60才代半ば辺りからだったでしょうか。“アレッ? …… ”と、首を傾げてしまうことが出てきました。それまで当たり前にやれていたことが、簡単にやれなくなってきたことを実感するようになったのです。年を重ねる毎に、そのような日常動作を思い知らされることが増えてきました。20年ほど前は他人事と思っていたことが、切実な自分事となって顕在化してきたということです。有り体に言えば、それほど苦も無くやれていたことが、思うようにやれなくなりました。それらの多くは、加齢による体力の衰えが根っこにあって、そのことが原因となって日常生活の実践能力や考動姿勢が急激に衰退しているのです。
日本の全人口に占める70歳以上の比率は約22%だそうです。(2022年10月現在)今回のエッセイは、77才成りたての私が認識している私自身の衰えの実態を列挙したいと思います。高齢者比率の右肩上がりは続くでしょう。そのような中で、高齢者の生活実態を知っておくことは、何らかの事態に遭遇した時の方途選択肢が増えるのではないでしょうか。また、多かれ少なかれ誰もが通る道を知って心の片隅に留めておくことは、信頼をベースとした対人関係構築を円滑に推進してくれると思うからです。今回のエッセイは、いつもと景色の異なる呟きになりそうです。
誰もが通る道~20年前は他人事だったことが、今自分事となっています
私がいわゆる生活習慣病で初めてクリニックを受診したのが57才前後だったと記憶しております。それから20年の間に、診察券の数が7枚も増えました。現在は、月に数回、複数のクリニックのお世話になっております。
古希を迎えてからは、体調が芳しくないと感じることが増えて、新たな症状に悩まされることが出てきました。外出自粛の新型コロナウィルス禍において、私の外出先比率の半分以上はクリニックでした。継続して服用する薬も増えています。数年前からは、寝つきが悪いだけでなく、夜中に何度も目が覚めて熟睡できないことが当たり前化しています。今年の2月から数ヵ月間は、耳鳴り・耳詰まり・めまい・ふらつきに悩まされました。症状の程度に波はありますが、大きなストレス源になっています。ケセラセラ精神で、現れた症状と上手にお付き合いできれば良いのですが、四苦八苦しているのが実情です。20年前には考えられなかったことですが、体調の変化は、心の持ち様にも影響してきます。私の場合は、クヨクヨ考え過ぎる気弱癖が顔を出して、やる気にまで影響してきます。そんな時には、抵抗力、ストレス耐性、持久力が明らかにダウンしていることを認めざるを得ませんね。思考力・行動力も徐々に萎んで、日々の動きはかなりスローダウンしてきました。それでも、足腰の衰えをカヴァーしようと、第一優先でウォーキングや自己流ストレッチに励んでおります。目標は一日6千歩ですが、外の空気を吸うことで気分転換のストレス対策にもなっています。しかし、歩行速度はかなり落ちました。めまいやふらつきに悩まされる時には、無理をしないで歩行時間を短縮するしかありません。
それ以外にも、歩きながら衰えを実感することがいくつもあります。先ず、平らな地面で、つま先が引っかかってつまずくことが多くなりました。足が上がらなくなった証しでしょう。転倒寸前のことも何度かありました。また、気持ちとは裏腹に、思うように足が進まなくてよろけてしまうこともあります。階段の昇降時には、手すりを頼るようになりました。色々な場面で、物忘れを感じることがあります。知人や著名人の氏名、数日前の出来事が思い出せないこと、適切な言葉が思い浮かばないことが多くなりました。それなりに自信がありました滑舌も、どなたの耳にも衰えが明らかな状態だと思います。
60才代では有り得なかったことですが、ペットボトルの栓を開けるのに思いっ切り力を入れるようになりました。なかなか開栓できないこともあります。灯油用ポリタンク(18ℓ)を5m運ぶのにも一苦労です。また、手に持っているものを、簡単に落としてしまうことが良くあります。箸、スプーン、コップ、歯ブラシなど、軽いものばかりです。片手で簡単に着脱出来ていたワイシャツのボタンですが、両手でやっても時間がかかるようになりました。片足立ちでズボンを穿くことは、転倒防止のために止めました。細かい手仕事は、時間がかかりますし、やることを諦めることだってあります。縫い針に糸を通すことなど、もう出来ませんね。アイロンがけもご無沙汰しております。
