エッセイ341:いまつくづく思うこと~2025年(令和7年)の秋の夜長に…

投稿日:2025年11月20日

 今月は、私の誕生月です。ジャスト一年前のエッセイ314回では、私自身が気持ちを鎮めて落ち着かせたい時に聴く曲を取りあげました。その中で、それ以外の曲を別の機会に取りあげたいと宣言しております。そのいくつかを紹介したいと思います。

 私が4年間在籍した東京薬科大学合唱団での愛唱歌の多くは、日常生活の中で、今でも口ずさむことがあります。湯船に浸かっている時には、良い気分で自然と口からついて出てきます。メロディ(主旋律)の場合もあれば、身体に沁みついてるテノールパートで歌うこともあります。その時々の気持ちに応じて、いずれかの曲のスイッチが自然と入るのでしょう。今から60年近くも前の当時を思い起こせば、土曜日のアンサンブル(全体練習)後、上野桜木町のキャンパス近くにあった東京上野公園噴水前で、自然発生的に愛唱歌の何曲かをハーモニーさせた記憶が蘇ってきます。初秋の夕暮れ時は、定期演奏会目前の皆の思いが共鳴し合って、ステージとは違った一体感が漂うひと時でした。

 今回紹介したい曲の一つは、大好きなフォークソングです。アメリカのシンガーソングライターのマルヴィナ・レイノルズ(1900~1978)作の「ターン・アラウンド(Turn Around)」で、高校時代からの大ファンであるブラザース・フォアの歌がお気に入りです。成長を重ねて家を出ていく娘を、幼い頃の思い出をいつくしむ様に振り返りながら送り出す内容の歌詞です。簡潔でひたすら優しいメロディは、三度聴けば歌うことが出来るでしょう。ブラザース・フォアの温かみのあるハーモニーは、脳内セロトニンに働きかけて、心の乱れを徐々に落ち着かせてくれます。もう一曲は、ロシアの作曲家・ピアノ奏者であるセルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)の「14の歌曲」の最後の曲「ヴォカリーズ作品34の14」です。歌詞を持たない母音唱法(母音のみによる歌唱法)で歌われますが、私が聴くのは管弦楽用の編曲版です。抒情的でユッタリ揺れ動くメロディは、様々な感情を落ち着かせて、感謝の気持ちを湧き出させてくれます。チャイコフスキーにも匹敵するメロディーメーカーといわれたラフマニノフの曲の中でも、私の大好きな曲の一つです。令和元年東日本台風で被災された方々へ捧げる曲として演奏されたこともありました。

 人生においては、何らかの事情で感情がコントロール不能になることがあるものです。ストレスに対処できないまま、悩みの渦から抜け出せない時もあります。そんな時、様々な感情の気持ちを鎮めて落ち着かせる何らかの手段を持っておきたいと思います。私にとって、その手段の一つが音楽なのです。一方で、それでも対処できなかったことがあって、結局、精神科のお世話になったこともありました。一人で解決不能と感じたなら、迷うことなく身近な誰かに助けを乞うことです。人間というのは、人と人との間の中で生きているのですから。相見互いの関係ですから……。何やら、いつも以上に、前文に力が入ってしまったようです。ところで、これまでのエッセイの多くは、取りあげる題材の目的や意図を呟いてから本文に入るようにしておりました。そのプロセスは、問題提起や対応策を提案する時の理解につながる基本原則と考えているからです。今回のエッセイ341回につきましては、目的意識を封印して、いま思うことをそのまま飾ることなく表現させて頂こうと考えております。頭を空っぽにして呟くことで、気持ちが落ち着くことだってありますね。秋の夜長は、月を眺めながら、凝っている心をほぐしたいと思います。

いまつくづく思うこと~2025年(令和7年)の秋の夜長に…

 エッセイを呟き始めたのが2005年のエイプリルフールの日でしたから、今年の4月で二十歳になりました。現時点で29名の皆様にお届けしております。医療施設の薬剤師10名、同じ会社で切磋琢磨し合った後輩8名、これまでの仕事を通じてお世話になった同僚や知人11名の方々です。私からの押しかけで始まった方が多いように思いますが、発信の意図を汲み取って頂いて交流が続いている現状に対して、常々心から感謝しております。時々、相互啓発的な感想や意見を返してくれる方もいらっしゃいます。そのことは、私の問題意識が枯渇しない一番の処方薬になりますね。

