エッセイ281:努力は報われる?それとも、… 。けだし、全力投球した努力は、決して無駄ではない。

投稿日:2023年6月20日

 キングと称された体操の内村航平さんは、昨年3月に現役引退しました。2021年の東京オリンピックでは、周囲の期待とは裏腹に、開幕二日目の鉄棒予選でバーから落下して姿を消したことは、今でも忘れられません。私の心には、未だにその後のコメントが残っております。その内容から、内村さんは“類いまれな努力家”で、“自因自果の求道者”であることを強く感じました。特に忘れられないのが、“努力は報われる。それを証明するために僕は体操を続ける。無駄な努力は、きっとない。努力が報われないことが僕は受け入れられない”という、自身の努力に対する強い思い入れでした。

 「努力は報われる」に関する格言・至言は、その道のレジェンドと言われるような著名人による所見が多いことから、私たち凡人と比べるレベルにはない努力を積み重ねた結果の一家言だと思います。内村さんのコメントもその一つでしょう。大切なことは、「努力は報われる」の七文字だけではなく、その前後の文言や努力の実態も含めて理解することではないでしょうか。気になった箇所だけの切り取り引用は、その本質を見落としてしまうことになります。このことは、自戒の文言としなければいけませんね。今回のエッセイは、私たち凡人にも通じるであろう努力に関する私見を呟いてみたいと思います。

努力は報われる?それとも、……。けだし、全力投球した努力は、決して無駄ではない。

 先ず、原点に戻って、努力という二文字の意味を考えることから始めました。

 努力とは、“ある目的を成し遂げるために、力を尽くして励むこと”、それも“自分自身の意志や意図によって維持される心的、身体的活動”ですから、他人から言われて励むのではなく、自主的に継続して励むことを意味します。つまり、努力というのは自分自身との闘いであり、目的に辿り着くためにセルフコントロールしながら力を尽くして励み続けることが大前提になります。そのような理由から、努力し続けるためには、自律と克己が必須要因という結論に行き着きました。これらの見解を基にして、呟きを進めることにします。

 努力が自分自身の意志と意図によって維持される活動であることに鑑みれば、“報われるかどうか”或いは“報われたかどうか”の判断は、十人いれば十通りの回答ということになると思います。そもそも判断基準は各自が考えた基準ですから、一人ひとり違って当然です。その時々の結果だけではなく、そこに至るプロセスにまで及ぶ可能性も考えられます。基準項目も一つだけではない上に、難易度などの強弱が絡まり合ってきますから、出てくる回答は百人百様状態になるでしょう。さらに、評価の甘辛が存在します。ややもすれば、甘く成りがちなのが自己評価です。1.5倍程度の厳しい眼で臨むことを推奨します。いずれにしても、各自の判断基準に基づいて、各自が意思決定することになります。今回呟くにあたって、私自身のこれまでの努力の実態と成果を、高校時代まで遡って振り返ってみました。薄れた記憶を呼び起こしながら、“努力が報われた”と実感したことが、なかなか思い浮かびませんでした。出てくるのは、“未熟だった”、“本気じゃなかった”などの言い訳もどきで、実力不足・努力不足・気力不足の結果だったのです。

 そんな中、何年か前からつくづく感じ入っていたことを思い出しました。それは、40年近くも続けられている現在の仕事は、30才代後半から地道な学びを含めて全力で試行錯誤したことで身についた職務実践能力があってのことと実感したことです。特に、どのような仕事においても、頑固なまでに準備万端整えて対処したことを忘れはしません。追究姿勢を前面に出して、一つひとつの課題に全力で取り組みました。克己心で努力し続けたのです。その結果、知らず知らずのうちに、経営環境の変化に適応できる実力が蓄積されたと思います。具体的な成果と感じていることについても触れておきましょう。一番の成果として自認しているのが、54才で転職してから勤務した4社(ドラッグストアチェーン1社、調剤薬局チェーン3社)の社員採用と育成に関して、各社の実情を鑑みながらカスタマイズして対処したことです。研修教材や会社案内資料のツールを始めとして、実行計画の企画策定・運営や対外折衝まで、全てゼロベースから立ち上げました。社員教育に関する行事については、一人で企画運営(参照:エッセイ204回)しました。入社して半年もすれば、会社全体を俯瞰しながらの仕事遂行が可能になります。そうなれば、不測の事態に遭遇しても、慌てることなく状況に応じて臨機応変な即応ができるものです。倦まず弛まず積み上げるように努力してきたことが、決して無駄ではなかったと思えるのは、そのようなレベルに達した時でした。

