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エッセイ199:何をおいても、健康第一

 明けましておめでとうございます。令和最初のお正月になります。
 東日本大震災から学んだことの一つが、“想定外と決別する”、“想定外は思考停止に陥ってしまう”ということです。しかし、まさに予想もしなかった事態に、かなりの度合いで出会ってしまうことも有り得ますね。数年前から、新社会人に対しては、次のような言い方で、問題提起をするようにしております。思考停止に陥らないように、想定していなかった事態に遭遇しても、その事態をキチンと受け止めて向き合いましょう。想定外というのは、結局は他律要因でしかありません。根本解決を目指すなら、自律要因に目を向けることです。…… 一年前のエッセイで掲げました本質探究と明らかに馴染まないのが、想定外という言い訳だと思います。本質探求姿勢で、今年もE森の土づくりを究める所存です。
 年明け最初のE森は、健康第一の意味を、改めて考えてみたいと思います。

何をおいても、健康第一

 新社会人を対象とした新入社員導入研修の初日は、開講宣言とオリエンテーションです。3時間かけて、丹念に進めております。
 開講宣言の中では、前途有為な若人に対して『人生の門出にあたって』というタイトルで、人生の先輩からの七つの激励メッセージを差しあげております。そのイの一番目が、“健康第一”です。“ビジネスパーソンにとって一番大切なことは、… ”で始まり、“日頃から心身の健康管理を心がけて、ベストコンディションで目も前の仕事に対処できる状態を保っておきたい”と続きます。
 この健康第一の意味は、本人や身近な隣人が大病を患ったような経験をお持ちではない限り、20才代の若人にとっては、あまりピンとくるメッセージではないかもしれません。年を重ねて、身体のあちこちに異変を感じるようになって、そこで初めて健康の有難さを身に沁みて実感するものです。私の場合は、還暦を過ぎたあたりから理解できるようになったと思います。最近では、15日間の研修期間中に、健康第一の意味を、私の経験談を通して投げかけております。毎朝のホームルーム、『人生と仕事』や『真のプロへの道』というカリキュラムの中で、何度となく取りあげてきました。少々の無理をしてでも乗り越えられる年代の人たちにも、健康第一の意味を想像して考えることで、患者や生活者のQOL向上の本質に切り込んで欲しいのですそうすることで、患者とその家族、生活者の日々の健康に対する切実な思いに、少しでも理解が及ぶようになるのではないでしょうか。現実には、想像しても理解できないこと、或いは回答まで行き着かないことが、かなり多いと思います。しかし、一所懸命に自問自答する姿勢は、相手の心にジワーっと沁み込んでいくと確信します。そこから、新たなつながりへと発展する可能性が生まれてくるのです。

 さて、私の経験談の骨子は、大きく二つあります。
 一つは、病気が治癒するまでの辛さ、辛さからくるメンタルの弱さに関することです。2012年に手術入院した時、そして昨年5月の病気療養の時にも、病状、感じたこと、気づいたことを、些細なことも含めてノートにしました。その中から、その時々の状況に応じた内容をピックアップして正直に話すようにしております。
 もう一つは、自戒という視点での重要な行動指針です。全快するまでは療養に専念する、ということです。それは、療養以外には何もできないということであり、少々のやる気があっても身体が言うことを聞いてくれないということです。焦って仕事や家事の遅れを取り戻そうとしても、本質から外れる、ムダ・ムラ・ムリを作る、それ以上に体力回復を遅らせてしまうことにつながります。再発することだってあるかもしれません。
 “健康第一であることが如何に大切なのか!”を、自分の言葉で話すことができなければ、医療従事者として半人前だと思います。体力に自信がある時にこそ、健康第一の意味を考えて頂きたいと願って、令和2年のスタートエッセイとします。
                                                                                         (2020.1.3記)

エッセイ198:三日坊主、十回積み重ねればひと月分になる!

 ラグビーワールドカップ(以下、RWC)2019日本大会が、愈々という段階に入りました。世界三大スポーツイベントであるRWCが、アジアで初めて開催されるのです。9月20日(金)から約3週間、プール戦40試合が全国12会場でキックオフされます。東北では唯一、私の仕事場でもあります釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで2試合行われます。9月25日(水)のフィジーVSウルグアイ戦、プール戦最終日の10月13日(日)のナミビアVSカナダ戦です。10月19日(土)からは準々決勝が始まり、ファイナルは11月2日(土)という予定が組まれているようです。ジャパンがどこまで勝ち進むのか、ワクワクドキドキしながら精一杯応援したいと思います。
 RWC2019日本大会の釜石開催を後押しした要因の一つが、地元住民による地道な誘致活動でした。私の勤務先である中田薬局の代表取締役社長中田義仁は、釜石誘致推進会議代表、さらに釜石開催支援連絡会副会長として関わりました。この何年間は、薬局経営者、現役薬剤師、岩手県薬剤師会常務理事、地域医療連携推進、RWC釜石誘致・開催支援など、いくつもの顔を使い分けての多忙な毎日だったと思います。中田にとりまして、この何年間がどのような期間であったのか、どのような景色が脳裏に映っているのか、少し間をおいてから拝聴したいと考えております。
 釜石は『鉄と魚とラグビーの町』です。いかに地域環境が変わろうとも、ラグビーのあり方が変わろうとも、釜石を語る時に避けては通れないのが、富士製鉄釜石時代からの長い歴史を刻む釜石ラグビーなのだと思います。

 さて、今回のエッセイは、蔑ろにされていると感じる学習能力、閉塞感の漂う時にこそブラッシュアプしておきたい学習能力について、私なりの思いを整理整頓して呟いてみましょう。

三日坊主、十回積み重ねればひと月分になる!
 
 “人生七転び八起き”ではありませんが、長い人生においては、良い結果も悪い結果もあります。七回転んでも八回起き上がれば、結果八勝七敗になりましょうが、私の場合、大きく負け越しているのが実態ですね。ある時期から、“悪い結果や失敗から、いかに学ぶか”、“大失敗から、いかに立ち直るか”が、意義のある人生へのプロセスであり、肝心要の関所だと思うようになりました。それ以来、“学習効果の高い人になろう”、“謙虚に学ぶ人でいよう”と決めて、自己啓発に励んでおります。
 仕事であれ、日々の生活であれ、そして人間関係においても、行動したことには、何らかの結果がついて回ります。そうなった原因が何であれ、その結果は受け容れなければいけません。ここが問題解決のスタート地点なのです。原因次第では、結果の受け容れが難しいことだってありますが、失敗した場合、その結果を素直に受け容れなければ、同じ轍を踏む可能性が高くなること間違いないでしょう。
 今までの私の人生において、失敗した時のことを振り返ってみたいと思います。
 自分一人だけに関わる失敗であれば、冷静になって反芻しながら、何とか素直に受け容れてその失敗から学ぶことができました。しかし、企業運営の基盤でもある分業体制(いわゆるチームワーク)においては、“言い方次第で角が立つ”ではありませんが、角が立たないように何らかの遠慮や配慮が働くものです。さらに、失敗の原因追求が進めば、だれかれの責任が明らかになってきます。また、状況次第では予期せぬ責任を問われることもあって、結果に対する批評は面と向かって指摘し難いものでもありました。だからといって、そのまま有耶無耶にして置く訳には参りません。客観的事実に基づいた的確な原因追求をしなければ、また同じような失敗を繰り返すことになります。チームにとって、大きな損失を招くだけではなく、チームに対する評価がガタ落ちになりかねません。やはり、失敗から逃げないで、目の前の失敗から学ぶ能力(いわゆる学習能力)を高めることは、意義ある人生への必須要件の一つになると思うのです。何はともあれ、働き甲斐や遣り甲斐にも影響する学習能力を、コツコツと着実に高め続けることではないでしょうか。前々回のエッセイ196回(心の筋肉を鍛えてくれるレジリエンス)で申しあげましたように、成功よりも失敗した経験を数多くお持ちの方の方が、ずっと多いと思います。そのような実態からも、失敗を教材とした学習能力を磨き上げることの必然性を感じます。

