エッセイ334:有意義な人生へと導いてくれる、私の考える肝心要の前提となる心構え(思考習慣)

投稿日:2025年8月5日

 昨年の我が家は、何かと物入りの一年でした。雪の重みと凍結に耐えかねて破損した雨樋、さらに水抜き弁の老朽化が原因で漏水した水道管をリニューアルしました。また、長い年月お世話になった家電製品のいくつかが、言う事を利かなくなって買い替えせざるを得なかったのです。費用の心配は当然として、携帯電話や家電製品を買い替えるたびに思い知らされることがあります。それは、いくつもの便利機能が付加されて、新たな使い方を理解し覚えるのに四苦八苦することです。それ以上に、後期高齢者世帯にとってうまい具合に活かすことが出来そうもない機能が幾つもあって、とても使う気にはなれません。さらに、添付された取扱説明書は、分厚い上に文字が小さすぎて、読む気が起きないのです。心技体の衰えた私には難解ですから、便利機能の恩恵を享ける以前の問題かもしれません。昨年10月、20年近くお世話になって買い替えた電子レンジは、数ある中から、使用方法が簡便でシンプル操作の製品を選びました。解凍とチンして温める機能以外、ほとんど利用したことがありません。さらに、パリオリンピック前の7月半ばには、突然テレビ画面が映らなくなりました。液晶パネルの修理と買い替えのどちらにするか天秤にかけました。部品がないことや修理費用が高額なことから、買い替えることにしました。電子レンジとは大違いで、取り付けやセッティングは、専門家でなければ出来そうにありません。その日は取り巻き見学しておりました。

 このような経験から、私のような後期高齢者の諸々の細やかな実情を、メーカーにはもっともっと知って頂きたいと感じています。高齢者に必要な機能は、使い方の簡便性です。使いやすさなのです。本当に必要なのは、あれもこれもの多種多様な機能ではなく、その製品のごく限られた主要機能なのです。消費者ニーズの把握に注力し製品開発に取り組んでいらっしゃると思いますが……。そんなことを振り返りながら、どのような職種においても、職務遂行上の顧客の本音の声をより正確に把握することは、基本中の基本職責の一つだと思います。私の独りよがり的ボヤキはこれだけにして、本題に入りましょう。

有意義な人生へと導いてくれる、私の考える肝心要の前提となる心構え(思考習慣)

 今年の年初に呟いたエッセイ325回を思い返しております。世の中甘くないこと、喜怒哀楽が入り組み合って四苦八苦する毎日であったこと、成功よりも失敗を含めた不本意なことの方がずっと多いことなどです。そんなことが頭を駆け巡っていた50才半ばを過ぎたあたりから、それまでとは異なる感覚に出あって、改めて気づかされたことがありました。世の中の仕組みは、法を含めた様々な規則やマナーに則って、分業というチームワーク形式で組み立てられているということです。それは、自分以外の不特定多数の方々とのかかわりで回っていることを意味します。そのような中で、有意義な人生を送るためには、本質を外すことなく、より柔軟な幅広い視野で対処することが求められます。また、信頼と安心のコミュニケーションを経た上で歩み寄るというバランス感覚も必要になるのです。それまでの人生は、目の前の課題解決で精一杯でしたから、あまり意識しなかった複眼的視点の存在が見えてきたのでした。

 そのことに気づいてから、現実の中で成長し続けるために、避けては通れない考え方や行動指針の土台となる前提要件を意識するようになりました。そして、“その前提要件こそが、サスティナブルな将来対応を含めたチーム課題を発掘し、チームメンバーの成長に欠かせない肝心要の心構え(思考習慣)”という結論に至ったのです。それからは、研修のような教育機会において、その前提要件なるものを問いかけるようになりました。以下、その前提要件となる私の考える心構え(思考習慣)のいくつかを呟いてみましょう。

 最初に紹介したいのが、一生かかっても知らないことが、エベルストの高さほどあることを自覚するということです。何事も、問題解決出来るようになるためには、解決するための方途を知ることからスタートしなければなりません。何しろ、知らなければ出来ませんから。時々、知識教育がおろそかにされているケースを見かけます。“知らないよりも、知っている方がずっと良い”と、私は強調したいのです。

 次に取りあげたいのは、これまでも強調してきた人は誰でも、一人では生きていけませんという件です。よくよく考えてみれば、人は一人では生きていけません。自分がここまで生きてくるためには、何百、何千の人のお世話になったことでしょうか。一人では何もできないことが多かったですね。自分以外の方々との協調・協働によって仕事が成り立ち、無意識の中で自分が育っていくのだと思います。また、人は誰だって自分を大事にしたいものです。だから、自分の存在を認めてもらい、自分の個性の尊厳を大切にしたいのであれば、他人の存在、他人の個性の尊厳を認めなければいけません。人は相身互いだとつくづく思います。

 「一人では生きていけません」とセットで認識しておきたいのが、「人は誰でも、好き嫌いがある」ことです。好き嫌いの対象は、食べ物や動植物に始まって、地域や季節、物や事と多岐にわたるでしょう。中でも一番厄介な好き嫌いが、感情と理性を併せ持った人かもしれません。

 さらに考えておきたいのが、十人十色ということです。私は、十人十色、百人百色、千人千色と表現しております。性格に始まって、考え方や行動習慣も、十人いれば十種類、千人いれば千種類、ということを前提として対処することを忘れてはいけないということです。

 今回、もう一つ呟いておきたいことがあります。表向き分かったふりをしないで、分かり合えないことがあって、そのことを認め合うということです。振り返ってみても、チームプレーに問題がある時の原因の一つに、メンバー同士のコミュニケーションギャップがあります。お互いの考えや意見のすれ違いから始まって、それぞれの意見を主張し合っておしまいになることがあります。感情が高じれば、平行線どころか議論が進まないこともありました。そんな時は、無理に分かり合おうと肩肘張らずに、元来分かり合えないことがあるのだということで良いと思います。そう考えると、感情の波を理性が整えて、前向きな対話に向かう比率が高まると思います。

 以上、私の考える肝心要の前提のとなる心構えの一部を紹介しました。このような心構えを意識するようになって、自分が未熟であった意味の“初心”を忘れてはいけないことを、つくづく思い知らされました。冷静に直視すれば、私自身の至らなさとその原因が見えてきたのです。紹介した前提となる心構えを土台にして、“どうあれば良いのか”を試行錯誤した結果、私の行動にいくつかの変化が表れてきました。そのいくつかを呟いて、今回のまとめにしたい思います。

 先ず、“傾聴姿勢が大幅にアップした”ことです。それまでも、傾聴努力を惜しまず向き合ってきたつもりでした。しかし、自己満足で終わっていたのです。“もっともっと耳を傾けて聴きなさい”と、50才半ばを過ぎて突き付けられました。そのことに気づいてからは、“誰かれの区別なく助言を求める”ようにもなりました。

 次は、その時々の状況に応じてという条件付きですが、“機が熟すまで待つことが出来るようになった”ことがあげられます。元来、せっかちな性格の私でした。理由の如何を問わず、報連相や仕事の納期に対して厳しく臨んでいました。前倒しすることもあったと思います。その結果、組織の風通しが悪くなり、目指していた信頼と安心のコミュニケーションは絵に描いた餅になったのです。還暦近くになって、待つことをコントロール出来るようになりました。そのことと相俟って、自分:相手=49<51の法則(エッセイ211回参照)を提唱し始めたと記憶しております。

 研修の進め方にも大きな変化が出てきました。ほとんどのカリキュラムを、グルグル回りの応答の対話をベースに進めることが当たり前化したことです。いつの間にか、“考える・組み立てる・掘り下げる”、“表わす・伝える・説得する”を繰り返すという進め方になりました。

 前提となる心構えを意識して行動しながら気づいたことを、もう一つ呟いておきましょう。何事においても、今回のような前提要件なるものをキチンと押さえて共有しておくことの重要性です。10数年前からは、新入社員導入研修においても取り組んでおりました。その具体例は、今後のエッセイで紹介したいと思います。

   EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2025.6.19記)

【参考】エッセイ211回:“向き合う”ということは……(2020.2.28記)/エッセイ220回:再度、人の心を動かすためには……(2020.8.8記)/エッセイ325回:自分自身でやらないと、先へは進めませんね(2025.1.30記)/エッセイ331回:初心の本意、ご存知でしょうか?(2025.5.6記)

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