使う仕事をする資格があるのかどうか?”謙虚に振返る… 。そのようなことを、あれこれ思い巡らしています。その上で、自分自身の職責の影響度に鑑みて、それでもやり通す覚悟があるかどうか、年に一度の誕生日にでも確認する位の矜持で仕事に臨まれては…、と深く感じているのです。

 以上、私見を申しあげましたが、このような言葉遣いの問題は、相変わらず山積されているのが現状だと思います。それは、誰にでも起こりうる問題だからでしょう。意味が不確かな言葉、意味の分からない言葉は、必ず辞書や書物で調べることを、これからも私自身の行動指針にしてまいります。さらに、“生涯を通じて謙虚に学び続けるという誠実な姿勢をもち続けること。それは、人間に付与された他者への感謝の表現の一つである”という考え方を、心に刷り込んで対処してまいります。そして、謙虚に学ぶということは、“人の振り見て、我が振り直せ”であることが、もう一つの忘れてはいけない自戒の指針となりました。
 こうやってコミュニケーションのあり方を考え続けていくと、いつの間にか次のような見方へと深まっていきました。“使う言葉や言動が貧弱だと、考え方や姿勢もが貧弱になってしまう”という実感です。ですから、事あるごとに申しあげております。「言葉を磨こう、言葉の意味を理解しよう。言葉を磨けば、考え方が磨かれる。考え方を磨けば、心が磨かれる。心が耕される」と。
 皆さんは、どう思われますか。
                                                             (2018.7.16記)

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