 もっと掘り下げて考えてみましょう。
 それは、“どのようにして失敗から学ぶのか?”という現実的なテーマについてです。その問いかけに対する私の見解はこうなります。
 先ずは、“過去の失敗や失態とキチンと向き合うこと”と強く感じております。向き合うことの出発点は、失敗の都度、自分事としてキチンと悔いることです。腹を括って反省することです。受け容れるとは、自分事として向き合うことなのです。それ無しには、目の前の扉を固く閉ざしたままの状態で終わってしまうでしょう。その上で、早い段階で総括することです。総括するということは、PDCAサイクルを意識してスパイラルアップすることです。特に、C(Check)とA(Act)をしっかり押さえて、そこに至った自律要因を明らかにすることが肝になると思います。
 結果をキチンと受け容れるという意味では、こんなことを振り返ってみることも信頼される大人の作法ではないでしょうか。皆さん、自分自身のせいで、どなたかに不快な思いをさせた経験はありませんか。何らかの行為で、誰かを傷つけたことがありませんでしたか。私の場合、これまでの72年間で、土中深く埋めてしまいたい失態が、いくつか記憶の底に残っております。自覚していない失態だってあるはずですから、かなりの数に達しているのかもしれません。それらの中には、何年、何十年という時を経ても、忘れてはいけないものがあります。キチンと向き合って総括しても、消し去ることができずにいるものもありますし、それ以上に消し去ってはいけないものもありそうです。そのような場合、どうしたら良いのでしょうか。
 例えば、誰かを傷つけたのなら、言葉を尽くしてキチンと謝ることです。謝る行為は、“直ぐに”がキーポイントになります。振り返れば、謝るタイミングを失したままの状態にしていることがあるのも実態かもしれません。同じ失態(失敗)を繰り返さないためには、繰り返さない努力を積み重ねるしかありません。繰り返さないための心の備えをすることが求められます。積み重ねと備えは、長い時を経て、周囲に対して、目に見えない好影響を及ぼしてくれるような気がしております。年を重ねて、繰り返さないための懸命な努力は、過去の失態(失敗)とキチンと向き合った証しであることが分かるようになりました。

 今回、学習能力について呟こうという思いが溢れてきたのは、同じような情けない問題が相も変わらず頻発していること、行動の伴わないスローガンが長い年月叫ばれていること、そのような実態にウンザリしているからです。頻発している企業不祥事、呆れ果てる政治家の失言・失態、業界の茹でガエル現象、…… その実例には事欠きません。日々何を学んでいるのかと……。
 もう一つは、“人の成長は、理不尽を知って強くなれる”、“逆境は成長の教材になる”という自意識からです。それは、私なりの学習成果の産物であり、だから失敗しても起き上がって前へ進む頻度が高くなったのです。最近では、“転んだまま見る景色も良いもんだ”と思えるようになりました。今まで見えなかったものが見えてくるのです。
 やはり、何回転んでも起き上がることです。三日坊主で構わないから、三日坊主を何回も繰り返すことです。三日坊主も、十回積み重ねるとひと月分になります。こうやって見方を変えると、仕事の進め方の基本中の基本であるPDCAサイクルをスパイラルアップし続けることが、学習効果の高い人財への王道のような気がしております。
 謙虚になれば、学習能力は身に付くものだと思えるのです
                                               (2019.9.18記)

エッセイ197:好きこそ物の上手なれ

 新聞の切抜き記事が目の前にあります。2019年1月30日(水)付の朝日新聞です。15面オピニオン&フォーラムには、経済同友会代表幹事小林喜光氏のインタビュー記事が掲載されています。タイトルは“敗北日本生き残れるか”で、二つの見出し(技術は米中が席巻・激変に立ち遅れ・挫折の自覚ない/財界は権威失う・異文化と接し進取の気性培え)が、かなり気になりました。その中に、“茹でガエル状態”という表現が出てきます。4年半前のエッセイで、同じように“茹でガエル現象”という危機感をブツブツと呟きました。その時のことを思い返しながら、平成の時代は「茹でガエル状態」に気づかない鈍感な30年間ではなかったのか、そんな気もしています。心ある有識者たちが問題提起すれども、悲しいかな、重要な事案が先送りされて現在に至っているように思います。かといって、あまり悲観的過ぎないように、しかし思考停止には決して陥らないよう気をつけております。
 そんな中、何人もの方々から勇気を頂戴することがあります。最近では、前回のE森で取りあげましたスポーツ選手たちです。閉塞した世界情勢の中で、大怪我と向き合い、或いは重圧と対峙して、それぞれのビジョン実現のために敢然と立ち向かっているのです。三者三様のセルフコントロールとセルフマネジメントで対自競争しながら、内発的モチベーションを高めているのだと感じています。私ごときの想像力では、とてもじゃありませんがコメントなどできません。ただ言えることは、それぞれの競技が「大好き」だということではないでしょうか。平昌五輪後の羽生選手のドキュメント番組(大怪我から五輪2連覇までのプロセス)、2018年MLB閉幕後の大谷選手のドキュメント番組を拝聴して、使命感の強さと素直なサービス精神は当然として、「この二人は、心の底からスケートが大好きなんだ。野球が大好きなんだ」と感じ入りました。
今回は、どなたもご存知のことわざを取りあげてみます。前々回のエッセイ195回の続編的内容になりそうです。

好きこそ物の上手なれ

 好きなことであれば、率先して自ら学び、誰に言われるまでもなく熱心に取り組み、考えては工夫を繰り返します。だから、スキルの上達が早いのでしょう。“好きこそ物の上手なれ”は、概ねそんな意味だと思います。
もう少し掘り下げてみれば、“対他競争や他律要因には目もくれず、自分自身をセルフコントロールし、モチベーションを保ちながら、目標を達成するまでセルフマネジメントする”、そんな考動習慣を当たり前に実践している人を評することわざではないでしょうか。
 何事も、好きであれば、自律性・自主性が保たれており、やらされ意識は芽生えることがありません。小学生の時、ある遊びに夢中になって、日が暮れても続けていたことを思い出します。仕事でも、時間を忘れて没頭したこともありました。例え誰かに指示されたことであっても、好きなことであれば、仕方なくイヤイヤやらされている感覚にはなりません。好きということが、何事においても取組み意欲をしっかりと支えてくれているのです。

 「勉強は好きですか?学ぶことは好きですか? …… 」。
 この問いかけは、私が薬学生や若手薬剤師に対する最近の質問の中でも、間違いなくベスト3に入ります。その回答をもとに、私の考えを織り交ぜながら応答の対話を繰り返します。質問、そして対話の目的は、学ぶことが好きになって欲しいからです。学ぶことが好きでなければ、仕事が楽しく、面白いと感じるようにはなりません。自主性をもって前向きに取り組むことは難しいと思います。
 国家資格である薬剤師の任務を果たすためには、自主的に、日々アップデートされる専門知識を学ぶことが大前提です。そのプロセスは、薬剤師である限り、延々と続いていくのです。シンプルに考えて、学ぶことが好きでなければ、掘り下げた勉強は極力避けるでしょう。勉強し続けなければ能力アップは望めません。不勉強の状態では、患者を始めとして、生活者、仕事仲間、同僚から評価されないばかりか、自分自身の居場所すら危うくなります。好きだから面白くなり、面白いから追究し、そこから新たな着眼点が見つかり、能力のスパイラルアップが図られていくのです。身近なところでは、大好きな趣味を思い起こせば納得できるでしょう。
 何度も申しあげますが、問いかける目的は、学ぶことが好きになって欲しいからです。この20数年間、“好きです”と明るく言ってくれた人に出会った記憶は、極々限られています。多くの方が、何か怪訝そうな表情で、言い出しにくそうな表情で、ぼそっと「… 好きではありません」、「ウ~ン、… 嫌い … 」という感じで話されます。思ってもみなかった質問、本音をどこまで明らかにしたらいいのか迷う質問に、戸惑っての回答なのかもしれません。これ一つとってみても、薬剤師の任務の重さを鑑みれば、危機感の薄い茹でガエルを思い出してしまいます。
 一方、現状がどうであれ、“なぜそうなのか?”という本質的側面を置き去りにしては思考停止と同じことになります。また、私の考え方を押しつけてもいけません。共に考える姿勢で、その要因を明らかにするプロセスが大事であり、対話しながら掘り下げるようにしております。

 人生目的が曖昧なことが、本質的要因の一つと考えられます。どのような事情や他律要因があろうとも、この世に生を享けた人間として、私はどう生きるかという人生観を明らかにすることは義務だと思います。その行為から逃げてはいけません。そうすることで、健全な判断力が養われます。無知の知であることが自覚できて、そこから学ぶことの意義が見えてきます。学んだことを活かしていけば、さらに学ぶことが楽しくなります。好きになると思うのです。これは私の経験則です。
 もう一つの要因は、自分自身のなりたい理想像作りが疎かになっていることも考えられます。ビジョン、身近な目標も、漠然としている感じがします。そのように感じる理由は様々でしょうが、その多くは他律要因であって、やはり茹でガエル現象を思い出してしまいます。甘えるな、と言いたくもなります。他人から言われてやる“やらされ感”の原因は、自分自身の心の中にあります。これだけは、自分自身で意思決定しなければいけません。自分を変えられるのは、自分しかいないのです。
 最後に、私の思いをはっきりと伝えています。薬剤師の任務を果たすためには、あなた自身が楽しみながら生き甲斐を感じるライクワーク&ライトワークにすることです。だから、「仕事を好きになってください。誰はばかることなく“大好き”と公言する人になりましょう。そうなれば、学ぶことが楽しくなります。笑顔の輪が拡がります」と結んでいます。