 今回アレコレ呟きながら、これも努力の成果と気づいたことが出てきました。いくつか紹介したいと思います。一つ目は、早期着手や準備の徹底が、当たり前化された行動習慣になっていることです。無意識に実践しているルーティーンになりました。二つ目は、何らかの努力を日々続けていると、身の回りの出来事の小さな変化や違いに気づくことが増えているような気がすることです。問題意識のアンテナ感度が、常に良好な状態に保たれているからでしょうか。三つ目は、成果が積み重なってくると、努力することが楽しく感じられるようになりました。また、18年間も続けている後輩への問題提起は、努力を続ける推進力になっています。“努力が報われること”の示範として続けているエッセイは、今の私に出来るSDGsとなりました。改めて思い知らされたこともあります。評価の難しさと判断基準の多様性の問題です。“報われるかどうか?”或いは“報われたかどうか?”の判断は、何を基準とするかによって異なってきます。今頭に浮かぶだけでも、目的・目標の難易度や達成意欲、目的達成のプロセス目標と実行計画の内容、達成意欲に影響する雑多な環境要因の存在、協力者・支援者・忠告者の有無などが、基準として考えられます。これらに関する深耕は、今後の課題にしたいと思います。この辺りで、まとめたいと思います。

 報われたかどうかは、各自が設定した判断基準に基づいて、各自が評価し決定するということが基本です。私自身の経験を振り返ってみれば、“努力が報われるとは限らない。報われないこともある”というのが私の見解になります。しかし、重要なポイントは、評価後の向き合い方にあります。いずれの場合も、そう判断した理由は何かということをキチンと総括することが肝なのです。身近な用語を使えば、PDCAサイクルをスパイラルアップすることです。その上で、次の課題を明らかにして、その課題と向き合って努力することではないでしょうか。もう一つ触れておきたいことがあります。報われたかどうかは、時間の経過や環境の変化によって変わることもあるということです。当初報われなかったと判断しても、数年後とか20年後に報われ感を味わうこともあると思います。私の場合は、正にそうでした。報われ感を味わえなかったとしても、努力のあり方を見直すことさえ怠らなければ良いのです。成功するまで惜しまず努力し続けたから報われたと実感できるのだと思います。

 思いのほか苦労しながらの呟きになりました。いずれにしても、全力で努力したという自負心があれば、結果が何であれ、無駄な努力はないと思います。無駄にするもしないも本人次第ということです。自律と克己が、報われた努力の道へと誘うのです。大切にしたいのは、努力して得られるものの存在です。つくづくそう感じた今回の呟きでした。

    人財開発部/EDUCOいわて・学び塾主宰 井上  和裕(2023.5.1記)

【参考】エッセイ159回:怒りを鎮めて…焦らず腐らず日々努力~悔しい体験から逃げないこと(2018.3.7記)/エッセイ168回:新人事評価制度導入や研究講座実施が、覚悟の根を丈夫にしてくれた(2018.7.1記)/エッセイ177回:私の教育担当としての転換点の一つ(2018.11.3記)/エッセイ204回:教育機会の全行程を、私一人で運営する(2019.12.10記)/エッセイ226回:地味な職種は何か(2020.10.30記)/エッセイ256回:倦まず弛まず本気になってコツコツ努力を積み重ねる(2022.4.19記)/エッセイ263回:全力投球の意義(2022.8.1記)/エッセイ265回:全力投球のご褒美(2022.8.17記)/エッセイ266回:言い残した全力投球のアレコレ(2022.8.31記)/エッセイ268回:あなたには、協力者・支援者・忠告者がいらっしゃいますか?(2022.10.7記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン