エッセイ278:教えてください。お願いします ~ 教わるとは?

投稿日:2023年5月2日

 日々起きている地球上の出来事は、知らないことがイッパイあることを示唆してくれます。読書でも、新聞広告に目を通しても、同じように感じることがあります。“年を重ねても知らないことがイッパイあること”を気づかせてくれたのは、堀切和雅さんの著書「三〇代が読んだ『わだつみ』」(1993年7月初版発行/築地書館)でした。出会ったのが、30年近くも前になります。エッセイ152回で取りあげましたが、再度その“あとがき”の一部を紹介したいと思います。

 そして、さまざまな年齢で戦争の体験をして来た方たちに対して、繁栄の時代のわれわれがいかに冷淡で無関心だったかということに今さらながら気づかされ、胸塞がるる思いです。人間は幾つになっても、「自分の知らないことがある」ことぐらい、知っていなければいけませんね。

 このことが心に刺さって直ぐに、新社会人や新入社員の育成像に、新たな指針を仲間入りさせました。それらの指針は、今でも私が携わる基礎教育運営上の眼目として続けております。今回のエッセイは、その一端を紹介させて頂きます。今でも共有化の難しいテーマではありますが、教育担当の私にとって避けられない日常の課題なのです。

教えてください。お願いします ~ 教わるとは?

 仕事でも家庭においても、公私を問わず自分自身の人生における学びとは、今居るところから新たな道へと旅立つことです。思い切って離陸することです。行動レベルで表現すれば、自分自身の無知や未知を素直に認めて、それまで知らなかった知識・言語、そして考え方や方途を理解し修得することを意味します。そのような認識こそが、誠の人間として成長する数少ない秘訣であり、前途有為な若人が腹に落として実践するべき考動理論なのです。

 その修得の旅で大切なことは、相談者兼指導者兼支援者としてのメンターの存在です。修得の手段として自己啓発もありますが、先達から“教わる”というプロセスは不可欠でしょう。本質まで教わるためには、先達との相互啓発に至る学びの扉を自力で開かなければいけません。他力本願は有り得ません。扉を開くためには、肝心要のある文言を“毅然と意思表示すること”が必須要件なのです。頭を空っぽにして、首を垂れて、声を上げなければなりません。「……を知りません。教えてください。お願いします」と。

 このシンプルな文言を、ハッキリと言える人の育成こそが、人材育成上の重要な着眼点の一つなのです。自分自身を謙虚に看脚下して、“自分が知らないこと、分からないこと、出来ないこと”を、適切に言えるようにならなければいけません。誠の人間としての基本作法だと思います。これまでの経験上、その意味を共有し共鳴まで導くには、かなりの工夫と労力、そして根気を要します。手間暇と時間がかかるということです。継続と積み重ねが無ければ、付け焼刃の修得で終ってしまうでしょう。だから、社員教育は自社社員が自前で運営し続けなければならないと強く実感しているのです。

 もう一つ問題提起したい人材育成上の眼目があります。“自分が変わらなければ、何も変わらない。成長しない”ということを気づかせることです。原因と結果の関係のことです。『善因善果、悪因悪果、自因自果』であることを大前提として、一歩立ち止まって心の姿勢を正していけば、自ずと日々の言葉遣いや態度に表れてくるからです。

 今回のテーマを取り上げる動機となったことがあります。声高に自己防衛に終始する姿、威勢のいい強弁が幅を利かせる昨今に、嫌気がさしているからです。年を重ねても、謙虚に学ぶこと、誠実に学び教わることを続けたいと思います。

  人財開発部/EDUCOいわて・学び塾 主宰 井上 和裕(2023.3.18記)

【参考】エッセイ229回:汝自身を知れ&我以外皆我師也(2021.1.15記)/エッセイ152回:年を重ねても知らないことがイッパイある。だから…(2018.1.3記)

 

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