 超有名な前文の選手たちは、“好きこそ物の上手なれ”の申し子だと思います。天賦の才能を具えた別世界の人かもしれませんが、身近な私たちの周りにも、同じような申し子がいらっしゃいます。目立たないけれども、コツコツ努力している達人がいらっしゃいます。その人たちは、日々の仕事が大好きです。楽しんで仕事に励んでいます。どうしたら好きになれるか、その方途は十人十色でしょうが、自主性・自律性が共通の土台だと思います。
                                                    (2019.9.3記)

【参考】エッセイ84回:学生と社会人との大きな違いの一つ(2015.1.19記)より
 “茹で蛙現象”に陥るな! 
 この警句をご存知の方は、かなり多いのではないでしょうか。先ず、茹で蛙現象の復習をしましょう。
ここに二匹の蛙がいます。一匹の蛙を水の入った鍋に入れます。その鍋を徐々に温めていくと、その蛙は水温の上昇に気づかないまま良い気分になり、やがて沸騰したお湯の中で死んでしまいます。二匹目の蛙は、最初から沸騰した鍋に入れました。二匹目は驚いて、直ちに跳びはねて鍋から脱出をしました。ただし、この二匹の蛙の比較現象は、科学的な実験結果ではなく、疑似科学的な作り話として広まった、というのが事実のようです。
 この茹で蛙現象は、ビジネスセミナーや管理者研修などにおいて、今でも引用されることの多い警句の一つだそうです。会社も組織も人間も、ゆるやかな経営環境の変化に気づきにくく、気がついた時には致命的な状況に陥っていることへの警鐘として使われています。そのことは、経営環境への適応こそが生き残りの重要な条件であることを示唆しています。そして、気づかないまま陥ってしまうマンネリ化に対する、さらに知らず知らずに進行してしまうぬるま湯体質に対する、それはそれは強烈な目覚ましパンチなのだ、と受け止めております。

エッセイ196:心の筋肉を鍛えてくれるレジリエンス

 情報が溢れています。欲しい情報が、いとも簡単に、リアルタイムに入手できる時代になりました。手に入れる手法も手段も、多岐にわたっています。
 兎にも角にも情報量が多過ぎて、私は持て余しています。ですから、信じて良い情報かどうか疑わしいものは、素通りすることに決めました。素通りできそうにない場合には、その真偽を判断する物差しを探してから活用することにしております。時間を要しますが、そのやり方を私の行動規範としました。それにしても、健康をテーマにしたテレビ番組・ネット情報が多いですね。似たり寄ったりのテーマと内容を、毎日のように競って取りあげているように感じる時もあります。真剣に取り合っていては、かえって寿命が縮んでしまうような気さえします。
 一方、私の身の回りには、いつか使えるだろうとストックしておいた教材が、持て余すほどの分量となって手元に残っております。“問題意識が旺盛だから”と、言えなくもありません。可能な限り電子媒体にまとめ直しておりますが、切り抜きして溜め込んだ資料が積もり積もって、かなりの量に膨れ上がっていたのです。時代遅れのものもありますが、中にはこれからの時代に通用する教材や書籍もあります。そこで、自称キラリと光る教材を積極的に活用することを始めました。工夫して活かせるものが、いくつもあるのです。数年前から断捨離を始めましたが、“在るものこそを活かす”ことも、意識して進めるようにしております。そのことを教えてくれたのは、スーパーボランティア尾畠春夫さんの生き方でした。
 同じ時期、「心が折れる職場」(見波利幸著・日経プレミアシリーズ/2016年7月8日一刷)から教わったことがあります。レジリエンス(resilience)です。言い方は異なりますが、これまで何度となく問題提起してきたテーマなのです。レジリエンスを高めることは、かなり難しい課題ではありますが、医療従事者にとって気づいて欲しい育成ニーズでもあり、この機会に掘り下げて考えてみたいと思います。

心の筋肉を鍛えてくれるレジリエンス

 レジリエンス(resilience)の意味を調べることから始めました。英和辞典やインターネットで検索してみると、いくつかのことが明らかになってきました。
 元々は、物理学などの用語として使われていたそうです。最近では、心理学やメンタルヘルスケアの分野に出てくる言葉であることも分かりました。心理学では、いくつもの顔を持つ言葉とも言われているようです。防災の観点からは、リスク対応能力、危機管理能力として注目を集めていることから、今後さらにクローズアップされる能力だと思います。
 英和辞典には“復元力、弾力性”という訳が出てきます。心理学においては、“病気などからの回復力、強靭さ”、“困難な状況にもかかわらず、しなやかに適応して生き延びる力”、“しなやかな強さ”という意味で使われているようです。実は、今回レジリエンスという言葉を知って、11年前に問題提起したテーマ「心の筋肉を鍛える」を思い起こしております。“レジリエンスを高める”ことは、イコール“心(メンタル)の筋肉を鍛える”ことなのです。私にとって心の筋肉を鍛えるというテーマは、今でも必須の問題意識として横たわっています。
 私がレジリエンスを高める(=心の筋肉を鍛える)ことを意識し始めたのは、私自身のレジリエンスが低かったという問題でもありましたが、担当していた人事・教育の仕事を通してでした。30年近く前になりますが、社員のメンタルヘルスケアの必要性を感じ始めたのです。仕事そのものや対人関係のストレスを抱えてながら、メンタル面の不調に悩む人の存在が気になったことがありました。以来、レジリエンスを高める(=心の筋肉を鍛える)ことが人材育成テーマであること、しかし鍛えることがハードルの高い難しいテーマであること、そんなことを強く意識しながら仕事に取り組んでおりました。20年前からは、薬剤師や薬学生の採用を担当するようになって、レジリエンスに関する問題意識が、急速に高まっていったのです。
 レジリエンスを高めること、心の筋肉を鍛えることが、いかに難しいテーマであっても、問題意識を蔑ろにして先送りする訳には参りません。自問自答しながら、焦って無理な正答を追い求めるのではなく、目の前の問題に向き合うことを続けております。ですから、処方箋例としてご紹介できるものは何一つありませんが、今まで取り組んできた中身や考え方の一部を、この機会に呟いてみたいと思います。

 人生何が起きるか分かりません。百年後であればいざ知らず、人生全てコントロールできるなんて、人間の驕り以外の何物でもないと思います。ですから、想定外という言い訳的発想とサヨウナラをすることから出発しようと、東日本大震災からずっと言い続けております。想定外は他律要因であり、それが思考停止を誘発して終わってしまうような気がしてなりません。起きたことをキチンと受け容れて自律要因に目を向けなければ、本質が見えてこないのです。
ま た、“成功よりも失敗した経験の方が明らかに多い”ということも、問題や課題と向き合って対処する時の前提条件にしております。問題を特定する時は、四直四現主義で、客観的視点で意思決定しなければ、原因の本質が見えてきません。本質的原因が見えないと、根本解決には至らないのです。
 その上で、どのようにしてレジリエンスを高めるか、ということになります。
 先ず、突発的であろうと、想定内であろうと、何かが起きた時、何かに遭遇した時、或いは立ち止まって右往左往している時、どうしたらいいのか何も見い出せなかった時、自分自身が立ち返ることのできる“何か”を持っていることがポイントではないでしょうか。“何か”とは、原点・基盤、プラットフォームなど、言い方はいくつかあるでしょう。薬学生の就職活動であれば、“あなたはどのような薬剤師になりたいですか?”、“どのような人間を目指していますか?”、“今まで学んできたことを、社会でどのように活かしていきたいのですか?”、“あなたの人生観は、人間観は、仕事観は?”、という問いかけに対する回答が、その具体的な“何か”の一つだと考えています。それは、初志、人生観などの生き方になりましょうか! 
 先ほど触れましたが、“成功よりも失敗した経験の方が明らかに多い”ことから、“失敗から何を学ぶか?”ということも、レジリエンスを高める方法になると思います。失敗体験を、成功の母にするのです。例えば、過去の労苦や失敗の体験がどれだけあったのか、それらとどれほど向き合ってきたのか、その多寡が、打たれ強く生きるレジリエンスへとつながっていくのです。現実的には、投げ出したくなることや心が折れてしまいそうなことが、長い人生ではいくらでもあります。そのような状況の中で、逃げずに向き合うことがレジリエンスを高めてくれます。大切なことは、そのような場合の活力の原点は何かということです。私の見解は、明確な初志の存在と言い続けております。
 今回は、問題提起で終わりますが、レジリエンスを高める(心の筋肉を鍛える)ことは、今後の人材育成上の主要なテーマになるでしょう。一人ひとりが努力することは当然として、組織責任者のあり方、さらには仕事の進め方を含めた会社全体の働き方改革なしに、メンタルヘルスケア問題は解決しません。どのような処方箋を用意するのか、それは経営者と管理者の大命題なのです。
 最後に、ヒントとなりそうな私見で締めたいと思います。
 二刀流を貫いているMLBエンジェルスの大谷翔平さん、大ケガを克服して五輪2連覇を果たしたフィギュアスケートの羽生結弦さん、現役を引退した野球のイチローさんは、三者三様のセルフマネジメントの達人です。プロセスを知れば知るほど、レジリエンスの神様であり、その原点は明確な志だと思えてきます。さらに、その志実現を支える師匠やブレーンの存在です。このことは、天才だから可能なのではなくて、誰もが実践可能なあり方だと思います。そのためには、仕事の進め方の土台を「目標と自己統制によるマネジメント(Management by Objectives and Self‐control)」として、PDCAサイクルをスパイラルアップすることを継続することです。これらのことは、機会を改めて取りあげたいと思います。
                                                    (2019.8.17記)

