エッセイ37:40歳を過ぎたなら、人を育てることこそが …

投稿日:2013年4月5日

 今年は平成25年です。平成年代も四半世紀という一つの節目を迎えたことになります。
 思い出すのがつらくなります3.11から2年が経ちました。あの東日本大震災そして福島第一原発事故の時の心情や問題意識を、絶やすことなく持ち続けて、日々の生活や出来事と向き合っていこうと決めております。そのような思いが衰えない限り、エッセイは続けていく所存でおります。

 エッセイを書き始めて8年目になります。今年以降の学び塾やなかた塾の重点テーマでもあります「人材育成」の意味や考え方について呟いてみましょう。

40歳を過ぎたなら、人を育てることこそが、お役に立つことの意味になる

 以前、何かの機会で触れたと記憶しておりますが、「学び塾」やそれ以外の「いのうえ塾」におきまして、“部下育成のあり方や対処法などのノウハウを学びたい、修得したい”というニーズが目立って増えてきております。ビジネスパーソンとして中堅的立場になり、さらにマネジメントする立場に近づいてきた結果であり、そのニーズは日々の仕事における悩みのウェイト比率が高くなっている証拠でもあります。
 別の視点で考えてみると、目の前の問題に対してキチンと向き合っていることの顕れであり、私としては、そのことが何よりも嬉しく、そして頼もしく感じているのです。これは、継続して実践している基礎教育の成果の一つであり、“仕事同様、人財育成も流れである”ことを証明してくれていると実感しております。

 あくまでも私見ですが、私の考える薬剤師の人財像(医薬品のプロ/予防医療の推進者/町の科学者/生活者のよろず健康相談者)に行き着くためには、かなりの経験と年月が必要になります。一人ひとり異なるでしょうが、年数で表現すれば、10~20年を要すると思います。ですから、社会人なりたての数年間は、先ずは徹底して基本を修得しなさい、という言い方で方向づけしております。調剤薬局の場合では、修得する基本を調剤に関する技術中心に絞り込んで、処方せん枚数でいえば、一日40枚、一週間(週五日)200枚、一年間(年五十二週)で一万枚、三万枚(三年間以上に相当)調剤して、はじめて義務教育卒業レベルと言い切っております。

 学び塾生の場合、仕事経験が基本修得の三年間が過ぎて、後輩との関わりや管理者的立場を要求される年代に入ってきました。
 また、なかた塾やいのうえ塾では、薬局長として数名から10数名の部下を持っている方々もいらっしゃいます。その場合、私がオルガナイズする基礎教育を最初から受講していないために、基本的な教育理念や考え方が浸透していないことが壁となる場合があります。一番大きいのが、能力要件の認識と理解に関するギャップです。
 そのギャップ発生の根源の一つに、人間観(人間性に対する基本的信念)や仕事観(仕事に対する基本的信念)があります。それらの基本的信念のギャップは、具体的方法そのものの認識や理解に反映してきます。そのような体験から、基礎教育の柱となるカリキュラムとして、人間観や仕事観を棚卸して見つめ直し、そこから修正し正していくような機会を用意しております。

 話しを進めましょう。

 30歳以上の方々や部下を持つ管理者を中心とした教育機会で、10年ほど前から、特に意識して言及していることがあります。
 それは、「40歳になったなら、後輩を育て、後継者を育てることは義務ですよ。今まであなたを育ててくれた世間に対する恩返しとして、人を育てることを覚悟してください。社会経験を積んで会社や社会の中堅という立場になった人がお役に立つということは、結局、人を育てるということです」という内容です。
 私の体験から判断して、この調剤薬局という世界では、人を育てることの意味や意義の認識をもっと高めていかなければならない、と感じております。
 ある時、転職予定の30歳代後半の薬剤師Uさんにこうアドバイスしました。
「これからは、後輩薬剤師の育成に力を注いでください。・・・ 」
 返ってきた答えはこうでした。
「私には現在部下がおりません。ですから ・・・ 」
 つまり、直属の部下がいないので育成は関係ありません、という言い方でした。
 Uさんは、薬局長経験者というだけではなく、会社全体のある部門の中心的な役割なども経験をされた、申し分ない能力の持主です。人が育っていない企業の悲哀を味わい、だから人材育成に対する問題意識も高かったと推察しておりました。ですから、そのような返答であったことには“何らかの理由があるのだろう”と思う一方、非常に残念な気持ちを禁じえませんでした。ある程度の経験や年令を重ねた方であれば、部下の有る無しにかかわらず、後輩薬剤師や医療スタッフの存在価値を高めるためのアクションを起こせないものだろうか … 。残念を通り越して、哀しい思いがしばらくの間消えることはありませんでした。結局、Uさんほどのキャリアを積んだ方ですら、その程度の認識だったのです。

 私は誓いました、現在の仕事を通して、これからもこう言い続けようと。
「人を育てることは、40歳を過ぎたら人の使命であり義務です。それは、今まで育ててくれた人や社会に対する恩返しであり、世間へのお役立ちの根源なのです。そう覚悟して、向き合ってください」と。

                                                        (2013.3.19記)

 ★参考:人間性や仕事に対する基本的信念に関する信念の土台になる考え方の一例

 謙虚になって人生を振り返ってみれば、人は一人では生きていけないことが分かります。
 私自身がここまで生きてくるまでに、どれだけ多くの人達のお世話になったことでしょう。
 人は「一人では何もできない」のです。結局、周りの人たちの協力によって「仕事」が達成され、その試行錯誤の過程で自分自身が育っていくのです。
 さらに、もう一つ考えなければならないことがあります。人は誰だって自分が可愛いのです。自分のことを大事にしたい、と思うのは当然の成り行きでしょう。だから、自分の存在を認めてもらい、自分の個性の尊厳を大事にしたいと思うのであれば、他人の存在、他人の個性の尊厳をも認めなければなりません。人は「相身互い」なのですから。

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