社会的信用を失わせてしまう不祥事が発生した時に、その出来事の推移を見守りながら、どうしても気になることがあります。目先のことばかりに目がいって、本質的な何かが抜け落ちているように感じてしまうことです。そのような実態を目の前にして、40年近く前のことを、どこかしみじみと懐かしく思い出すことがあります。あの時期は、ひたむきに“本質は何か?”を追い求めていました。エッセイ302回は、その一端を呟いてみたいと思います。
本質追求(追究)を忘れない ~ 教育は共育なり(EDUCO TREE)
私が新会社の専任教育担当職を拝命したのが1986年10月ですから、もう37年も前になります。その数年前から、営業の仕事に従事しながら、兼務職として新入社員や中堅社員の育成にも携わっておりました。そんな最中、常に頭を悩ませていたのが、“教育とは何か?”、“教わるとはどうすることか?”という自問に対する回答でした。私なりの学びから、1987年に『教育は共育なり』ということを意識し始めました。“共に教え合い、共に教わり合って育つ”という感覚です。併せて、人材を『人財』という表現にしました。最終的には、1990年初夏に、“教育とは何か?”の私見としてEDUCO TREEを植樹し、1992年に「教育の基本理念(人財育成の着眼点)」、1995年には「教育活動の基本原則」を策定しながら、本質追求(追究)の旅を続けていたのです。改めて、「教育の基本理念(人財育成の着眼点)」の一部を紹介したいと思います。最近では、人財や共育という表現が使われる機会が増えていますが、その当時は極々少数派意見だったと記憶しております。
- 基本理念1【会社にとって一番の資産であり財産は、社員一人ひとりである」:人財
どれだけ優れた業務システムも、ナンバーワン或いはオンリーワンのサービスも、それを考え出し実践しているのは社員です。人間です。その社員一人ひとりが、CS(顧客満足)という視点で、自己動機付けをしながら仕事に励んでいく原点は、人財第一主義以外にあり得ません。昭和63年(1988年)に、人材を“人財”という言い方に変えました。会社にとって、社員は最も大切な資産であり財産なのです。
- 基本理念4【教育の本質は、共に育つことにある】:共育
教育とは何か? 私にとりましては永遠の課題かもしれません。昭和62年(1987年)頃、その命題に初めてぶつかりました。結果として、“教育とは共育なり”に行き着いたのです。その根源は、“人間は一人では生きていけない”という実体であり、実感からでした。自分一人の力で成長したというのは、驕りのように思います。自己責任と自主自立(自律)が基本ではありますが、多くの人に支えられて現在の自分があることも事実なのです。今この時も、そしてこれからも不変なのです。
“教育とは何か?”の自答は、『一人ひとりの潜在能力とやる気を引き出すこと』としました。教育の語源はラテン語のEducoですが、“引き出す”という意味であることが自答の理由です。さらに、引き出すための手段として、共有・共鳴のコミュニケーション重視を掲げました。私が企画運営する研修は、対話と討議を通して自力で回答を考え出す機会(チャンス)と位置づけ、グルグル回りの応答の対話を通して、自己動機づけと自己啓発・相互啓発を促すように注力したのです。もう一つ、教わる時の心構えとして大切だと考えたのは、『頭の中を空っぽにすること』でした。過去の成功体験や先入観を捨てて、白紙の状態から学び直そうということです。
この本質追求(追究)の姿勢は、今でも私の基本姿勢として根付いています。これからも、幅広い視野と長期的視点を忘れることなく、日々の出来事を観察し続けたいと思います。
EDUCOいわて・学び塾主宰 井上 和裕(2024.3.7記)
【参考】エッセイ119&120回:教育とは~ EDUCO TREE(2016.4.30記)/エッセイ122&123回:私の提唱する「教育の基本理念(人材育成の着眼点)」(2016.6.11記)/エッセイ124&125回:私の提唱する「教育活動の基本原則」(2016.7.20記)