【参考】エッセイ163回:失敗は“胆力強化の眠り森”(2018.5.1記)

エッセイ195:ユーモアとウィットを身に着けたい

 幼少の頃から、引っ込み思案で、超という接頭語がつくほど消極的でした。そんなことから、人づき合いがからっきし苦手でしたね。かなり克服できたような気もしますが、その土台は今でも変わっていません。これまでのエッセイで、実例も含めて触れてきたと思います。
 一歩踏み出すことは、ある時期までの私にとって、清水の舞台から飛び降りるほどの難関でした。少しばかりの勇気を絞り出せば、新たな世界に足を踏み入れることができるのでしょうが、結局のところ逃げていたことになります。また、競うことを極力避けてましたから、その気があっても手を挙げることなく、誰かに譲ることが多かったと思います。心の底では後悔するのですが、その姿勢が大きく変わることはありませんでした。気がつけば、サポートする役回りが多かったですし、自分一人でできることを見つけて、ヒッソリとやっていることがほとんどでした。
 だからでしょうか、行動を起こしたいけれども右往左往している人、立ちすくんで躊躇している人への対処の仕方が、少しは余計に分かるような気がしております。思い込みかもしれませんが、半歩でも前へ踏み出す力を引き出す、より的確な一言が発せられるように感じているのです。ある時、そのような私なりのあり方に意義を感じ始めました。消極的であっても、そんな生き方に自信を持つようになりました。私の改善点が、誰かのお役に立つ形に変化していったのでしょうか。そうした積み重ねが、相手の気持ちから出発することを優先して、多くの人に何らかの役割を担ってもらう組織運営(マネジメント)を意識するようになったと思います。さらに、実践行動が積み重なって、相手:自分=51>49という考動理論に行き着いたと思います。
 そんなことを振り返りながら、“そういえば、…… ”ということが思い出されます。小学校高学年、確か5年生の時だったと思います。60年も前のことです。今の時代では考えられませんが、一クラス50人を優に超えて60人に近かった時代です。私の学んだ盛岡市立仁王小学校の全学年全クラスには、岩手大学教育学部の4年生が、教育実習としてひと月ほど配属になりました。教生の先生と呼んでいたと思います。その時期に、教生の先生方の送別会も兼ねたクラス挙げての学芸会がありました。出し物は自主製作が基本で、全員参画が原則だったと思います。しかし、どのグループにも入れない人が必ず出てくるのです。そのような同級生全員に声をかけて、10数名で「とんち(参照:本文29~30行目)教室」という芝居劇をやりました。“ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱ、スズメの学校の先生は …… ”と歌いながら、皆で考え出したストーリーを演じたと思います。大笑いしながら……。吉本新喜劇の先駆けだったかもしれません。
 話を進めましょう。
 一方、社内教育の仕事に従事してからは、私自身が変わらなければ、この仕事は務まらないということが明らかになりました。この時は腹を括って、清水の舞台から飛び降りることにしました。飛び降りたものの、苦悩・苦労・苦痛から脱出するまで、どれくらいの年月を要したでしょうか。それは、目の前の仕事へのやりがいを実感できるようになった時でした。E森83回は、清水の舞台から飛び降りたことの一部をつぶやいてみたいと思います。それは、“ユーモアに富んだ、ウィットに富んだ対話をすること”と“全力投球すること”でした。

ユーモア(humor)とウィット(wit)を身に着けたい

 日常生活でつくづく感じていることですが、とにかく外国語が飛び交うようになりました。中には、外国語風と思しき省略した言葉も出てきます。多くの皆さんは、意味を理解して使われているのでしょうが、私の場合、ついていくのが難しいと実感することが増えました。政治・経済の世界でも、SNSを含むマスメディアの世界でも、初めて聞く外来語が次々と湧き出してくるように感じるのです。マイペースではありますが、諦めることなく、知的欲求と調べて理解する努力を後退させないようにしております。
 そのような状況の中で、最近ではほとんど聞かれなくなった二つの英語に、懐かしさと親しみ、庶民的な気高さを感じております。それは、ユーモア(humor)とウィット(wit)です。意味は類似していますが、その二つを合体させて表現すれば“ユーウィット(ユーモア+ウィット)”とでも名付けたいくらいです。そういえば、前文で紹介した幼少期の「とんち教室」には、そんな気配が漂っていたと思います。
 さて、ここからが本題になります。
 引っ込み思案で、積極的に行動を起こすことを避けていた私にとって、清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟をしたことの一つは、何事にも全力投球することでした。それは、目の前の問題・課題とキチンと向き合うこと、諦めないで取り組むこと、その場しのぎで誤魔化さないこと、…も含みます。具体的な考動指針としたのが、“目標を決める”、“準備万端整える”、“目標達成を目指して必ず実行する”など、蔑ろにされがちな当たり前のことばかりです。6W3Hを明確にしてPDCAサイクルを回すと言い換えてもよさそうです。これらに関しては、何度となく問題提起をし、私の考え方や実践例を紹介して参りました。
 今回は、もう一つの“ユーモアに富んだ、ウィットに富んだ対話”の取組みについて、紙面を割きたいと思います。
 先ず、ユーモアとウィットの意味を復習しましょう。ユーモアもウィットも英語で、お互いが類似語の間柄ですから、大雑把に捉えると同じ意味に近いのですが、言い方が異なるように微妙な違いがあると理解しております。
 ユーモアは、“気のきいた、上品なこっけい味”のことです。こっけいとは、“おどけていておもしろおかしいこと”、“ふざけていて、ばからしい感じがすること”という意味ですが、上品なところが気に入っています。
 ウィットの意味は、“人の思いつかない巧みな発想で驚きや笑いをもたらす、機敏で鋭い知的作用”、“機知(その場に応じてすばやく働くするどい頭の働き、すぐれた才能)”、“とんち(その時、場合に応じて、すばやく働く奇抜な知恵)”です。とんち(頓知)が気に入っています。
 ユーモアとウィットの得も言われぬ洒落た雰囲気に、淡い憧れを持ったことがきっかけだったと思います。簡単そうに思われるかもしれませんが、人見知りの激しかった私にとっては、全力投球の何倍も『そうは問屋が卸してくれない』(そう簡単には事が運ばない)取組みでした。しかし、腹を括って向き合えば、成就することが体感できたのです。私なりのユーモアに富んだ、ウィットに富んだ対話の取組みは、粘り強い試行錯誤と、転んでも転んでも起き上がる粘り強さが、功を奏したと思います。稚拙な内容でしたが、笑いと全力投球を通して少しでも気を引くことが中心でした。現実の姿は、ユーモアやウィットの本質とはかけ離れた、いわゆる“おやじギャグ”に近かったと思います。それでも、何年か続けていくうちに、私の熱意&誠意として受け取ってくれるようになりました。懲りずに続けていくと、機知に富んだ状況対応ができるようになっていったのです。自然体でとんち教室をやれるようになったと、心の中で自画自賛しながら励み続けております。
 懲りずに取り組んだのは、強い問題意識を感じていたからです。研修会や勉強会で、嬉々として取り組み、参画する人の少なさが理由でした。“学ぶことが好きです”と、本音で言い切れる人が少ないことを常に感じていたからでした。『好きこそものの上手なれ』ですから、先ず、学ぶことが好きになって欲しいのです。私の主宰する学び舎を、そんな空気でイッパイにしたいのです。難しい課題ではありますが、志のレベルを落とすつもりはありません。
 日々の仕事場においても、ユーモアとウィットを意識しております。ただし、あくまでも自然体ですから、メンタル面のちょっとした余裕が大切だと思います。研修講師として社員の前に立つ時は、堅苦しい雰囲気を和らげ、学ぶことに親しみと楽しさを感じる手段として、日頃からかなり意識してネタ作りに励んでいます。学ぶことが大好き人間を増やすことが目的ですから、“対話が楽しい”、“対話したい”、“対話が好き”といったような気配が感じられると、それだけで嬉しくなります。さらに、対話の幅が広がり、対話の引き出しが増えて、信頼のコミュニケーションのあり方の本質理解が深まっていくことを願っております。
 最後に、一点だけ申し添えておきます。グルグル回りの応答の対話を、状況に応じて対処できることが必須要件だということです。ユーモアもウィットも、応答の対話があって心に沁み込んでいくのです。この件は、機会を改めて取りあげたいと思います。
                                                                                                         (2019.8.1記)

エッセイ194:もう直ぐ開講、なかた塾M&L教室

 エッセイ193回では、私の主宰する学び塾のマネジメント&リーダーシップ教室(以下、M&L教室)の目的とカリキュラムを紹介しました。その本文で触れておりますが、中田薬局の若手薬剤師に対しても、組織運営の基本修得の継続的な学び舎としてM&L教室を開講することにしたのです。
 昨年度に抜本的な見直しを行った新入社員教育ですが、一段落した段階で、新たな育成テーマが浮上してきたことで、入社3年間の育成目標がより明確になりました。もう一つは、“矯めるなら若木のうち”という思いが強くなったのです。それは、昨年4月に入社した新人薬剤師の1年間の足あとが、新たな道へと導いてくれたように感じています。
 今回は、前回のエッセイの続編になります。なかた塾M&L教室運営要領の全文を紹介したいと思います。

もう直ぐ開講、なかた塾M&L教室

 どのような勉強機会においても、スタート時点において、開講の経緯・ねらい、予定スケジュールなどを、丁寧に説明するようにしております。今回は、運営要領を用意して、1時間かけて共有化の対話をしたいと考えております。
 以下、その全文になります。

1.開講の経緯・ねらい

 従来、マネジメント、リーダーシップ、人材育成に関する知識・技能・ノウハウは、部下を持つ管理者の必須要件として位置づけられてきました。しかし、仕事のあり方や仕事環境・生活環境の変化に伴って、部下の有無に関係なく必要な能力要件になったと思います。
 その問題意識は10数年前からの実感であり、喫緊の課題として位置づけて現在に至っております。私の主宰する学び塾においては、10年前から人材育成を、数年前からはM&L講座をシリーズとして取りあげております。“待ったなし”というのが、私の偽らざる心境なのです。そのような実態に鑑みて、若手ビジネスパーソンの継続した学び舎として、なかた塾マネジメント&リーダーシップ教室(略称:M&L教室)を開講することとしました。開講のねらいは以下の通りとします。

(1)組織運営(チームワーク)の基本となる共通専門能力の中で、その幹となるマネジメント、リーダーシップ、人材育成の基本を啓発的に学ぶ。
(2)一人ひとりの目指す薬剤師像を実現するために、一人ひとりの“心構え・考え方”、“職務遂行能力”、“人間性”を磨きあげる。
(3)「もっと成長したい」「さらに進化したい」「顧客のお役に立ちたい」という志を持っている方々が、自主的・自律的な自己啓発&相互啓発を実現する機会(チャンス)とする。
(4)問題意識、好奇心、感受性を総動員して、“気づき”を引き出しあう場とする。

   知ろう、磨こう、組織運営(チームワーク)のイロハを!

2.講座の名称

(1)全体名称:『なかた塾マネジメント&リーダーシップ教室』 → 通称『M&L教室』
(2)コース名称
    ・入社2年目コース:実践コースⅠ
    ・入社3年目コース:実践コースⅡ
    ・入社4年目以降コース:アドバンストコース

3.主な自己啓発・相互啓発テーマ
 
(1)組織運営(チームワーク)基礎能力の修得
     ①マネジメントスキル
     ②リーダーシップ、フォロワーシップ
     ③人材育成、後輩育成
     ④対人関係スキル(含むコミュニケーションスキル)
     ⑤戦略発想
     ⑥その他
(2)正しい行動理論、健全な判断力の啓発
(3)知って出来る化の推進(ロールプレイング、体験実習、コロキウムなど)
(4)パーソナルインフルエンスのブラッシュアップ

4.受講資格者:下記(1)と(2)を充たす人

(1)M&L教室開講の経緯・ねらいに賛同して、下記事項を確約できる人
     ①自分自身の成長願望を、ハッキリと公表できる人
       *「とにかく学びたい。だから、教えてください」と言える人
     ②予習・復習を含めて、毎回、主体的に取組むことのできる人
     ③毎回出席することを約束できる人
(2)入社初年度のいのうえ塾新入社員導入研修、フォロー研修を受講した人。

5.開催頻度、スケジュール
 
(1)開催頻度など
     ①年間2~3開催を基本とする。
     ②2日間で1開催とする。初日14時スタート、二日目17時終了予定。
(2)実践コースⅠスケジュール予定
     ①第1回:2019年8月28日(水)~29日(木)
     ②第2回:2019年10月16日(水)~17日(木)
(3)実践コースⅡは、2020年度より開催
(4)アドバンストコースは、2021年度より開催予定
                                     以上

 予定カリキュラムは、エッセイ193回に掲載したテーマを中心に、適宜カスタマイズしながら状況対応する所存です。

                                                       (2019.7.12記)

エッセイ193:マネジメント&リーダーシップ教室

 第23回学び塾(2019年6月23日)には、今年大学を卒業した新薬剤師が出席します。私から声掛けをして、自主的に学ぶことを条件として参画を認めました。誘った理由は、学び塾で最近特に力を入れているテーマを、今の内から学んで欲しいからです。また、食品表示診断士と環境計量士の資格を持つ食品分析の仕事に携わっている知人も仲間入りします。異業種からの参加は、新たな化学反応が期待できます。今回のエッセイは、数年前から力を入れているテーマを紹介したいと思います。

マネジメント&リーダーシップ教室

 組織の長にとって必須のマネジメントやリーダーシップの心得は、拝命してから学んで間に合うものではありません。部下を持つようになれば、その時から組織責任者としての幅広い任務が待ち構えています。組織の一メンバーであった時と比較すれば明らかですが、その任務は質量ともに雲泥の差があるのです。その時点で、マネジメントやリーダーシップの何たるかを学べば何とかなる、あるいは事足りるという甘えは許されないと思います。
 一方、職位や部下の有無にかかわらず、自分自身の任務を果たすためには、マネジメントセンスやリーダーシップを必要とする場面が数多くあります。幾つもの要素が絡まり合いながら、関わり合って成果へと結びついていくのです。そのような理由から、マネジメントとリーダーシップのイロハを、早い段階から学ぶ必然性があるのです。目の前の課題をキチンとこなしていくうちに、それ相応の年月を経て身につくのがマネジメント能力でありリーダーシップだと実感するようになりました。しかし、意図して学ぶ機会が作られていないのも実態です。
 申しあげた問題意識を引きずりながら、マネジメントに関してもリーダーシップについても、社会人の仲間入りをした段階から学ぶ機会を作るべきだと強く感じます。それは、人材育成についても同様です。20歳代半ばから、意識して後輩育成を任務の一つとして位置づけるべきだと思うようになりました。抑々、マネジメントとリーダーシップに関する教育機会を、義務教育的な科目として教育体系図に明記するべきなのです。人を育てることの本質(考え方、理念、ノウハウ)を学び、後輩とともに切磋琢磨しながら、マネジメントとリーダーシップの素養が身についていくのです。心を耕すことを忘れないで、基本に則った後輩育成を通して、自身の手で人間的魅力を高めて欲しいのです。そんな思いもあって、学び塾では2009年のスタート時点から、マネジメント関連の基礎知識、人材育成の基本を、育成課題の幹の一つとして取りあげてきました。そして、第20回学び塾からは「マネジメント&リーダーシップ教室」をスタートさせたのです。中田薬局においては、入社3年間を義務教育期間として、2年目から中田薬局版「マネジメント&リーダーシップ教室」をスタートさせたいと考えております。
 開講に当たって、それまで曖昧であったマネジャー(マネジメント)とリーダー(リーダーシップ)の違いを再定義し、両面からの修得を目標としました。また、肝心な部分は、復習を繰り返して深耕するやり方で進めております。メンバーの将来を見据えた能力開発機会として、これからも試行錯誤し続けたいと思います。以下、私なりに解釈したマネジャーとリーダーの違い、学び塾で取りあげたカリキュラムを紹介しましょう。

★マネジャーとリーダーの違い
 1.マネジャー
    ・どのようにやるのか(HOW):戦術家

    ・PDCAサイクルをスパイラルアップする人。(問題解決の基本手順に沿って仕事をさせ続ける人)
    ・実務をきちんと把握しており、メンバーの能力開発を促進させ続ける人。

 2.リーダー
    ・何をやるのか、何故やるのか(WHAT、WHY):戦略家
    ・志とビジョンに従う人であり、その実現のために、関連する人たちを活かす人。
    ・メンバーの心に火を点ける人。
    ・決定する人であり、実現できなかったら責任をとる人。


★「マネジメント&リーダーシップ教室」実施カリキュラム(今後の予定も含む            9
 1.マネジャーは何をする人か?(120分~150分)
    ・マネジメントとは?
    ・マネジャーの役割
    ・部下を持つマネジャーの具体的任務
 2.目標による仕事の進め方(120分~150分)
    ・目標と自己統制によるマネジメントのねらいと本質
    ・目標による仕事の進め方の基本ステップ
    ・問題とは/成功確率の高い問題解決の基本手順/問題解決の思考プロセス
 3.会社の中における役割(60分)
    ・ビジネスパーソンの役割形成と成長/役割の二側面
    ・状況に応じた役割の重要性
 4.WHAT LEADERSHIP?(90分~120分)
    ・リーダーシップとは?
    ・リーダーの役割と機能
    ・状況対応リーダーシップ
    ・部下は「掌握」すべきなのか?
 5.人材育成の基礎知識(120分~180分)
    ・仕事遂行に必要な能力
    ・人材育成トライアングルシステム
    ・育成手法の長所と短所、相関関係
    ・教え方のプロセスとコツ
 6.薬剤師にとってのコミュニケーションの本質は?(200分~300分)
    ・コミュニケーションの本質を追究する時の前提条件
    ・前提条件と日頃の問題意識から、医療施設従事者にとっての本質は何か?
    ・信頼のコミュニケーション実現のための行動例
    ・感受性を磨くための実践例
 7.上司百態(180分)
    ・実在するビジネスパーソンのケーススタディ
 8.人間性についての基本的信念を確立する(120分)
    ・人を理解する基本
    ・D.マグレガーのX理論・Y理論
    ・さあ、人間性に関する基本的信念を確立しよう
 9.なぜ患者様と呼ぶようになったのか?どのような呼び方が良いのだろうか?(150分)
 10.生き方を学ぶ①「雨ニモマケズ」(宮沢賢治)より(150分~200分)
 11.企業内教育の活動指針(企画中)
    ・教育活動の目標
    ・教育担当者の役割・機能
    ・教育担当者に求められる基本要件
    ・人材育成プラットフォームの構築
    ・「My Favorite EDUCO BOX」から
                                                   (2019.6.14記)

エッセイ192:要注意、”分かり易さ”の罠

 エッセイ189回では、“仕事そのもので差がつかないのであれば、社員一人ひとりで差をつけるしか道はない”、“会社の生き残る道は、社員教育を上位優先課題として位置づけること”と申しあげました。会社の理念実現に精一杯努力している社員の立場を慮れば、“人財育成は、当たり前の弊社の使命”という言い方が真意なのです。私が現在お手伝いしている中田薬局は、そのことが素直に実感できる会社だと思います。
 そんなことを反芻しながら、信頼のコミュニケーション実現の難しさが、改めて浮き彫りになってきます。最近では、“どのような文言でコミュニケーションを図ったらいいのか?”というような、言葉そのものの選び方・使い方、文章の量などにも問題意識が働きます。これまでのエッセイとE森で、何度となく問題提起し、提案もしてきました。しかし、スピード化・効率化が優先される今の時代には、表面上の心地良い言葉や分かり易い表現で済ますことが多いような気がします。また、それが無理解や誤解のもとになって、急いだ挙句の果てが、結局スタート地点に戻ってしまうことも見聞きします。“急がば回れ”の典型ですね。
 今回は、分かり易さの罠に焦点を当ててみました。少々大げさですが、その心は、分かり易さの否定ではなく、陥りがちな罠・落とし穴を理解した上で分かり易さを追究したいのです

要注意、“分かり易さ”の罠

 先ず、中田薬局の経営理念から紹介したいと思います。その三番目に、「社員一人ひとりの志や能力を尊重し、みんなの英知を結集して医療施設としての総合力を高めていきます」とあります。さらに、“社員一人ひとりの個性・独創性・専門性を尊重し、その能力が最大限に発揮されるような職場風土と仕組み作りに全力で向き合います。そして、一人ひとりの思いや力を結集して、中田薬局の総合力を高め続けます”という内容が付記されています。
 地域社会への公約宣言としての基本理念は、「私達中田薬局の社員は、患者様と地域の生活者の健康向上のために、多くの医療関連従事者・協力者との連携・協働を通して、“ありがとう”と笑顔で感謝され、納得した満足を実現できる心のこもった医療サービスの提供を使命といたします」という内容です。経営理念と同じように、“「心のこもった医療サービス」については、具体的な事例・志・思いを、社員の日常業務の中から、仕事研究的に追究して事例化していく”という文言が、社員への行動規範として付記されています。有為な医療人を育てること、地域の生活者のお役に立てる人財を育て続けるという意思の表れなのです。
 基本理念・経営理念も含めた現在の中田薬局の企業理念は、約9年前(2010年)に再定義しました。仕上げの段階までに半年を要したと思います。一番心を砕いたのが、社員の理解と共感・共鳴を得るための文言や共有化の方法でした。特に、行動レベルの理解につながる文言をどれにするのか、四苦八苦しながら行き着いた結論は、①使う言葉を吟味する(=意味を調べて、的確な文言で表現する)、②本意が伝わることを第一義として、文言の簡略化をしない、③社員に対して、企業理念の内容とその理由を説明する、という3点でした。
 30数年間人事・教育の仕事に携わって、必要な言葉を省いて簡略化した表現にすると、なかなか本意が伝わらないことを何度も経験しました。分かり易さを意識するあまり、字数を減らして表面的な言葉で済ましたことが、幾度となくありました。形式的なものであればそれで良いのかもしれませんが、それでは本意が伝わらないだけでなく、長い目で見れば日々の仕事の出来栄えにも影響します。そのことがきっかけとなって、“分かり易さとは何か?”を自問自答した時期がありました。簡潔な表現を否定はしません。分かり易さの要素の一つではありますが、要ではありません。私の結論は、“本質が明確で、可能な限り理解し易く、的確な行動へと導いてくれる文言を駆使すること”が、分かり易さの根幹だということです。

 つぶやきエッセイを始めたのが2005年でした。回数を積み重ねて、牛歩ではありますが、私自身が納得する文言で表現できるようになってきたと思います。最近では、私の考える分かり易さにより近づいていると確信できるようになりました。
 もう一つの変化は、文字数がかなり増えていることです。丁寧な説明を心がけているからでしょう。また、しつこいほど点検を繰り返していますから、仕上がるまでに要する時間が何倍にも増えました。その理由を掘り起こしてみたいと思います。
 取り上げるテーマには、取りあげる目的、取りあげた理由があります。それらの多くは、長い年月の仕事体験を経て、徐々に膨れ上がってきたものです。その目的や理由をキチンと表現しなければ、なかなか本意は伝わりません。本意や真意を理解して頂くためには、目的・理由・経緯、そして認識している問題の実態を、より詳しく言及することが必須要件なのです。理由の理由ということだってあります。そこは丁寧に表現するべきだと考えるようになりましたから、自ずと文字数は増えます。当然、使う言葉も吟味します。共通認識を促すための補足説明だってあるのです。私の考える分かり易さという点では、起承転結の工夫、全体のストーリー性など、構成上の工夫にも心がけておりますし、何度も読み直しては、簡潔さに配慮することも忘れません。
 私の仕事作法を長々と申しあげた根底に、今回のテーマ『要注意、“分かり易さ”の罠』という問題意識があるからです。この問題意識は、年齢に比例して増幅しております。政治家やマスコミを賑わす方々の言動であったり、テレビやSNSを賑わしている事件や出来事であったり、表面だけの分かり易さに対して問題意識が膨らむ素材に事欠きません。たかだか数十文字で、本質を表現することなど私の力では不可能ですから、現状の分かり易さに対する問題点(デメリット)を意識して、理解につながる文言を掘り起こしていく必要性を常に感じております。紋切り型の分かり易さ、興味を引く心地良さに、騙されてはいけません。罠、落とし穴があることを覚悟しておきたいものです
 日頃感じている問題意識を、もう少し列挙してみましょう。
 結果や批評を並べるだけで、その理由・根拠・経緯が何であるのか、主語は誰なのかなど、本質を理解するための肝心なピースが省かれていることです。一見分かり易いと思われがちですが、それが落とし穴なのです。身の回りに、いくつも転がっていると感じています。誰とは申しませんが、品のなさを露呈している場面に出会うこともあります。
 都合のいい一面だけをことさら強調して、分かり易く見せかけていると感じることも多いような気がします。聞きかじりの出来事への安易な賛否や評論には、うんざりさせられます。
 聞きなれた言葉で分かり易いけれども、中身が希薄という表現もありますね。具体性に欠ける当たり障りのない表現は、不勉強であること、自らが考えていないことの表れです。少しでも気になる場合は、本意を引き出すための質問を繰り返すことにしております。多くの場合、綻びが出てきますね。
 ネット検索で情報を直ぐに引き出すことが可能になりました。その真偽を調べて検証することをしないステレオタイプもかなりあります。先ず、その情報が正しいのかどうか判断しなければいけません。そのような行為がニセ情報の垂れ流しになるかもしれない、そんな想像力・感受性も退化してしまうでしょう。
 ネット販売が盛んです。心地良い言葉に誘われて購入し、期待はずれにガッカリしたことはありませんか。“今だけ何と○○引き。さらに、……”、半額セールの連発、…。“だったら、最初から半額を正価として売り出して頂きたい… ”と言いたくなります。理解し難い専門用語、略語、外国語の連発、それも早口でまくしたてられては、聞き流すしかありません。全てがそうだとは申しませんが、売上至上主義、利益第一主義の権化に見えてきます。
 以上、私が感じている問題意識のいくつかを取りあげました。
 
 気づいて頂きたいことは、前回の便利さにも、今回の分かり易さにも、罠が潜んでいるということです。落とし穴が存在している可能性があるということです。もう一つは、どのような表現にしようとも、受け取る側の理解と評価は十人十色であるということが挙げられます。例えば、エッセイの問題提起や提案が何であれ、“それはあなたの考え方であって、自己満足に過ぎない”、“文言が多過ぎて読む気がしない”、と評価する人もいらっしゃるということです。
 そのようないくつもの着眼点を前提として、分かり易さ、心地良さのメリット・デメリット、功罪を念頭に置いて最終判断して対処しましょう、ということです。“分かり易く見せることで終わっていないか?”、“表面上の良いとこ取りで終わっていないか?”、自戒しながら呟き続けたいと思います。本質を理解するまでには、自力で考える時間が必要です。熟成という言葉があります。熟すまでには、それ相応の時間が必要なのです。 “キチンと向き合って、あれこれ考えて思いを巡らし、意思決定すること”が生き方の基本でありたいと思います
                            (2019.5.30記)

エッセイ191:ブツブツ独り言…便利さのメリット、デメリット

 新しい年号『令和』になりました。だからと言う訳ではありませんが、心のどこかに“いつもの風情とは一味違ったエッセイにしようか”という気配が漂い始めております。
 何年も前から密かに抱き続けている疑問に対して、一言二言、場合によっては三言も四言も、ブツブツ独り言を書き連ねてみたくなったのです。この20年間、いやそれ以前から、誰もが当たり前のように追い求めている「便利さ」「分かり易さ」「直ぐに役立つこと」に対する、チョットばかりの“それでホントに良いのだろうか?”、という懸念から発せられる独白がテーマになりそうです。全て私の見解になりますから、興味が持てなかったり、偏った見方と感じられたりで、読む気が起きないようでしたら素通りしてください。老婆心からの勝手な言い分で恐縮です。その場合は、“ゴメンナサイ”と言うしかありませんが…。

ブツブツ独り言 … 便利さのメリット、デメリット

 私の人生を80年とすれば、一生を24時間にした人生時計は22時に差し掛かろうとしております。私の中では先が見えていますから、世の中の変化に対しては泰然自若とまではいかないまでも、無頓着により近い状態だと思います。だからと言って知らん振りするでもなく、これからの世の中のことを少しは気にしながら、あと1時間半は問題意識を働かせていたい心境でおります。

 便利さの追求は、人間の基本的欲求の一つなのでしょうか?あるいは、グローバル経済競争に勝つためには、生き残りのために避けては通れない道なのでしょうか?
 貪欲なほどのその欲求は、数多くの便利・便宜・便益・至便・利便をもたらしています。戦後の日本における生活の質的向上は、ひとえに豊かさや便利さ猛追のキャッチアップの産物だったと思えてきます。その便利さ追求を公言した一例が、米国生まれのコンビニエンスストア(以下、CVS)でした。昭和49年(1974年)5月中旬、当時は陸の孤島と呼ばれていた東京都江東区豊洲に、日本初のCVSがオープンしました。セブンイレブン1号店です。営業時間は朝7時から夜11時、“近くて便利”のキャッチフレーズは、今でも頭のどこかに残っています。それから何年かして情報化時代が幕開けし、企業間競争は新たなステージへと向かったのです。競争の実態は、先取りを競うスピード競争であり、今でも熾烈な顧客への利便性競争・価格競争が続いると思います。最近では、その範囲がヒトとモノへと拡がり、さらにはヒトとモノだけではなく、システム・場所・データなど、あらゆるコトがインターネットを通して融合するIoEという概念へと進展しました。ICTのさらなる進展が、その担い手であり核として君臨しており、AIの登場は利便性追求競争だけではなく、仕事のあり方を抜本的に変えようとしています。
 一方で、旧人類の老婆心からのような気もしますが、便利さが良いこと尽くめとは思えないのです。便利さから少し距離を置いて俯瞰すれば、場合によっては人間の能力を麻痺させる魔物になりかねないような気がします。便利さの恩恵を享受ながらも、便利さから失われてしまいそうな大切なものの存在が、どうしても気になってしまうのです。見方を変えると、不便さによる恩恵だってあるのではないかと … 。私自身が一番輝いていた時代と今とでは、仕事のあり方、手段・ツール、問題・課題の背景、そして生き方や仕事観・管理観までもが大きく異なります。ですから、良し悪しの問題としてではなく、現象面の単純な比較をするのでもなく、精一杯努力して今を生きる一人として、便利さについて考えて掘り下げて辿り着いた今の私の考えを、ブツブツと呟いてみたいと感じているのです。

 20歳前半の方々と交流する時に感じることがあります。ICT操作能力、ICT活用能力は全く敵いません。スマホ一つで、ジャンルを問わず知りたい情報を、簡単にリアルタイムにゲットしてしまうのです。情報検索はもちろん、コミュニケーションも買物も、いくつものアプリを駆使して、その場で遠隔マネジメントしているのです。今の中高生にとって、スマホもタブレットも文具であり、辞書・辞典も含めた知識の在処であり、使いこなしながらルールやリスクまでも学ぶのだそうです。それが当たり前の行動習慣・思考習慣になっていますから、全く歯が立たないのは当然なのだと思います。あくまでも私の場合ですが…。
 そんな実態を認めながら、“だからなのだろうか ……”と、ついつい心配してしまうことがあるのです。それも、“私が同世代の時はどうであったろうか ……”ということを可能な限り思い起こしながらの心配事であり、若い方々との研修会や勉強会、薬学生の採用面接など、私の本業を通して感じている心配事なのです。頭のどこかで“時代遅れの化石的見解になりはしまいか… ”と危惧しながらも、便利さの裏で失っているものの存在が、頭の何割かを占めています。
 心配事の一つが、便利さに寄りかかって、知らず知らずの内に自身の頭と五感で考えなくなることです
。知りたいことのほとんどは、インターネットを通して、その場で直ぐに入手できます。20年前には考えられなかったことです。もう一つの心配事は、その結果として思考停止状態になっていること、思考停止のもたらす弊害などに問題意識が働いていないことです。気づきの機会も奪っているような気がします。常に問いかけていることですが、共通専門能力の中核でもある問題解決の思考プロセスが錆ついてしまうことが気がかりなのです
 物品購入にも言えることです。インターネット販売は、経費を省いてパフォーマンス・バイ・コスト(品質対価格比)を高めることで成り立っています。しかし、私のような旧人類のアナログ人間には、購入画面に辿り着くまでが一苦労なのです。ネットを利用して不良品に出会ったことが何度かありましたから、店頭で直接購入するようになりました。ごくまれに利用しますが、品質に間違いないという確信を持てる商品、ネットでしか入手できない必要品のみにしています。店頭購入は、“五感を使って考える”、“比較して気づく”、“新たな発見がある”など、頭の錆止め効果にもなります。昭和世代には、ウインドウショッピングという楽しみ方だってありました。
 また、入手した知識や情報は、その人の理解力や問題意識の範囲で正しいと信じて借用することになります。そこにも落とし穴があるのです。ケースバイケースでしょうが、医薬品のプロには、一歩立ち止まって、その真偽や信憑性の検証を忘れないで欲しいと感じています。
 これらの懸念が今日明日の内に表面化することはないのかもしれません。杞憂で終われば良いのですが、問題発見能力・問題解決能力・行動力・判断力など、職務遂行能力が落ちてしまい、ひいては自己責任を放棄することにつながるのではないでしょうか。問題意識、想像力、感受性の低下も気になりますし、生き方を含めた倫理観の劣化はもっと気になって仕方ありません。そのボリュームは、年々少しずつアップしています。
 それでは、どのように対処したら良いのかを考えてみたいと思います。

