エッセイ316:齢(よわい)を重ねて78才になりました

投稿日:2024年11月20日

 数年前から、エッセイ1本を呟くのに数か月はかかっています。仕上がり終えるまでに、かなりの時間を要するようになりました。日常の生活行動はもちろんのこと、意思決定や思考速度も、ユックリズムの上に超スロー感覚になったのです。例えば、5年ほど前は20分ほどでやり終えていた家の掃除が、今では40分近く掃除機を握っている状態です。年を重ねて、当たり前に自然に老いている現象の一つでしょうから、気にしておりません。無理して急いで対処すれば、ケガなど墓穴を掘ってしまうでしょう。“以前に比べて、丁寧な掃除に励んでいるのさ!”と、小声で言い放っております。と言いながらも、相変わらずのせっかちで落ち着きのなさが顔を出してきて、“丸一日だけでどれだけ呟くことが出来るのだろうか?”と考えることがあります。一昨日は、78才の誕生日でした。今回のエッセイを誕生祝のミニ記念碑として、気分転換と高を括って、一日ポッキリのエッセイ作成にチャレンジしてみました。

齢(よわい)を重ねて78才になりました

 いつ頃からだったでしょうか。世の中に対する肌感覚が、どこか殺伐として、どことなく息苦しくて生き難さのような気配を感じるようになりました。さらに、心弾む嬉々とした希望のような絵を描く気持ちが、徐々に後退してしまいそうになることもあります。そのような感覚が顔を出すようになったのは、2020年辺りからのような気がします。思想史家である先崎彰容氏(日本大学教授)の言を借りれば、“今は不寛容の社会、相手を認めない社会”なのかも知れません。私個人が“どうにかしなければ”と意気込んでも、そう簡単に答えが見いだせないのが現実の姿です。だからと言って、もう先が短いことを言い訳にして、黙っているのも性に合いません。そんな思いから、私が関与できそうな身近なテーマの問題提起は、何とか継続しております。今年の年初からは、私自身の内面を磨き上げるために、感謝の毎日を心がけることを始めました。毎朝7時前後、自宅近くのお地蔵さん(大智田中地蔵尊)に向かって手を合わせます。“お早うございます。昨日は有難うございました。…… 今日も、見守ってください”と、昨日の出来事に感謝し、さらに今日一日誠実な言動で過ごすことを誓うのです。そうすることで、私自身の至らなさを素直に認めて、どうあれば良いのかを考えられるようになりました。また、エッセイでの呟きは、より本質に切り込む姿勢が強くなったように感じています。書き上げるまでに長い時間を要するようになった要因の一つかも知れません。また、この数年間は、スポーツの持っている底力やアスリートたちが紡ぎ出す、なかなか言葉に表せない影響力に助けられたことが、かなりの頻度であったと思います。消えそうになったやる気や萎えそうになった行動姿勢に対して、何度となく背中を押してくれました。今年であれば、パリで開催されたオリンピック・パラリンピックが挙げられます。MLBやNPBの選手たちの一挙手一投足からは、眠っていた一歩踏み出す勇気を自力で目覚めさせたことがありました。そのようなことを通して、私の思いや考えが少数意見であっても、アクティブマイノリティを貫く気持ちを、これからも変わることなく持ち続けていられるのだと実感しています。

 ところで、〝昭和の啄木〟という異名を持つ津軽出身の歌人で劇作家の寺山修司氏(1935年~1983年)をご存知でしょうか。寺山氏が作詞を手掛けた「戦争は知らない」に、加藤ヒロシ氏が曲をつけました。1967年(昭和42年)前後のようですから、私が飲酒喫煙を許される年代の頃になります。名前を知らない野に咲く花に、戦(太平洋戦争)で死んだ悲しい父さんだけでなく、二十歳で嫁ぐ戦を知らない娘さんの無念さや寂しさを託している詩ではないかと、私なりに想像しました。そして、自分自身を二十歳の娘さんに置き換えて作詞したのではないか、と思えてきたのでした。

 この曲を始めて聴いたのが“いつであったか?”忘れてしまいましたが、運よく今年の2月7日(水)に出会いました。BS161放送の“LIVE ON うた好きショータイム”の“歌の贈りもの”のコーナーで、海援隊と由紀さおりさんが歌ったのです。一度聴いただけで、唱和することのできる親しみ易い曲でした。フォークソングの原点ともいわれる「戦争は知らない」の歌詞は5番まであります。その中の1番と3番を紹介したいと思います。歌詞と曲は、インターネットで検索できます。全歌詞を読みますと、この詩の真の姿が見えてくるでしょう。

 野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き 帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの

 戦で死んだ悲しい父さん 私はあなたの娘です 20年後のこの故郷で 明日お嫁にお嫁に行くの

 歌詞付きの楽曲は、詩を味わうことで想像力が触発され、さらに視野が広がっていく感覚を味わうことができます。そのことを教えてくれたのが寺山修司氏の「戦争は知らない」でした。今日も何度か口ずさみながら、地球のあちこちで起きている戦争状態にある紛争地域住民の苦しみに、思いを馳せております。早く終息することを祈ることしかできません。それ位しかできない私自身の無力さを、少々情けなく感じながら、これまで集めた新聞切り抜きのスクラップブックを取り出しております。その中にある、朝日新聞の“折々のことば 鷲田清一”2952(2023.12.28付)が目につきました。

 どこの国が正しくて、どこの国が悪いではなくて、戦争そのものが間違っている (磯前順一の祖母)

 気がつけば、壁掛け時計が19時40分を回りました。9時50分に呟き始めて、間もなく8時間になろうとしております。読み返してみると、やはり詰めの甘さが気になります。しかし、いつも同じやり方で対処するのではなく、たまには一工夫して頭の中の錆びを落とすことも必要だと思いました。締めの時刻をジャスト20時と決めてスタートしましたので、ここら辺りでペンをおくことにします。

 さて、昨日の夕方、心が揺さぶられるニュースが届きました。日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が、2024年ノーベル平和賞に選ばれたことです。故・山口仙二氏は被爆者の代表として、初めて国連軍縮特別総会において核廃絶と反戦を訴えたのが、40数年前(1982年6月24日)になります。演説の締めくくりの言葉「ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア ウォー、ノーモア ヒバクシャ」は、決して諦めないという魂のこもった叫びでした。

   EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2024.10.10記)

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