前回のエッセイを呟きながら、もう一つの思いが蘇ってきました。少しだけ触れておきましょう。
これが天職や適職と言えるような仕事は、与えられた仕事や目の前の仕事を、誠実に一所懸命やること、体験をコツコツ積み重ねることを繰り返していくうちに、ある日忽然と顕れるものではないでしょうか。ちなみに私の場合は、45才前後に、それらしき物(天職であり適職)が見えたように思います。越えなければならない壁の高さが、私の能力を超えているとしても、取り組んでみたいという意欲が間違いなく出てきました。それまでは、安全第一主義でチャレンジすることを拒否していたような難題への取り組み姿勢は、明らかに消え去っていたのです。また、試行錯誤を繰り返しているうちに、その仕事が心底好きになってきました。その時、“これが天職なのか!”と感じたのです。それから30数年経ちました。私の40才以降は充実した日々でしたが 、どうしても超遅咲き感が拭えません。そこで、今回のE森は、若いうちから強く意識して欲しい行動姿勢を呟いてみたいと思います。
やってみないと分かりません~実体験を積み重ねましょう
どのような仕事・役割・年齢であろうとも、自分自身を高めていくための要は、何といっても実践すること、逃げないでチャレンジすることではないでしょうか。“実際にやってみないと分からない”というシンプルな理由からです。もう一つ大切なことは、“幅広い実体験をコツコツ積み重ねること”です。そのためには、実践する機会を前向きな姿勢で見つけ出し、積極姿勢でチャレンジしなければなりません。前文で申し上げた通り、私は、実践と体験の積み重ねを通して、仕事が大好きになり、仕事を志事と公言して、課題をクリアするために学ぶことが楽しくなりました。
なぜ、実践と体験の積み重ねを取りあげたのか、その理由が今回のエッセイの肝になります。エッセイ219回(人の心を動かすためには……/2020.7.29記)で紹介した宮沢賢治のある文言が、常に心の底に張り付いているからです。人材育成を含めた人事の仕事に携わって40年近くになりますが、つくづく納得できる見解だと思います。
『人の心を本当に動かすのは、その人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは、人は共感を感じないものだ』
私の40才台半ば過ぎまでの仕事ぶりを、客観姿勢で振り返ってみました。恥ずかしながら、聞きかじった言葉を付け焼き刃的に並べて、知ったかぶりで相対していたことがほとんどでしたね。知り得た言葉に酔って、どこか自慢げに伝えただけで満足していたのでしょう。その結果として、表面的な知識だけでは相手の心に伝わらないことを、何度も何度も味わったのです。情けなさと虚しさに耐えかねて、ある時から、ありきたりでも私自身の体験をベースにして、文言を発するよう努めることにしました。先人や著名人の事例については、先ず、実態をキチンと調べることから始めます。その上で、想像力を働かせ、掘り下げて考えて、その真意を知ることに傾注するようになりました。それからは、私なりに解釈した真意に、私自身の体験を重ね合わせて、自分の言葉で語りかける努力を怠らないようにしております。そうすることで、共に学ぶ方々の表情から、共感する度合いの高まりを感じるようになりました。
人生を楽しく、面白くするためには、物事に対する考え方・捉え方がキーになると思います。人生は、失敗や思うように捗らないことの方が、ずっと多いものです。上手くいかなくたって、人間性を高めることを忘れないことです。学び続けることです。真摯な態度で、実体験を積み重ねていけば、さらに豊かな人生を楽しむことができるようになると思います。人生で大切なことは、そんな精神を持ち続けることではないでしょうか。
EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2024.9.18記)
〔参考〕天職と適職の違い:“天職”とは、自分自身に合った仕事を意味します。重要なのは、合っているかどうかがであり、成果の度合いは深く考慮しません。一方“適職”は、自分自身が成果を出せる仕事を指しますから、仕事が好きかどうかではなく、能力的に向いているかどうかがポイントです。つまり、天職は本当に自分がやりたい仕事、適職は仕事内容に興味がなくても能力面で向いている仕事、と考えることができます。