エッセイ320:思い出は、今を生きるエネルギー

投稿日:2025年1月4日

 明けましておめでとうございます。どのようなお正月を迎えられましたでしょうか。

 私の令和7年(2025年)元旦は、起きて直ぐの若水汲みを終えて、自宅玄関から歩いて百歩ほどのところに鎮座する四ツ家のお地蔵さん(大智田中地蔵尊)への参拝でスタート。雲の合間から覗く朝日の光に向かって手を合わせ、今年も“感謝の毎日を心がけます”と、日課となった誓いを唱えました。私の問題意識の泉は、思いのほか満たされているような気がします。今年もエッセイを通して、皆様と切磋琢磨しながら少しでも成長したいと願うばかりです。その気になった時で構いませんから、感想や意見をお待ちしております。意見交換や議論は、お互いの気力と脳力を活性化してくれるはずです。

 さて、今日は1月3日です。新しい年を迎えて、気負うことなく自然体で今日この頃の思いを呟いてみたいと思います。

思い出は、今を生きるエネルギー

 昨年の目標は、“感謝の気持ちを持ち続けること”でしたから、当たり前の日常や出来事に感謝しながら行動することを心がけました。年末には、この世に“おさらば”するまで持ち続ける無意識の行動習慣と決めました。少々せっかちで相変わらず未熟な私ではありますが、以前よりは穏やかな姿勢で対処できるようになったような気がします。

 さて、私的時間で昨年一番時間を費やしたのが、80個あったファイルボックスの整理でした。ファイルボックスの中身は、40年弱の仕事人生で積み上げた私の財産です。財産だけあって、右から左へとたやすく処分することができません。教材や資料は当然として、乱雑なメモ書きであっても、一枚一枚めくる毎に、立ち止まっては見入ってしまうことが殆んどでした。気がつけば、足のしびれなどどこ吹く風で、胡坐姿勢で数時間も没頭したことがありました。何とか7割ほど片付いたのが11月中旬だったと思います。何か夢でも見ているような、その時々の残像が脳裏に投影されて、客観的な心の高ぶりを覚えた日々でした。私の30才代後半からの数年間は、目の前に山積みされた課題解決に取り組む一直線の毎日でした。不惑を過ぎてからは、中長期的視点に立った課題にも挑戦し始めたと記憶しております。そうしなければ、本質的な解決に至らないと実感したからです。その当時は気づかなかったのですが、残しておいた資料をつぶさに見返しながら、そのボリュームと熱量に圧倒されました。“こんなところまで追究してやり遂げていたのか!”と。

 圧倒されたのは、挑戦した範囲の広さと課題数の多さ、さらに関連する周辺課題にまで目を向けて取り組んでいたことです。多様化する諸課題への挑戦でもありました。その成果の一つが、教育ニーズに沿ったカスタマイズ型教育を企画運営できるようになったことです。人事と教育の一元化(エッセイ319回)や学び塾主宰を始めとして、オリジナル教材の作成、なかたシップ(中田薬局のインターンシップ)も成果になります。何故そこまで追究したのか、今になったからこそ気づいたことがあります。それは、“後になって、なんでもっと深掘りしなかったのか、なんで社員のためにもっと頑張らなかったのか、というような後悔はしたくない”ということを、常に言い聞かせていたことです。克己心とお役立ち精神に徹していたのです。そのことに気づいてから、1996年の流行語大賞を思い出しました。その年のアトランタ五輪の女子マラソンで、有森裕子さんが3位でゴールインした後のインタビューで涙を堪えながら語った言葉です。“………。……… 、今回は自分でそう思ってないし、初めて自分で自分を褒めたいと思います”に、心から感動させられました。精一杯挑んた日々を振り返って、あの当時の私を褒めたいという思いが、こんこんと湧き上がってきたのです。“カズさん、良くやったネ。頑張ったネ”って。

 もう一つ気づいたことがあります。こうやって思い出を回想することは、過去を懐かしむだけのものではありません。時間を経て俯瞰するから分かることがあるのです。それが何であれ、思い出は今を生きるエネルギーになるのです。仕事人生で積み上げた財産が、そんなことを教えてくれました。だから、今年も自然体で呟き続けたいと思います。

   EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上  和裕(2025.1.3記)

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