エッセイ274:学び塾皆勤賞の薬剤師堀江さんの仕事姿勢と人柄

投稿日:2023年3月6日

 今でも皆勤賞は存在するのでしょうか。いくつかの理由から賛否の声が表面化し、その是非が議論されていました。今では姿を消したようですから、いわゆる戦後の復興期から高度成長期における動機付け策の一つだったということになりましょうか。

 私が主宰しております学び塾は、2009年8月に20数名でスタートしました。現在、新型コロナウィルス禍の影響でお休み状態ですが、それまで開催した全23回を皆勤し続けているメンバーが一名いらっしゃいます。福島県在住の堀江勝洋さん(現在47才)です。考えてみますと、年数回の開催ではありますが、10年間も欠かすことなく出席することは容易なことではなかったと思います。開塾当初は年3回の頻度で、福島市と郡山市で相互に開催しました。2016年の第16回からは、会場を私の都合で盛岡市に移して現在に至っております。9時スタートの17時解散ですから、丸一日のカリキュラムで企画運営し続けました。本質を追究し学び合うためには、それだけでも時間が足りない位なのです。また、常に参画型を意識していますから、学び塾コロキウムなど自己啓発課題の発表機会を何度か設けました。今回のエッセイは、学び塾皆勤賞堀江さんの仕事姿勢と人柄を呟いてみたいと思います。積極的な行動力と言行一致が持ち味の堀江さんです。私にとりましては、これからも見守っていきたい楽しみな薬剤師の一人なのです。

学び塾皆勤賞の薬剤師堀江さんの仕事姿勢と人柄

 先ず、堀江さんのプロフィールから紹介しましょう。23才(1999年)で首都圏の工業大学を卒業し、東証一部(現在東証PRM)上場の電気機器製造企業Y社に就職しました。しかし、海外移転による国内の工場閉鎖で退職せざるを得なくなりました。入社して5年目のことです。いわゆるリストラでしたが、この機会を千載一遇のチャンスと前向きに捉えて、薬学部受験を志しました。元来理科が大好きな堀江さんは、高校時代に思い描いていた化学を通して人々の健康に貢献したいという思いを実現するために選択したのです。新潟薬科大学3年次編入に見事合格したのが28才の時でした。2007年春薬剤師国家試験に合格し、地元の調剤薬局で保険薬剤師の道を歩み始めました。それから11年後の2018年10月に独立して福島県伊達市に合同会社“うさぎ薬局 保原店”をオープンして現在に至っています。

 堀江さんと初めて出会ったのは、新潟薬科大学での就職相談会と記憶しております。私の所属する調剤薬局チェーンC社(当時30数店舗)のブースに、同郷の同窓生数人と顔を出してくれました。卒業後の将来像や方向性が定まっていない薬学生が目立つ中で、ビジョンを明確に定めて企業研究している積極姿勢が第一印象として残っております。また、数分間の個別対話から、一度社会に出て学び直したことが分かりました。後日、C社への入社意思を表明し、翌年(2007年)4月から一緒になってビジョン実現を目指すことになったのです。それから17年経ちましたが、今でも共に学び合い、何かあれば情報交換する間柄です。私が観てきた堀江さんの姿勢や行動から、感じ入ることがいくつかあります。私見ではありますが、その一部を呟いてみたいと思います。