 一番申し上げたいことは、何事にも共通することでしょうが、“便利さにもメリットとデメリットがある”ことを、先ずは認識して欲しいのです。さらに、メリットとデメリットは一人ひとり異なることも理解して頂きたいのです。年齢・家族構成・収入・趣味・人生キャリア・仕事環境、さらに生活環境・地域事情などの属人的要素によって、便利さのメリットとデメリットが逆転することだってあり得ましょう。視野を拡げてメリットとデメリットを総括し、その時々のそれぞれの実情に合わせてベストな選択をして最終決定することだと思います。そこに行き着くまでのプロセスこそが、自身の頭と五感を使って考える行為そのものではないでしょうか。
 もう一つ認識しておかなければならないことがあります。便利さや使い勝手の良さの裏には、それを支えてくれる人やコトがあることです。そもそも世の中の仕組みも出来事も、いくつもの要素で構成されています。それも複雑に絡まり合って成り立っているのです。正に、“人は一人では生きていけないこと”を胸に張り付けて、相手のことを思いやる度量を持ち続けて判断して欲しいと思います。ですから、表面上の便利さだけで誤魔化されてはいけませんし、誤魔化してもいけません。直ぐに役立つこと、直ぐに儲かることに踊らされてもいけません。何事も、一度はイエローカードを出して、想像力と知恵を絞りだして意思決定する術を身につけておきたいと思います。
 こうやって独り言を積み重ねていると、だからこそ教育の本質的意義があると強く感じてきます。もっと教育の出番があって然るべきなのです。いのうえ塾の新たな方向性が見えてきたと思います。

                                           (2019.5.18記)

エッセイ190:私の眼に映る中田薬局のここが素晴らしい

 昨年9月上旬、経団連会長から就職協定廃止の発言がありました。舌の根が乾かないうちに、今度は政府が日程の維持継続を言い出したのです。10月下旬のことでした。
30数年も採用の仕事に携わってきました。その間、就職協定なるものの理念と規範を意識して活動されている企業がどれだけあるのだろうか、常に割り切れない思いを抱き続けて現在に至っております。そもそも論で語れば、疾うの昔から形骸化していると思われる申し合わせだけの協定でしたから、今さら何ともコメントのしようもありません。就活生から相手にされないことが多い小企業の場合、常に門戸を開いて通年採用で対処するしかありません。就職協定に関することが毎年マス媒体で取りあげられても、正直なところ関心すら持てない素通りニュースの類に入ってしまいました。就職協定を守ってきた中小企業の悲哀を味わった私にとりまして、正直者が馬鹿を見る就職協定論議には感受性の一かけらも反応しそうにありません。
 割り切れない思いという点では、学生の皆さんへの企業紹介のあり方もその一つです。自社の良いとこだらけのオンパレードに対して、疑念を抱いてウンザリしている声を聞くことがあります。そのような状況下での中田薬局の採用活動は、就職活動の本質的なあり方を問いかけて自力で考えるQ&A方式、企業の活動実態を直に観察して将来の方向性を築き上げる実学方式で対応しております。常に問題意識を切らすことなく、薬学生の意識と行動のダブル変革を目的と位置づけて、本質追求精神で試行錯誤し続けているということです。本質追求という幹だけは、今後もぶれることなく維持し続けたいと思います。

 今回のエッセイは、昨年度の内定者懇談会での自己紹介の中身を披露したいと思います。
 中田薬局では、内定式という呼び方ではなく、内定者懇談会という表現にしております。開催目的と内容を鑑みれば、内定式という表現はそぐわないという判断からです。開催日も、入社予定者の学事日程と相談して、学業に影響しない日程にしております。

私の眼に映る中田薬局のここが素晴らしい

 入社予定者の内定者懇談会では、参加者全員の自己紹介にも工夫を凝らしています。内定者、幹部社員、一般社員に分けて、それぞれ次のような内容を指定しました。
 内定者の場合は、①氏名、②大学名・学部学科名・所属講座又は所属ゼミナール名、④卒業論文テーマ、⑤出身地・出身高校、⑥中田薬局を志望し最終決定した理由、⑦何か一言の7項目です。現社員にとっての興味は、何と言っても“弊社の志望動機であり、弊社に決めた理由”が一番になりそうです。
 一般社員は、今年度入社の2名が出席しました。①氏名、②配属先、③現在の修業(仕事)内容、④出身大学・学部学科名、⑤出身地、⑥中田薬局を志望し選んだ理由、⑦(入社半年経過して)今感じている学生と社会人の違いは何か、という内容です。“今感じている学生と社会人の違い”は、内定者にとって興味深い情報となりますが、私には2人の成長度を知る機会になりました。
 社長を含めた幹部社員は、①氏名、②年令、③担当している仕事内容、④私の考える“中田薬局のここが素晴らしい”の4項目でお願いしました。自社をどのように評価しているのか、実はお互いに意見交換をしたことがありませんでした。特に美点、長所については、皆無に近いと思います。いい機会と位置づけて、皆さんから紹介頂きました。内定者、社員にとって、自発的モチベーションが活性化されたと思います。

 自己紹介に付随させて、リラックスタイムとして15分間の“釜石を知ろう”クイズをやってみました。三つのQは、以下の通りです。
  Q1「釜石は、“○と○と○のまち”と称されています。三つの○を順番に答えてください」    
  Q2「日本ラグビーのモットー、ラガーの合言葉があります。何でしょう?」
  Q3「①このモットーの元はどこにあるのか(誰が言ったのか)?そして、②本来どのような意味でしょうか?」

 ここから、本題に入りましょう。

 先ず、私の眼に映る中田薬局の素晴しい点について、内定者に話した内容をそのまま掲載したいと思います。二つに絞りましたが、これらは最近とみに感じていることです。

『私が大学を卒業してから11社で仕事をしました。その経験も参考にしながら、より客観的視点で中田薬局の素晴しいところを二つ紹介します。
 先ず、何かやりたいと考えたことをやれる環境が調っているということです。それは、本人がやりたい分野、得意な分野で活躍できるということであり、自分らしく生きていけるということを意味します。当然、提案することが前提ですし、やりたいこととその理由(WHAT&WHY)がはっきりしていなければいけませんが…、この環境は太鼓判を押しましょう。
 中田薬局の会社案内の表紙には、「小さな薬局の挑戦です」とあります。一年先輩の二人とスクラムを組んで、新たな中田薬局を築いて頂きたいし、喫緊の課題であるこれからの薬剤師のあり方を具現化して欲しいと切望します。若人の特権である行動力で、積極的にチャレンジしてください。
 もう一つは、企業や職種の垣根を越えて、釜石の医療を支えるんだという企業姿勢です。東日本大震災での釜石方式、地域包括ケアのチーム釜石は、そんな企業姿勢の産物だと思います。私自身は、10数年も前から企業内教育の分野で同じように考えていました。薬剤師とその卵である薬学生の育成は、企業・大学・各種団体(薬剤師会、業界)がそれぞれ個別にやる時代は終わったということです。目的が同じでありながら、違う視点でばらばらにやっていては効果が上がらないという危機感からです。可能な限りいわゆる垣根を超えた連携を試みてきました。この分野ではまだまだなのが実態です。しかし、中田薬局だからこそできるオンリーワン(他社には真似のできない差別優位性)の育成方法(特に、共通専門能力)で皆さんを支援して参ります』


 今年度入社の2名も来年度入社予定内定者も、弊社の活動に共感して、弊社で保険薬剤師の道を選択してくれました。素晴らしい会社という評価をして頂いたことになります。もう10数年も前になりましょうか。毎年毎年繰り返されるマンネリ化した採用活動に、どこか倫理的香りのする基本的な問いかけに出会いました。発案者は私自身で、私自身に対する問いかけでもありました。

Q1「あなたが勤務している会社を、『うちの会社は素晴らしい会社ですよ』って、心の底から胸を張って言えますか?」
Q2「あなたのお子さんに対して、『うちの会社は、すごく良い会社だよ。是非企業研究してみなさい。そして、入社を勧めるよ』って、言い切ることができますか?」

 本音で、憚ることなく『うちの会社は素晴らしい会社ですよ』、『うちの会社は、すごく良い会社だよ。是非企業研究してみなさい。そして、入社を勧めるよ』と言い切ることのできる社員が、果たして何人存在するのだろうか?
 そのような企業風土を耕し続けることが、企業内教育の根幹でなければいけません人材育成の究極的テーマは、社員一人ひとりが『うちの会社は素晴らしい会社ですよ』と公言してくれる会社の実現だと思うようになりました。その実現のためにも、正にノーサイドミーティングで、お互いが感じている「私の考える“中田薬局のここが素晴らしい”」を出し合うことを奨励したいと思います。
                                                     (2019.5.1記)

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