エッセイ299:忘れず抱き続けている私の初心

投稿日:2024年3月5日

 これまでのエッセイで、何度か初心の真意を取りあげました。どれだけ年を重ねても、その真意の大切さを感じるからです。先ずは、初心の正しい意味を復習しておきしょう。

 能役者・能楽師の世阿弥の言葉に、「初心忘るべからず」というのがあります。著書「風姿花伝」に出てくる有名な言葉です。この言葉の意味を問うと、ほとんどの方は「思いたった時の前向きな気持ちを忘れない」というような言い方をされます。しかし、初心の真意は、そうではないようです。「自分の芸が未熟であったことを、いつまでも忘れるな」という意味なのです。その真意は、芸は未熟だけれど人気が先行した若い役者に対しての戒めの意味で使っていたのです。

 40年近くにわたる人事教育の仕事を通して、心の底に意識して留めおいた初心がいくつもあります。私にとっては、謙虚な気持ちで目の前にある課題に向き合うための自戒の指針なのです。ついつい自己優先的になりがちな日々の言動ですが、初心を忘れないことで、より客観的な姿勢で対処できるのではないでしょうか。エッセイ299回は、私の初心のいくつかを紹介したいと思います。11年前に呟いたエッセイのリメイク版になります。

忘れず抱き続けている私の初心

 その1:1986年9月の初心

 それは、不惑目前の昭和61年(1986年)9月のことでした。もう37年前になります。その日の午前中、突然の呼び出しがありました。東北6県にある各販売会社が合併する新会社が誕生するひと月前のことです。ある場所に“直ぐ来て欲しい”という依頼でした。依頼というより、断ることのできない命令だったと思います。指定場所は、仙台市の水がめとして有名な釜房湖畔の宿泊施設で、数日分の着替えを用意して来るよう指示されたのです。用件も事情も分からないまま、急ぎ支度をして東北新幹線に飛び乗りました。

 現地に到着したのが、その日の19時を過ぎていたと思います。その場で知らされたのは、“私の10月からの仕事は、合併する新会社の専任教育担当(教育部次長)であること”、“今日から三日間行われている新任セールス研修のトレーナーがいないので、その一部を私が担当すること”の二点でした。呆然とも唖然ともつかない私の表情を察してか、“実施要項(研修カリキュラムの進め方マニュアルとトレーナー用教材)があるから、それを参考にしてやってくれればいいのです。井上課長(その時点での役職)の商談力を見本として教えてくれれば十分です。……”と、説得されました。釈然としないまま、“何と無茶苦茶な……”という言葉を飲み込んだことは、今でも記憶から消えることはありません。何しろ“全く経験のないことを、それも研修トレーナーを明日から二日間やりなさい”という、当時の私の実力では対応不可能なことだったからです。講師としての二日間の出来栄えは、まさに“推して知るべし”でした。心の準備も教材研究もしないままに、30名弱の東北全エリアから集まった研修受講者の前に立つのです。教育担当としての経験も基礎能力もゼロでした。何をどうすれば準備したことになるのか、皆目見当がつきません。とにかく、教材を何度も読み返して、準備ともつかないことを徹夜で行いました。しかし、気が焦るばかりで、何も手につきません。現在の私がその場にいたら、間違いなくレッドカードを出していたでしょう。

 研修を終えてから一番恐ろしいと感じたのは、講師の言うことを百%信じて疑わない受講者の存在でした。それは、間違っていることでも正しいと刷り込まれることですから、それは末恐ろしいことなのです。その時に感じた問題意識は、私の心の底に張り付いたまま、現在に至っております。その時点で、どのような事情や意図があったにせよ、来月から社員数500名強の会社の専任教育担当として研修を企画し運営する仕事に携わる人間です。その三日間の体たらくを忘れることなど出来る訳がありません。この経験は、30数年間の人事教育業務における一番の初心となりました。一方で、貴重な学びもあります。その一つは、何が何でも準備万端整えるということです。どれだけ時間をかけて教材研究しても十分ということは有り得ません一字一句、言葉や文言の意味を勉強して理解することは、不易の行動規範となって現在に至っております。

その2:1987年4月の初心

 4月初旬は、新卒新入社員研修の時期です。昭和62年(1987年)4月は、新会社が発足して未だ半年しか経っていません。研修一つ企画し運営することも儘(まま)ならない状況でしたが、教材研究だけは何はともあれ実践しました。2時間のカリキュラムの場合、その10倍の、いや20倍以上の時間を費やしたと思います。少しでも気になる意味不明の言葉があれば、意味を調べることから始めました。しかし、一所懸命準備しても、理解不足や勘違い・先入観から間違えて教えることがありました。その一例が、「仕事の進め方の基本」というカリキュラムに出てくる原因追求の方法としての5W法です。その5Wを私はこう教えてしまったのです。“5Wというのは、WHAT,WHY,WHEN,WHO,WHEREのことです。それらを明らかにしていくのが5W法です”と。それは間違いで、“WHYを5回続けるのが5W法で、何故を5回続けると根本的な理由が明確になってくる”というのが正解になります。その研修では、私の先輩がオブザーバーとして参加しておりました。休憩時間に間違いを指摘されて、何とか訂正することが出来ましたが、今でもゾッとする実話です。この間違いは、私の能力不足、未熟さの表れです。“5W法の5Wと5W1Hの5Wは同じ”と思い込んでいました。準備段階で、安易に考えて、高を括っていたのだと思います。間違いを指摘された時は、非常に恥ずかしかったことを覚えております。その気持ちは、それ以降の担当カリキュラムの運営に大きく影響しました。