 年を重ねるようになって、哀しい出来事が増えました。昨年7月、大学時代の友人があの世に旅立ったのです。毎月のエッセイを楽しみにしてくれて、馴染みのないテーマであっても自己学習に挑戦されていました。4年次に80数名が在籍していた東京薬科大学合唱団を運営した同志であり、卒業後は町の薬剤師として地域生活者の支援に励んでいたようです。同じ薬剤師でも、違った角度からエッセイの批評をしてくれました。この20年間を振り返ってみれば、モチベーションを維持して呟き続けられた一番の要因は、エッセイを受けとってくれる方々の存在だということに尽きます。数年前から、日々の出来事に感謝することを心がけるようになったのも、こうやってつながり続けてくれる方々の存在が大きいと思います。生涯忘れることがない宝物になりました。

 エッセイを始めた経緯や目的を、改めておさらいしてみたいと思います。先ず、薬学生と若手薬剤師向けの問題提起と対応策の提案を主目的としてスタートしました。以降、マネジメントやリーダーシップ、コミュニケーション能力を含む対人関係能力、さらに人材育成に関する相互啓発を意識したテーマへと間口を拡げて現在に至っております。一方、これまでのエッセイを読み返して、つくづく思うことがあります。問題提起であろうと、取り組んだ課題の紹介であろうと、その中には私自身の失敗体験や後悔の念から発した呟きが散見することです。それらは、私自身への戒めの呟きにもなります。最近まで意識していなかったことですから、この機会に“何故そう感じるのか”ということを考えてみました。

 そもそも、私はマイナス志向で心配性な性格です。それに消極的行動姿勢が加わります。幼少の頃から40才前まで、そのような癖から抜け出せないでおりました。また、失敗事の原因を引きずってしまう傾向が、かなり多かったでしょうか。さらに、拘りと頑固さがついて回って、心を閉じてしまったこともあったと思います。大学4年の晩秋、ある出来事によって消え失せたやる気が、それ以降の生き様に影響し続けました。一年間の全てをかけた取り組み(岬の墓プロジェクト)の本番ステージでの出来栄えに対するネガティブな感情を、20年近くも引きずっていたのです。結論から言えば、その時点での失敗という自己評価と向き合って総括することから逃げて、自分の殻に閉じこもったまま生きたことになります。卒業後の目指す先を考えることもなく、その日暮らしを続けていました。高度経済成長時代でしたから、食べることには事欠かなかったことが、私の甘えを許していたのかも知れません。これらのことは、私自身の思考習慣の産物であって、“これではいけない”と気づいた時は、既に不惑を過ぎていました。いくつかあった気づきの要因から、二つ紹介したいと思います。先ずは、1987年(昭和62年)の夏、十数年ぶりに開催した東京薬科大学合唱団同期会(唱和会)で歌った団員共通の愛唱歌でした。学生時代のアンサンブル風景が蘇って、鳥肌が立ちました。大学4年次に取り組んだプロジェクトのあの出来栄えは、団員の高揚感が生みだした沸騰演奏だったことに気づいたのです。“それで良いのだ”、“それで良かったのだ”と総括することが出来たのでした。それ以来、人生は敗者復活戦でもあり、“人生における失敗や後悔とは何なのか?”、“失敗体験や味わった後悔の念を、どのように活かしていくべきか?”を、時々考えるようになりました。もう一つの要因は、人材育成の仕事に携わって、“教育とは何か”を考え続けたことが挙げられます。

 秋の夜長に、これまでのエッセイを振り返ってみて、私の性格や行動姿勢による失敗体験や後悔の念が根底にある呟きが多いことに気づきました。人は誰でも失敗します。後悔することも一再ならずあるでしょう。同じ失敗や後悔を繰り返さないためにどうしたら良いのか、それらの体験から学んだことを基盤にして無意識に呟くようになったのだと思います。しかし、エッセイの呟きは井上個人の見解であって、大切なことは問題提起に共感したら、一人ひとりが自分事として考えて相互啓発へと進展させることではないでしょうか。人間は考える葦でなければいけませんどのような便利な時代になっても、全身全霊を使って考えて表現する能力を修練することを疎かにしてはいけません自力で考えることが習慣化されれば、視野が拡大し複眼的思考が身についていくでしょう。そのためのきっかけとなれるよう呟き続けてきたということになります。今回のエッセイは、最近つくづく感じていることを、思い浮かぶ順に呟いてみました。日々考えるテーマを提起することで、生涯学び人(まなびすと)であり続けたいと願う私なのです。

   EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2025.10.6記)

【参考】エッセイ321回:立場の垣根を越えて、それぞれが考案しなければならない課題は?(2024.11.18記)/エッセイ337回:私が実践したホームページのあり方を振り返る(2025.8.2記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン