エッセイ28:自己啓発とは、腹の底から納得するまで自分の頭で考え抜くこと

投稿日:2012年11月6日

 先日、学び塾開塾以来のメンバーで、出産を機に休塾しておりましたAさんからメールを頂きました。思いが共有できる内容でした。
 
井上さん、ご無沙汰しています。お元気でしたか?
私は風邪がなかなか治らず本調子ではないのですが、娘の成長を日々感じながら元気にやっております。
私事ですがご報告があってメールしました。実は会社(某調剤薬局チェーン)を先日退職しました。育休も明け復帰しようとしていたのですが、復帰にあたっての条件が折り合わず、残念ながらこの道を選びました。
井上さんには入社前からとてもお世話になりたくさん助けて頂きました。そして素晴らしい同期に出会わせて頂きました。とても感謝しています。同期の皆はいつまでも私のかけがえのない仲間です。この前の代でも後の代でもなく、あの子たちだったからこそ一緒に頑張ってこられたと思っています。
落ち着いたらいつかこちらの仲間にも会いにいらしてくださいね。  (Aより)

 私の心に響いたのは、同期に対する思いです。それは、私の運営する新入社員教育において、特にウェイトの高いオルガナイザーとしてねらいの一つだからです。 「人は一人では生きていけない。人は相身互いなのである」という日々の営みの前提であり基盤となる心の指針を、同期から学んで欲しいからなのです。
 そのために、私が企画する研修ノートの最初のページには、私の思いをこう綴っております。それからもう20年以上になりました。

   この研修は、
     あなた方自身の考えを、
       あなた方自身の手で 創り上げる機会です。

 
 私のその思いを反芻しながら、“私たちは、考えるということから逃げてはいないだろうか”、“考えることを疎かにしていないだろうか”、そう自分に問いかけているのです。

自己啓発とは、腹の底から納得するまで自分の頭で考え抜くこと

 『考える』ということは何だろうか?どうすることなのだろうか?

 “自問自答を繰り返すこと”、“何故、何故、何故を繰り返して、核心に迫っていくこと”、“深化すること、進化させること”、“口に出して表現してみること”、“書き出してみること”……。いくつかの回答が出てきました。

 核心に迫るためには、“観察すること”、“調べてみること”、“傾聴すること”などが必要不可欠になります。さらに、問題意識、感受性、好奇心の程度(大きさ、強さなど)によっても、考えた結果の巾や奥行きが異なってきます。
 書き出したり、口に出して表現してみると、考えが整理されて本意が浮き彫りになってくることがあります。考えたこと、感じたこと、気づいたことなどが深耕されていく経験もしました。
 使う言葉、発する言葉によって、受け取る側の理解度や印象度にも影響してきます。使う言葉が貧弱だと、考えも貧弱になっていると感じることがほとんどでした。
 また、書いた量は考えた量に比例しています。アレコレ考えた末に、これだという言葉や表現が見つかったことも数多くありました。
 深化というのは、そのような過程を経て出来上がっていくことを何度か体験しました。

 しかし、考えることが最終目的ではありません。目指す目標やビジョンがあって、それらを達成するためのプロセスの中の様々な局面で考えるのです。PDCAサイクルをスパイラルアップするために必須の潤滑油として、考えるという行いが不可欠なのです。
 私たちは、教えてもらうこと、与えてもらうことに、慣れっこになってしまったのかもしれません。与えてくれることが教育であると、考え違いをしているのかもしれません。与えること、与えられることが優しさであると勘違いしているのかもしれません。

 さて、人材育成の最終目標は、自己啓発出来る人材の育成です。自力でPDCAサイクルを回して、課題や問題を解決出来る人材に育ってもらうことです。自力で、問題を見出し、原因を究明し、対案と行動計画を策定し、関わるメンバーとチームワークを推進出来るようにすることです。
 そのためには、粘り強く考え抜く力を修練することが基本です。腹の底から納得するまで考え抜く力を身につけるしかありません。「この研修は、あなた方自身の考えを、あなた方自身の手で創り上げる機会です」という思いの源泉が何であったか、改めて心に刻んで対処しようと誓ったのでした。
                                                      (2012.7.15記)

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