 それ以来、間違って教えたことは、どのような手段を用いても、必ず全員に訂正連絡をすることを義務づけました。研修が終了して、現場に戻った後に間違いに気付くことだってあるでしょう。My5Wの悲劇は、場所、おおよその時刻など、今でも記憶に残っております。

その3:1987年初夏の初心

 これから紹介するのは、悔しさいっぱいの初心になります。昭和62年(1987年)の初夏だったと思います。グループ会社の専任教育担当者6、7名が集められて、所属する会社の今後のビジョンや業務方針の検討合宿がありました。ねらいは、一にも二にも専任教育担当者の育成と理解しております。それも、教育担当者の主要任務である代表取締役の懐刀としての機能強化を求められての内容がメインだったと思います。

 朝から晩まで、想定される課題の解決策や今後の方針などを議論して意思決定する、というグループワークの連続でした。最初は、親会社の本部事務局が進行役を務めていました。二日目からは、その様相が一変しました。その難しい進行役(今流に言えば、リーダー、コーディネーター、ファシリテーターの三役兼務)を、断れない雰囲気の中で指名されたのです。どのようなテーマであったのかは思い出せませんが、当時の私にとって難しいテーマであったことに間違いありません。言葉を発することも出来ないまま、只々時間だけが経過します。結局、本部の事務局長がまとめ役となって終了したのだと思います。その日の食事は喉を通りませんでした。何も出来なかった、何もしなかった自分が、ただただ情けなくなりました自分自身の無能さが悔しくて悔しくて、どうにも居たたまれなくなりました。以降の合宿をどのように過ごしたのか、今でも思い出せません。自信の一かけらも見い出せずに、無表情のまま施設を後にしたと思います。静岡県掛川市つま恋での3泊4日でした。

 それから十年ほど経て、つま恋合宿の様な試練に出会っても、何とか乗り越えることが出来る実力が身についてきたと実感するようになりました。1987年初夏の初心を忘れることなく、日々目の前の課題と向き合い、誠心誠意努力し続けた結果だと思います。

その4:もう一つの忘れられない初心

 これから紹介する最後の初心は、教育担当が陥りがちな大きな勘違いの産物かも知れません。TK社では、教育部が新卒採用の仕事も担当しておりました。会社説明会、会社訪問への対応、選抜選考試験・面接と、全ての採用活動を取り仕切るのです。今でもそうだと思いますが、入社希望者の採用担当者に対する評価が、入社決定に影響を及ぼすことを毎年のように感じてきました。私の場合、教育部門責任者として入社後3年間の基礎教育にも関わりますから、より強い信頼関係実現につながる可能性も高くなります。結婚式の主賓として挨拶を依頼されたことが、かなりの頻度でありました。ある時からは、会社における厳父役・慈母役を自認する様になりました。その思い上がりや過信こそが勘違いの元凶だったと思います。その勘違いというのは、「社内の誰よりも、私の言うことなら、何でも受け止めてくれる。受け容れてくれる」という驕りのような慢心でした。その当時、10数ヵ所あった拠点に配属された新卒新入社員の中には、理由は何であれ“退職したい”という社員が出てきます。その時に、真っ先に聴き役・説得役として悠然と出向く私がおりました。経営幹部から委任された仕事の一つだったからです。本人の思いや感情を素直に表現してくれる人が殆どでしたが、だからといって退職を決意した若人のほとんどは、説得に応じてくれたことはありませんでした。中には、迷惑顔で早々に退席する方もいました。「井上次長(当時の役職名)、何しに来たのですか!」と。久しぶりに顔を合わせたのに、挨拶もしてくれず素通りする方もいたと記憶しております。皆さん、私より20歳近くも年下の若手社員なのです。

 その様な体験を繰り返しながら、頭を打ち砕かれるような感覚に襲われ始めました。そして、ある時に眼が覚めたのです。「社内の誰よりも、私の言うことなら、何でも受け止めてくれる。受け容れてくれる」。それは思い上がりも甚だしい、傲慢な考え方だったのです。人間としての未熟さの産物だったのです。それが初心と気づくまでには、ある程度の時間を要しましたが……。

 以上、四例の未熟な私を率直にさらけ出してみました。人事教育の仕事に携わった38年間を振り返って、多くの初心に気づかされております。新社会人の頃まで遡りますと、赤面ものの未熟な姿のオンパレードなのです。さらに、この年になっても、未熟な自分が顔を出すことがあります。だから、一生学び続ける人でありたいのです

 エッセイ299回は、初心に焦点を当ててみました。どなたにも、初心と思しき経験が存在すると思います。虚心坦懐に人生を見つめ直すと、本来の意味の初心が浮かび上がってきます。どのような年令であっても、未熟な初心は顔を出すものですそこを出発点として、これからの人生のあり方を再構築して歩み続けましょう感謝の気持ちを添えながら、小さな希望を灯して前進したいと思います

       EDUCOいわて・学び塾主宰 井上 和裕(2024.1.18記)

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