毎日服用している薬のPTP包装から、錠剤・カプセル剤を取り出すのにも時間を要します。小さな薬の場合、やっと取り出した錠剤を落として見失ったことが何度もありました。食べ物や飲み物を、うまく飲み込めないことが増えております。また、むせてしまうこともありますから、時間がかかってもゆっくりと噛みしめて食べるようになりました。頻度は低いのですが、誤嚥で咳き込むこともあります。そうそう、口いっぱい頬張った時、硬めの物を食べた時には、舌や頬っぺの裏側を噛むことがよくあります。加齢に伴って、唾液が出難くなっていることが一因のような気がします。
老眼が進行し、視力も急速に下降しました。商品に印刷されている説明書は、字が小さすぎてもう判読できません。それ以上に、もう読む気がしないのです。必要な場合は、直径10㎝のルーペを使っております。印刷された使用説明書も同様です。使い方が要注意の商品だってあるでしょうが、高齢者にとっては読む気力が起きないのが実態ではないでしょうか。日常生活に不可欠となったスマートホンにしても、私にとっては画面も字も小さすぎて、便利なアプリを活用する気になれません。調べ物は、専らパソコンのお世話になっております。それにしても、パソコンやスマホなど電子機器本体やシステムなど、急速なIT化の進展には、とてもではありませんがついていけなくなりました。後期高齢者には、基本から繰り返してサポートしてくれる体制が無ければ、高価な電子機器も宝の持ち腐れだと思います。以前であれば、気を遣った行動を意識しておりました。しかし、気持ちとは裏腹に、自分自身のことで精一杯です。周りを気遣う余裕が無くなってきました。体調管理を含めて、先ず自分自身のことが最優先なのです。他者へのお役立ち精神は残っておりますが、人間としての総合力の衰えは如何ともし難く、自然の姿と割り切って上手にお付き合いするようにしております。
以上、思いつくままに、私自身が実感している私自身の衰えの一部を書き出してみました。衰えと気づいてから感じているのが、人生の諸先輩に対して、かなり失礼・無礼・非礼な態度で接したことが多々あったろうということです。恥ずかしい限りですが、諸先輩のあり様を、正に他人事で見ていたということになります。
改めて、何故私自身の現実の姿を取りあげたのか、その理由に触れておきたいと思います。いずれ誰もが通る道を知って頂いて、今のうちに心の備えを明らかにして頂きたいからです。そうすることで、何らかの事態に遭遇した時、心身ともに余裕を持って対処できると思うからです。例え小さくても、余裕の存在は、イザという時に大きな心の支えになると確信しております。もう一つ、薬局薬剤師の皆さんには、日常生活における高齢者の数多くの苦労を知って、発する言語を含めたコミュニケーションのあり方を振り返って頂きたいと切に願っているのです。それ以外にも老老介護、さらには超老老介護、そして認認介護の問題にも行き着くかも知れません。ある程度の年令に達したら、避けては通れないテーマとして考えておかなければならないと感じております。
今回のエッセイは、あくまでも私個人の実態であり見解になります。何か感じるものがありましたら、可能な範囲で構いませんから、身近な方々と雑談風情報交換をお奨めしたいと思います。自分自身をさらけ出すことに抵抗があるかもしれません。しかし、誰もが通る道ですから、悩みやストレスを共有することで、対処法の選択肢を拡げることにつながると思います。それ以上に、これからの人生を楽しむ術を身につけるきっかけになるのではないでしょうか。
EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2023.10.21記)
【参考】エッセイ289号:患者の思いを引き出しましょう。日常会話で引き出してみませんか。(2023.8.19記)