なかた塾でも学び塾でも、“人材育成の基本修得”を最優先の教育ニーズとして位置づけるようになりました。部下を持つ管理者、チームリーダーは勿論のこと、中堅社員に対しても必要性を感じております。それ以上に、先ず経営者や経営幹部こそが、率先して学ぶべき課題かもしれません。口先だけの人材育成にウンザリしていることもありますが、何よりもジネスパーソンにとって優先度の高い必須能力要件だからです。
しかし薬剤師の場合、マネジメントやリーダーシップ、さらに人材育成などに関する共通専門能力の基本を学ぶ機会が乏しいのが実態です。私自身が、教育担当として直に関わってきた薬剤師の場合でいえば、学ぶ機会がゼロであった方が圧倒的多数を占めておりました。“マネジメントとは何か”、“リーダーシップとは…”、“教育とは…”という考え方や理念に関する基本から学んでいかなければ、画一的で一知半解のやり方でしか対応出来ない程度のレベルで終わってしまいます。マネジメントもリーダーシップも、そして人材育成も、やる気と能力が十人十色のメンバーに対して、それぞれの状況に応じた個別対応が行われなければ、育成成果の芽は思うように出てきません。そのような認識すら持ち合わせないままの人事が、平気で行われてしまうことになりかねません。
13年前になりましょうか。主に薬剤師を対象とした企業内教育の仕事に携わって以来、管理者教育こそが最優先の緊急課題であると思い続けてきました。しかし、そんな問題意識を経営者にご理解頂くことは至難の業でした。人材育成を、意図的、計画的に進めることが叶わない中、付け焼刃で終わってしまうことを覚悟しながらも、単発的な教育機会を企画し実践してきました。耳を傾けてくれる方もいらっしゃいましたが、会社全体のマネジメントシステムの問題もあって、学んだことが仕事に活かされる環境にはありませんから、継続的な底上げにはつながりません。
それでも、心が折れて引き下がることを、私の志が許しませんでした。可能性のあるところから着手しようと意識し始めて四年半は経ったでしょうか。そのために、従来から使っております教材の見直しも一から行ないました。エネルギーを補給し直して取り組み始めたのでした。
この企画を進める上での私の一番の眼目は、「本質の追求であり追究」という難題です。難題としたのは、本質の追求&追究には、相当のエネルギーと根気、そして像合わせに時間を要することが予想できるからです。さらに、この10数年間を振り返って、最後は置き去りにされてしまう本質不在から味わった過去の閉塞感が、トラウマの如く顔を出す時があるからです。
それにしても、スピード、効率、利便性が声高に重視されて以来、本質を見極めて対処することは亜流となってしまったのでしょうか。臆病な私は、小さなヒヤリハットに出会うたびに、あのハインリッヒの法則が頭をかすめます。その些細なヒヤリハットも、1(重大事故):29(小さな事故):300(ヒヤリハット)であることを意識すれば、物事の本質を見過ごす訳にはいかない のです。
そのような経緯から「人材育成の本質を考える(エッセイ69回:2014.6.10記)」を、まとめました。本質言及を試みたのでした。今回のエッセイも、その本質について呟いてみます。
本質を問い、本質に切り込み、本質を見定める
先ず、問題が発生した時のことを振り返ってください。
日頃、どのような対処法を施していますか。今回のエッセイをきっかけに、自分自身と自職場、そして自社の現状を、シッカリと看脚下して棚卸しして頂きたいと思います。
大小はともかく、問題が発生した時の対処法は二つしかありません。対症療法と根治療法です。
対症療法とは、病状の回復を目的とした治療のことです。一方の根治療法は、病気を完全に治すことを目的とした治療で、原因療法とも言えましょう。今エッセイでは、この対症療法と根治療法という表現を、仕事上の問題解決の対処法に転用して考えてみたいと思います。
発生した問題の原因が何であれ、先ずは正常な状態に戻すための復旧策がとられます。対症療法の出番です。それに対して根治療法は、主要な原因を四直四現主義で特定して、同じ問題を二度と起こさないようにする対処法です。原因が特定されなければ、動き出すことができません。
どちらの方法を用いるかは、その都度の状況や事情、そして原因内容によって異なってきますが、どのような問題であろうとも、対症療法と根治療法の併用が基本であり大原則でしょう。ただし、併用といっても、同時進行とはいきません。緊急度、優先度による違いがあるにせよ、先ず対症療法で目の前の問題を解決して、とりあえず正常化することが最優先になります。多くの問題は、即応性が求められます。そこを間違えると禍根を残すことになります。現実的には、その対症療法すら満足にとられていないケースも見てきました。
対症療法で目の前の問題が収まったとして、同じ問題、似たような問題が再発生しないという保証はありません。その問題が小さな問題だったとしても、小さな問題が積み重なって大問題が発生して手遅れという事態だって起こりえましょう。やはり根本的対処法、根治療法を施さなければ、社会の公器としての責任を果たすことはできません。どれだけの会社で、意識して対処されているのでしょうか。
根治療法まで手が回らない要因の一つが、時間的余裕の問題ではないでしょうか。目の前の仕事が手一杯で、それどころではないのです。それも現実なのです。会社の組織運営のあり方に起因する問題なのですが、それ以上に大きいのが、それぞれの会社の経営活動の本質が明らかになっているかどうか、という視点につきると思います。それぞれの会社の経営活動の本質(経営理念、組織運営、企業統治など)が明確になっていて、しかもステイクホルダーに公開されていて、その本質に基づいた経営が執行されていることが、何よりも優先されなければなりません。
私は54歳で転職をいたしました。その理由は一つだけではありませんでしたが、大きなウェイトを占めていたのは、薬剤師の存在意義に対する危機感のようなものでした。転職後は、仕事を通して、薬剤師の仕事状況、薬剤師と薬剤師の雛である薬学生の行動姿勢などを、できる限り客観的に観察し続けました。実態把握に力を注ぎました。残念ながら、危機感は大きくなりました。それから8年後の2008年(平成20年)、考えたあぐねた末に、“薬剤師の存在価値を高めたい。同じ志の仲間と共に試行錯誤しよう”、だから“私を必要とするところがあって、私の心身が許す限りは現役を貫こう”と心に決めたのでした。
生涯現役を決めてからは、転職後のそれまでの9年間を総括しました。総括結果の中で、今後の仕事(志事と表現)遂行上の重要な着眼点を、“本質を問い、本質に切り込み、本質を見定めること”、“本質を追求すること、追究すること”と、心に刻み込んだのでした。
それは、物事の本質を問い、本質を追求することが、相も変わらずマネジメントの隅に追いやられていると感じていたからです。それ以上に恐ろしいのは、本質追求という重要な着眼点の姿が消えてしまうことです。そうなれば、顧客満足、企業の社会的責任、サステナビリティなど、企業経営の根幹が欠落してしまうことになります。
つぶやきの範囲が飛び散ってしまいました。申しあげたいことをまとめ直します。
発生する問題だけではなく、世の中の事象、組織や個人の考え方や行動のあり方にも、本質というものが存在しなければなりません。しかし、その本質が忘れ去られています。本質を言及したり、本質を追求したり追究しあうことが少なくなりました。
残りの私の現役期間は、その都度頂戴した課題の本質追求を第一義として、そこから見えてくる教育ニーズを掘り起こして対処することにしております。会社組織だけではなく、学校、家庭、個人的つながりにおいても、同じスタンスで臨む所存です。
難題ではありますが、その姿勢を貫いて進みたいと思います。
(2014.7.17記)