 2007年4月、C社には堀江さんはじめ13名の薬学部新卒者が入社しました。4月1日から3週間は、ホテルでの合宿形式の新入社員導入研修です。他の新入社員とは一回りほど年令の異なる堀江さんですが、年上風を吹かせることなく、同期入社の仲間と共に切磋琢磨し合う姿から、初心安心そして初志立身ということを確信しました。堀江さん流のリーダーシップと対人関係能力に感心させられたことも印象に残っております。周回遅れの再出発という十字架を背負っていたからでしょうか、何事に対してもかなり積極的でした。特に、意思決定と行動の立ち上がりスピードの速さが抜きん出ていたと思います。だからと言って、優越感に浸るのではなく、同期入社の仲間と“共に学ぼう、共に成長しよう”という姿勢でしたから、皆も自然と引っ張られて研修カリキュラムに取り組みました。また、一度社会の荒波に揉まれたことからか、問題意識がかなり高かったですね。その上、一生懸命勉強していましたし、言行一致を貫いてコツコツ努力していました。これらの行動姿勢は、今でも変わっていません。性格的には、気遣いを心がけながら、ひょうきんな側面が顔を出すこともあります。それは“仲間を楽しませたい”と常に考えていたからでしょう。プレゼンテーション能力は決して高くありませんが、率直な会話を通して周りを和ませることを楽しんでいる風でした。

 今回、堀江さんのアレコレを反芻しながら、28才という若さでリストラされたことが、人生のターニングポイントになったと感じております。ITバブルが崩壊して日本の景気が急速に悪化(いわゆる失われた20年)し始めた時期でした。そのような厳しい向かい風の中でしたが、千載一遇の再チャレンジ到来と捉えて、一度失敗した薬学部挑戦を決意したのです。想像するに、“私の人生待ったなし、後がない”と腹を括ったのだと思います。結果論かもしれませんが、二度目の青春を謳歌した2年間だったのではないでしょうか。時が過ぎて客観的に振り返ってみれば、この遠回りした約10年間は、以降の生き方に多大な影響を及ぼしたはずです。薬剤師免許を取得して11年後には、独立して開局しました。事前に相談されましたが、私は即背中を押しました。その一番の理由は、堀江さんの思い描く将来ビジョンが明確だったからです。雇われ薬局長では、結局会社の方針に従って、限られた狭い権限での仕事遂行になります。堀江さんのようにかかりつけ薬局・かかりつけ薬剤師の具体像と方途が明確な薬剤師にとっては、ストレスが溜まってモチベーションを維持することも叶わなくなります。それが現実でしょう。開局後は、地域の生活者や患者とその家族のための満足と安心を一番の優先課題として取り組んでいます。在宅医療はもとより、時間が許せば夜間診療所への応援にも出向きます。最近では、新型コロナウィルス対策の一環として、自薬局での抗原抗体検査の実施、ワクチン接種事業への支援など、いち早く休むことなく参画しているようです。“薬剤師になって、本当に良かった”という本音の声に、勇気と元気を頂戴しております

 堀江さんは、誠実・言行一致というワイシャツに、正直色のベストと不器用柄のネクタイを締めたような人柄です。正直で不器用ですから、割合ストレートに思いを発します。生意気で疎ましく受け止められることもありそうですが、そんなことはお構いなしで、目の前の課題や思いついたテーマ一つひとつを、積極果敢に取り組むタイプです。それも、薬剤師・薬局の顧客である患者とその家族、そして地域の生活者のためになることを実践することが、イの一番の関心事なのです。気が付いてみれば地道に積み上げた体験が、いつの間にか点から線になり、これからは面になっていくことでしょう。かかりつけ薬局・薬剤師というのは、お題目のスローガンであってはいけません。薬局と薬剤師が目指す目標の一つではありますが、その評価は薬局のステイクホルダーが決めることです。一番のステイクホルダーは、来局する患者と家族、地域の生活者になります。その評価基準は、ステイクホルダーが実感する“日々、誰に対して、何のために、何をやっているか”に尽きると思います。堀江さんを観ていると、遠くない将来に、名実ともに“かかりつけ薬局・かかりつけ薬剤師”と評価されることが想像できます。“うさぎ薬局に来て良かった。堀江さん、有難うございます。これからも、宜しくお願いいたします”と言ってくれる薬局になり続けることを期待しております。

 さて、今年は卯年で堀江さんは年男です。フレーフレーうさぎ薬局、フレーフレー堀江!

  人財開発部/EDUCOいわて・学び塾 主宰 井上  和裕(2023.1.17記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン